(tw)2025.11.18Gooブログサービス終了のため保守させていただきました。(ベルギー国王レオポルド二世再考(1)(藤永茂氏ブログより))
2007年11月14日付けのブログ『エルドラド探険遠征隊は「闇の奥」には消えなかった』では、1890年代初頭、地下資源の宝庫カタンガ地方をめぐってベルギー国王レオポルド二世とイギリスのセシル・ローズが鍔迫り合いをして、レオポルドが勝ちを占めたと書きました。このベルギー側の勝利はユニオン・ミニエール社という名の強大な鉱業会社として結実し、この会社からの収益が、象牙でもなく生ゴムでもなく、ベルギー領コンゴからの総収益の最大の部分を占めることになるのですが、前回のブログを読んで、奇妙なことに気付かれた方もあったかもしれません。それは、1939年の時点で、イギリスの貴族ストーンヘーブン卿がユニオン・ミニエール社の取締役の一人になっていたという事実です。カタンガの地下資源をめぐってベルギーとイギリスは敵対関係にあったのではなかったか?もし、協力関係が成立していたとすれば、それはいつからのことなのか?
その答えを詳しく知るためにはベルギーとイギリスによるカタンガ地方の植民地化の歴史を調べる必要があります。今日は手短かに結論的な事項だけ書きます。ユニオン・ミニエール社はカタンガ地方を含むコンゴがまだレオポルド王の私的植民地であった1906年10月18日に設立されますが、この会社はレオポルド王と、英国のセシル・ローズの協力者でダイヤモンドなどの採掘事業に豊かな経験を持つイギリス人実業家Robert Williamsとの協同事業のような形で発足したのでした。ユニオン・ミニエール社(正確にはUMHK、高地カタンガ・ユニオン・ミニエール社)は、始めから、ブリュッセルとロンドンに主なオフィスを持ち、ブリュッセルは一般業務、ロンドンは採鉱の技術的実務を担当しました。その上、多国籍金融資本からの出資も受けて、今で言うグローバリゼーションのはしりのような企業だったと言えます。こうなると、1906年という年がとても気になって来ます。
拙著『「闇の奥」の奥』にも書きましたが、1906年前後といえば、ロンドンを中心にして、モレルやケースメントたちのレオポルド二世のコンゴ悪政の打倒運動が最高潮に達した時期で、そのため、1908年には、レオポルド二世はコンゴの私有植民地を議会政治体制下のベルギー政府に委ねることになります。1903年5月20日、英国議会下院はレオポルド二世のコンゴ自由国を非難する決議を満場一致で可決、1904年には、コンゴ自由国の内情を告発する報告書、コナン・ドイルの『コンゴの犯罪』が出版され、勢いに乗ったモレルは渡米してシオドア・ルーズベルト大統領と会見、またマーク・トウェインの支持も取り付けました。かくて、英国国会下院を含むアングロサクソン社会は理解ある支持を正義感に燃えた英雄モレルに与えて,コンゴにおけるレオポルド王の暴政は、1908年、遂に打倒された--これが、数ヶ月前まで、私も信じていた物語の筋書きでした。
1906年は、たまたま、ハナ・アーレントの誕生年でもありますが、彼女は主著『全体主義の起源』の中でレオポルド王のコンゴ植民地経営を「ベルギー国王のきわめて個人的な「膨張」に基づくだけのsui generis (特殊なもの)であった」としていますが、カタンガ地方の歴史、ユニオン・ミニエール社をめぐる国際的資本の参加侵入の歴史を学べば学ぶほど、アーレントの断定が極めて皮相的なものであったことが明らかになります。ユニオン・ミニエール社には、設立当初から、ロスチャイルドの名に象徴されるベルギーと英国にまたがる資本が参画していましたが、1907年、カタンガの北に接するカサイ地方で林業とダイヤモンド等の鉱業を始めたフォルミニエール社という会社にも、発足当初から、米国のグッゲンハイム・グループが出資し、さらに、1950年には、ロックフェラー・グループがユニオン・ミニエール社の大株主になりました。
こうして見てくると、レオポルド王のコンゴ植民地経営に対する英米社会の表面的糺弾の裏では、ベルギー、英国、米国の三国の癒着、というよりも、グローバライズされた帝国主義的国際資本が、文字通り、跳梁跋扈していたこと、そして、その状態は現在にまで続いていることがはっきりと浮かび上がって来ます。ニューヨークへ向けてのカタンガのウランの最初の出荷(1250トン)の輸送ルートは、シンコロブエからルムンバシ、サカニアを回って、英国領ザンビア、ポルトガル領アンゴラを横断する千数百キロに及ぶ鉄道で大西洋岸の港ロビトに達したものと思われます。実際、この鉄道はレオポルド王の時代に、ベルギー、イギリス、ポルトガルを含む国際的資本によって着工されたもので、その建設目的には、原住民の福祉のためのインフラの意味は全くなく、カタンガの豊かな地下資源をアフリカ大陸から外に盗み出すための鉄道でした。
現在の世界の世論で、ベルギー国王レオポルド二世に対する批判の視角と視野を規定しているのは世界中で広く読まれているアダム・ホックシールドの『レオポルド王の亡霊』で、私もこの書物から強い影響を受けました。しかし、注目に値するのは、この本の中にはカタンガやユニオン・ミニエール社についての具体的言及が全く見当たらないということです。これは、レオポルド王の植民地経営政策批判論としては、はなはだ片手落ちと言うべきです。ハナ・アーレントは、上に引用した言葉に続いて、「ベルギー領コンゴでの残虐非道は他の地域での帝国主義者の行為とは比べものにならぬ残酷さで、帝国主義的支配の例として引き合いに出すとすれば公平を欠くだろう」と言っていますが、今の私としてはむしろ、「レオポルドのコンゴこそ、ヨーロッパの帝国主義的植民地支配が狡猾な隠蔽のカバーを剥ぎ取られ、その醜悪な典型的本質を露呈したケース」だと言いたいのです。ハナ・アーレントとは180度違う立場です。この立場から、この視角から、レオポルド王再考の論議を立ち上げようと思います。
藤永 茂 (2007年12月5日)