上巻
プロローグ P22-34
(P22-)P22 初めに言葉があった。言葉は神とともにあり、言葉は神であった。これは初めから神と共にあった、そして敬虔な修道僧の務めとは異論のない真理と断言しうる修正不可能な唯一の事件を慎ましやかな頌読によって日々に反復することであろう。
それなのに<私タチハイマハ鏡ニオボロゲニ映ッタモノヲ見テイル>。そして真理は、面と向かって現れてくるまえに、切れぎれに(ああ、なんと判読しがたいことか)この世の過誤のうちに現れてきてしまう。それゆえ私たちは片々たる忠実な表象を、たとえそれらが胡散臭い外見を取ってひたすら悪をめざす意志にまみれていように見えても、丹念に読み抜かねばならない。
罪深いわが人生も終わりに近づき、頭髪もこの世と同じように白く年経りてきたが、神聖なる沈黙と底無しの寂寥の深淵におのれが失われてゆくのを待ちながら、天使のごとく不変な知性の光に浴しつつ、私はすでに重く病んだ肉体を心親しいメルクのこの僧院の一室に横たえたまま、若き日に立ち会った驚くべき数奇な事件の証言をこの羊皮紙の上に書きとめようとして、しきりにペンを走らせている。
自分が見たまま聞いたままを<言葉ニヨッテ>繰り返し、そこから敢えて一つの意図だけを汲みP23あげようとせずに、いわばやがて来る後の世の人びとのために(それまでに反キリストが来ないかぎりは)徴の徴として、いつの日か読み解かれんことを願いつつ、ここに書き残しておこう。
主よ、いまやその名前さえ沈黙するのが妥当でありかつ敬虔でもあるあの僧院で起こった一連の事件の透明な証人になることを、何卒私にゆるしたまえ。それは主の御歳を数えて一三二七の年の終わりのこと、折しも皇帝ルートヴィヒはイタリアに南下して神聖ローマ帝国の威信を回復せんとしたが、
この壮図は至高者の御心に叶うとともに、アヴィニョンにおいて聖なる使徒の御名に恥辱をもたらしたあの破廉恥な教皇位簒奪者、聖職売買人、かつ異端張本人である者の側に、大きな混乱を惹き起こした(わたしが言わんとしているのは、罪深い魂の持主、カオールのジャックのことであり、不敬の輩たちはこれをヨハネス二十二世として崇めたのである)。
おそらく、私の巻き込まれた事件をより深く理解していただくためには、それ以前の十数年間に起こった事件を逐一、その真只中を生きたことにより当時理解していたがままに、たったいま思い出しながら、またその後に耳にした話も交えて、ここに繰り返しおいたほうがよいであろう---もしも私の記憶によってあの錯綜した数かずの事件の糸を正しく結び直すことができるならば。
あの世紀の初めから教皇クレメンス五世は教皇庁をアヴィニョンに移して、ローマを地方貴族たちの野望の餌食にしてしまった。キリスト教にとって限りなく尊いこの聖なる都は、しだいに巨大な闘技場もしくは頽廃の巣窟と化して、権力者たちの争いのあいだにあって引き裂かれていった。
名前だけは共和制を称していたが、実態はそれからほど遠いものであり、武装集団に荒らされたまま、永遠の都は暴虐と掠奪に屈していた。俗世の法を免れた聖職者たちは、無法者の集団を操って、みずからも剣を握り強奪を繰り返して、権力を濫用し不浄の取引を組織していた。
この<世界ノ首都>が、神聖ローマ皇帝の王冠を戴こうと狙い、往時には歴代ローマ皇帝に属していたあの俗世支配権を再興させようと窺う者たちの好餌になったとしても、当然のことながら、どうしてそれを阻みえたであろうか?
こうして一三一四年に、フランクフルトで、ドイツ君侯五名が帝国最高の統治者にバイエルンのルートヴィヒを選出した。しかし同じ日に、マイン川対岸では、ライン王宮伯とケルンの大司教とが同じ玉座にオーストリアのフリードリヒを選び出した。
一つしかない権威の座に二人の皇帝、そして二人の皇帝に対して一人しかいないはずの教皇。こうして、事態はさらに混迷を深めていった・・・
二年後に、アヴィニョンで、新しい教皇が選出された。カオールのジャック、七十二歳の老人であった。その名はほかでもないヨハネス二十二世。天は二度と決して、善良な者たちにはかくも忌み嫌われた名前を、いかなる教皇にも冠せることができないように。
フランス人であったがためにフランス王に対してのみ献身的であり(あの腐敗した土地の人間どもはつねにおのれの利益をはかることに汲々とするあまり、広く全世界を自分たちの精神的祖国として見渡すような態度に欠けていた)、フィリップ美王を支持して先に神殿騎士団を弾圧したが、それもまた王が騎士団の財産を没収するために(わたしの考えでは不当にも)設けた。
恥ずべき犯罪の口実の結果であり、あの背教の聖職者は易やすとその共犯者となったのである。他方、このような脈絡のなかで、ナーポリのロベルト王が争いの場に一枚加わって、イタリア半島主導権を握ろうと教皇を説き伏せ、二人のドイツ皇帝のいずれをも認めさせまいとした。これによって王は教会国家の総帥の地位を保ったのである。
一三ニニ年に、バイエルンのルートヴィヒは対立者のフリードリヒを撃破した。二人の皇帝が覇を争っていたときもそうであったが、今度はそれ以上に唯一の皇帝の存在を恐れて、ヨハネスは勝者P25を破門に付した。するとこれに応えて、皇帝のほうは教皇を異端者として告発した。
ここで断っておかねばならないのは、まさにそれと同じ年に、中部イタリアのペルージャでフランチェスコ会修道士たちの総会がひらかれ、総長チェゼーナのミケーレは、<厳格主義派>の請願を受け容れ(これについてはいずれ触れる機会をもつであろう)、キリストの清貧を信仰の真理として公に認めた。
すなわち、たとえキリストが使徒たちになにがしかの物品を所有していたにしても、それは単に<使用権>として持っていただけのものであるとした。修道会の美徳と純潔を守ろうとした価値のある決断ではあったが、これはいたく教皇の気に入らなかった。
おそらく協会の長として彼の掲げていた、司教選出の権利は帝権に属さず逆に皇帝叙任の権利は聖庁にある、という主張を脅かす論理が、そこに嗅ぎ取られたからであろう。この理由によって、それとも別の理由によって心を動かされたのか、一三ニ三年に、ヨハネスは決定書『クム・インテル・ノンヌッロス』によってフランチェスコ会修道士たちの決議を異端的行為と断罪した。
まさにそのときであった。私が想像するに、いまや公然として教皇と敵対関係に入ったフランチェスコ会修道士たちのうちにルートヴィヒが強力な盟友の姿を見出したのは。キリストの清貧を肯定することによってフランチェスコ会修道士たちは皇帝派神学者たちすなわちパードヴァのマルシーリオやジャンダンのジャンの理論をある意味で補強したのである。
