1940.09.27日独伊三国同盟締結後の日米和平交渉(John Doe Associates相互参照)を描いた小説。(tw,tw)
P058-064 1940.09.28 ニューヨーク(tw→参照、tw、tw)
P058 前日の9月27日、ベルリンで日独伊三国同盟が締結された。このニュースは新聞やラジオで大きく伝えられた。だが、欧州の大戦特需の好景気に沸くニューヨークで、深刻に受け止めた者はわずかだった。一般市民の無関心とは裏腹に、ニューヨークのど真ん中に拠点を置くBSCは、日独伊三国同盟締結のニュースを、強い危機感をもって受け止めていた。
ロックフェラーセンター36階の3604号室は、BSC局長ウィリアム・スティーブンスンの執務室である。(中略)
P059 中央にあるほぼ正方形のテーブルを囲むようにして、四脚のソファが置かれている。ふたつある窓のうち、間近にエンパイアステートビルディングが望める正面左側の窓を背にして、眉毛の濃い鷲鼻の大男が座っている。ウォール街二番地にオフィスをかまえる弁護士、ウィリアム・ドノヴァンである。
ドノヴァンの左にあるソファに身を沈めている痩せて小柄な男はウィリアム・ワイズマン。細面で、鼻の下にたくわえた髭に白いものが交っている。痩身にグレーのツイードジャケットをはおり、組んだ脚のひざ頭に中折れ帽子を載せている。前MI6アメリカ支部長、つまりBSC局長の前任者だ。現在は国際投資銀行クーン・レーブ商会共同役員で、当年55歳。
ワイズマンの左側、ドノヴァンの正面に座っているのは、現BSC局長ウィリアム・スティーブンスン。くしくも同じウィリアムのファーストネームを持つ男が三人、顔をそろえた。スティーブンスンの左側には、(中略)
P060 男の名前はジェームズ・ドラウト。ニューヨーク北部郊外のメリノール地区オッシニング村に本部がある。カソリック新興宗派メリノール教会派の神父にしてナンバー2の事務局長である。(中略)彼の前に一枚の写真が置いてある。(中略)
「ストラウスさんの言葉をそのままお伝えするが、このタダオ・イカワという人物は、日本には珍しいカソリック教徒で、パウロという洗礼名を持っています。彼の強みは東京の一高、これは東京帝国大学をめざす者が通う高等学校ですが、そこで日本の現内閣総理大臣、フミマロ・コノエ公爵と同級だったということです」
ルイス・ストラウスは、ウィリアムワイズマンの勤務先、国際投資銀行クーン・レーブ商会で、ワイズマンと同じパートナー、すなわち共同経営者の任にある。名前が示すようにユダヤ系だ。(中略)
P061ドノヴァンがドラウトの顔を見た。
「そこでファーザー・ドラウトとしては、そのイカワ某なる日本人を窓口にして、何かをはじめるべきだ、というわけだ」
「わたしがというより、これはワイズマンさんが言い出したことですけどね。具体的にはまず民間交渉から入るのが現実的です。アメリカと日本の関係が膠着状態にある今、すぐに政府間交渉をはじめようとしても、まず不可能でしょう。誰よりも、日本相手に泥沼の戦いを続けている蒋介石が黙っていません。彼らにとっての米日和平は、悪夢以外のなにものでもありませんから」
ドラウトの言葉を、脇からワイズマンが補足した。
「まずは日本が無法者の野合にすぎない三国軍事同盟から抜けて、先の大戦時のように、われわれの側につくこと。それが太平洋の平和を守る最善の方策である。それに応ずるならば応分の見返りを用意する。そんな内容の交渉を提案する」
ドノヴァンが質問した。
「応分の見返りの中身は?」
ワイズマンがあたかも暗唱してでもいたかのように、すらすらと答えた。
「アメリカは満州の存在を認める。昨年破棄通告した日米通商航海条約の復活をめざす。P062その上で石油や鉄鉱石などの資源調達に協力することを約束する」
「日本にとっては夢のような話だ。それで、目下アメリカと揉めている懸案事項の大半が解決する。しかしながら、マンチュリアを含む中国問題に手をつけず、日本にエサだけを与えることには、われわれの世論や議会が絶対に納得しないだろう」
ドノヴァンがあきれ顔で言った。
