第一巻 ~P636
第二巻P637~1319
第三巻P1320~2011
第四巻P2012~2597
解説 P2598~2616
P562 フランス軍のすべての複雑な人間の動き---いっさいの情熱、欲望、悔恨、屈辱、苦悩、誇りの衝動、恐怖、狂喜---は、三皇帝の会戦といわれるアウステルリッツの戦いの敗北にすぎなかった。つまり人類の歴史の文学盤の上を世界史の針が緩慢に動いたにすぎないのである。
(略)
ソ連版『戦争と平和』第一部02:14:24~25:59終(twP839/ 841フリーメーソン/ 843来世、調和のとれた全体の一部、ヘルダー、来世の必要を納得させるのは論証じゃない/ 845、参照)
P907一八〇八年、アレクサンドル皇帝とナポレオン皇帝との会見/ 909樫の木/ 911みんな嘘っぱちだよ!/ 913アンドレイ公爵、ロストフ家を訪問、ある少女/ 915アンドレイ公爵、ソーニャとある少女の声を聞く/ 917帰路、樫の木の変貌、人生が三十一歳で終わるわけがない(希望)/ 919
ソ連版『戦争と平和』第二部15:23~20:38P981/ 983/ 985/ 987/ 989/ 991/ 993/ 995/ 997
アンドレイ公爵は皇帝のまえで気おくれを感じている男たちや、踊りに誘われたい思いで胸を焦がしている婦人たちたちを観察していた。
P998ピエールがアンドレイ公爵のそばへよって、その手をにぎった。
「あなたはいつも踊るじゃありませんか。あそこにぼくの<被保護者プロテジェ>がいるのですが、ロストフ家の下のお嬢さんです。踊りに誘ってあげてください」と彼は言った(tw,tw,tw)。
「どこだね?」とボルコンスキイはきいた。「失礼」と彼は男爵のほうを向きながら、言った。「この話しはまた別の機会にゆっくり語り合いましょう、舞踏会には踊らねばなりませんので」彼はピエールに示されたほうへ歩いていった。
絶望にしずみかけ、いまにも気を失いかけたようなナターシャの顔が、アンドレイ公爵の目に映った。彼はすぐにその顔がわかり、その気持ちを察し、彼女がおそらく社交界に出たばかりであることをさとった。
そして窓辺での彼女の会話を思い出しながら、明るい晴れやかな表情でロストフ公爵夫人のまえに歩みよった。
「こちらがうちの娘でございます、どうぞお見知りおきくださいませ」と伯爵夫人は顔を赤らめながら言った。
「もしお嬢さまにご記憶いただけましたなら、わたしはもう拝顔の栄に浴しておりますが」とアンドレイ公爵は傲慢無礼だというペロンスカヤの評とはまるで正反対に、いんぎんに深々と一礼して言うと、ナターシャのまえに歩みより、踊りへの招待の言葉を言いおわらぬうちに、胴へまわすために片手をさしのべた。
彼はワルツを一曲申し込んだ。絶望へ
P999 も歓喜へも変わろうとして、いまにも息がとまりそうになっていたナターシャの顔の表情が、ふいに幸福と感謝にみちた天真爛漫な微笑に輝きわたった。
『もうずっとお待ちしておりましたのよ』このあまりの幸福におののいている少女は、片手をアンドレイ公爵の肩にのせながら、にじみかけた涙のかげからあらわれた微笑でこう語りかけているようであった。
二人は輪の中へすべり出た二番目の組だった。アンドレイ公爵はかつてのもっともすぐれた踊り手の一人だった。ナターシャも踊りの名手だった。繻子の舞踏靴につつまれた彼女の小さな足は、すばやく、軽やかに、彼女とはかかわりなくステップをきざみ、顔は幸福の感動に輝いていた。