そしていまから私の語ろうとする事件が起こった数か月前に、ルートヴィヒは撃破したフリードリヒと協定を結んだうえで、ついにイタリアに南下し、ミラーノで王冠を戴き、先には自分を友好的に受け容れたヴィスコンティ家と、今度は交戦状態に入って、ピーサを包囲し、ルッカおよびピストイアの大公カストルッチョを皇帝代官に任命した
(思うにこれは間違った措置であった、なぜならフォッジョーラのウグッチョーネを除けば、たぶんこれ以上に残虐な人間を私は知らなかったから)。そしていまやローマの貴族シャッラ・コロンナの要請を受けて、ローマへ攻めくだらんとしていた。
まさにそのような情勢のときに私は---当時メルクの僧院でベネディクト会の見習修道士であったが---父親に静謐な僧院の中庭から引き出された。私の父はルートヴィヒの随身の一人で、重臣たちのなかでも末席に位する者ではなかったが、私を連れ出してイタリアのすばらしさを私に知らしめ、ローマで皇帝が戴冠する日には私を列席させてやろうと考えたのであった。
しかしピーサの包囲戦で父のほうは軍事に専心しなければならなかった。それをよいことにして私は、一つには退屈凌ぎに、また一つには世間を知りたいという気持ちも手伝って、トスカーナ地方の諸都市を巡り歩いた。が、そのように自由で無規律な生活は、これから瞑想の世界へ入ろうと志している若者にとってはふさわしいものではない、と両親は考えたのだった。
そこで、かねてから私を好意的に見守ってくれていたマルシーリオの勧めによって、両親は私の身柄をさる博識なフランチェスコ会修道士に預けることにした。それがバスカヴィルの修道士ウィリアムであった。この方は折から特別の外交使命を帯びて旅へ出るところであったが、その目的のために名高い都市や由緒ある古い僧院をいくつか訪れるはずでもあった。
こうして私は彼を師と仰ぎ、書記と弟子の双方の役目を命ぜられたのだが、そのことを悔いた例はいままでに一度もない。なぜならまさにこの師のおかげで、たったいま語り始めようとしている、後世へ記録に残すに値するほどの事件の、証人に私はなることができたのだから。
(略)
第一日 P36-160
P36一時課 P36-45/ 38P40 叡智の人物として、おのれの名声を確立しておきたかったことぐらいわかっていた。
「もう、教えてくださっても、よろしいでしょう」しびれを切らして私が言った。どうしてわかったのですか?」
「アドソよ」師が言った。「この旅のあいだじゅう、おまえには教えてきたはずだぞ。偉大な一巻の書物にも似て、この世界がわたしたちに語りかけてくる痕跡を読み抜くこと、それがいかに大切であるか、アラーヌス・アブ・インスリースも言っているではないか、
コノ世ノアラユル被造物ハそしてまた神が、汲めども尽きない象徴によって、その被造物を介してわたしたちに永遠の生を語りかけてくることに、彼は思いを致しているではないか。しかし宇宙はアラーヌスが思った以上に雄弁であり、過ぎ去った事態ばかりでなく(その場合には不分明な語り口がいつもつきまとう)、まさにこれから起こらんとする事態についても語りかけてきて、しかも後者の場合のほうがまさに明晰なのだ。
アタカモ書物ヤ絵画ノゴトク
ワレラニトッテハ鏡ノ内ニアル
したがって、おまえがわかっていなければならない事柄を繰り返して言うことには、ほとんど恥ずかしさを覚えてしまう。あの三叉路では、積もったばかりの雪の上に、左手の小径に向かって、馬の蹄の跡がはっきりと残っていた(相互参照)。
みごとに等間隔に刻まれたそれらの印は、馬の蹄が小さくて丸いことを、また歩速に少しの乱れもないことを、雄弁に物語っていた---したがってそこから馬の気性と、
P41暴れ馬みたいに取り乱して走ってこなかったことが、推論できた。その先の、いわば自然の差掛け屋根にも似て、松林が梢を重ねあわせていたあたりでは、ちょうど五ピエーデの高さのところで小枝が数本、いま折れたばかりみたいに、ちぎれていた。
また黒苺の茂みのところでは、その動物が自分の右手の小径へ入ろうとして向きを変えたにちがいない、美しい尻尾をはげしく振った拍子に、棘のあいだに漆黒の長い毛を引っかけてしまっていた…
まさかおまえは、あの小径が堆肥置場へ通じているのを知らないとまでは、言わないであろうな。また麓の道を折れ曲がって登っていたころ、東の塔の付け根のあたりに雪を穢して汚物の落下した跡が見えていたから。また三叉路の位置から判断して、あの小径がそちらの方角へ通じていることは間違いなかったから」
「はい」と私は言った。「でも、尖った鼻先や細い耳、それに大きな目までは…」
「そんなことは知らんよ。だが、修道僧たちは固くそう信じている。セビーリャのイシドールスも言ったように、馬の美しさというのはこうでなければならない。
<皮ガ骨ニ張リツクホドマデニ引キ締マッタ顔立チ、短クテ鋭イ耳、大キナ目、広ゲタ鼻孔、マッスグニ伸ビタ首筋、フサフサトシタ鬣ト尾、ソシテ堅固ニシテ丸イ蹄>あそこを駆け抜けていった、とわたしの指摘する馬が、現実に馬小舎のなかでも最良の駿馬でなかったならば、なぜその番人たちだけでなく厨房係までわざわざ追ってやって来たのか、理由の説明がつかないだろう。
それに本質をはずして、ある馬をすぐれていると思いこむような修道僧であれば、まさに<権威筋>から説明されている以上の見方はできるはずがない。とりわけ」そう言いかけてから、私のほうへ向き直って悪戯そうに微笑んだ。「学識を重んずるベネディクト会修道僧であればなおさらのこと…」
「ごもっともです」と私は言った。「でも、なぜブルネッロという名前なのですか?」
P42/ 44
P46 三時課 P46-67
P48
(略)以前にも何度か私は師が普遍概念に対して非常に懐疑的な話し方を、そして個々の事物に対しては非常な尊敬をもって語るのを、耳にしたことがあった。加えて、師のこのような傾向は、彼がブリトン人であったことやフランチェスコ会修道士であったことの双方から来るように、私には思えてならなかった。
(略)P50
P52
(略)こうしてわが師は、明らかに彼の好みでない抽象的な議論を、いとも鮮やかに打ち切ったのである。それから改めて切りだした。
「裁判に話を戻しましょう。よろしいですか、たとえば、ある者が毒薬で死んだとしましょう。これは経験的な事実です。否定できない若干の証拠を前にして毒薬によるこの死亡が、別人の手によってもたらされた、と想像することがわたしにはできます。(略)
それにしてもなぜ、わざわざP53この鎖(単純な原因の連鎖)を複雑にするために、悪事を惹き起こした別の因子として、人間ではなく悪魔が関与していた、などと想像することができましょうか?