ワイズマンがうなずいた。
「そうだアメリカ議会の動向を考えれば、実際問題として実現の可能性はきわめて少ない。だから当初は、民間レヴェルの話し合いにする。要は対話をはじめることだ。対話が軌道に乗ったところで政府間交渉に切替え、徐々にハードルをあげる」
「当初の民間交渉で希望に満ちた条件を提示し、いったん政府間交渉になったら、一転してハードルをあげ、日本側が受け入れ不可能な項目を追加して交渉するとなると」
ドノヴァンが顎を撫でながら言った「その交渉は行き着くところは決裂だな」
「そうです」
ドラウトが、たくましく張った顎を突き出すようにして、すかさず言った。
「そういう展開になる。そして、決裂すれば日本はかならず武力行使に踏み切る。なぜなら彼らには、それ以外の選択肢がない。ドイツと同盟関係にある日本とアメリカが戦端を開けば、アメリカは否応なしにドイツとも戦うことになる」
座が静まりかえった。
P063「うむ」
ドノヴァンがうなった。腕を組んで天井を見上げ、しばらく言葉を発しなかった。
やがてぽそりと、
「あらかじめ決裂を前提とした交渉に日本を引きずり込む。恐ろしいシナリオですな、それは」
と言った。
ワイズマンがかぶりを振って答えた。
「でも、これ以外に我々が破滅から逃れる方策がありますか」
ドノヴァンが一瞬宙を睨んだあと、ずばりと言った。
「わかりました。この話に乗りましょう。FDRには私から話して了解を取ります。ところで、この件について、具体的なところまで知っている者は、ここにいる四人のほかに誰かいますか?」
「いえ、おりません。あなたにお話しするまでは、英国人のわたしたちふたりと、ともに作戦を練ったファーザー・ドラウトだけでした」
P065-066 1940.10.12 オハイオ
この日数千人の聴衆を前にして、ルーズヴェルトはこれまであえて触れなかった問題への対応を口にした。
「諸君、これまでわたしは何度も、欧州がいかなる状況になっても、アメリカは中立を守ると申し上げてきた。しかし、ドイツを中心とする枢軸側は、わたしのその言葉を曲解している。去る9月27日、日本があらたに枢軸に加わり、日独伊三国同盟になった。これは彼らの意図が、いよいよ明確になって来つつあることを意味する。すなわち、これはわれわれ平和と民主主義を守ろうとする者への挑戦である。わたしの中立を守ろうとする意志に変化はないが、この新たな局面に対して、アメリカはそれなりの対応をする」(中略)
重要な軍事物資である屑鉄の対日輸出を禁ずる大統領令に署名したのである。ルーズヴェルトの強気な対応はたちまちあちこちに飛び火した。19日、インド政庁が、対日屑鉄禁輸に踏み切った。同じく19日、英国は日独伊三国同盟への対抗策として、いったんは閉鎖していたビルマから中国雲南州に達する援蒋ルートを再開した。
P066-88 1940.11.06 ニューヨーク
マンハッタンの南端近いウォール街の一画、ウィリアム通り52番地。クーン・レーブ商会。(中略)
ワイズマンが目の前のデスクに放り出されている、『ニュウヨーク・タイムズ』の市内遅版に顎をしゃくった。一面に『ルーズヴェルト、大統領に選ばれる』
「いや、わたしはおそらくこうなるんじゃないかと思っていた。ウィルキーがドイツ系企業からカネを受け取ったというイエロー・ペーパーの報道が効いた」
パイプをくゆらしながら、ストラウスは言った。(中略)ワイズマンは、ストラウスの揶揄を無視して、(中略)
「これでわたしも、大統領の出方を心配することなく、対独、対日交渉に専念出来る。ドイツに関しては交渉相手のめどがついたが、日本はまだだ。ファーザードラウトが向こうで路頭に迷わぬよう、よろしく頼むよ」
「それについては、もう手を打った。セツゾウ・サワダ前ブラジル大使には、彼と旧知のロバート・キャデヒーに頼んで、日本要路を紹介してくれるよう依頼する電報を発信ずみだ。ポール・イカワには自分が直接電報を打つ」
そう言ってからストラウスは、(中略)続けた。
「それにしても、先輩パートナーたちがリスク承知で助けた日本を、今われわれが敵に回すことになるとはね。歴史の皮肉だね」(中略)