彼女のあらわな襟元や腕は細すぎて、ふくよかな美しさはなかった。エレンの肩に比べると、彼女の肩は瘠せていたし、胸の形も、まだついておらず、腕も細かった。
しかしエレンは、数千の視線にこすられてその肌がワニスで艶出しをかけられたようになっていたが、ナターシャは、はじめて素肌をさらし、そうすることが必要なのだと、よくよく言い聞かせられなかったら、恥ずかしさにいたたまれなかったであろうような、処女らしいういういしさがあった。
アンドレイ公爵は踊りが好きだったし、みんながもちかけてくる小むずかしい政治の話から早くまぬがれたいと思い、さらに皇帝の在席のためにかもしだされたこのいまいましい困惑の輪を早くたち切りたいと思って、踊りはじめたのだった。
彼がナターシャを相手に選んだのは、ピエールにすすめられたのと、彼女が彼の目にとまった最初の美しい女性だからだった。ところが、彼がこの細い、敏捷な胴を擁し、彼女が彼のこんなに近くで身を動かし、
P1000こんなに近くから彼にほほえみかけると、とたんに彼女の魅力の美酒が彼の頭を強くうった。彼は息をつぐために彼女をとめ、立ちどまって、踊っている人々をながめはじめたとき、自分が生き生きと若返ったような気がした。
17
アンドレイ公爵の次に、ボリスがナターシャのまえに歩みよって、踊りを申し込んだ。舞踏会の皮切りをつとめたあの踊りの名手の副官も、さらに何人もの若い人たちも申し込み、ナターシャはあまったパートナーをソーニャにゆずり、幸福そうに顔を上気させて、舞踏会が終わるまで休みなしに踊りまくった。
彼女はこの舞踏会で一同の関心をとらえたことに何も気づかなかったし、何も目にはいらなかった。皇帝が長いことフランス大使と話し合われたことも、皇帝がある貴婦人と特にやさしく話しをされたことも、某殿下と某殿下がどんなことをし、どんなことを言ったかも、エレンが大きな成功をおさめて、さるお方から特に深い関心をよせられたことも、彼女はすこしも気づかなかった。
彼女は皇帝の姿さえ目にはいらず、ただ舞踏会がいっそう活気づいたことから、はじめて皇帝がお帰りになられたことに気づいたのだった。夜食のまえに、陽気なコチヨン(訳注 ルイ十四世時代の踊りで、八人で踊るカドリールの一種)の一曲で、アンドレイ公爵はまたナターシャと踊った。
彼は、オトラードノエの並木道ではじめて会ったときのことや、月夜の窓辺で彼女が眠れずに話しているのを偶然に聞いてしまったことなどをP907、ナターシャに語った。
P1001
ナターシャはこの話を聞くと顔を赤らめて、偶然にアンドレイ公爵に盗み聞かされたあの気持ちを何か恥しいことでもあったかのように、弁解につとめた。
アンドレイ公爵は、社交界に育った人が一般にそうであるように、社交界の一般的特徴をもたぬものに社交界で出会うことを好んだ。びっくりしたり、喜んだり、びくびくしたり、それにフランス語の誤りをもふくめて、ナターシャがそうした女性だった。
彼は特にやさしく気をつけて彼女をもてなしたり、話し合ったりした。彼女のそばにすわり、ごく普通のたわいないことを語り合いながら、アンドレイ公爵は、ナターシャの目のうれしそうなきらめきや、語られている言葉にではなく、彼女の心の幸福にかかわりをもつ微笑に見惚れていた。
ナターシャに選ばれて、微笑を浮かべながら立ち上がり、広間を踊りはじめたとき、アンドレイ公爵は特に彼女の恥じらいをふくんだ身体のしなやかさに見惚れた。
コチヨンの中ほどで、ナターシャはひとつのフィギュアを終えて、まだ荒く息をはずませながら、自分の位置へもどってきた。新しいパートナーがまた彼女を誘った。彼女は疲れて、息をきらしていて、ことわろうかと思ったらしかったが、すぐにまた楽しそうに片手を相手の肩にのせて、アンドレイ公爵に微笑を投げた。
