2018年12月6日木曜日

偏愛メモ 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』より、徒然草と枕草子の対比

第三章 物語としての背景 P120-189

『徒然草』はなぜつまらないか P126-129
P126 昭和が終わろうとする頃、私はNHKのテレビから、「『徒然草』の現代語訳をやってもらえないか」という依頼を受けました。私の『桃尻語訳枕草子』が『マンガで読む「枕草子」』という形で放映されて、そのれが終わった後で、視聴者から「今度は『徒然草』をやってほしい」という要望が多く寄せられていたというのです。P127「やってほしい」と言うディレクター氏の要望に対する私の答えは、いともあっけなくあっさりしたもので、「『徒然草』ってつまんないですよ」でした。(中略)

  P128 それでは一体なぜ、『徒然草』はつまらないのでしょうか?もっと正確に言えば、「『枕草子』をおもしろいと思う人」にとって、どうして『徒然草』はつまらないのか?理由は簡単です。『枕草子』を書いた清少納言が「時代の中に生きた美の冒険者」であるのに対して、『徒然草』を書いた兼好法師が、「時代の中に生きなかった美の傍観者」であるという違いです。

だから、兼好法師は出家してしまう。なにしろ『徒然草』は、「隠遁の文学」なのです。同じ知性の持ち主が二人いて、一方が「おもしろいことを体験した人間」で、もう一方が「おもしろいことを体験しなかった人間」であるならば、どっちがおもしろいかは、わかりきった話です。

パーティに出ることが当たり前で、その社交生活の中で好き勝手なことを言ってうけている女の書いたエッセイ集が、たとえばの話、『枕草子』です。それを読んで、「これこそがおもしろい」と思った人間が、P129どうして「パーティに呼ばれることもなく、毎日の退屈さに苛立っているような男」の書いたものを「おもしろい」と思うでしょうか?(中略)

『徒然草』が『枕草子』と並ぶ「古典学習の基本テキスト」になってしまうのは、この文章が圧倒的に分かりやすいからです。でも、「文章の分かりやすさ」だけで教科書に載っているものは、「おもしろい」でしょうか?答えは言いません。でも、「分かりやすい文章を書けるだけの知性」を持ったこの作者のスタート地点は、「書くべきことがない」なのです。だから私は、「『枕草子』をおもしろいと思う人にとって、『徒然草』はおもしろくない」と、断言してしまうのです。

美の冒険者、美の傍観者 P130-134
P130 後に兼好法師となる卜部兼好は、鎌倉時代末期の中下級貴族です。華やかなところはなにもありません。王朝文化は、もう滅んだ後です。そして、もし王朝文化が華やかな頃に生きていたとしても、決して華やいだところはなかったでしょう。なぜかと言えば、彼は身分の低い貴族--国家公務員でしかないからです。そして更に、もしも彼が身分の高い貴族だったとしても、彼には華やいだところはなかったでしょう。

彼自身に華やぎが宿っていたとしても、彼の書く文章が「おもしろいもの」になっていたとは思えません。なぜかと言えば、平和な時の日本は、みんな管理社会になってしまうからです。管理社会の中に生きる国家公務員のどこに「華やぎ」が宿るでしょうか?兼好法師のポジションは、日本の男のあり方そのもののようなものです。

男は、平和の中で管理社会を作る。その中で、そこそこ以上の取り分を得ることで満足をする。満足をしない男は、「出世」という野心を抱く。抱いてまた、管理社会の上を目指す--そして、管理社会は管理社会のままで変わらない。

平安時代の貴族は、みんな「国家公務員」で、「国家公務員=貴族」であることの根本は、「生まれつき」です。(中略)P131身分の高い家の男は、「身分の高い家相応」を装います。それは「華やぎ」ではなくして、「相応を演じるための義務」です。はた目がどうであろうと、社会の中で「自身に与えられた相応」を演じるだけの男に、「華やぎ」の実感はありません。卜部兼好が王朝の社会で「高い身分」を与えられていたとしても、そこに華やぎはなかっただろうと言うのは、そのためです。

