はじめに
1.中世近世の明石の君批評
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2.明石の君の人物像について---昭和の研究史
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3.『鶯鶯伝』の受容について
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4.『鶯鶯伝』のあらすじ
P186 『鶯鶯伝』のあらすじは次のようである。本分は新釈漢文大系『唐代伝奇(参照)』(明治書院、昭和五一年)所収、内田良之助注訳『鶯鶯伝』により、引用文には同書の頁数を記す。
主人公は張生という科挙をめざす書生である。唐の貞元年間(七八五~八〇五)の話であるとされる。張生は性質はおだやかで、容姿は美しく、芯は堅固で、友人が大騒ぎしても調子は合わせるが、一緒になって乱れることはなかった。
蒲州に旅に出た張生は普救寺に宿を取った。たまたま同じ寺に長安に帰る途中の崔氏の未亡人と子どもが泊まっていた。その年蒲州の都督が亡くなると、軍人が騒動を起こした。崔氏は財産家だったので、略奪に遭うのを恐れたが、張生が蒲州軍の将校と知り合いだったので話を付けて、一家は難を逃れた。
その後騒動は収まったので、崔氏の未亡人は張生に感謝して宴を設けた。そして息子と娘の鶯鶯を張生に紹介し挨拶させたが、鶯鶯はなかなか姿を見せず、母にきびしく叱責されてやっと出てきたが、化粧もしていなかった。
だが鶯鶯を一目見た張生はその美しさに驚いた。鶯鶯は十七歳であった。張生が話しかけても返事はなく、宴は終わった。それからというもの張生は鶯鶯に思いを伝えたいと願った。
P187崔氏には紅娘という召使いがいた。張生が紅娘に贈り物をして、折を見て鶯鶯への思いを打ち明け、取り次がせようとした。紅娘は断るが、翌日になって張生と崔氏とは親戚関係なのだから、その縁故で求婚したらよいと張生に助言をする。
張生がそんな悠長なことをしていたら自分は死んでしまうと言うと、それでは詩を贈るとよい、鶯鶯はよく詩句を口ずさんでいると言うので張生は即座に二首の「春詞」を作り贈った。
すると鶯鶯から「明月三五夜」と題された返書が来た。「月を待つ西廂の下、風を迎へて戸半ば開く」と記されていた。
張生はその晩、垣根を越えて崔氏の住まいに忍び込み、西廂に行くと戸が半ば開いていた。張生は寝ていた紅娘を起こし、訪ねてきたことを鶯鶯に取り次がせた。ほどなく現れた鶯鶯は身仕舞を正し、きびしい顔つきで張生を責めた。
鶯鶯は張生が「春詞」を贈った振る舞いに直接抗議するためにわざとはしたない詩を届けたのだと言い、二度とそんな行動に出ないようにと言い終わると、さっさと引き返した。張生は落胆しすっかり諦めた。
それから数日後の夜、張生が寝ているところに、紅娘が衾と枕を持ってくると、枕を並べ衾を敷いて帰った。張生が夢現でいることころに、鶯鶯が紅娘に支えられて来た。
寺の鐘が鳴り、夜の明ける頃、鶯鶯は紅娘に支えられながら帰って行った。それから十日あまり、何の音沙汰もなかった。張生が「会真詩」を作って贈ると、その後鶯鶯との逢瀬は日に夜を継いで一ヶ月ほど続いた。
張生は結婚しようと考えた。しかし、まもなく張生は長安に行かなくてはならなくなったので、
P188 鶯鶯に真情を伝えて諭すと、鶯鶯は素直に聞き入れて恨み言を言わなかったが、大変悲しげであった。長安に行く前二晩、鶯鶯は姿を見せず、張生は旅だった。