『あたし一息ついて、あなたとすわっているほうがうれしいのよ、疲れましたもの。でも、このとおり、選んでいただけたでしょう、うれしいことですわ、幸福ですわ。あたしみんな好きですのよ、あなたもわかってくださいますわね、この気持ち』さらに多くの、
P1002多くのことをこの微笑は語っていた。パートナーから解放されると、ナターシャはフィギュアのために二人の婦人を誘いに、広間を横ぎって走っていった。
『もし彼女が先に従姉のところへ行って、それから別の婦人のほうへ行ったら、彼女はぼくの妻になるだろう』と彼女の姿を見まもりながら、アンドレイ公爵はまったく思いがけなく自分に言った。彼女は先に従姉のそばに走りよった。
『どうかすると、まったくばかげたことが頭に浮かぶことがあるものだ!』とアンドレイ公爵は考えた。『しかし、あの娘はまったく可憐だし、きわだってるから、こうした舞踏会で一カ月も踊らんうちに、お嫁に行くだろうな、それだけは確かだ…まったく珍しい娘だ』ナターシャがうしろへずれた胴のばらを直しながら、彼のそばにすわったとき、アンドレイ公爵はこう思った。
コチヨンの終わり近くにブルーの燕尾服の老伯爵が踊っている二人のそばに歩みよった。彼はアンドレイ公爵を自宅へ招待してのちそばに招いて、楽しいかな、と娘に聞いた。ナターシャはそれに答えないで、『そんなことどうしてきけるのかしら?』となじるような微笑を向けただけだった。
「とってもよ、これまでに一度もなかったくらい!」と彼女は言った。そして父親を抱きしめようとして、彼女の細い腕がすばやく上げられかけて、またすぐにおろされたのを、アンドレイ公爵は見た。
ナターシャは生れてからまだ一度もなかったほどの大きな幸福につつまれていた。彼女は、人間が完全に善良で幸福になり、悪と不幸と悲しみのありうること
P1003 など信じられないような、このうえなく高い幸福な状態にあった。
ピエールはこの舞踏会で、彼の妻が上流社会で占めている地位によって、はじめて自分が辱められていることを感じた。彼がぼんやりと浮かない顔をしていた。額に深い縦じわが刻まれ、彼は窓辺に立って、眼鏡の奥から見ていたが、だれの目にも映らなかった。
ナターシャが夜食の席のほうへ行きかけて、彼のそばを通った。
不幸に沈んだ暗いピエールの顔が彼女を驚かした。ナターシャは彼のまえに立ちどまった。彼女は彼を助けてやりたかった、ありあまる自分の幸福を分けてやりたかった。
「楽しいですわね、伯爵」と彼女は言った。「そうじゃございません?」
ピエールは言われたことの意味が分からないらしく、あいまいに微笑した。
「ええ、とてもうれしいです」と彼は言った。
『どうして何かに不満を感じることなんかできるのかしら?』とナターシャは思った。
『特にベズウーホフさんのような、こんないいお方が?』ナターシャの目には、この舞踏会にいた人々はみな同じように善良な、やさしい、りっぱな、たがいに愛し合っている人々に見えた。だれも相手を侮辱することなんかできるはずがなかった、だからみんな幸福であるべきはずであった。
18
(略)
ソ連版『戦争と平和』第二部01:31:26~37:13(終)P1317 「何かしら?」とナターシャの目がたずねた。
「お聞きしたいのですが、あなたは…」ピエールはアナトーリをどう呼んでいいのかわからなかった、そして彼のことを思うと頭に血がのぼった。「あなたは…あの悪い男を愛していたのですか?