目下クーン・レーブ商会の経営の実権は、創業一族とは無縁の、しかも外国籍であるワイズマンと、一族とは言いがたいほど縁遠いストラウスのふたりによって握られている。
きっかけは1922年、ロンドンに講演旅行に来ていたアメリカの人気ヴァイオリニスト、レオポルド・ゴドウスキー・ジュニアと、ワイズマンの出会いだった。アマチュア発明家でもあったゴドウスキーは、仲間のピアニスト、レオポルド・マンネスと組んで、天然色フィルムの開発に取り組んでいた。ちなみにゴドウスキーは、当時売り出し中の作曲家、ジョージ・ガーシュインの従兄弟である。
そのことを聞きつけたワイズマンが、楽屋にゴドウスキーを訪ねて研究の詳細を聞き出し、ニューヨークのストラウスに報告した。ゴドウスキーの帰米を待って、ストラウスが彼らの研究工房を訪れ、その場で二万ドルの出資を申し出た。その後さらに研究の進展を見きわめ、世界最大の写真フィルム会社、イーストマンコダックにふたりを紹介した。
1930年、コダックは彼らの特許を買い取り、1934年に16ミリシネフィルム、そして1935年には、のちに世界を席巻することになるカラーポジフィルム、コダクロームの市販に踏み切った。この果敢な投資が、年齢的にはもっとも若いパートナーであるストラウスとワイズマンに、クーン・レーブ商会経営の実権を与えた。
「確かに歴史の皮肉である。だが、歴史なんて、しょせんそんなものだ」ワイズマンはストラウスの言葉をなぞりつつ、壁に居並んでいるクーン・レーブ商会歴代パートナーの肖像をみやった。
謹厳な顔つきのパートナーたちが、二人を見下ろしている。その中で白髭がひときわめだつヤコブ・シフが、日露戦争時、当時日本銀行副総裁だった高橋是清の求めに応じて、総額1500万ポンドの外債を引き受けた。これが日本の勝利に大きくあずかっている。そのクーン・レーブ商会の後継者である自分たちが、戦争を前提とした交渉を日本に仕掛けようとしている。
P250-252 1940.12.27 陸軍省
P251 正午。
井川忠雄、ウォルシュ司教、ドラウト神父は、吉沢清次郎前アメリカ局長邸で昼食を取った。翌日離日する両神父を囲んで、主の吉沢以下、山本信次郎海軍少将、沢田節蔵元ブラジル大使、それに三人の日本人カソリック神父などが同席しての簡素な歓送昼食会だった。
午後二時。
両神父と井川は吉沢邸を後にして、車で三宅坂の陸軍省に向かった。陸軍省では、岩畔豪雄軍事課長が待ちかまえていた。岩畔豪雄大佐は、別名謀略の岩畔と言われ、陸軍きっての諜報の専門家として知られる。
岩畔大佐との面会を強く希望したのは、ドラウトであった。来日直後、面会相手を選定するにあたって、ドラウトは井川にこう言った。
「われわれは、現下の米日関係の最も大きな障害は、日独伊三国軍事同盟だと考えております。ですから、両国の関係改善のためには、まず三国同盟締結を推進した人々に会って、その真意を聞きたいと思います」
井川はその発想に驚きつつも、なるほどと思った。それで、旧知の沢田節蔵らに、三国同盟の推進者に合わせてもらいたいというドラウトの希望を伝えた。P252沢田は、
「それは難題です。あなたもご存知のように外交面で推進したのは松岡外相ですが、陸軍では軍務局、なかんずく武藤章軍務局長、そして岩畔豪雄軍事課長など、いわば陸軍の中枢にいる連中ですからね」
と言った。そこをなんとか、と頼み込んで実現したのが、前日の岩畔との会見だった。井川はここで、持ち前の押しの強さを発揮した。
「岩畔さん、あなたが会って下さるだけでも光栄ですが、この際、軍務局長との面会もなんとかなりませんかね。なにしろあの坊さんたちは、アメリカ大統領の意を体しての訪日ですから」
岩畔はわずかに考えてから、丸眼鏡をかけたいかつい顔を綻ばせて、「いいでしょう。その神父さんたちが、アメリカ政府の要路と繋がっているのであれば、軍務局長が会う価値があります」
と言って、午後の二時半の来訪を指示したのだった。ふたりの神父と武藤章軍務局長の会見は、おだやかなものであった。武藤少将は、若い頃ドイツ駐在経験があるなど、陸軍内では親ドイツ派とみなされている。