それから数ヵ月後、張生は再び蒲州に帰り、鶯鶯と逢瀬を重ねること数月になった。鶯鶯は文章が巧みで、芸事に優れていたが、人前で見せようとはしなかった。愛情が深くても言葉にあらわすようなことはなく、喜びや怒りも外にあらわすことはなかった。
ある晩一人で琴を弾いていて、その音色が悲しかったので、張生がもっと聞かせて欲しいと頼んだが、二度と弾かなかった。
突然張生に試験の呼び出し状が届いて、長安に旅立つことになった。出発の前夜、張生が鶯鶯の側で嘆いていると、鶯鶯もこれが別れだと知って改まった顔で静かに話した。
自分が遂に棄てられるのを恨みはしませんが、生涯連れ添うとの誓いがはたされるのならありがたいことです。あなたは私が琴を上手に弾くと言ったので、今夜は私の真心を弾いて聞かせますと言って、「霓裳羽衣」の曲を弾いた。
その悲しい音色に皆すすり泣きをし、鶯鶯も琴を投げ出すと泣きながら母のもとに帰り、もどらなかった。張生は翌朝旅だった。
翌年、張生は試験に落ちて長安に止まることになり、手紙を鶯鶯に贈った。鶯鶯から長文の返書が届いた。張生と別れた悲しさと尽きることのない恨みが綿々と記されていた。
張生はその手紙を友人に見せた。親友の楊巨源は「崔娘詩」と題する絶句を作った。元稹は張生の「会真詩」に和して詩を作った。
P189張生の友人でこの話を聞いて珍しく思わない者はいなかった。しかし、張生の気持ちは鶯鶯から離れた。元稹は特に張生と親しかったから、別れた訳を聞くと、張生は言った。
天が優れた女性に下す運命は本人に災いを下すか、そうでなければ関わり合う他人に災いが及ぶ。鶯鶯はそういう類の女である。自分の徳はそのような災いに勝つことはできないので、恋情を抑えたのだと。
それから一年後には鶯鶯は他人と結婚し、張生も結婚した。その後たまたま張生は鶯鶯の家の近くを通る時に、夫を介して会いたいと申し入れたが、鶯鶯は会うことはせず詩だけを贈って寄こした。以後消息は絶えた。
5.明石の君の物語と『鶯鶯伝』との比較---出会い
以下、この『鶯鶯伝』のあらすじと対照しながら、明石の君の物語と比較してみる。まず人物設定の面から両者の類似点を見てみよう。
主人公光源氏と張生が色好みの共通点を持つのは今井源衛氏の言うところであるが、明石の君が源氏にはじめて逢うのが十八歳、源氏二十七歳の八月であるが、鶯鶯は十七歳、張生二十三、四歳のころにはじめて逢った。源氏は都を退去して須磨に下り、翌年明石で明石の君に逢ううが、
P190 張生は蒲州に旅に出た時、鶯鶯も長安に帰る旅の途中で、蒲州の寺に泊まり合わせたのがきっかけであった。都を離れた旅先での出会いであったと言える。また「崔氏之家、財産甚厚」というように、鶯鶯の家は財産家であったが、財産家、富豪であったのは明石の君も同じである。
明石の君の父入道と光源氏の母桐壺更衣とは父方のいとこであるから、明石の君と光源氏とはまたいとこになる。親戚筋になるわけだが、その点張生と鶯鶯とは母方のいとこであった。
最初鶯鶯の母(崔氏の婦)と張生との関係を説明するところに、「崔氏婦、鄭女也。張出於鄭、緒其親、乃異派之従母。(崔氏の婦は鄭の女なり。張は鄭より出づ、其の親を緒すれば、乃ち異派之従母なり)」(「鶯」二九八頁)とあるが、鶯鶯から張生への手紙にも「中表」とあり、彼らは「異姓のいとこ」であった。
以上、主人公の男が色好みであること、男女の年齢、女との出会いの地が地方であること、女の家は財産家であること、親戚筋の男女であることなど、類似点、共通点と言ってよいであろう。これは意外な多さではなかろうか。