「あのひとを悪い男だなんて言わないでください」とナターシャは言った。「でもあたし、何も、何もわかりません…」彼女はふたたび泣き出した。
するとあわれみと、やさしくつつんでやりたいいとしさが、ますますはげしくピエールをとらえた。彼は眼鏡の下を涙が伝うのを感じて、それを見られたくなかった。
「もう話すのはよしましょう、ね」とピエールは言った。
このやさしい、あたたかい、心のこもった声が、ナターシャにはふいに、まったくふしぎなものに思われた。
「もうよしましょうね、ね、ぼくからすっかり伝えます、でもひとつお願いがあります---ぼくをあなたの親友と思ってください、そしてもし援助が、助言が必要になったら、いや、ただ自分の胸の中をだれかに聞いてもらいたくなったら--いまじゃなく、あなたの胸の中のもやもやがはれてから、---そしたらぼくを思い出してくださいね」彼はナターシャの手をとって、接吻した。「ぼくはどんなに幸福でしょう、もしそういうときが来て…」
「あたしにそんなことをおっしゃらないでください。あたしにはそんな資格がありませんもの!」
P1318と吐きすてるように言って、ナターシャは部屋を出てゆこうとした。しかしピエールはその手をおさえた。彼はもっと何か言わねばならぬことを知っていた。だが、それを言ったとき、彼は自分で自分の言葉に驚いたのだった。
「およしなさい、そんなことを言うのは。あなたの生活これからなのです」と彼はナターシャに言った。
「あたしの? いいえ! あたしにはすべてが破滅してしまいましたわ」と彼女は自分を卑しんで恥ずかしそうに言った。
「すべてが破滅してしまった?」と彼はくりかえした。「もしぼくがこんなぼくではなく、この世でもっとも美しい、もっとも聡明で、もっとりっぱな人間で、そして自由の身だったなら、ぼくはいまこの場にひざまづいて、あなたの手と愛を請うたことでしょう」
ナターシャは、長い苦しい日々ののちはじめて、感謝と感動の涙で頬をぬらした、そしてじっとピエールを見て、部屋を出ていった。
ピエールもそのあとから、喉元に突き上げてくる感動と幸福の涙をおさえながら、ほとんど走るようにして控室へ出た、そして袖を通さぬままに、シューバの胸をかきよせて、橇に乗った。
「今度はどちらにやりますかね?」と御者がきいた。
「どこへ?」とピエールは自分にたずねた。「これからどこへ行かれるというのだ?まさかクラブでもあるまいし、客にも行けまい?」彼がいま経験した感動と愛の感情に比べ
P1319 ると、彼女が最後に涙のかげからじっと彼を見つめた、あのやわらいだ感謝のまなざしに比べると、すべての人々がいかにもみじめで、あわれなものに思われるのだった。
(略)
この空のほぼ中央、プレチステンスキイ並木道の上空に、まわり一面にまきちらされた無数の星屑にとりまかれ、しかしどれよりも地上に近いことと、強い光と、上へ長くひいた尾とで、すべての星を威圧しながら、一八一二年の明るい巨大な彗星がかかっていた。
これはあらゆる恐怖と世の終りを予告すると噂されていたあの彗星だった。しかしきらきら光る尾を長くひいたこの明るい星も、ピエールの胸にすこしの恐怖感も呼びおこさなかった。
それどころか、ピエールは涙にうるんだ目で、喜びに胸をふるわせながら、この明るい星を見上げていた。この星はさながら無限の空間を、放物線を描きながら言葉にあらわせぬほどの速度で飛来し、ふいに地面に突き刺さった矢のように、みずから選んだ黒い空の一点に粘着して停止し、勢いあまって尾をぴんとはね上げ、光を放射しながら、きらめく無数の星のあいだで自分の光をもてあそんでいるかのようだった。
ピエールには、この星が、新しい生活に向かって花を開き、やわらげられて、勇気をとりもどした彼の心の中にあるものに、完全に応えてくれるているように思われたのだった。
(第三巻につづく)
ソ連版『戦争と平和』第三部00:38:59~45:18ボロジノ決戦前夜、ピエール、アンドレイ公爵を訪ねる(tw)P1680/ 1682/ 1684/ 1686