王朝の貴族の男達はいくらでも日記を書いていますが、それは「文学」として扱われません。王朝のありようを記録する「史料」として存在します。女達が書く日記が「文学」として扱われるのとは大違いですが、男達が書く日記は、「あってしかるべき"らしさ"」--つまり、儀式性を記録するものだから、仕方がないのです。

男達はそのようにして、管理社会の根幹となる「らしさ」を支えて生きていますが、女達は違います。「身分の高い男と結婚する」という手段が与えられている女は、管理社会の枠組みを平気で逸脱します。P132だから、自分の家より家格の高い男と結婚する可能性を持つ娘に対して、父親は当たり前に敬語を使います。なぜそういうことになるのかと言えば、王朝文化の平安時代が、「天皇に后を贈る家筋」として定められた摂関家を頂点とする、ピラミッド構造になっているからです。

貴族社会の男達はこの構造を守り、女達は、その外側にかけられた梯子を登って、自分の一族と上との間のパイプ役になる。女性の存在がそのように貴ばれたか、あるいは定められて、男の社会とは別の「女の社会」を作り、そこに働くキャリアウーマンを必要とするようになる--清少納言を典型とするような「女房」がそれですね。清少納言の本名は分かりません。清原氏の女で、「少納言」という官職が相当するような身分の女だったから、「清少納言」と呼ばれた。

「少納言」というのは、決して高い身分ではありません。男の世界なら「中流の下」です。ところが、そのエスプリ--あるいは物怖じしない図々しさを評価された彼女は、あちこちの邸に女房として出勤し、ついには一条天皇の后である藤原定子に仕えるようになった。天皇や皇后の日常生活の中にいて、身分の高い男達と平気でタメ口をきける--男なら絶対にありえないようなことが、女の彼女には起こった。

彼女が得意になるのは当然で、彼女の書いた『枕草子』には、その得意さと自信が満ち溢れている。そして、「中流の下」からやって来た彼女は、その「職場」である最上流の世界をほめそやす。P133男の目からすれば「記録すべき儀式性」であるものが、彼女の目には「讃嘆すべき美の塊」になる。清少納言の書いたものを見て、「女にはそういう役割があったのか」と、藤原道長は思ったのかもしれません。

定子のライバルになる自分の娘彰子のために、紫式部という女房を雇った。「そういう役目」とは、「上流階級のありようを誉めたたえて、その生活を維持する男の権威をアピールする役目」です。

上流階級の男は「上流階級のありよう」に従って、自分達の生活を成り立たせている。そこにある力をアピールして自分の権勢を誇示しようとしても、管理社会の男達は、それを「権勢の人に当然のありよう」としか記録しない。しかし、中流から上流にやって来た知性ある女は、その生活の素晴らしさに恍惚として、「これでもか」と誉めそやす。中流の社会からやって来た彼女達は、最上の美の世界で遊ぶ冒険者になり、彼女達にはコピーライターの性格さえも宿る。卜部兼好--兼好法師は、それから三百年近くたって現れた、王朝世界の末裔ですね。

もはや、王朝の世界は見るかげもない。平家政権が出来、鎌倉幕府が出来、それが滅んで、京都の朝廷は二つに分かれてしまう。天皇家と、それを取り巻く貴族の社会はガタガタになっていて、時代の主役は武士になっている。卜部兼好は貴族社会の住人で、天皇に仕える蔵人になっている。

中流からやって来た女・清少納言は、天皇に仕える蔵人を誉めたたえている。階層的には「中流」でしかない男が、天皇の給仕役である蔵人を勤めることによって、華やかな存在になっている--P134これが、清少納言が蔵人を持ち上げる最大の理由で、清少納言は、蔵人というポジションに、「皇后に仕える自分」と同じものを見出しているわけです。

