2025年2月1日土曜日

偏愛メモ『西洋の敗北』

『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』 #bookwalker

第4章 「西洋」とは何か? P156-

P 156
P157ウェーバーが断言したように、プロテスタンティズムが西洋の飛躍的発展の基盤だったとしたら、今日、プロテスタンティズムの死は、

P 158 「西洋の解体」の原因となり、情緒のない言い方をすると、「西洋の敗北」の原因となっているのである。
二つの「西洋」
P 160/ 162
P 164
もはや存在しない「民主主義」を擁護する
P 166
(略)
読み書きは聖職者の独占物だったが、今やすべての人のものとなった。しかし二十一世紀に入ると、民主主義的平等の基礎となる感情そのものが枯渇してしまったようなのである。

P167高等教育の発展は、一世代の三○%か四〇%の人々に「自分は真に優れている」という感覚を与えるようになってしまったのだ。「大衆化したエリート」という矛盾した表現がこの状況の異様さを物語っている(相互参照)。

ウクライナ戦争以前、西洋の民主主義は、ますます深刻化する害悪に蝕まれていると見られていた。この害悪によって、思想面と感情面において「エリート主義」と「ポピュリズム」という二つの陣営が激突するようになる。

エリートは、民衆が外国人嫌いへと流されることを非難する。民衆は、エリートが「常軌を逸したグローバリズム」に耽っているのではと疑う。民衆とエリートが、ともに機能するために協調できなくなれば、代表制民主主義の概念は意味をなさなくなる。

すると、エリートは民衆を代表する意思を持たなくなり、民衆は代表されなくなる。世論調査によれば、「西洋民主主義国」の大部分において、ジャーナリストと政治家は、「最も尊敬されていない職業」だという。

いま陰謀論が蔓延しているが、これは、「エリート主義対ポピュリズム」、すなわち社会の相互不信によって形成される社会システムに特有の病理なのだ。

民主主義の理想は、「すべての市民の完全なる経済的平等」という夢にまでは至らなくとも、「人々の社会的条件をなるべく近づける」という観念を含んでいた。第二次世界大戦後、民主主義が絶頂にあった時期には、アメリカを始め多くの国で、「プロレタリア」と「ブルジョワ」が「大規模になった中流階級」の中にとけ込むことすら想像できたのだ。

ところがここ数十年、国によって程度に違いはあるが、私たちが直面してきたのは、格差の拡大である。自由貿易によってもたらされたこの現象は、既成の諸階級を粉砕したが、

P168 同時に物質的生活条件も悪化させ、労働者階級だけでなく中流階級の雇用へのアクセスまでも悪化させた。繰り返すが、私のこうした考察は、誰もが同意するはずの至極平凡なものにすぎない。

今日の民衆の代表者、つまり、高等教育を受けた大衆化したエリートたちは、第一次産業および第二次産業に従事する人々を尊重しなくなり、どの政党に属していようが、根底では、自らが高等教育で身につけた価値観こそが唯一正当なものだと感じている。

彼らにとっては、自分はエリートの一員であり、その価値観こそが自分自身であり、それ以外は何の意味もなさず、虚無でしかない。こんなエリートなら自分以外の何かを代表することなど絶対にできないであろう(tw)。

西洋のリベラル寡頭制陣営VSロシアの権威主義的民主主義
P169西洋の主流派の言説では、この戦争は、「西洋の(リベラル)民主主義」と「ロシアの専制体制」の対立だとされたが、「西洋のリベラル寡頭制」と「ロシアの権威主義的民主主義」の戦いに代わるのだ。
(略)
労働者や抑圧されているプチ・ブルジョワを最も代表している政党(フランスでは国民連合と不服従のフランス、ドイツではAfD、アメリカではドナルド・トランプ)がプーチンに対して親和的だと疑われるのは、社会学的には当然だと言えるのではないか。支配層のエリートは、社会の下層部が新ロシアに傾くことを恐れている(tw,tw)。
P 170
不可逆的プロセス
P 172
P 174
宗教--活動的状態、ゾンビ状態、ゼロ状態
P 176
ニヒリスト的逃避
一九六〇年代(イギリスとアメリカにおける性の革命とフランスの五月革命を含む)の重大な幻想の一つは、「集団を超越することで個人はより大きくなれる」と信じてしまったことだろう(私の誤り、最大の誤りを認めよう!meq culpa.meq maxima culpa!)