P 1688 われわれは明日の戦いに勝つよ。明日は、どんなことになろうと、われわれは決戦に勝つ!」
「そうですとも、隊長どの、それこそ、まぎれもない現実です」とチモーヒンは言った。
「いまこそ一身を惜しんでなどいられますか! わが大隊の兵士たちは、まさかと思われるかもしれませんが、今日はウォトカを飲むのをやめました。そんなときじゃない、とみんなが言うんです」
短い沈黙がきた。士官たちは立ち上がった。アンドレイ公爵は副官に最後の命令をあたえながら、いっしょに納屋の裏手へ出ていった。士官たちが去ると、ピエールはアンドレイ公爵のそばへ歩み寄って、話をはじめようとした。そのとたんに納屋からあまり遠くない路上に三頭の馬の蹄の音が聞こえた。
アンドレイ公爵はじっとそちらをすかして見た、そしてそれがコサックを従えたヴォリツォーゲンとクラウゼヴィッツ(訳注一七八〇-一ハ三一。プロイセン将軍。一八一二年ロシア軍に勤務、「戦争論」「一八一二年戦史」等の著作あり)であることを知った。
彼らは話をつづけながら、そばを通りすぎていった。そしてピエールとアンドレイ公爵は偶然に次のようなドイツ語の会話を聞いた。
「<戦争は広い地域に移さねばならぬ。この見解をぼくは言葉をきわめて絶賛するね>」と一つの声が言った。「ふん、<広い地域に移さねばならぬ>か」彼らが通りすぎてしまうと、アンドレイ公爵は憎さげに鼻を鳴らしながら、くりかえした。「<広い地域に>の禿山に、ぼくの父も、息子も、妹も取り残されたのさ。あいつらにはそんなことはどうでもいいだろうさ。ぼくがきみに言ったのは、このことさ。あのドイツ人連中は明日の戦闘に勝とうと思わないばかりか、できるだけぶちこわしをやらかそうというわけだ。だってあいつらドイツ人どもの頭の中には、くその役にもたたぬ考察がつまっているだけだし、心の中には、明日に必要なただ一つのものがないからだ。これだけはなくてはならぬただ一つのもの、---それはチモーヒンの内にあるものさ。あのドイツ人どもはヨーロッパを彼にわたし、なおかつわれわれを教えにやってきたのだ---ごりっぱな先生方だよ!」彼の声はまたうわずった。
「<まさに、そのとおりですな>」と別の声が応じた。「<目的は敵の力を弱化させることにあるのだから、個々の兵の損失などに留意すべきではないよ>」
「<そう、そのとおりだ>」とはじめの声が相槌をうった。
「それであなたは、明日の戦闘は勝つとお思いですか?」とピエールは言った。
「うん、そうさ」とアンドレイ公爵は放心したように言った。「ただひとつ、ぼくに権力があったら、これだけはやりたいと思うこと」と彼はまた熱をこめて言いだした。
「それは捕虜をとらぬということだ。捕虜とは何か?それは騎士道精神だ。フランス軍はぼくの屋敷を破壊し、モスクワを破壊しようとしている。ぼくを侮辱し、たえず侮辱をつづけている。やつらはぼくの敵だ。ぼくの考えでは、やつらはみな犯罪者だ。チモーヒンもこう考えてるし、全軍が同じ考えだ。やつらを罰せねばならぬ。もしやつらがぼくの敵とすれば、友にはなりえない。ティルジットでどんなうまいことを言ったとて、むだなことさ」
P1690 「そうですとも、そうですとも、まったくあなたと同意見です!」
モジャイスクの坂道にはじまって、この日一日じゅうピエールを悩ましつづけてきたあの疑問が、いまこそ完全に明らかにされ、すっかり解決されたように思われた。彼はやっとこのこの戦争と明日に迫った決戦のすべての意義とすべての重要性をさとった。
彼がこの日に見たすべてのもの、彼が行きずりに見た人々の顔の意味ありげなきびしい表情が、彼にとっていまや新しい光で照らし出された。彼は愛国心の、物理学で言う潜熱をさとった。
彼がこの日に見たあのすべての人々にはこれがあったのであり、これが、なぜあのすべての人々が軽薄と思われるほどに平気で死に備えていたかを、彼に明らかにしてくれたのである。