次に恋の場面を見てみよう。張生と鶯鶯がはじめて会うのは、母親が軍人の騒動から守ってくれた張生に対して、子どもたちに御礼を言わせるところである。ところが、鶯鶯ははじめは気分が悪いと言って姿を見せず、母親にきびしく叱られてやっと現れた。だが、すねたように
P191母親の傍らに坐ったまま、張生が話しかけても一言も言葉を発しなかった。しかし、張生は鶯鶯の美しさに一目ぼれする。
この母親、張生、鶯鶯の三者の関係を、明石入道、光源氏、明石の君の三人の関係に比べてみると、鶯鶯の母親が娘を張生と結婚させたいと願っていたかどうかははっきりと語られていないのに対して、明石入道は娘との結婚を源氏に懇願している。
一方張生は鶯鶯に一目ぼれしたが、源氏は当初は入道の話を聞いても、「心細きひとり寝の慰みにも」(明石②二五七頁)と言う程度であり、ここの隔たりがある。共通するのは、鶯鶯と明石の君の男に対する態度である。明石の君は源氏が「とかく紛らわして、こち参らせよ」(明石二五三頁)と、入道に催促するようになった時にも依然従おうとしなかった。
親に抵抗する娘、なかなか親の言いなりにはならない、年ごろの娘の形象として鶯鶯と明石の君は共通性を持っていると言えよう。
張生は鶯鶯に一目ぼれして、「張自是惑之、願致其情(張是より之に惑ひ、其の情を致さんことを願ふ)」(「鶯」二九九頁)ようになったが、源氏の場合はどうであろうか。
源氏の場合は明石の君に求婚するまでの手順が込み入っている。それは物語の構造の問題と、光源氏と明石の君との身分差や彼女の境遇の問題が複雑に絡み合っているためであり、それらの問題を乗り越えていく手順が必要であったということであるが、そうした経緯を経て手紙の贈答を繰り返すうちに、源氏は明石の君の魅力に気付き、逢わずにすますわけにはいかないと思うようになる。
P192 明石の君の文面や筆跡は都の高貴な女性にくらべてひけをとらないほどのものであり、思慮深く気位の高い様子が気に入ったからである。
明石君、思ふらん心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きかなやまむ源氏は明石の君の手紙に京の高貴な女たちを思い起こし、自分の相手となるのにふさわしいと判断したのである。「心深う思ひあがりたる気色も見ではやまじと思す」という思いを強くするのである。
手のさま書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう上衆めきたり。京のことおぼえて、をかしと見たまへど、うちしきり遣はさむも、一目つつましければ、二三日隔てつつ、つれづれなる夕暮、もしはものあはれなる曙などやうに紛らはして、をりをり人も同じ心に見知りぬべきほど推しはかりて、書きかはしたまふに似げなからず、心深う思ひあがりたる気色も見ではやまじと思すものから(明石②二五〇頁)
「なんとしても会ってみたい」、源氏のこの思いは、先の鶯鶯を一目見た時の張生の思い、「張是より之に惑ひ、其の情を致さんことを願ふ」という箇所に相当させることができよう。
あらすじや物語の展開の違いは措いて、場面や表現の類似に注目して見てゆく。光源氏がはじめて明石の君を訪ねるところを見てみよう。秋八月十二、三日の明るい月がはなやかに輝く晩であった。ここには看過できない表現がある。
P193これが明石の君の暮らす岡辺の住まいの様子である。深い木立のなかにある、みごとな造作の家である。近くには入道の日々の仏事のための三味堂もある。注目したいのは「月入れたる真木の戸口けしきことにおし開けたり」の表現である。
造れるさま木深く、いたき所まさりて見どころある住まひなり。梅のつらはいかめしうおもしろく、これは心細く住みたるさま、ここにゐて思ひのこすことはあらじとすらむと思しやらるるにものあはれなり。