(略)六時課 P68-109
P82
(略)イタリア半島では、聖職者の権力が他のどこの国よりも際立って強く、他のどこの国よりもその権力と財力が誇示されてきたため、少なくともこの二世紀来、清貧を旨として生きる人びとのあいだに宗教運動が起こり、腐敗堕落した司祭たちに論争を挑んで、秘跡さえも拒否し、自立した共同体に結集しようとしたため、君侯からも皇帝からも都市国家の執政官からも同時に妬みを買ってしまっていた。
そしてついに聖フランチェスコが現われて、教会の戒律に矛盾せぬ形で清貧の愛をひろめてしまっP83たのである。あの聖者の尽力によって、教会は原初の宗教運動の厳格な習慣へ立ち返る要請を受け容れ、聖職者たちのあいだに芽生えていた無秩序の要素をたちまちに浄化し去った。
そのあとには穏健で健全な運動の一時期が続くはずであったが、その間にフランチェスコ修道会も規模を拡大していき、富裕な人びとを周辺に引きつけてしまい、これまた強大な権力機構となって俗事に深く関わるようになった。そのためフランチェスコ会士の多くの者たちがふたたび往時の清貧への修道会を立ち返らせたいと思うに至った。
あの僧院に私が立ち寄ったころにはすでに三万人以上の会員を世界中に撒き散らしていた組織にとって、その立ち直りはまことに難事業であった。にもかかわらず、聖フランチェスコの精神を重んずる多くの修道士たちが、修道会本部の押しつけてくる規則に反対して、聖職者の機構を改革するためにこそ本来、自分たちの修道会は生まれたはずだ、と異議を唱えた。
また、このような事態は、フランチェスコが生を享けていた時代にかつて同じように起こったことがあり、それまでは聖者の言葉や提言も裏切られがちであった、と主張した。こういう改革運動を進めようとしていた者たちが、折しも、ヨアキムという預言能力をそなえたシトー派の一修道僧が十二世紀初めに後代に関して記した書物を、発見した。
この人物はそのなかで、新しい時代の到来を預言し、偽りの布教者たちのために久しく貶められてきたキリストの精神が近く地上に再現されるであろう、と説いていた。そのような期限を切った預言が、フランチェスコ修道会の改革運動を暗に物語っていることは、誰の目にも明らかだった。
そこで聖フランチェスコの初期の精神を重んずる多くの者たちはこれを歓迎し、むしろその歓迎の仕方に度を過ごした点があったため、そのその世紀の半ばに至って、パリでソルボンヌの神学者たちは修道院長ヨアキムの主張を異端と断罪した。 しかし、実際のところは、フランチェスコ会士(そしてドミニコ会士)たちの勢力があまりにも強くなって、フランスの大学でも犀P84利な主張を展開し始めたため、これを異端として排斥したかったというのが、むしろ実情であろう。
(略)
100分で名著1 2 3 4 映画(1987年)(tw)
P131「虚シイ言葉ヤ笑イヲ誘ウ言葉ハ口ニシテハナラヌ」(相互参照)
私たちはいっせいに振り返った。ラテン語の一句を口にしたのは、歳月の重みに背を丸めた一人の老修道僧で、雪のように白い髭をたくわえていたが、そればかりでなく顔全体も、瞳さえも、真白だった。
その老人が盲目であることに、私はすぐに気づいた。身体こそ年齢の重みで小さく縮んでいたが、声には張りがあって、手足が頑丈そうだった。まるで見えるものでもあるかのように、あの両眼で、私たちを見据えた。(略)
「叡智と年齢において秀でたこの老人は」新たに入ってきたこの人物を指さしながら、マラキーアがウィリアムに言った。「ホルヘ・ダ・ブルゴスです。この僧院に生活する者のなかでも最高齢者です、ただしアリナルド・ダ・グロッタフェッラータを除きますが。そしてホルヘは、修道僧たちがおのれの罪を告白するときに、聴罪師の役割を担っています」老人のほうを振り返って、彼は言った。
「あなたの前におられるのは、わたしたちの客人バスカヴィルのウィリアム修道士です」
「わたしの言葉に、どうか、お怒りにならないでいただきたい」老人がぶっきらぼうに言った。「くだらぬことに笑いだす者たちの声を聞いて、わが修道会の戒律の一つをみなに思い出させたのだ。
『詩篇』の作者も言うように、修道僧たる者は沈黙への誓いのため善き話題でさえも慎むべきである。そうだとすれば、ましてや悪しき話題からは、身を遠ざけねばなるまい。この世に邪悪な会話があるのと同様に、邪悪な想像というものが存在するのだ。
すなわち天地創造を偽って解釈したり、あるべき形態と逆の世界を示そうとする者は、過去においても何百年来つねに存在してきたのであって、この世の消滅するまでつねに存在しつづけるであろう。
P132ときにあなたは、別の修道会から来られたそうだな。聞くところによれば、不当極まりない陽気な楽しみも、そちらのほうでは大目に見られるそうだが」
どうやら、ベネディクト会修道士のあいだでしきりに話題になっていた、アッシージの聖者フランチェスコの奇行のことを、仄めかしていたのだ。と同時にどうやら、近年のフランチェスコ修道会の奇矯な分派である小兄弟派や厳格主義派などに共通して見られる奇行のことを、暗に言わんとしていたのだった。いずれにせよ、ウィリアム修道士はその当てこすりを、聞いて聞かぬふりをした。(略)
P176「では」と、ウィリアムが尋ねた。「どんな会話がされたのかね、あの日、アデルモの細密画をめぐって議論が交わされたときに。きみと、ベレンガーリオと、ヴェナンツィオと、マラキーアと、ホルヘのあいだで?」
「昨日、お聞きになったとおりです。ホルヘの意見では、真実を物語る書物に滑稽な装飾をほどこすのもってのほかだ、と言うのです。そしてヴェナンツィオの意見では、アリストテレース自身が真実をより鋭く暴くための道具として言葉遊びや頓智について語っているくらいだから、笑いが真実を伝えるための手段となる以上、悪いものであろうはずがない、と言うのです。
ホルヘの見解によれば、あの老人が記憶するかぎり、アリステレースがそれについて語ったのは、『詩学』のなかにおいてであり、隠喩をめぐる項においてであった、と言うのです。また、そこには二つの不穏な状況が以前から関与していた、とも言いました。
P177第一は、長年、たぶん神慮によってキリスト教世界に伝えられなかった書物『詩学』が、わたしたちのもとへ届けられたのは、異教徒であるムーア人を介したからであり…」(略)
P178ヴェナンツィオは…ギリシャ語が読めました。いや大変よく読めたので、アリストテレースが『詩学』の『第二部』をとくに笑いのために充てた、と言っていました。そしてあの偉大な哲学者が『第二部』全体を笑いに捧げたからには、笑いは重要なものにちがいなかった、と言ったのです。
ホルヘのほうは、たくさんの教父たちが何巻もの書物をみな罪に捧げてきた、罪は重要ではあるが悪いことだ、と言い返しました。するとヴェナンツィオは、自分の知るかぎりでは、アリストテレースは笑いを善きものとして、かつ真実の道具として語っている、と言いました。
