P22 中世とは閉鎖的な社会であった、という後世のわれわれの思いこみを裏切るかのように、あの時代のヨーロッパは、意外にも風通しのよい社会であったのだ。混血児も、聖フランチェスコや皇帝フリードリッヒに留まらない。第三次十字軍で大活躍した獅子心王リチャードも、イギリスとフランスの血をともに受けている。
イタリアの商人が商用で出向いたフランスで見染めた女を妻にしてイタリアに連れ帰り、その間に生まれた子をフランス系と一目でわかる「フランチェスコ」と名づけても"いじめ"に会うことなどはなかった時代なのである。
これがヨーロッパのキリスト教徒ならば、同時代のイスラム教徒たちが、民族別などで分けられるかと、一括して「フランク人」と呼んだのもわかる。ヨーロッパ人からして、自分たちをイギリス人、フランス人、イタリア人、ドイツ人、と分けていなかった。
英仏海峡に面したノルマンディー地方に発して「オートヴィル」を名のっていた男たちが、南イタリアに定住するや「アルタヴィッラ」を名のるようになったのだから。P23だがこの時代に、アッシジのフランチェスコも生き、フリードリッヒも生きるのである。