三味堂近くて、鐘の声松風に響きあひてもの悲しう、巌に生ひたる松の根ざしも心ばへあるさまなり。前裁どもに虫の声を尽くしたり。娘住ませたる方は心ことに磨きて、月入れたる真木の戸口けしきことにおし開けたり。(明石②二五六頁)
これは鶯鶯が張生に贈った「明月三五夜」と題する、次の詩の上二句、「待月西廂下、迎風戸半開」によく似ているであろう。
待月西廂下 月を待つ西廂の下張生は鶯鶯から届けられた右の詩を見て、春二月十四日の満月の晩に鶯鶯を訪ねたのだが、詩にあるとおり、「西廂に達すれば、則ち戸半ば開けり」。源氏は中秋の明月の晩に明石入道から手紙を受け取り、
迎風戸半開 風を迎へて戸半ば開く
拂薔花影動 薔を拂って花影動く
疑是玉人来 疑ふらくは是れ玉人来るかと
P194 夜が更けてから明石の君を訪ねたが、「真木の戸口けしきことにおし開けたり」と、男を誘うかのように戸は開いていた。ともに美しい月夜に女の家は男を迎え入れようと戸が開けられていた。
また「迎風」--「鐘の声松風に響きあひ」というように、風も吹いていた。源氏物語は「待月西廂下 迎風戸半開」をそのまま転用したと言ってもよいような場面であろう。
これに続く場面で、張生が予期に反して女から非難されて絶望的になるところはあらすじにあるとおりであり、一方、光源氏が初夜の一夜を過ごして予想以上に魅力的な女であったことに満足し、普段とは違って夜の明けるのが早いと感じたというところとは、大きく異なる。
「御心ざしの近まさりするなるべし、常は厭はしき夜の長さも、とく明けぬる心地すれば、人に知られじと思すも心あわただしうて、こまかに語らひおきて出でたまひぬ。」(明石②二五八頁)というのであった。
しかし、それから数日後、鶯鶯はみずから張生を訪ねた。鶯鶯は紅娘にささえられて、「至れば則ち嬌羞融冶、力支體を運ぶ能はず。曩時の端荘と復た同じからず・」(「鶯」三〇五頁)---はにかんだ艶めかしい姿は自分の身体を支える力もなさそうで、張生を責めた時の毅然としたおごそかな態度とはまったく違っていた。
張生は神仙が天下ったのかと、文字通り夢を見ている気分で過ごし、女が帰った後、女の残り香や涙の跡をたしかめた。
P195この鶯鶯の変貌が何に因るのかは語られないが、後に張生への手紙で、鶯鶯は「婢僕見誘、遂致私誠。兒女之心、不能自固。(婢僕に誘はれ、遂に私誠を致せり。児女の心、自ら固くする能はず。)」(「鶯」三一〇頁)と語っているので、紅娘が張生のために鶯鶯を説得し、鶯鶯が説得を受け入れたということであろう。
紅娘は張生に詩を贈るように勧めた時にも、「君試爲喩情詩以亂之(君試みに為に情詩を喩して以て之を乱せ)」(三○二頁)と、恋を煽っていた。こうした紅娘の裏方の工作が功を奏したのであろう。そして夢のような一夜が明ける。
ここの初夜の別れの表現は、二人とも無言であったようだ。鶯鶯は夜通し一言も発せず、帰るときも「嬌啼宛轉」(三〇五頁)---なまめいた忍び泣きに、なよなよと身をくねらせた‐--と記述される。これが張生と鶯鶯の初夜であるが、このあたりは光源氏の場合とは異なる。
6.明石の君の物語と『鶯鶯伝』との比較---別れ
張生と鶯鶯との逢い引きはこの後一月ほど続き、張生は結婚を考えるようになるが、長安に行かなくてはならなくなり、一旦別れる。しかし、数月後に再び蒲州に帰り、鶯鶯と数ヶ月の蜜月の日々を過ごすが、再び試験のために長安に行くことになる。
この時二人はこれが最後の別れになると覚悟する。明日は旅立ちという前後、鶯鶯はこの恋が道ならぬ恋ゆえついに捨てられるのも恨みはしない、