『ユーモア学入門』P4(相互参照)またアリストテレスは、『詩学』のなかでギリシャ喜劇の起源を明らかにし、『弁論術』ではことわざや謎かけを素材にして諧謔を生むレトリックを分析し、意外性の衝撃が笑いを生じさせることを主張した。笑いを多面的に論じているうえ、洞察力はあくまで鋭く、今日のユーモア学をはるかに先取りするような卓見を多く展開している点で、「万学の祖」アリストテレスこそ、「ユーモア学の祖」と呼ばれるにふさわしい。そのときです、ホルヘが嘲笑をこめてたずねたのは。それならば、そういうアリストテレースの著書を、本当に読んだことがあるのか、と。ヴェナンツィオが言いました。『第二部』を読んだ者はまだいない。なぜなら、その行方は杳として知れなくなっていたし、たぶん失われてしまったであろうから。
(略)
第二日 P162-286
三時課 P193-215(P192-)
P195 今回の旅の途中で、少なくとも二度、私たちは鞭打ち苦行者たちの行列に出会った。一度目には土地の住民たちから聖者のごとく敬われていたが、二度目には異端者のごとく後ろ指を指されていた。しかし、彼らの態度に何らかの差異があったわけではない。都市の街路から街路を、彼らは二列に並んで、歩いていた。
あらゆる羞恥心を超越していたので、わずかに恥部だけを覆っていた。一人一人が鞭を握り、血が出るほどまでおのれの背中を打ちながら、救世主の受難を目のあたりに見ているかのように、大粒の涙を流して、悲痛な歌声を張り上げ、主のご慈悲と聖母のご助力とを乞うていた。
昼間だけでなく、夜中にも、蝋燭を点して、厳冬のさなかにあっても、蝋燭と旗を揚げた司祭を先頭に、群れをなして教会をめぐり、祭壇の前で恭しくひれ伏していた。一団のなかには、身分の賤しい男女ばかりでなく、貴婦人や商人も加わっていた・・・あのとき人びとは偉大な悔悛行為に参加していたのであり、盗みを働いた者は盗品を返し、前科のある者はおのれの犯罪を告白した・・・
しかしウィリアムは彼らの群れを冷ややかに眺めて、あれは真の悔悛ではない、と私に語った。それどころか、同じその日の朝、少しまえに語っていたように、悔悛による偉大な清めの時代はすでに終わってしまった、そしていまなされつつあるのは説教師みずからだ群衆の信仰心を組織するための手段であって、その目的は別の願望の---すなわち---異端の虜にさせないためであって、それは万人をおびえさせようとするものだ、とさえ語った。
しかしながら、たとえ両者に相違があったとしても、私には理解できなかった。そして相違は両者の行為からではなく、両者の行為を違ったものとして判断する教会の眼差しから、もたらされているような気がしてならなかった。
(略)
P201 「いったい、何が言いたかったかったのでしょうか?」私がたずねた。
「何もかも言いたかったのだ、くだらぬことばかり。僧院というのは、いつでも、修道僧たちが共同体の支配権を握ろうとして互いに争ういあう場所なのだ。メルクだって然りだ。ただし、見習修道士の身分であったおまえには、わからなかったであろうが。だが、おまえの国である僧院の支配権を握ることは、皇帝と直接に交渉をもつ機会を手中に収めることにつながる(tw、tw)。
それに引き換え、この国ではP202(tw)事情が異なる。皇帝の存在はここからは遠いのだ、たとえ稀にローマまで下ってくることがあっても、この国にはいまのところ宮廷(→参照『恋愛と贅沢と資本主義』P2、P104)もないし、あの教皇庁すらない。あるのは新興の都市ばかりだ、おまえも気づいたであろうが」
「もちろんです、あれには驚きました。イタリアの都市はわたくしの故郷にあるものとはまったく別です・・・住むための場所だけではなく、政治の決定を下すための場所でもあり、いつもみなが広場へ集まってきて、皇帝や教皇より都市の行政官のほうが、重きをなしています。まるで・・・一つ一つの都市が王国みたいに・・・」
「それらの都市国家の王が商人たちなのだ。そして彼らの武器たるや貨幣だ。イタリアにおいて貨幣が持っている役割は、おまえの国やわたしの国とは違っている。たしかに、あちらでも貨幣は至るところに出まわっているが、日常生活の大部分を支配し律しているのはまだ物々交換だ。
鶏、麦の束、草刈り鎌、荷車。あちらで貨幣が役立つのは、こういう個々の品物を手に入れるときだ。ところがこちらでは、すなわちイタリアの都市では、おまえも気づいたであろうが、貨幣を手に入れるために品物が役に立っている。
そして司祭や司教たちはおろか、修道会さえもが、貨幣で支払いを済まさねばならない。もちろんそこに原因があるのだ、権力への反抗が清貧の呼びかけとなって現れてくるのには、貨幣の流れから排除された者たちがその担い手となるのには、清貧への呼びかけがつねに緊張と議論を呼び起こしていくのには、そして司教から行政官に至るまで都市全体が過度の清貧を説く者をおのれの敵と感じてしまうのには、悪魔の糞の臭いに反抗する者たちが出たところに、異端審問官たちは悪魔の臭いを嗅ぎとろうとする。
どうだね、アイマーロが何を考えていたのか、これでわかったであろう。ベネディクト会の修道院は、かつての黄金時代には、司教者が信徒である羊の群れを統治する場所であった。アイマーロはその伝統へ帰ることを欲しているのだ。信徒の群れの生活が変わったのだから、僧院が伝統へ(かつての権力の座へ、あの栄光へ)戻るためには、信徒たちの新しい生活習慣を取り入れて、みずからも変わりさえすればよいと言うのだ。
そして今日では信徒の群れは、武器や神々しいい儀式によってではなく、貨幣によって支配されているのだから、アイマーロとしてはこの僧院全体が、文書館も含めて、一つの工房すなわち貨幣の生産場所になることを望んでいるのだ」
「いったいどういう関係があるのですか、そのこととあの犯罪とは、あるいは一つだけに留まりそうもないあれらの犯罪とは?」
「その点はまだわからない。だが、そろそろ階上へ昇ってみよう、ついて来い」
(略)
P205 「いったいどういうわけで、ヴェナンツィオはこの書物の翻訳をしていたのであろうか?」かたわらP206にいた補佐のベレンガーリオに、ウィリアムが尋ねた。
「ミラーノの領主から依頼されていた仕事です。僧院側では、見返りとして、この土地の東方の農園で穫れる葡萄酒の先買権を貰うことにしていました」そう言って、ベレンガーリオは片手を上げながら、遠くを指さした。しかしすぐに言い添えた。「この僧院は世俗の人間たちを相手に金銭目当ての仕事をしているわけではありません。
この貴重なギリシャ語の写本はヴェネツィアの統領がビザンツの皇帝から譲り受けてきたもので、わたしたちの依頼主はいろいろに骨折った挙句にやっとそれを借り受けてきたのです。そしてヴェナンツィオの仕事が終わりしだい、この翻訳の写本を二部作って、一部を依頼主に納め、一部をわたしたちの文書館に収蔵する予定でした」
「するとこの文書館は異教徒の物語を収集することも辞さないというのだな」ウィリアムが言った。
「文書館は真理と誤謬の証人である」そのとき、私たちの背後から一つの声が湧き起こった。ホルヘだった。
またしても私は驚かされてしまった(しかもこれから先、まだ何度も、驚かされねばならないであろう)、突如として現われ出るあの老人の不意打ちによって。私たちからは彼が見えないのに、彼のほうからは私たちが見えてるみたいだった。
いったい盲目の人間が写字室へ来て何をしようと言うのであろうか。