「捕虜をとらぬ」とアンドレイ公爵は言葉をつづけた。「この一事が戦争というものの様相を変え、もっと残虐性の少ないものにするだろう。ところがそうじゃないから、われわれは戦争をゲームにしてきた---これがいまわしいのだ。
寛大ぶってみたり、いろんなポーズをつくってみたりしてさ。こんな寛大や感傷は---殺される子牛を見て脳貧血を起こす貴婦人方の寛大や感傷の類いさ。彼女は血を見ることができないほど、心が優しいくさに、その子牛のソース煮に舌鼓をうつのだ。
戦争のルールとか、騎士道精神とか、軍使の待遇とか、敗者には寛大にとか、いろいろと心得を並べられるが、そんなものはたわごとさ。
P1691ぼくは一八〇五年にその騎士道精神と軍使の待遇とやらを見たんだよ。単なる欺し合いさ。他人の家を荒し、贋札をばらまき、しかももっとけしからんのは---子供や父親を殺しておきながら、戦争のルールだとか、敵に対する寛大さだとか、世迷い言を並べてるのだ。捕虜をとらずに、殺すか、死ぬか! ぼくのように、あれだけの苦しみをへて、ここまで達すれば…」
アンドレイ公爵は、スモーレンスクが占領されたように、モスクワが占領されようがされまいが、自分にはどうでもよいことだと思っていたが、ふいにはげしい痙攣が喉にきて、思わず口をつぐんだ。彼は黙って何度か行き来した、が、目には熱病的にぎらぎら光っていた、そしてまた話しだしたとき、唇がわなわなとふるえていた。
「もし戦争に寛大ぶるということがなかったら、われわれは、今度のように、それに値するときだけしか、確実な死におもむくことをしないだろう。そうしたら、バーヴェル・イワーヌイチがミハイル・イワーヌイチを侮辱したなんてばかげた原因で、戦争がおこなわれるようなことはなくなるだろう。
もし戦争が今度のようなものなら、それは戦争と言えるものだ。その場合は軍の強度はいまのようなものではないはずだ。そうしたら、ナポレオンが率いているこれらのウェストファーレン州やヘッセン州のドイツ兵たちは、だれも彼についてロシアに攻めてくるようなことはしなくなるだろうし、われわれだって、自分でも何のためかわからずに、オーストリアやプロイセンに戦いに行くようなことはしないだろう。
P1692 戦争はご愛嬌じゃない、世の中でもっともいまわしいことだ。だからそれを理解して、戦争のゲームなどしないようにせにゃならんのだ。厳粛に、真剣にこの恐ろしい必然を受入れるようにせねばならぬ。
要はここにあるのだ。つまり嘘を退けて、戦争を戦争として受入れる。おもちゃではないのだ。さもないと戦争は---軽薄な閑人どもの好ましい気晴らしになってしまう---軍人階級はもっとも名誉ある階級とされている。
だが、戦争とは何か? 軍事面における成功のためには何が必要か、軍人社会の気質とはどのようなものか? 戦争の目的は---殺人だ、戦争の手段は---スパイ活動、裏切りとその奨励、民家の破壊、住民に対する略奪、あるいは軍の糧秣の徴発、作戦上の詭計と称される虚偽と欺瞞などだ。
軍人社会の気質は---自由の欠如、つまり厳正な規律、無為、無学、残酷、放蕩、飲酒だ。そして、それにもかかわらず---これは万人に尊敬される最高の階級なのだ。
支那の皇帝を除く世界じゅうの皇帝が、軍服を着ている、そして多くの人を殺した者ほど、大きな褒賞があたえられる…明日のように、たがいに殺し合うために集まり、何万という人々を殺し、傷つけ、そのあとで大勢の人々を殺した(しかもその数をさらに水増しして)ことに対する感謝の祈祷をおこない、殺した数が多いほど、それだけ功績も大きいと考えて、勝利を高らかに唱えるのだ。
天上の神はこの光景をどのように見、この喚声をどのように聞くであろうか!」とアンドレイ公爵は細いうわずった声で叫んだ。「ああ、きみ、このごろぼくは生きているのが辛くなった。あまりに多くのことが
