2018年4月26日木曜日

偏愛メモ 『日本開国』渡辺惣樹著

14 決闘、アメリカの騎士道 1841.08.25 メリーランド州クレイズヒル P96-102


15 感応寺破却 1841.11.17 江戸・鼠山 P102-110

P107 有り余る子女の配分 将軍家斉の行状については、幕臣の誰もが眉を顰めていました。頼山陽が「日本政記」で指桑罵槐により将軍を戒めようとしたのも当然のことでした。将軍があまりに子女を生産することによって大奥の力が強まります。お美代の方のインフォーマルな権勢で大寺院感応寺が建立されたことは他の宗門にとって面白いはずがありません。面白くないのはここに留まりません。将軍の子女を無理やり押し付けられる全国の大名もたまったものではありません。(中略)

P109 寺社奉行阿部正弘 再興になった日蓮宗巨大寺院感応寺は、大奥につとめる女官たちの息抜きの寺になっていました。外出の不自由だった女官らが禁欲の代償に、寺参りと称して城外の空気を吸いに行く。これを当然の贅沢と思っている者も多かったのです。

忠邦は感応寺の僧と大奥女官の怪しげな関係の調査を、寺社奉行阿部正弘に指示します。正弘は譜代大名の若きスターです。女官たちからの人気も高い美男子です。彼が高給女官三十余人を吟味して確認できたのは、彼女たちと僧日啓、日量(お美代の方実兄)、日尚(同甥)らとの淫らな関係でした。

「何も彼も委細承知しましたが、奥女中はすべて審理以外に置き、一人も処分しない方略を立てて、幕閣の同意を得ました」。大奥は処分しないけれども感応寺は許さないと決めた正弘。

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