P177それは全く逆なのだ。個人というのは集団においてのみ、また集団を通してのみ大きくなることができる。単体としての個人は自ずと小さくなる運命にある。

あらゆる集団的信仰---根源的または派生的な形而上学的信仰にしろ、共産主義的信仰にしろ、社会主義的信仰にしろ、国民的信仰にしろ---から一斉に解放された私たちは今、空虚さを経験し、小さくなっている。

もはや敢えて自分の頭で考えることもなく模倣を繰り返す小人の群れと化している。ただそれでいて、不寛容の度合いにおいては、かつての宗教の信者に劣っていないのである(tw,tw)。
P 178/ 180

第5章 自殺幇助による欧州の死 P182-

富裕層の問題を理解する
P204 寡頭制システムでは、経済的なものにしろ、政治的なものにしろ、富は社会構造の頂点に蓄積される。この富はどこかに流れていかなければならない。富の保有者も彼らなりの問題を抱えていることを私たちは忘れがちだが、これは彼らにとって不安をかきたてる問題である。

お金の安全な保管場所はどこか、また、いかにお金を有効に「働かせる」べきか。この場を借りて、ピーター・ティール(ペイパル共同創業者,相互参照)にお礼を申し上げたい(tw,tw)。

アメリカのエリートたちに関する刺激的な実りある彼との議論によって、真の金持ちの視点を理解できたからだ。

ここ数十年の本質的な現象の一つは、ドルが「避難通貨」として広がったことと、アメリカが牛耳るタックス・ヘイヴン(租税回避地)が「ヨーロッパの財産の避難先」として広がったことだ。

アメリカドルがアメリカの領土外でも国際的に用いられる通貨として台頭してきたのは一九六〇年以降で、大英帝国の解体に負うところが大きい。オリバー・バローは、この問題について特に明快な二冊を著している。

『マネーランド』と『バトラーから世界へ』である。これを読むと、ロンドンのシティーと大英帝国の残滓がいかに原動力となったかがよくわかる。アメリカ財務当局の直接の管理を超えて、より自由に、より陽気に流通する生命力をドルに与える原動力となったのだ。

まずイングランド銀行は、

P206 シティに設立された銀行に対して、通貨としてのドルの使用とドルでの融資を許可した。これにアメリカ当局は、当初、当惑したのだが、ここから得られる自らの利益にすぐに気がついた。

アメリカ財務省は独占的かつ直接的な支配権は失うわけだが、これによりアメリカ自体の行動範囲は拡大するのである。一九六○年代末には、外資系銀行の一〇〇以上の子会社がシティで営業していた。

いわゆる「ユーロドル」の誕生だが、実際は「世界通貨」としてのドルの誕生だった。アメリカ国家の通貨は、世界中の富裕層の貯蓄と投機の手段となり、アメリカ国家は事実上、世界中の富裕層のための国家となったのである。

ちなみに私はここで再び、プロセスの途上にある一つの傾向を完成した構造のように描くことで、意図的に物事を誇張していることは断っておこう。

ユーロの導入によってこの傾向にはブレーキがかかったが、それも一時的なものにすぎなかった。二〇〇七年から二〇〇八年の危機の影響の一つは、真の金持ちが統一通貨ユーロへの信頼を失ったことだ。

二〇〇八年六月から二〇ニ二年二月(ウクライナ戦争開始)の間に、ユーロは対ドルで二五%の価値を失っている。真の富裕層はユーロよりもドルでの貯蓄を選んだのだ。ここでの因果関係は循環的である。

富裕層の資産がドルに変換されることで、ドルの価値がまた上がるからだ。

タックス・ヘイヴンは、このメカニズムが機能する上で重要な役割を果たした。二〇二三年二月ニ一日にEU官報に記載された「税務面で非協力的な国・地域リスト」の最新版が興味深い。

ロシア連邦も含まれているが、それ以外は程度の差こそあれ、アメリカに従属している国・地域ばかりである。
(略)
208/ 210/ 212/ 214/ 216

第7章 北欧--フェミニズムから好戦主義へ P258-

P258/ 260/ 262/ 264/ 266

第8章 米国の本質--寡頭政治とニヒリズム P269-

P291 富の不平等に加えて、富の増大こそが中流階級を崩壊させた。一九五〇年代の理想のアメリカでは、中流階級には労働者階級も含まれ、むしろ労働者が大部分を占めていた。それゆえに、グローバリゼーションによる労働者階級の消滅は、中流階級の衰退につながったのである。

いま中流階級に残っているのは、上位〇.一%の少数富裕権力者(オリガルヒ)にしがみつき、没落しないことに必死になっている人口の一〇%程度の上層中流階級だけだ。累進課税の復活に上位の富裕層よりも強硬に反対しているのは、上層中流階級の彼らである(20)。超富裕層の資本の大部分は、そもそも海外への課税逃れで守られている。
P297
20)この徴税面の機能停止状態に気づいたのは、ピーター・ティールとの議論がきっかけだ。

第9章 ガス抜きをして米国経済の虚飾を正す P299-

P299/ 301米国産業の消滅、米国のRDP(国内実質生産)/ 303輸入製品への依存/ 305非生産的で掠奪的な能力主義者/ 307輸入労働者への依存

P309 カリフォルニアでは、STEMワーカーの三九%を外国人の労働者が占めている(tw)。

 ある意味で、外から来る能力に頼ることは、アメリカの歴史そのものである。一八四〇年から一九一〇年にかけて、ドイツ、スカンジナビア諸国から大量の移民が流入した。多くは教育を受け、直系家族に特有のダイナミズムを体現した彼らの流入が、他国より遅れたが、急速なアメリカの工業発展につながったのである。しかしこうした海外人材の受け入れは、WASP自身の教育的ダイナミズムを土台にしてなされていた。受け入れ側もまた、高技能労働者、技術者、エンジニアを生み出していたのである(ただし、優れた科学者はわずかだった)。しかし今日の移民の流入は、WASPだけではないアメリカ白人全体の教育の崩壊を埋め合わせるものとなっている。