三国同盟締結では中心的役割を果たしもした。だが、そんなことはおくびにも出さず、米日和平を強調するドラウトの言葉に耳を傾けた。そして、「神様がおっしゃるような交渉がもし実現するなら、それはわが国にとっても非常に歓迎すべきことです」
と言って、交渉開始に反対しない姿勢を表明した。ドラウトや井川が、松岡とならんで最大の障害と見なしていた人物とは思えないほど、肯定的な対応であった。ドラウトはよろこんで、武藤の手をしっかりと握り、「あなたのような軍の中枢におられる方にそう言っていただくと、百万人の味方を得た気持ちになります。では、お力添えをよろしくお願いします」と、これもいささか大袈裟によろこびと感謝の気持ちを表して、陸軍省を辞した。
P274-308 1941.01.13 ニューヨーク
P285 天城が続けて、「…、今の時点で行って欲しいのは、マンハッタン北部のハーレムと、ここ数年、ヨーロッパやソ連方面から移ってきたユダヤ人、ドイツ人、アイルランド人などが吹き溜まっているという、ブルックリンのブライトン・ビーチだ。P286 出来ればこっちを優先しろ」(中略)P287 地名が示すように、ブライトン・ビーチは19世紀半ば、イギリスの同名の町にちなんでできた。当時は、アングロサクソン系の成功者がサマーハウスを構えるリゾートだった。20世紀になって様子が変わった。
本国がイギリスの干渉を受け、居場所がなくなった、カソリック教徒の北部アイルランド人たちがここにやってきた。続いて1910年代半ば勃発した第一次世界大戦の敗者ドイツの移民が、ブライトン・ビーチに移り住んだ。同じ時期、ロシアで革命が起こり、多数のロシア人がアメリカをめざした。その中には帝政ロシアで経済を牛耳り、革命の標的になったユダヤ系ロシア人たちがいた。
革命の過程で、ボリシェヴィキとの権力闘争に敗れた、ケレンスキー派の知識人や進歩的ブルジョアたちもいた。その多くがユダヤ系である。そして今、急増しているのが、ナチスドイツから逃れてきたユダヤ人だ。彼らは新参者の常で、ニューヨークの中核に入り込むことが出来なかった。「ブライトン・ビーチは、かつて旧大陸で支配していた者とされた者、対立していた民族同士、P288 国同士の出身者が肩を寄せ合って生きている場所と言ってもいい。言葉も英語よりロシア語やドイツ語のほうが通りがいいくらいだ」(中略)
「…、とりわけ若い男は仕事を得るのがむずかしく、裏社会で生きる道を見いだすことになる。堅気の仕事につくのがむずかしいという点では女も同じだ。しかし、こうした世界からもすさまじい努力の結果、捕まえた運を逃さず、表社会で成功する者が出てくる」(中略)今し方江崎に、ブライトン・ビーチ行きを勧めた理由を、あたかも自分の調査研究の結果であるかのように説明した。部分的にはその通りだ。だが元はといえばモスクワ時代あの女、エルザ・フォン・ヘルワースから聞いた話が下敷きになっている。ダーチャで過ごした日々、幾度となく交わされた寝物語の中で、エルザはこんなことを言った。
P290「ロシア革命後、多くの貴族や裕福な商人たちが、ヨーロッパ経由、あるいはアジアまわりで、新天地のアメリカに逃れた。その多くはユダヤ系ロシア人、中には、革命の中枢にいたのに、成就後の権力争いに敗れた者も相当交っているわ」「でも、自由の国アメリカは、思ったほど優しくなかった。大半の人々は夢破れ、ニューヨークのような大都会の場末に吹き溜まった。とりわけ多かったのは、ブルックリンの南端、ブライトン・ビーチ一帯ね。もちろんこの土地に住み着いた者の中にも、資本主義社会に適応して成功した者はいたわ。とりわけ金融業やマスコミに多い。中には政府の中枢に入っている者もいる。そしておもしろいことに」