P196 ただ初めて逢った時の一生添い遂げようとの誓いが果たされたら、この旅立ちも憾みはしない、だがあなたはそれを悦ばないので、いつも聞きたいと言っていた琴を弾いてやろうと言う。逢ってから一年近くになろうとしていた頃である。
崔(鶯鶯)己に陰かに将に訣れんとするを知り、貌を恭しくし声を怡ばし、徐ろに張に謂ひて曰く、始め之を乱し、終りに之を棄つるも、固より其れ宣しきなり。愚敢て恨みず。鶯鶯は以前は恥ずかしくて弾けなかったが、今宵は自分の真心を尽くして弾きますと言って、霓裳羽衣の序曲を弾き始めると、その哀しい音色は憂いに乱れ、その曲であることも分からなかった。
必ずや君之を乱し、君之を終へんか、君の恵みなり。則ち身を歿するの誓、其れ終り有らん。又何ぞ必ずしも深く此の行を憾みん。然れども君既に悦ばず、以て奉寧する無し。君常に我善く琴を鼓すと謂ふ。向時羞顔、及ぶ能はざりし所なりき。今且に往かんとす、君に此の誠を既さんと。
因つて命じて琴を払ひ、霓裳羽衣の序を鼓す。数声ならざるに哀音怨乱、復た其の是の曲なるを知らざるなり。左右皆歔欷し、崔も亦遽かに之を止めて琴を投ず。泣下りて流連、趨りて鄭の所に帰り、遂に復た至らず。明旦にして張行く。(「鶯」三○八頁)
一座の者はみなすすり泣き、鶯鶯は弾くのを止めると泣きながら母のところに帰り、戻らなかった。翌早朝、張生は旅立った。
P197これお「明石」巻の次の一段と比較してみる。源氏が明石の君と結婚したのは二十七歳の八月十三日、赦免の宣旨が下り、帰京することになったのは二十八歳の七月二十日過ぎのころであった。一年足らずの月日が流れていた。
P198 張生は別れに際して再会を約束しなかったのに対し、源氏が「このたびは」の歌に見られるように再会を約束しているのは大きな違いであるが、これは物語の主題の違いに拠るところである。源氏 このたびは立ち別るとも藻塩やく煙は同じ方になびかむとのたまえば、明石君 かきつめて海人のたく藻の思ひにも今はかひなきうらみだにせじあはれにうち泣きて、言少ななるものから、さるべきふしの御答へなど浅からず聞こゆ。この常にゆかしがり給ふ物の音などさらに聞かせたてまつらざりつるを、いみじう恨み給ふ。
「さらば形見にも忍ぶばかりの一ことをだに」とのたまいて、京より持ておはしたりし琴の御琴取りに遣はして、心ことなる調べをほのかに搔き鳴らし給へる、深き夜の澄めるはたとへん方なし。
入道、えたへで箏の琴取りてさし入れたり。みづからもいとど涙さへそそのかされて、とどむベき方なきにさそはるるなるべし。忍びやかに調べたるほどいと上衆めきたり。(中略)これはあくまで弾き澄まし、心にくくねたき音ぞまされる。
この御心にだに、はじめてあはれになつかしう、まだ耳馴れ給はぬ手など心やましきほどに弾きさしつつ、飽かず思さるるにも、月ごろなど強ひても聞きならさざりつらむと悔しう思さる。心の限り行く先の契りをのみし給ふ。(明石②二六五~二六六頁)
注意したい点は、鶯鶯が張生との別れを「愚敢て恨みず」「何ぞ必ずしも深く此の行を憾みん」と繰り返し恨みはしないと言っていたが、琴を弾きはじめると、泣いて母親のもとに帰った。
明石の君も「今はかひなきうらみだにせじ」と詠むものの、「あはれにうち泣きて、言少な」であった。
そして鶯鶯がこれまで張生が求めても弾いたことのない琴を弾いたように、明石の君もこれまで源氏の求めに応じたことのなかった箏の琴を初めて弾いたのである。源氏に恨まれ、「形見にも忍ぶばかりの一ことをだに」とせがまれて弾いたのである。