P1693わかりかけてきたのだよ。人間は知恵の木から果実を食べすぎると、よくないのだな…まあいいさ、そう長いことじゃない!」と彼は言い足した。「しかし、君は寝たまえ、ぼくもそろそろ横になる時間だ、ゴールキへ行きたまえ」とふいにアンドレイ公爵は言った。
「いや、まだ早いよ!」と驚きと同情の目でアンドレイ公爵を見まもりながら、ピエールは答えた。
「行きたまえ、行きたまえ、決戦の前夜はよく眠ることだ」とアンドレイ公爵は重ねて言った。彼は足早にピエールのそばに寄ると、抱きしめて、接吻した。「さようなら、行きたまえ」と彼は叫ぶように言った。「もう会えるか、どうか…」そして彼は、くるりと背を向けて、納屋のほうへ立ち去った。
もう暗かった。ピエールは、アンドレイ公爵の顔にあった表情がけわしかったか、やさしかった、見分けることができなかった。
ピエールは、彼のあとを追おうか、それとも宿舎へもどろうかと、思い迷いながら、しばらく無言のまま立っていた。『いや、彼はもういいのだ!とピエールは自分でそう決めた、『おれにはわかっている、これが彼との最後の対面になろう』彼は重い溜息をついて、ゴールキへもどっていった。
アンドレイ公爵は納屋へもどると、敷物の上に横になったが、眠れなかった。
彼を目を閉じた。さまざまな面影が浮かんでは消えた。一つの面影に彼は胸のあたたまる
1694 思いで長いこと心をとめた。彼はペテルブルグでのある宵のことをまざまざと思い出した。ナターシャが胸をおどらせ、目を輝かせて、去年の夏、茸とりに行って、大きな森の中で迷ったときの話を、彼に聞かせていた。
彼女は森の奥の様子や、心細かったことや、蜜蜂飼いの男に出会って話をしたことなどを、とりとめもなく語って、たえず途中で話をやめては、アンドレイ公爵がわかるよと言って、慰めても、そして実際に、彼女の言おうとしていることが、すっかりよくわかったが、それでも、『だめだわ、できないわ、あたしうまく言えないんですもの、嘘よ、あなたはお分かりにならないのね』と言うのだった。
ナターシャは自分の言葉に不満だった、---彼女はその日に経験した、そしてそれを言葉で表現したかった、あのおそろしく詩的な感じがうまく出ないことを感じていた。
『それはほんとうにすてきでしたのよ、その爺さん、森の中はこんなに暗くて…そして爺さんにはほんとにやさしそうな…だめだわ、うまく話せないわ』と顔を赤らめて、胸をどきどきさせながら、彼女は言った。アンドレイ公爵は、あのとき彼女の目を見つめながら微笑した、あの同じ幸福な微笑を、いまも浮かべた。
『おれは彼女の気持ちがわかっていたのだ』とアンドレイ公爵は考えた。『わかっていたばかりか、あの心の力を、あの真心を、あのかげりのない心を、肉体の要になっているようなあの心を、彼女の中にあるあの心をおれは愛していたのだ…あれほど強く、あれほど幸福に愛していたのだ…』するとふいに、このような彼の愛が何をもって終わったのかが、思い出された。
『あの男にはこのようなもの何も必要がなかったのだ。あの男はこのようなものはまるで見ていないし、
P1695わかりもしないのだ。彼は彼女にかわいらしい、みずみずしい少女を見ただけで、自分の運命を結びつけてやろうともしなかった。それなのにおれは?…しかも未だにあいつは元気で、のうのうとしているのだ』
アンドレイ公爵は、まるでだれかに火でも押しつけられたように、がばとはね起きて、また納屋のまえをあるきまわりはじめた。
ソ連版『戦争と平和』第三部01:13:21~21:24(終)負傷したアンドレイ公爵の隣には片脚を切断したアナトーリが~P1770 いま片脚を切断されたばかりの、泣きわめいている、弱りはてたあわれな男に、彼はアナトーリ・クラーギンを見たのである。アナトーリは両手をおさえられ、コップで水を飲まされようとしていたが、腫れ上がった唇がひくひくふるえて、コップのヘリをくわえることができなかった。
アナトーリは苦しそうにもだえ泣いていた。『そうだ、これはあの男だ。そうか、この男は何かによって緊密に、不快に、おれと結びつけられているんだな』と目の前のことがまだはっきりとわからずに、アンドレイ公爵はこんなことを考えていた。
