なぜ三島由紀夫は愛国教育を徹底的に否定したのか
(略)
三島は右翼だからこそ愛国教育を徹底否定した
P 76 無教養な人たちが増えたから、こういう「非常識」なことが起こってしまうんだろうな、と思いますね。教養があれば、こういう教育ほどこすと「浅ましい」「さもしい」人たちが増えることが分かるはずです。
三島由紀夫が「愛国教育」に反対していたのは有名です。三島由紀夫はもちろん天皇主義者の右翼です。それにプラスして重要なことを言うと、ギリシャの古典主義に深い造詣と愛着を持っていました。まず、皆さんの無教養を正します。
巷には右翼と左翼をフランス革命に遡って説明する人だらけだけど、平等が是か非かとか、社会主義が是か非かとか、イデオロギーの内容に結びつける理解が大半で、デタラメ。
戦前は石原莞爾や北一輝など右翼の多くが資本主義を否定していたが、説明できますか?
教養ある者であれば、プロテスタント神学者シュライエルマッハーによる主意主義(右)と主知主義(左)の区別から、中世スコラ神学の弁神論(なぜ悪はあるのか)を経て、初期ギリシャの哲学(万物学)に遡ります。三島も石原も北も、その意味でだけ右翼です(tw,tw)。
右翼(主意主義)とは、損得勘定を超えて、内から湧き上がる力(ラテン語でヴィトゥス→英語でヴァーチュー)を愛でる立場です。僕の言葉では(自発性)ならぬ(内発性)
P78 を尊ぶ立場が右翼です。これ以外の理解の仕方では、思想史の全体を全く見通せません。
シュライエルマッハーの説明が分かりやすい。なぜ悪はあるのか。左(主知主義)は、全知全能である神の計画だと理解する。右(主意主義)は、神は全知全能なのだから、人知を超えて端的にソレ(悪相互参照)を意志すると理解する。そう、端的な意志を尊ぶのが右。
そうした意味で右翼である三島由紀夫は、「愛国教育のようなもの、道徳教育のようなものをやると、何が起こるのか」についてシミュレーションしています。いったい何が起こると思いますか?三島の答えを聞く前に、まずは自分で考えてみましょう。
答え。増えるのは愛国者ではなく「一番病」「優等生病」
「一番病」(tw,tw)「優等生病」…前者は鶴見俊輔(1922-2015,哲学者)、後者は竹内好(1910-1977,中国文学者)の言葉優等生が「ぼくこそが愛国者です」と愛国者ブリッコをする。損得勘定の<自発性>で愛国ブリッコをする「浅ましい輩」「さもしい輩」が増える。そんな輩は愛国者の風上にも置けません。
愛を義務化する倒錯に気づかぬストーカー量産国
2500年前、ギリシャの人々は、損得勘定の<自発性>を蔑み、内から湧き上がる<内発性>を尊びました。これを踏まえてアリストテレスは秩序を「賞罰(損得)によって維持される秩序」と「内から湧く力で維持される秩序」に整理し、後者に軍配を上げました。
P77彼はギリシャの伝統的思考に理由を与えます。戦争があった場合、損得勘定で秩序に与する者が大半のポリスでは、人々が逃げます。ポリスが生き残ってこられたのは、損得勘定を超えて貢献心を発揮するゾーオンポリティコン(政治的動物)が存在したからです。
日米開戦の直後に召集された、敗戦後の日本を統治する方法を研究する米国の特命チームのリーダー、ルース・ベネディクトは、有名な『菊と刀』で、狂信的ナショナリスト(愛国者)だと思っていたら、まったく違った、ということを書いています。
捕虜になった日本兵は、シャワーを浴びさせてもらい、食事と寝床を与えられると、翌日から極秘事項であれペラペラと喋り始める。狂信的な愛国者は一人としていなかった。彼女はそこに、日本独特の、「罪の文化」ならぬ、「恥の文化」を見出したわけです。
要は、周囲の視線を気にして、愛国ブリッコしていただけ。三島は教養人だから、彼女のこうした分析を熟知しています。そんな三島にとって大切なことは、損得勘定の<自発性>を超える、内から湧く力である<内発性>ゆえに国に貢献する者を、育てることです。
愛国教育であれ兵役であれ、国への貢献(に向けた教育)の義務化を提唱する輩は、「損得勘定ならぬ、内から湧き上がる力」以外は実際には愛国に役立たないというギリシャ以来の知恵を、ないがしろにする無教養な田吾作[真理や知識が意味を持たず、従ってどこにも大ボスがいないにもかかわらず、空気に縛られる存在のこと。つまり一言でいえば
P80 「ヘタレ」のこと]に過ぎない。それが三島の考えでした。
ちなみに、そんな<内発性>を支える中核こそ、天皇への愛と尊崇の感情だと三島は考えたのですね。初期ギリシャには、天皇に相当する存在はいなかったので、ここには、歴史を振り返ることで三島が独自に見出した、日本人の「心の習慣」があることになります。
これに同意するかどうかとは別に、三島は愛の対象として天皇を持ち出したので、愛を義務化することの倒錯が明瞭になりました。三島はこうした倒錯を、徹底的に侮蔑、嫌悪しました。こうした倒錯に気づかぬ輩は、そもそも人でさえ愛せるのか。ストーカーが関の山。
「ボクを愛することは、キミの義務だ!」ってか(笑)。もし三島が生きていたら、こういうアホウどもを量産する装置として、昨今の「愛国教育の義務化」を揶揄しただろうと、僕は想像します。なにせ大衆文化など世俗の営みにいつも注目していた三島ですからね。
三島が生きていたら、昨今の「愛国教育の義務化」への動きをどう見たか、思い半ばにすぎます。彼は道徳教育一般がダメだとは言っていません。しかし<自発性>と<内発性>の区別もできない田吾作が、「先生」と称して愛国教育(?)をするなど、ありえない。
総理大臣の質だけでなく、日本の教員の質も考えましょう。そうすれば、道徳で成績をつけることを制度化するという施策が、「一番病」「優等生病」のインチキ愛国者を量産する結果を反復してしまうだろうことは、もはや明白すぎるはずです。
P81三島由紀夫に言わせれば、戦前戦中の自称愛国者の大半が、「一番病」「優等生病」、要するに「浅ましく、さもしい輩」です。大勢から承認されたくて「はーい、僕こそが愛国者でーす!」と手を挙げる。そういう恥さらしなクソ野郎を量産してどうするのか。
声だけデカイ「浅ましい少数者」に怯えるな
(略)
P82
ストーカーとネトウヨに共通する<感情の劣化>を何とかしろ
P 84