秩父宮殿下と松平勢津子様御成婚 | 会津若松市戊辰150周年記念事業
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0)松平容保の四男恒雄(駐米大使・駐英大使を歴任し、戦後は初代参議院議長)、雍仁親王妃勢津子は恒雄の長女(tw)
『ロックフェラー家と日本』P127(参照)1.1)春日局33 春日局、秀忠を幸松に合わせる段取りをする
用意周到なジョンは、出発前にマクドナルドと一緒にワシントンに行き、訪問予定国の駐米大使らに会い、それぞれの国で会うべき人々について助言を求めている。最後の訪問国となる日本については、松平恒雄(旧会津藩主松平容保の四男)大使や、たまたまワシントン滞在中だった樺山愛輔らと面談し、日本で会うべき人々についての情報をあつめている。
樺山は、日清戦争当時の海軍提督として名をはせその後海軍大臣や文部大臣などを務めた樺山資紀の長男で、アメリカのウェズレヤン大学とアマースト大学で教育を受け、当時の日本の国際派ナンバーワンとして知られていた。
ジョンが日本大使館を訪問したときに樺山がワシントンに滞在していたのは、大正皇后の使者として松平大使の長女節子(後の勢津子)を秩父宮雍仁親王妃とするべく「両親および本人を説得して、必ず応諾させる」ためであった(秩父宮妃、一九九四年、一二八頁)。樺山が使者に選ばれたのは、娘正子(後の白洲次郎夫人)が節子と親友の間柄で、樺山自身も節子を幼い頃からよく知P128っていたからである。
1.2)春日局41 保科正之概説、対面、秀忠逝く(tw)
1.1) 1.2)
2.1)葵徳川三代26 幸松、見性院の庇護下に。~その他処々の出来事
2.2)葵徳川三代34 比丘尼屋敷の見性院に育てられていた幸松、信濃高遠城主保科正光の養子に
2.3)葵徳川三代41 家光仮病、もしや隠し子がいるのでは?事実なら会いたいと秀忠に告げる
2.0) 2.1) 2.3)
2.4)葵徳川三代46 幸松と養父保科正光、家光と対面(~5分過ぎまで~女帝明正天皇即位)
2.5)葵徳川三代47 幸松、病床の秀忠と対面(~4分過ぎまで)(tw)
3)江46終 秀忠の隠し子が発覚(16分過ぎ)対面(28分過ぎ)これが大奥の契機となる(tw)
2.4) 2.5) 3)
徳川家系図解説(葵徳川三代)(tw、tw)
20)家康は系図を詐称? 33)諱(いみな)4.1)八重の桜49 27:58~松平容保、山川浩と山川健次郎に孝明天皇の「御宸翰と御製」を託す(tw,tw)
4.2)八重の桜50終 36:13~松平容保これにより10年後に名誉回復されると解説
伊藤博文が(亡き孝明天皇が贈った)御宸翰の存在とそれを公表しようとする東京帝国大学山川健次郎博士の動きを知って危惧。(意を受けて)大山巌(の夫人は山川の妹捨松)が、山川健次郎に、公表を控えるよう懇願するが、それに納得するはずもなく、そこに捨松が割って入って云々するシーン(tw)
4.1) 4.2)