エルザが言おうとしたことを、天城が引き取った。「アメリカに失望した者はもちろん、成功した者の中にも、国家としての形を作り上げたソ連に共鳴し、あるいはコミンテルンの誘いに応じて、君たちの同志になった者もいる」天城が言うのに、エルザは小さくうなずいた。「それは当然のことよ。アメリカ人は口を開けば自由というけれど、あれはただ野放図なだけ。そこには哲学のけらもないは。あたしたちは野放図の自由より、みんなが幸せになれるマルキシズムという哲学を選ぶ」天城が江崎にブライトン・ビーチに的を絞るように言った背景には、このときの記憶があった。
アメリカという資本主義の権化のような社会の中で成功してなお、マルキシズムへの幻想を捨てきれずにいる者。P291 政財界の中枢にいながらちょっとした挫折の折に出来た心の隙につけこまれ、金銭や女がらみの工作でコミンテルンなどにからめとられた者。そうした者たちの背後には、アメリカに多数潜入しているソ連の工作員たちがいる。自分は政財界やメディアなどの正面から、そして江崎はソ連からの移民が多いとされるブライトン・ビーチのような裏口から、彼らへの接近をはかる。
■『ウェルカムトゥパールハーバー(下)』
P066-70 1941.05.03 東京
P068 松岡以外の賛成者がないまま、近衛首相が引き取っていった。「日米中立条約締結は、皆不賛成ゆえ取り止めということにしたい」松岡は内心激怒し、極度に落胆した。この度の訪欧で会談した、ドイツのリッベントロップ外相に、繰り返しこう吹き込まれたからである。
「アメリカが突然、日米会談を仕掛けてきた裏には、貴国を戦争に引きずり込む狙いがある。日本が三国同盟に留まり、ドイツと手を携えて世界新秩序構築をめざせば、必然的にパックスブリタニカ、パックスアメリカーナと続いてきた、アングロサクソンによる世界支配に終止符が打たれるからだ。ゆえにアメリカとしては、大英帝国崩壊は絶対に阻止しなければならない。貴国を戦いの場に引き出せば、日本と同盟関係にあるわが国との戦端も自動的に開かれる」
リッベントロップはさらに言葉を継いで、「ゆえに日米交渉の行き着く所は戦争だ。ならば彼らの戦争準備が整はないうちに、われわれのほうから、彼らを叩くべきだ。とりあえず、イギリスのアジアの橋頭堡シンガポールを叩いてくれないか。その間にドイツは、イギリス本国の息の根を止める」
P264-278 1941.08.26 ニューヨーク
P264 ウィリアム・ワイズマンは、ロックフェラーセンター三十六階のBSC内の自室で、回転椅子を回して執務机に背を向け、大ニューヨークの夕景に見入っていた。(中略)過去二百年近くにわたって世界に覇を唱えてきた大英帝国と、今世紀に入ってあらたに台頭したアメリカ合衆国は、理念と利害を共有する。欧州におけるナチスドイツの席捲と英独戦争、そして東アジアにおける日本の台頭と大陸への浸透は、まさにこれに対する挑戦である。
P265 昨年秋のほとんど同時期、前後して自ら直接手掛けた英独休戦交渉、長年の盟友ドラウト師と組んで推進した米日交渉は、そうした秩序破壊者を殲滅するための工作であった。しかし、このふたつの工作は似て非なるものだ。英独交渉は独ソ開戦を見据えた、いわば時間稼ぎの工作だった。
米日交渉は、大英帝国の崩壊を防ぎ、アメリカと連携して世界の覇権確保を目的とするという点において、英独交渉とまさに表裏一体をなすものだ。その連携をなめらかにするため、通常ならば外交交渉とは無縁の存在であるウォーカー郵政長官を、ホワイトハウス側の窓口に据えた。
大富豪でもあるウォーカーは、クーン・レーブ商会の共同経営者ルイス・ストラウスの盟友にして、自らの盟友ジェームズ・ドラウト神父が事務総長を務める、メリノール派の大支援者のひとりである。
交渉の立ち上げと、予備交渉の現場の仕切り役は、そのジェームズ・ドラウト神父にまかせた。外交を統括する国務省側では、ハル国務長官だけに交渉の真の狙いを説明、協力を要請して快諾を得た。(中略)
交渉の立ち上げに際しては、日本の軍部や政治家が宗教家に弱いことにつけこむべく、ドラウト神父を日本に派遣した。
P266 ドラウトには、クーン・レーブ商会の共同経営者ルイス・ストラウスと旧知の、井川忠雄を窓口にするよう指示した。同時に敬虔なクリスチャンである沢田節蔵元ブラジル大使や、山本信次郎海軍少将と接触するよう助言した。沢田節蔵とは、彼がニューヨーク総領事時代、同じ建物の中にあるMI6アメリカ支部のリーダーとして面識があり、彼が日曜礼拝を欠かさないことを知っていた。