 科学と技術分野の学部選択における外国人とアメリカ人の違いは、大学において顕著である。よく知られているように、アメリカの大学は多くの外国人学生を受け入れている。表9-1は二〇〇一年から二〇二〇年にかけて見られた二つの特徴を示している。まず、アメリカの大学で博士号を取得する中国人とインド人の数の多さだ。次に、エンジニアになる外国人の割合の高さである。これは移民排出国における技術と産業への関心度を示す重要な情報だ。この表によると、イラン出身 者の六六%がエンジニア関連の勉強をしている。私は学習意欲に関する社会学の観点からイランの博士課程学生に最優秀賞を授与したい。 こうして、ウクライナ戦争が始まって以来、イランがロシアに軍事用ドローンを輸出(相互参照)している理由もわかるわけである。
表9-1、2001~2020年に米国で博士号を取得した上位の10ヵ国)
P311  地政学に関する本書において、私は国力の基盤へ近づこうと試みている。兵器の生産量よりもエンジニアの数を見る方が真実に近づけるのだ。繰り返すがモノから人ヘある。近代的な軍隊はその技術力にかかっているが、それは工兵部隊に限ったことではない。とくに空軍と海軍の技術部門では、将校の大半がエンジニアである。アメリカがエンジニアを大規模に養成できなくなっているとすると、次の疑問が湧いてくる。本格的な軍事衝突が起きた時、アメリカ軍の真の実力はどれほどのものなのか、と。歴史的に見て、空軍(Air Force)と海軍(Navy)はアメリカ軍の中でも最も実績を残してきた部門で、特に海軍航空隊は太平洋戦争以降、注目されてきた。

 つまり、ロースクールやビジネススクールへの「頭脳流出」がアメリカの軍事力の核心部門を脅かしているのである。敵に対していくら支払い命令や口座凍結などをしたところで戦争には勝てないのだ。ところで、この一文には既視感を覚える--ロシア銀行の資産凍結、ロシアのオリガルヒの財産の差し押さえ(さらに西洋諸国であまりにも尊重されている財産権を敢えて否定までして一般の在外ロシア人まで対象としている)、ロシア産原油を運ぶ船舶に対する保険の拒否、アメリカ側で戦争を先導しているのは、弁護士的メンタリティなのである。だからこそウクライナでは砲弾が不足しているのだ。

ドルという不治の病
(略)
P313/ 315

第10章 ワシントンのギャングたち P317-

P321
アメリカ全人口におけるユダヤ人の割合は一.七%である。バイデン政権、特に外交政策に携わるメンバーの中で、ユダヤ人の比率が非常に高いことはすでに見た通りだ。外交問題の分野で名高いシンクタンク(外交問題評議会)の理事会(Board of Directors)」においても同じようにユダヤ人の割合が高い。

三四人のメンバーのほぼ三分の一がユダヤ人なのである。二〇一〇年の『フォーブス』誌の番付によると、アメリカの最も裕福な一〇〇人のうち三○%がユダヤ人だった。

まるで一九三〇年代のブダペストを見ているようである。こうした現象は、前述したのと同じように解釈できる。つまり、ある社会の上層部においてユダヤ人の比率が非常に高い理由は、多くの場合、その社会の人口全体の教育水準の低さにある。

ユダヤ教の教育熱心さがこうした社会では特に完全な形で際立つわけだ。この状況は、これまで見てきたように、一八〇〇年から一九三○年にかけての中央ヨーロッパと東ヨーロッパと同様に現在のアメリカに見事に当てはまる。

近年のアメリカにおけるユダヤ人勢力の相対的な台頭は、プロテスタントの教育的関心が衰退したことの帰結の一つなのである。一九六五年から二〇一〇年にかけてのアメリカにおいてプロテスタントという競合相手がいなくなることで、ユダヤ人の教育への執着心は、ユダヤ人の存在感を大きくすることにつながった。

それはまだ識字化が進んでいなかった一九世紀の中央ヨーロッパと東ヨーロッパにおいて、ユダヤ人が大きな影響力を持ったのと同じである。歴史、特にアメリカのユダヤ教の歴史はここで終わるわけではない。アジア系アメリカ人の

P322教育熱が勢いを増すことで、ユダヤ人にとっての競合相手の不在という一九六五年から二〇一〇年まで続いた状況に終止符が打たれたのである。

オンライン雑誌『タブレット(Tablet)』(ユダヤ系雑誌)の驚くべき記事は、今日、ユダヤ人の重要性の消失という傾向がいかに強いかを示している(2)。

P331
2)この事実と記事を指摘してくれたピーター・ティールに改めて感謝したい。

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・世界は終末を迎えているのか〈東京極秘対談〉 #ピーター・ティール #エマニュエル・トッド #文藝春秋 参照