それは妬ましくなるほどの音色で、源氏にはしみじみと懐かしく、まだ聞いたことのない曲を途中で弾きやめたりするので、物足りなくこれまでどうして無理にでも聞かなかったのかと悔やまれた。
鶯鶯は途中で琴を弾くのをやめたが、明石の君も「弾きさしつつ」というのである。別れを前にして、二人の女はともに男のために、男の聞きたがっていた琴や箏の琴をはじめて弾いたのである。
張生の出発の日、鶯鶯は見送った形跡はない。彼女は前夜から泣き臥していたのであろう。琴を弾いた夜、鶯鶯はこの恋を恨みはしないと言っていたが、後に張生に贈った手紙には棄てられた恨みが綿々と綴られていた。
P199棄てられることが運命ならば仕方ないが、願わくは生涯を伴にしたいと思っていた。張生にはじめて会ったとき、恋に落ちて、自分から身を捧げたことが恥ずかしく、婚礼をして妻としてお世話できなかったのが、一生の恨みである。
但恨むらくは僻陋の人、永く以て遐棄せらるるを、命や此の如くんば、知る復た何をか言はん。(略)
愚陋の情、永く託を終へんことを請ふ。豈に期せんや、既に君子を見て、情を定むる能はず。自獻の羞有るを致し、復た明らかに巾幘に侍せず。身を没するまで永く恨む。歎を含んで何をか言はん。倘し仁人心を用ひ、俯して幽眇を遂げなば、死するの日と雖も、猶ほ生けるの年のごとくならん。(「鶯」三一〇頁)
あなたの妻になりたいというこの深い気持ちを叶えてもらえるなら、死んでも生きていると同じですと訴えた。
明石の君はどうかといえば、別れの前には恨みはしない---「今はかひなきうらみだにせじ」---と歌に詠んでいたが、源氏の出発を見送りながら、見捨てられる恨みに泣き暮らした。
正身の心地たとふべき方なくて、かうしも人に見えじと思ひしづむれど、身のうきをもとにて、わりなきことなれど、うち棄て給へる恨みのやる方なきに、面影そひて忘れがたきに、たけきこととはただ涙に沈めり。将来源氏が彼女を京に迎えて妻として処遇するかどうかは、源氏の心一つに掛かっていたことなので、
P200 たとえ姫君がうまれても、源氏が姫君だけ引き取って彼女は京に迎えないということもありえたからである。明石の君との結婚が慣例どおりに源氏が三夜通うという形式を踏んでいたのかどうかも、本文からははっきりとは分からない。明石の君の不安が大きかったことは間違いない。泣き伏すほかない恨みの別れであったのである。
さらに形見の品が語られことも共通する。鶯鶯は長安からの張生の手紙を受け取ると、それに返書するが、その時「玉環一枚」「亂絲一絇」「文竹の茶碾子一枚」を添えて贈った。
その心は、「玉環」は張生の腰に下げてほしいというだけでなく、張生が鶯鶯に対して玉のように変わることのない真心を失わず、鶯鶯の心は環のようにめぐって絶えることのないことを分かってほしいということであった。
「亂絲」はいうまでもなく乱れた糸のように愁いに心の乱れることを、「文竹」は涙の痕が竹の斑に残ることにたとえたのである(「鶯」三一一頁)。そのように記して「形見」の品とした。鶯鶯の恨みの深さが伝わる文面である。
一方、源氏は京から持ってきた琴を贈り物にしたが、それは「琴はまた掻き合わするまでの形見に」(明石二六六頁)ということであった。明石の君が新調した狩衣を贈ると、源氏はそれに着替えて、今まで着ていた衣装を贈り物にする。それは「げにいまひとへ忍ばれ給ふべきことを添ふる形見なめり」(明石ニ六九頁)というのである。
おわりに
以上に見てきたように、明石の君の物語と『鶯鶯伝』とは物語としてはそれぞれ別の話であるが、思いのほか類似点が多いのではなかろうか。