私は自分にそう問い質してみたが、後になってホルヘは僧院の到るところへ出没することを知った。なかでも写字室にいることが多く、暖炉のかたわらの肘掛け椅子に腰をおろして、その広間のなかで生じていることを一つ残らず見張っているようにさえ思われた。あるときなどは、自分の席から甲高い声で、「いま上に行へのは誰か?」と問いかけるのを聞いた。
彼が振り返って見えない目を向けていた相手は、藁の上で足音を忍ばせながら文書庫へ登りかけていたマラキーアであった。修道僧たちはみな老僧に深い敬意を抱いていて、折にふれ、その席を訪ねては、難解な箇所を読P207みあげながら彼の解釈をたずねたり、動物や聖人の絵図の描き方について知恵を請うたりした。
そういうときには、記憶のなかにあって、いまも鮮やかに生きつづけているページを一枚一枚めくるようにして、光の消えた目で宙を見据えながら、答えるのだった。
たとえば、偽の予言者には、司教のような衣装をつけさせて、口からは蛙を何匹も吐き出させること、天上のエルサレムの城壁を飾る石は、これこれの材質のものであること、(略)といった具合に---
ただし奇怪さがあまり人目を惹きつけてはならない、という忠告をつけ加えることも忘れなかった。なぜならそのような図柄は、寓意を表すものとして描かれればそれだけで充分であり、官能に訴えたり笑いを誘ったりしてはならないからだ。
あるときなどは、ドナトゥス派の異端を避けるために、テュコニウスの作品の摘要を聖アウグスティーヌスの精神に則していかに解釈すべきかについて、注釈家の一人に助言しているのを聞いたこともあった。また別のときには、注解をつけるにあたって、異端者と宗派分立論者とをいかに見分けるべきかについて、助言を与えているのを聞いたこともあった。あおしてまた、(略、助言例)要するに、老僧は文書庫の記憶そのものであり、写字室の魂でもP208あった。
ときにはまた、修道僧たちの雑談を聞き咎めて、「さっさと真理の証言を残すことに精を出すのだ、時は近づいているのだぞ!」そう𠮟りつけて、反キリストの到来をほのめかしたこともある。
「文書館は真理と誤謬の証人である」と、つまりそのとき、ホルヘは言ったのだった。
「いかにも、アープレーイウスとルーキアーノスは、たくさんの誤りを犯した」ウィリアムがそう言った。「しかしその種の物語は、虚構の覆いの下に、良き道徳をも含んでいる。なぜなら過ちの代償がいかに高価なものであるかを教えてくれるし、しかも、わたしの考えでは、驢馬に変身した男の物語は罪に陥った魂の変貌をも示唆しているからだ」
「そうかもしらん」ホルヘが言った。
「けれども、いまになってわかった。昨日ヴェナンツィオがわたしに語ってくれた話のなかで、なぜ、あれほどまでに、彼が喜劇問題に興味を覚えていたのか。ジジツ、この種の物語は古代人の喜劇と同類に考えられている。悲劇みたいに実在した人物を語るのではなく、これらはイシドールスの言うようにどちらも虚構なのだ。
<詩人タチハ物ヲ語ルガユエニ物語ト名ヅケタ。ナゼナラバ、ソレハ起コッタコトデハナク、語ルコトニオイテ作ラレタモノデアルガユエニ>・・・」
初めのうち、私には理解できなかった。なぜウィリアムがそうした博識な議論を、よりによって、この種の問題をあまり好まない人物に向かって切り出したのか。しかしホルヘの返答を聞いているうちに、わが師がいかに巧妙であったか、私にもわかった。
「あの日は、喜劇のことではなくて、笑いの正当性をめぐって議論しただけだった」眉を顰めて、ホルヘが言った。けれどもわずか一日前に、ヴェナンツィオがその議論に触れたとき、ホルヘがそれは覚えていないと言い張ったことを、私は覚えていた。
P209 「そうでしたか」ウィリアムは素知らぬ顔で言った。「わたしは、てっきり、詩人たちのつく嘘や、機知に富んだ謎について、あなたが語られたとばかり思っていましたが・・・」
「笑いの話をしていたのだ」ホルヘが素気なく言った。「異教徒たちが喜劇を書いたのは、観客を笑いに導くためであり、それゆえに彼らは不善をなしたのだ。われらが主イエスは、喜劇のことや物語のことを語られた例が一切ない。ただ、澄みきった譬えのみを語られて、いかにして天国へ到達するかを寓話的に諭されただけなのだ」
「腑に落ちませんね」ウィリアムが言った。「な ぜ、それほどまでにあなたは、イエスが笑われたと考えることに反対なさるのか。わたしの考えでは、笑いは入浴と同じように、精神や身体の不調を治すものであり、とりわけ憂鬱を治す特効薬だ]
「入浴は、結構なものだ」ホルヘは言った。「アクィーノの聖者も悲しみを取り去る方法として勧めている。何しろ悲しみは、放っておくと、悪しき激情になったり、いずれは思い切った治療を必要とするような病気になりかねないから。入浴は、情緒の安定を取り戻させてくれる。ところが笑いは、身体を揺らして、顔の形を歪め、人間を猿のごときものに変えてしまう」
「猿は笑いませぬ。笑いは人間に固有のものであって、人間の理性の徴だ」ウィリアムが言った。
『ユーモア学入門』(相互参照)その弟子アリストテレス(前三八四~三ニ二)は、『動物部分論』のなかで「人間だけが笑う動物である」とのべ、『ニコマコス倫理学』では笑いに対して先生よりもずっと寛容な姿勢をしめした。たとえば、「笑いは人生に必須のものである」とか、「友情あるところに笑いあり」とか、「人間の理性の徴ということであれば、言葉もまたそうであって、人間は言葉を使って神を呪うこともできる。人間に固有なものすべてが必ずしも善いとはかぎらぬ。笑いは愚かさの徴なのだ。笑いながら、人は笑う対象を信じてもいなければ憎んでもいない。つまり、悪を笑うのはそれと戦う意志がないからだ。
そして善を笑うのは善がみずからを広めようとする力を認めていないからだ。それゆえ、『戒律』には述べてある。<タヤスク笑ワヌコト、コレガ謙遜ノ第十段階デアル。ナゼナラバ、愚ヵ者P210ハ声ヲ張リアゲテ笑ウト記サレテイルガユエニ>」
「クィンティリアーヌスは」と言いながら師が相手の言葉を遮った、「こう述べている。笑いは讃辞のなかでは威厳を保つために抑えられるべきだが、他の多くの場合には奨励されるべきだ。タキトゥスはカルブルニウス・ピーソーの諧謔を讃えているし、小プリーニウスも書いている。<ソレカラ、トキニハ笑ッタリ、フザケタリ、冗談ヲ飛バシタリスルコトモアル、ツマリ私ハ人間ナノダ>」
「異教徒ばかりではないか」ホルヘが反論した。「『戒律』に曰く<戯レノ言葉アルハイ笑イヲ誘ウ無意味ナ言葉ハ、イカナルトキニモ、イカナル場所ニオイテモ、許サレナイ。カヨウナ言葉ヲ口ニスルコトハ、信徒ニオイテハ許サレナイ>」
「しかしながら、キリストの言葉が地上ですでに勝利を収めたころから、キューレーネーのシネジウスによれば、神は喜劇と悲劇の釣合いをよくとってきたというし、アエリウス・スパルティーアーヌスによればハドリアーヌス帝は品性すぐれ、<生来>キリスト者の心をもつ人物であって、陽気な面と厳粛な面とを混ぜ合わす術を心得ていたともいう。さらに、アウソニウスも生真面目と戯れとをほどよく調合するよう勧めている」
「だがノーラのパウリヌストアレクサンドリアノクレメンスはそういう愚かさを避けることを説いたし、スルピキウス・セウェルスの伝えるところによれば、聖マルティーヌスは怒りに身を任せた姿も喜びに身を任せた姿も、けっして他人には見せなかったという」