P275 ワイズマンの問いかけに対し、ドラウトがめずらしくすぐに反応せず、赤ら顔を仰向けて天井を睨み、しばし言いよどんだ。そして、視線をワイズマンに戻し、
「実は迷っています」と言った。
「迷ってる?めずらしいこともあるものだな」
「今回のことが持ち上がる前からですが、われわれのシナリオを、少し手直しする時期ではないかと思いはじめているのです」
「ほうどう手直しするのかね」
「独ソ開戦で、大英帝国の危機は大幅に改善されました。くわえて、わが国の戦争準備も遅れている。この際、もし日本がアジアにおけるわが国の権益不可侵と不戦を約し、背後からソ連を襲わないと誓ったら、米日戦争は回避出来るのではないか。そう思いはじめています」
ワイズマンの目が細くなった。
「驚いたな。ファーザーがそんなことを言い出すとは思わなかった。今のようなことを、アマギに提案するというのかい」
「もちろん、私の一存でそんな提案など出来ません。その代わり交渉の場で、わが国が不戦条約、具体的には不可侵条約締結を提案したら、日本は応ずるかと打診してみようかと思っています。同時に日本には、ソ連との中立条約厳守を約束させる。そうすることでソ連も後顧の憂いなく、大英帝国と連携してドイツと戦うことが出来る。われわれがめざしている大英帝国の保全と安全確保は、これで達成できるのではないでしょうか」
「仏印侵攻など強引なやりかたを続けている日本が、そんな提案に乗るとは思えないが」
「わたしは、ポールやイワクロの誠意を信じています」。かつてドイツが日本の鼻をあかす形で独ソ不可侵を結びました。いま日本が、ドイツとは戦争状態にないアメリカと、不戦条約あるいは協定を結んでも、三国同盟とは矛盾しません」
「それでドイツを潰せても、極東の一面に日本が今のかたちで残ってしまうぞ」
ワイズマンの口調が尖った。ドラウトはひるまなかった。
「ドイツが崩壊したら、日本は四面楚歌となり、中国、東南アジアからの撤退を余儀なくされます。われわれの目的は、新たな戦争をはじめなくても達成されます」
「ファーザー、どうしたんだ。なにがあったんだ」
ワイズマンが強い眼差しでドラウトを睨みつけた。
ドラウトはかぶりを振った。
「別に何もありません。私は聖職者として、無用の戦争は避けるべきだと思っているだけです」
「この交渉を立ち上げるために、日本まで出かけて行ったのは君だぞ」
「それはそうです。でも、われわれ欧米の文明と理念、現在の世界秩序、そして大英帝国を守るために、米日交渉をやろうとおっしゃったのは、あなたです」
「まるで、わたしの指示に従ったまでだと言いたげだな」
P277 ワイズマンの口調から、温かみが消えた。
ドラウトの目に、悲しみの色が浮かんだ。だが、それは一瞬のことで、また元の精力的な眼差しに戻った。
「そんなことは申しません。わたしはあなた同様、今でも欧米キリスト文明の規範性と、大英帝国の繁栄を祈り、信じています。それと、無用の戦争を忌避することは矛盾しません」
「わかった」ワイズマンが破顔一笑した。(中略)
「とにかく今の件は、少し時間をおいて詰めようではないか。今後の展開についてはFDR、国務長官、郵政長官などの意向も確認せねばならん。向こうへの返事は、あと一週間か十日ほど、欧州の戦況や、アジア方面の情勢を見極めてからでも遅くないだろう」(中略)
P278 「あとひとつ、米日交渉の一つの目処であった独ソ戦がはじまり、日本側チームのメンバーにも変動がありました。今後は実務者同士のぶつかり合いになりますので、当方もメンバーの入れ替えをやる時期かと思いますが」
「それはありがたい」ウォーカーは、ほんとうにうれしそうな声をあげた。
「私もそろそろ国務省のならず者共の相手をするのはやめにしたいと思っていたところだ。本業に戻れるのはまことにありがたいよ」
「そう言っていただくと気持ちが楽になります。それで、疲れが見えるファーザーも、暫時一線から退避してもらおうかと思います」