清少納言の時代に、「蔵人」とは輝かしいものだった。しかひ、「王朝の栄華」を欠いてしまった卜部兼好の時代に、「蔵人」というものは、王朝世界の下級官僚でしかない。それだけなら別にどうということもないけれど、卜部兼好は、「王朝の栄華」を語る『枕草子』を読んでしまう。

清少納言の生きていた時代に、卜部兼好のようなポジションの男が『枕草子』を読む理由はなかった。それは、仮名文字で書かれた「俗なエッセイ」でしかないし、清少納言が生息する上流階級の中でしか流通しないはずのものだから。ところが、その垣根を作る「王朝の栄華」は廃れた。卜部兼好は、伝えられた『枕草子』と同じ世界に住む、王朝世界の住人だった。彼はそれを読んで、王朝の美の世界を知る。

彼はその世界を共有しうる立場にいるはずなのだけれども、彼の周りにその世界はない--それは、もう三百年近く前に終わってしまったものだから。その「美の世界」を知ってしまった彼は、決してその世界に入って行くことは出来ない。彼は、「終わってしまった世界」の傍観者になるしかない。彼は、その世界の当事者ではないからです。

そんな彼の書いたものを、『枕草子』を読んでおもしろがった読者達が、「おもしろい」と言うわけはありません。『徒然草』には『徒然草』で、別の存在理由があるのです。

清少納言に傷つけられた男 P135-138
P135 こんな言い方をする人はおそらくどこにもないだろうと思いますが、卜部兼好--兼好法師は、「清少納言に傷つけられた男」です。『枕草子』の読者に「つまらない」と言われてしまえば、なおのことそうです。「『徒然草』の現代語訳をやってほしい」と言われて、即座に「つまんないですよ」と言ってしまう私がやるのだとしたら、そこから始めるしかありません。私にとって、『徒然草』の作者は、清少納言に傷つけられた男なのです。(中略)

「"もののあわれは秋こそまされ"と人ごとに言ふめれど、それもさるもにて、今ひときは心浮き立つものは春の気色にこそあめれ」
「人は"秋がいい"と言うけれど、春もいいでしょう」です。他人の言う一般論を前に出して、その後で自分の見解を述べる--『徒然草』では当たり前の論法ですが、清少納言はそんなことP136をやりません。いきなり、なんの根拠もなく「春は曙」と断定してしまう彼女は、なにがなんでも「まず自分の意見」です。(中略)

『徒然草』第十九段を特徴づけるのは、作者の語るその「特徴のなさ」です。「言いつづくれば、みな源氏物語、枕草子などにことふりにたれど、同じ事また今さらに言はじとにもあらず。おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず」「自分の書くことは、既に王朝の女流達によって言い古されている。でも書きたい。書きたいから書く。一人で書いているだけだ。他人に見せるつもりはないんだから、書いてもいいはずだ」ですね。

この第十九段の構成は、『枕草子』の影響を強く受けています。あるいは作者は、「自分なりの『枕草子』を書こう」と思ったのかもしれません。ところが、書き進める内に、自分の計画がどうもうまく行ってないことに気づいた--「これは、既に言われていることをなぞっているだけだ」と。P138でも書きたい。もう書いてしまっている。だから、自分の書いたものをなんとかして肯定したい--そのにっちもさっちも行かない矛盾があらわになって、作者は半泣きになっている。それが、「かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず」でしょう。

払拭されない「影響」は「害」になる
卜部兼好--兼好法師は自分のオリジナリティのなさを嘆いて(あるいは呪って)いますが、果たして問題はそれだけなんでしょうか?(中略)P139『徒然草』の作者は、既知の常識を並べ立てるだけで、「自分の目で見たこと」を書こうとはしません。「菖蒲葺くころ、早苗とるころ、水鶏のたたくなど」がやるせないとして、そのどこが「やるせない=心細し」になるのか--。それを具体的に書こうとせず、「心細からぬは」と、反語を使った力説でごまかしています。