「しかしながら、同じその聖者について、<塩ヲ利カセタ精神>の受け答えをしたことを、いくつか回想している」ウィリアムが言った。
「それは鋭く深い知恵のものばかりで、滑稽なものではなかった。聖エフラエムは修道僧の笑いを戒める一文を書いているし、『修道僧の服装と言葉遣いについて』のなかでは、毒蛇の毒を避けるがごとく卑猥な言葉や洒落を避けるように、忠告している!」
「しかしヒルデベルトゥスは言っている、<アル種ノマジメナ事柄ノアトデハ冗談ガ許サレテイル、タダシフサワシイ仕方デナサレナケレバナラナヌガ>と。また、ソールズベリーのジョンは適度の陽気さを許容した。さらにまた、あなたがたの『戒律』が言及している『集会書』の一節を、あなたは先ほど引用されたが、笑いを愚か者の特性と決めつけているかのごとくに一般に思われがちな『集会書』でさえもが、静かな笑いや穏やかな精神の笑いは容認している」
「精神が穏やかになるのは、真理を観想し、完全な善を享受するときだけだ。その最中にあって真理や善を笑うはずがない。だからこそキリストは笑わなかった。笑いは疑いのもとになる」
「しかし疑うことが正しいときもある」
「わたしにはその理由が見当たらない。疑いを抱いたときには、権威つまり教父や教会博士の言葉に、すがるべきだ。そうすれば、疑う理由など一切消えてなくなる。どうやら、怪しげな学説に染まっておられるようだな。たとえば、パリの論理学者たちの学説みたいなものに。だが、聖ベルナルドゥスが折よく登場して、去勢者アベラールを見事に論駁してくれた。
なにせアラベールは『聖書』の光に照らされていない理性に依拠しながら、あらゆる問題をあの冷やかしにして生気の失われた篩にかけようと欲し、例の<然リト否>を唱えていたのだから。こうした危険極まりない思想を受け容れる者ならば、無知な輩の不真面目な笑いを賞讃するとしてもなんら不思議はない。
無知な笑いの的になっている事柄について、本来なすべきは、唯一の真理を知ることであって、それはすでに決定的な形で言われている。それゆえ、無知な輩は、笑いながら、暗に<神は存在シナイ>と言っているのP212だ」
「尊敬するホルヘどの、アラベールを去勢者扱いなさるのは公正に欠けるというものです。なぜなら、ご存知のように、あのように悲しい境遇へ陥ったのは、他人の悪意に発しているのだから・・・」
「みずから犯した過ちの報いだ。人間の理性を過信した奢りの報いだ。彼によって純朴な民衆の信仰は嘲笑され、神の神秘は暴かれた(いや、暴こうと試みたに過ぎぬ、そのように大それたことを試みるとはなんという愚かな者か)。そしてきわめて高尚な事柄に関わる問題が軽率に扱われ、そのような問題を解こうとせずに放置しておくべきだと主張したがゆえに、教父たちは嘲笑された」
「同意いたしかねますな、尊敬するホルヘどの。『聖書』が決定の余地をわたしたちに残しておいた、数多くの曖昧な事柄に関して、わたしたちが理性を行使するように神は望まれている。そしてある命題を信じよと提案されるとき、あなたはまずそれが受け入れられるものか否かを検討しなければなりますまい。
なぜなら、わたしたちの理性は神によって創造されたのであり、わたしたちの理性にとって好ましいものが神の理性にとっても好ましくはないはずはないから、。ただし、神の理性に関しては、その相似形を、ないしはその否定形を、わたしたち自身の理性の働きから推論して、わたしたちは折にふれて知るにすぎませぬが。
さて、もうおわかりであろうが、理性に反した不合理な命題のもつ偽りの権威を突き崩すためには、時に応じて、笑いもまた正当な一つの手段たりうるのだ。笑いには悪者を混乱させてその愚かさを白日のもとへ晒す働きがある。
異教徒に殺された聖マウルスについて語り伝えられているところによれば、煮えたぎる湯のなかに浸けられたとき、彼は湯が冷た過ぎると不平を言って、愚かにも湯加減を見ようとして湯のなかに手を入れた異教徒の総督に、火傷を負わせてやったそうだ。それは信仰の敵を嘲笑った、あの聖なる殉教者の、すばらしい事蹟だ」
P213 ホルヘが薄笑いを浮かべた。「説教師たちの物語る逸話のなかには、たくさんの作り話が混ざっている。煮えたぎる湯のなかに浸けられた聖人は、キリストのために苦しみ抜いて、叫び声をたてるのを堪えたのであり、異教徒に向かって子供じみた悪戯などしなかった!」
「では、おわりですか?」ウィリアムが言った。「この話が理性に反するものと思われたので、あなたは馬鹿げたものとして咎めているのだ!たとえ声をたてなくても、唇を動かさなくても、あなたは何ごとかを笑っているのだ。そしてわたしに対してこの話を真に受けないように、と望んでいるのだ。つまり、笑いを笑っているのであって、笑っていることに変わりはない」
ホルヘは迷惑千万であるという仕草をしてみせた。「おまえは笑いを種にして、わたしを馬鹿げた会話のなかに引きずりこもうとしている。だが、知ってのとおり、キリストは笑わなかった」
「その点には疑問がある。パリサイ人に向かって最初の石を投げるように促されたとき、納税用の硬貨の肖像が誰かをたずねられたとき、掛け言葉を使って、<アナタハ石(ペトロ)ダ>と言われたとき、主は罪人たちをまごつかせ信者たちの心を鼓舞するために洒落を述べられた、とわたしは信じている。カイファに向かって<それはあなたの言ったことです>と言われたときにも、主は諧謔を用いて話された。
またヒエロニムスは、『エレミア書』のなかで神がエルサレムに対し<ワタシ自身ガオ前ノ着物ノ裾ヲ顔マデアゲ>と言われた箇所を注釈して、<ツマリ、ワタシハオマエノ着物ノ裾ヲ持チアゲテ、尻ヲ露ワニサセルデアロウ>と説明している。
要するに、神でさえ、罰したいと思われる者たちをまごつかせるために、洒落を用いたのだ。あなたもよくご存知のことであろうが、クリュニー派とシトー派の争いが頂点に達したとき、前者は後者を笑いものにするために、股引きを履いていないと言って非難した。また『愚者の鏡』のなかで驢馬のブルネッルスは、もしの夜中に風で上掛けが吹きあげられ、修P214道僧に恥部を見られてしまったら、どんなことになるであろうか、と自問している・・・」
まわりにいた修道僧たちから笑い声が起こったので、ホルヘはついに激怒した。「ここにいる同門の僧たちのことまで、おまえは狂った馬鹿騒ぎに巻きこんでしまった。わたしにはわかっているぞ、この手の愚かしい話を用いて、民衆の共感を得ようとするのが、フランチェスコ会士のやり方であることくらいは。
だが、こうした戯言の正体が何なのかは、おまえの宗派の説教師の一人から聞いたことのある詩句に、耳を澄ませばよい。<スルトオ尻ガ粗野ナ歌ヲ放ッタ>」
この非難はいくら何でも度を越していた。ウィリアムも無遠慮ではあったが、ホルヘのほうはいまやわが師が口から放屁をしていると難詰したのだ。年老いた修道僧から発せられたこの手厳しい返答が、もしや写字室から退去せよという意味なのではないか、と私は案じた。
ところが、たったいままで、あれほどまでに攻撃的だったウィリアムが、急に信じられないほどに柔順になった。「どうか、お許しください。尊敬するホルヘどの」そう彼は言った。「つい口がすべって、愚にもつかぬ考えまでのべてしまいましたので、あなたさまへ礼を欠くつもりなど毛頭ありませんでした。おそらく、おっしゃるとおりでしょう。わたしのほうが間違っていました」
