2024年5月7日火曜日

偏愛メモ 『増補版サブカルチャー神話解体』

第4章 性的コミュニケーションの現在
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「不潔だわ!」の意味するもの[性への関心の逆説的表現](tw,tw)
ところで、映画や写真といったこれらのメディアもそこに提示された「観念」も、明らかに男性優位だった。同時代の若い女の子向けのメディアはどうだったのか。この点について見ておこう。

当時のハイティーン向け女性雑誌『セブンティーン』には、いくつかの象徴的な動きが見いだされる。増刊号(68年6月11日号)の目次は次のようなものだ。
合格すればぼくの奥様になれるよ(タイガース特集)
この愛の十字架(わたなべまさこ)
友情なんて…もう何も信じない(読者実話)
若い人の交際(石坂洋次郎)
しかし、その数号後には『若者を子供扱いしている』という読者の批判が投稿され、石坂洋次郎的な「愛というもの」「友情というもの」(第一章第一節)は創刊号だけで打ち止めになってしまう。

『ジュニア小説』的な『大人から見た<若者>らしさ』に対して、強烈な反発が起こったのだ。同時代の『60年代的サブカルチャー』における『母親的なもの<キャラメル・ママ!>への反発』とおも、軌を一にした動きだった。

P389確かに、68年から71年頃までの『セブンティーン』に共通するキーワードは、「真剣な愛」である。しかしそれを担うのは、石坂洋次郎的な「物分かりのいい大人」の御託宣ではなく、同世代の作者によるストリート・マンガだった。

そこには、同世代内部でしか支えられないほど性愛に関するコミュニケーションが見いだされる。明らかに「世代コード」によって支えられた「<若者>らしい性」が上昇しているのだ。

しかし、コミュニケーションの具体的な内容を見ると、意外なことにきわめて強烈な「性の否定の身振り」によって覆い尽くされている。「好きだった男の子があんなにエッチだったなんて、もうイヤ!」云々。

一見したところ、同時代のサブカルチャーとも、「性=愛=結婚」の三位一体の主張とも、ほど遠いのだ。ちなみに、『セブンティーン』誌での「高校生妊娠もの」の上昇は、72年以降まで待たねばならなかった。

同時代の日本映画でも青春テレビドラマでも、若い女性が、男性に「不潔だわ!」としばしば叫んだ。それは、彼女たちが、男性の性的な視線を目ざとく発見したときに、すかさず投げかけられるものだ。

その意味は何だろう。大事なことは、これを戦中・戦前的な家父長制規範--清く正しく美しく--の単なる継続と見るわけにはいかないということだ。50年代半ばから60年代半ばの「若大将映画」の時代まで引き継がれた「健康なお色気」は、確かにそうした戦中・戦前的なものだった。

そこに見いだされるのは、性的な視点に晒されながらも本人に自己意識が存在しないという、ありそうもない構図だ。しかし、上述の過剰な否定の身振りに見いだされるのは、その反対物である。

それが表示しているのは、性的な視線への過剰な敏感さなのだ。

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