それを、具体的に彼がどのようにやるせなく感じたのか--彼が列記することにはどのようなディテールがあって、それがどのような感動をもたらしたのか。これを書かなかったから、書く意味がありません。「六月祓いまたをかし」も同じです。ただP140「またをかし」なら、ここに「六月祓」を登場させる理由はないのです。「私はこう見た、私はこう感じた」を書けば、「みな源氏物語、枕草子などにことふりにたれど」にはならないはずです。不思議というのは、この作者がそれをせず、「でも書きたい」をしつこく主張していることです。なぜでしょう?

『徒然草』の作者は一つの間違いをしでかしています。それは、「自分の書きたいことはなんなのか」を考えていないことです。「折節の移りかわるこそ、ものごとにあはれなれ」として筆を起こし、それを説明する物事を列挙する内に、彼は、自分の書いているものが『源氏物語』や『枕草子』の真似でしかないことに気づいた。それを認めても、彼には「書きたい」という衝動がある。自分のその衝動を肯定して、彼は怒っている--「書きたいんだから書く、それでいいんだろう」と。「人の見るべきにもあらず(見なくてもいい!)」と言ってしまっている点で、彼の衝動の強さは。分かりますが、彼が「なに」を書きたいのかさっぱりよく分からない。(中略)

P141 その「春の気色」の中で彼が直接に発見したのは、「のどやかなる日影に垣根の草もえ出づる」だけです。自分の家のどこかで、春の光がおだやかに当たっている垣根から草の芽が出ているところを、彼は直接見たのです。だから、そのところにだけはリアリティがある。あるのはそこだけで、残りの部分は「春に関する知識」です。「新緑の時」も「五月」も「六月」も「秋」も、みんなおんなじです。

彼は、自分が直接見聞きした--そして感じたことを書きたかったのではなく、「自分の頭に入っている季節の知識」を書きたかっただけなのです。だから、具体性がありません。そして彼は、自分の犯した過ちに気づいていません。だから、「自分の書いたものはオリジナルじゃない」と言って、怒り嘆くのです。彼の怒りは、「自分より先に紫式部や清少納言が、自分の書きたいと思うことを書いてしまったのがいけない」というのに近いのですが、そんな怒り方をする彼は、自分が「紫式部や清少納言が書いたようなことを書こう」と思っていることを、自覚していないのです。(中略)

P142 『徒然草』の作者の気づくべきことは、「自分は『源氏物語』や『枕草子』の影響を強く受けていて、その影響からまだ脱していない」ということです。脱していれば、「自分の書くものにオリジナリティはない」などと嘆く必要がありません。影響を受け、その影響下にあることを無意識に「よし」としているから、「自分の書いたものはもう言い古されている」などと思うのです。



『華やぐ男たちのために』山田登世子著

男の殺しかた P137-143

P142 現にその本を書いている作家がいる。ご存じ橋本治だ。しかもこの橋本がまた偶然のいたずらか、ギリシャにさかのぼって男殺しの構造を明かそうとしている。題して「オイディプスの燕返し」かれは言う、こうして世界史を解読するのは、「自分」がいる歴史がどこにも見当たらないからだ、と。かれの言う「自分」とは、肉体をもった男としての自己、制度に去勢されない存在としての<男>である。制度に呑みこまれると男は肉体を失ってしまう--

この肉体忘失への「否」こそ、「秘本世界生玉子」、「蓮と刀」以来、かれが文字どおり「体を張って」、執拗に主張し続けているテーマである。(略)橋本治はこう言っているのだ、
「男こそ、実用と切れたところで、自分の体と遊ぶ者だ」
(略)それを忘れて「殺されて」しまったのが、いわゆるオジサンなのである。

『偏愛的男性論』山田登世子著

橋本治論 P14-59