この申し分ない謙った態度に接しては、満足の表明とも容赦の合図とも受けとれる呟きを発して、ホルヘは自分の席へ戻るしかなかった。議論のあいだにいつのまにか近づいてきていた修道僧たちも、それゆえ、各自の仕事机へと引き返していった。
ウィリアムはヴェナンツィオの机の前にひざまずくと、改めて紙片の山のなかを探った。謙った大袈裟な謝罪の言葉と引き換えに、ウィリアムは数秒間の静寂を手に入れたのだ。そしてこのわずか数秒のあいだに師の目撃したものが、来たるべき夜の探索を、促すことになった。
(略)
下巻
第七日 P326-383
深夜課 P326-374(P340-)
P340 「(略)P341アリストテレース(相互参照)は笑いを誘う傾向を、認識の価値さえ高める一つの善良な力と見なそうとしているのだ。
なぜなら、辛辣な謎や、予期せぬ隠喩を介して、あたかも嘘をつくかのように、現実にあるものとは異なった事象を物語ることによって、実際には、それらの事象を現実よりも正確にわたしたちに見つめさせ、そうか、本当はそうだったのか、それは知らなかった、とわたしたちに言わしめるからだ。
この世界や人間たちを、現実の姿や、わたしたちがそうだと思いこんでいる姿よりも、悪しざまに描き出すことによって、要するに、英雄叙事詩や悲劇や聖者伝などがわたしたちに示してきた方法とは異なり、悪しざまに描き出すことによって、明るみに出された真実。そうであろう?」
(略)
P343 「好い加減にもう、教えてくださってもよいだろう」ウィリアムが切りだした、「なぜ、だったのか?なぜ、数多ある書物のなかから、この一巻をあなたは守ろうとしたのか?あなたは、犯罪の名にまでは値しなかったが、降霊術の論文や、おそらく、神の名を冒瀆しているページの類を隠してきたが、それにしてもなぜ、これらのページのためにあなたの兄弟を地獄へ堕としたり、あなた自身のことまで地獄へ堕とすような真似をしたのか?
喜劇を語っている書物ならばほかにもたくさんあるし、笑いを賞讃しているだけの書物ならばほかにもまだいくらでもある。なぜ、この書物だけが、それほどまでに大きな恐怖を、あなたに呼び覚ましたのか?」
「なぜなら、あの哲学者が書いたものだからだ。あの人物の著した書物は、キリスト教が何世紀にもわたって蓄積した知恵の一部を破壊してきた。教父たちは神の言葉の威力をめぐって心得るべき事柄を説いてきたが、ボエーティウスがあの哲学者の著作に注釈しただけで、神の言葉の不可思議な神性を、人間的なパロディーの範疇と三段論法の域内へ引き降ろしてしまった。(tw,tw)
45秒版 16分21秒版
『創世記』は宇宙の生成について知るべきことを語ってきたのに、あの哲学者の『自然学』が再発見されただけで、宇宙が鈍重で粘液質な物質の観点から考察し返さなければならなくなり、アラビア人アヴェロエスが世界の永遠性をめぐって万人をほとんど説得するまでになった。
わたしたちが神性の名前についてすべを知っていたのに、アッボーネが埋葬に力を貸したドミニコ会士[アクィーノのトマス]は---あの哲学者に誘惑されて---自然の論理の傲慢な小径を辿りながら、それらの名前をふたたび掲げていった。
こうして、かつては天上に模範的第一原因の光り輝く滝を認めることができた者の目に、アレイオパゴスの裁定者をとおして現れた宇宙が、いまや抽象的機能を名づけようとして天上へ駆け登る者たちによって、地上の事物になってしまった。
以前には空を見あげて泥にまみれた物資に眉をしかめたというのに、いまでは地上を見つめては地上の証明に基づいて天上を信じるようになった。いまや聖者や教皇たちでさえ誓願の根拠とするようになったあの哲学者の言葉の一つ一つが、この世界のイメージを逆転させてしまっている。
しかし神のイメージを逆転するまでには至らなかった。もしもその書物が広まって・・・開かれた解釈の資料となってしまえば、わたしたちは最後の一線を踏み越えてしまうであろう」
「この笑いをめぐる議論のなかの、何が、それほどまでにあなたを怯えさせるのか?この書物を抹殺したところで、笑いを抹殺することはできないのに」
「たしかに、それはできない。笑いはわたしたちの肉体の弱点であり、頽廃であり、失われた味だ。それは、農夫のためには気晴らしであり、酔漢のためには憂さ晴らしであり、キリスト教会が懸命にも祭日や、謝肉祭や、祝宴のさいに認可してきたものであり、そのようにして不謹慎な白昼の行為が人びとの憂さを発散させ、それ以上にふしだらな欲望や野望から、踏み留まらせるのだ・・・
しかし笑いは、あくまでも卑しいものに留まって、平信徒への防御となり、庶民への不敬な神秘となる。使徒もいわれたのではないか、身を焦がしているよりは、結婚した方がよいと。神の望む秩序に背くよりは、食事が終わったときに、酒壜という酒壜を飲みほしたあとで、おまえたちの穢らわしい言葉で神聖な秩序を笑いものにしたり、戯れの種にするほうがよいと。
愚者たちの王を選ぶがよい、驢馬や野豚の儀式のなかで、おのれを忘れ、上を下へ馬鹿騒ぎに狂うがよい・・・だが、そこでは、そのなかでは・・・」そう言いかけて、ホルヘはウィリアムスが開いていた書物の近くの机の上を指で叩いた。
「その書物のなかでは、笑いが機能が逆転する。笑が方法にまで高められ、それに向かって学者たちの世界の扉が開かれ、それが哲学の対象となり、不正な神学の対象ともなる・・・平信徒たちが勝手な考えを作りあげ、邪悪きわまりない異端を実践し、神の掟にも自然の掟にも従おうとしないありさまは、昨日もおまえが見たとおりだ。
しかしキリスト教会としては、平信徒の異端にはまだ我慢できる。彼らはおのずから断罪され、おのれの無知ゆえに破滅してゆくから。ドルチーノやその同類たちの無知なる狂気が、神聖な秩序を危機に陥れることは、まずないであれおう。暴力を説く者は暴力で亡び、跡形も残らないであろう。謝肉祭がやがて果てるように、おのずから消えてなくなるであろう。
そして祭りのあいだだけ、この地上に、ごく短期間、逆転した世界を出現させても、それは問題ではない。行為が企図に変わらなければ、俗衆の口語がそれを翻訳する文章語を見出さなければ、それでよい。笑が悪魔の恐怖から農民を解き放つのは、愚か者たちの祭りのなかでは悪魔もまた愚かで貧しい姿をとり、闘魚が可能になるからだ。
けれどもその書物は悪魔の恐怖から解き放たれることが知恵であることまで教えかねないだろう。農夫の喉に酒が注ぎこまれて、笑いだすとき、彼が自分を主人のように感じだすのは、主従関係を逆転させからだ。ましてや学者たちには尖鋭な考えを授けかねないだろう。そして蒙を啓かれた瞬間から、逆転を正当化する業を、彼らは身につけてしまいかねない。
そのときには、農民の無反省な行為のなかでは、幸いにもまだ腹のうちに留まっているものが、頭脳のうちへ転換されかねない。笑が人間に固有の性質であるとすれば、それは罪深いわたしたちの限界の証だ。それにしても、その書物のなかから、おまえみたいに腐敗した精神の持主たちは、笑いが人間の目的であるという極端な三段論法を導き出しかねないであろう!