さらに次のような鶯鶯の人物像は明石の君だけでなく源氏物語の他の女性たちとも重なるところがあるように思う。
崔氏(鶯鶯)甚だ刀礼に工に、善く文を属す。求索すること再三なれども、終に見る可からず。往々張生自ら文を以て挑むも、亦甚だしくは覩覧せず。大略崔の人に出づる者、芸は必ず窮極するも、貌は知らざるが若く、言は則ち敏弁にして、酬対に寡く、張を待つの意甚だ厚けれども、然れども未だ嘗て詞を以て之に継がず。鶯鶯は文字がうまく文章もすぐれていたので、張生が再三書いてほしいと頼んだが、、見せてくれなかった。張生が文章を作って誘ってもたいして見ようとはしない。鶯鶯の人と違うところは
時に愁艶幽邃なれども、恒に識らざる若く、喜慍の客も亦形に見はすこと罕なり。異時独り夜琴を操り、愁弄悽惻す。張竊かに之を聴き、之を求むれど、則ち終に復た鼓せず。是を以て愈々之に惑ふ。(「鶯」三〇七頁)
P202 芸事は何でも奥まで極めていても外見は知らないふうであり、言葉は雄弁なのだが、人に対しては口数が少なく、張生に対する愛情は厚いが言葉にあらわすこともなかった。
時に愁いを帯びあでやかで奥深く物静かな時も、何も知らないふうであり、喜びや怒りを表情に出すことはめったになかった。ある時一人で夜琴を弾いていたが、その愁いにみちた音色に心を打たれて、張生がもっと聞かせてほしいと求めたが、二度と弾かなかった。
鶯鶯はこのような人柄であったとされる。教養があり芸事にも抜群で、何ごともよくわきまえ精通していながら、控えめな態度をとり、喜怒哀楽の情も面にはあまり出さず、自分一人で堪えるというのが鶯鶯の性格であったということであろう。「名門深窓の麗人にふさわしい」という評もある。
明石の君に似ている面があったことは、先に見た別れに臨んで箏の琴を弾いたところである。源氏がもっと早く無理にも聞いておきたかったと思ったほどの技量であった。
そうした面を日ごろ包み隠しているのである。それは箏の琴に限るわけはない。源氏との別れにあたっても、明石の君は「かねて推しはかり思ひしよりもよろづ悲しけれど、なだらかにもてなして、憎からぬさまに見えたてまつる」(明石②二六一頁)というふうに振る舞った。
悲しい時も「なだらかにもてなして」いた。これは鶯鶯の「時に愁艶幽邃なれども、恒に識らざる若く、喜慍の客も亦形に見はすこと罕なり。」というところに、相当させることができよう。
P203そういう明石の君を光源氏は次のように評していた。
(明石の君は)何ばかりのほどならずと侮りそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず。際なく深きところのある人になん。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬ気色下に籠りて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ。(若菜下④二一〇頁)紫上を相手にこれまでの女性関係を語るところなので、多少は紫上に対する配慮が働いているかもしれないが、それはそれとして、「際なく深きところ」があるのだが、「うわべは人になびき、おいらかに見え」るという明石の君の態度は鶯鶯と共通していると言えよう。
明石の君の物語には深いところで鶯鶯が木霊のように響き合っているように思われる。さらに言えば、鶯鶯の人物像が「名門深窓の麗人にふさわしい」とすれば、源氏物語の他の名門深窓の女性像にも影響していたのではなかろうか。
注 (略)
P204
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