笑いは、束の間、農民に恐怖を忘れさせる。けれども、掟は恐怖を介して律するのであり、その真の名前は神への畏怖だ。したがって、その書物からは、堕ちた天使ルチーフェロの火花のごときものの出る危険があり、これが火種となって全世界へ新たな火災をもたらしかねない。そして笑いは、プロメーテウスにさえ未知P346であった、新たな方法として、恐怖を無と化さしめるための企図に、使われるかもしれないだろう。
笑っている農夫にって、その瞬間にあっては、死でさえ何ものでもない。だがそのあと、心の憂さが霽れてしまえば、神の企図に則して、その祭祀が、ふたたび彼の上へ死の恐怖をもたらす。したがってその書物から、恐怖を逃れることによって死の破壊をもたらす、新たな破壊的願望が、生まれかねない。
わたしたちのように罪深い存在は、神の賜物のなかでも、おそらく最も深い慈愛と思慮とに満ちた、あの恐怖がなければ、いったい何になってしまうであろうか?何百年にもわたって神学者や教父たちは、高きにあるものへ思いをめぐらすことにより、低きにあるものの悲惨や誘惑を贖うために、聖なる知識の香気を発散させてきた。
ところがその書物は、喜劇や風刺劇や無言劇が人間の短所や悪癖や弱点を表すことによって、情念の浄化をもたらす特効薬であると述べ、虚偽の叡知の持主たちを唆かし、低いものを受け容れることによって高いものへの埋め合わせを(悪魔的な逆転によって)果たそうと企図しているのだ。
その書物からは、理想郷と変わらぬ豊かさを(おまえのベーコンが自然の魔術について示唆したごとく)人間がこの地上に願ってもよいとする思想が、導き出されかねない。しかしそれは、わたしたち人間に持てるはずがないものであり、持てないものなのだ。
『キュプリアーヌスの饗宴』の滑稽なパロディーのなかで正体を現わす、矮小な修道僧たちを、見るがよい。聖なる記述をどれだけ悪魔的に転換させていることか!それでも、そうするなかで、それが悪であることは承知しているのだ。
しかしいつの日か、常軌を逸した想像力の、他愛もない戯れが、あの哲学者の言葉によって正当化されるようなときが来れば、おお、そのときには、それまで周縁にあった他愛もないものまでもが、まさに中心に躍り出て、中心にあったものは跡形もなく失われてしまうだろう。
神の民は、未知の大地の奥底から躍り出てきた悪魔の群れへと姿を変え、そのときにはP347既知の大地の周辺がキリスト教世界の中心になり、アリマスピたちがペテロの王座に就き、ブレンミたちが僧院に陣取って、巨きな頭と太った腹の小人たちが文書館の警備に当るであろう!
使用人たちが掟を作る側に立ち、わたしたちは(もちろんおまえもいっしょだぞ、そのときには)一切の掟を失って、服従する側に回るであろう。さるギリシャの哲学者が言ったように(この人物をおまえのアリストテレースはそのなかに引用しているから、共犯者にして薄汚れた<権威>だが)、生真面目な相手には笑いで応じなければならず、笑っている相手には厳しく対抗しなければならない。
われらが教父たちは、慎重にその選択を行ってきた。すなわち、笑いが一般大衆の好むところである以上、大衆の憂さ晴らしには歯止めをかけて、厳しさによって辱しめ、畏怖の念を抱かせねばならない。
そうすれば大衆は、笑いを研ぎ澄ませて教父たちの厳しさに刃向かう道具とするわけには、いかなくなるであろうから、何しろ教父たちは、あくまでも、大衆を永遠の生へと導き、胃袋や下腹部や食物や汚れた欲望から彼らを救い出さねばならないのだ。
それにしても、いつの日か、もしも誰かがあの哲学者の言葉を振りかざして、いかにも勿体ぶった口のきき方をしながら、笑いという手段を鋭い刃物にまで研ぎ澄ましたならば、もしも説得するための修辞法を嘲笑するための修辞法に取って代わらせたならば、もしもまた贖罪の図象を用いて忍耐づよく救済の方向へ進む努力を忘れたり、尊ぶべき聖者の図象をことごとく逆転させて解体させる性急な方向へと転ずるようなことがあれば---おお、その日には、おまえばかりでなく、ウィリアムよ、おまえぼ拠り所とする知恵も、一切が覆されてしまうであろう!」
「なぜか?わたしは戦うだろう、断乎として相手の知恵と切り結んで。ベルナール・ギーの灼熱の炎と剣がドルチーノの灼熱の炎と剣を屈服させるこの世界よりは、いくらかでもましな世界になるだP348ろう」
(略)
(P370)
P370 「(略)ホルヘがアリストテレースの『第二部』を恐れたのは、そのなかで、たぶん、わたしたちがおのれの幻想の虜にならないようにするためには、真理と名のつく相貌を一つ一つ歪めてみるように、真剣に説かれていたからであろう。
おそらく、人びとを愛する者の努めは、真理を笑わせることによって、真理が笑うようにさせることであろう。
なぜなら、真理に対する不健全な情熱からわたしたちを自由にさせる方法を学ぶこと、それこそが唯一の真理であるから」
(略)
(tw) 16分21秒版
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