『この男とおれの子供のころの、おれの生涯との結びつきは、何だったのだろう?』と彼は自分に問いかけてみたが、答えが見つからなかった。するとふいに、少年のころの清らかな愛の世界から、新しい、思いがける思い出が、アンドレイ公爵のまえによみがえってきた。
彼は、一八一〇年の舞踏会ではじめて見た、あの首も腕も細い、いまにも有頂天になりそうな、びくびくした、幸福そうな顔をしたナターシャの姿を思い出した、すると彼女に対する愛とやさしい思いやりが、これまでのいつよりも生き生きと、強く、彼の心の中に目ざめた。
彼は、ようやく、泣き腫らした目にいっぱい涙をためて、ぼんやりこちらを見ているこの男と、自分とのあいだにあったあの関係を思い出した。アンドレイ公爵はすべてを思い出した、するとこの男に対する胸底からつき上げてくるようなあわれみと愛が、彼の幸福な心をみたした。
アンドレイ公爵はもうこらえきれなくなって、人々に、自分に、そして人々と自分の迷いに、
P1771やさしい愛の涙を注ぎながら、しずかに泣きだした。
『あわれみ、兄弟たちや愛する者たちに対する愛、われわれを憎むものに対する愛、敵に対する愛---そうだ、これは地上に神が説いた愛だ。妹のマリアに教えられたが、理解できなかったあの愛だ。これがわからなかったから、おれは生命が惜しかったのだ。(以下、ナポレオンやボロジノの戦いの評価が描写される)
これこそ、おれが生きていられたら、まだおれの中に残されていたはずなのだが、いまはもうおそい。おれにはそれがわかっている!』
P1772/ 1774/ 1776/ 1778/ 1780
ソ連版『戦争と平和』第四部00:02:28~ボロジノ戦後の軍議、クトゥーゾフ将軍モスクワ撤退を命令P1790/ 1792/ 1794 1796/ 1798/ 1800
「<では、諸君、要するに、こわれたびんの代償はわしが払わにゃならんわけだ>」と彼は言った。そしてゆっくり腰を上げると、彼はテーブルのそばに歩みよった。「諸君、わしは諸君の意見を聞いた。中にはわしに不賛成のお方もあろう。だがわしは(彼はここで言葉を切った)、皇帝陛下と祖国からゆだねられた権限によって、わしは---後退を命ずる」
P1870/ 1872/ 1874/ 1876
ナターシャは箱馬車の中に伯爵夫人と並んですわり、かたわらをゆっくりうしろへ流れてゆく、置き去りにされる、不安におののくモスクワの家々の壁をながめながら、めったに経験したことのないような喜びに胸をおどらせていた。
彼女はときおり窓から顔を出して、後方を見たり、前方に長く連なる負傷者の荷馬車の列をながめたりした。列の先頭のあたりに、彼女はすっかり幌をおろしたアンドレイ公爵の半幌馬車を見た。その中にだれが乗っているのか、彼女は知らなかったが、それを自分たちの一行の目じるしときめて、前方を見るたびにその半幌馬車を目でさがすのだった。彼女はその半幌馬車が先頭であることを知っていた。
(略)
ナターシャが、いきなり喜びと驚きのまじった声を張り上げた。
「あらっ! ママ、ソーニャ、ごらんよ、あれ、あの方よ!」
「ごらん、ほんとよ、ベズウーホフさんよ!」とナターシャは箱馬車の窓から顔を突き出して、御者の長外套を着た背の高いふとった男を見ながら言った。
P1878
箱馬車の窓から突き出されたナターシャの顔には、いたずらっぽい微笑が輝いていた。
「ピョートル・キリールイチ、いらっしゃいよ! あたしたちもう見破りましたのよ! 驚いたわ!」と彼女は手をさしのべながら叫んだ。「どうなさったの? どうしてそんな恰好を?」
ピエールはさしのべられた手をとって、歩きながら(箱馬車が動いていたので)無器用にその手に接吻した。
「まあ、どうなさいましたの、伯爵?」と伯爵夫人が驚きと同情の声で言った。
「はあ? どうって? 理由ですか? それはきかないでください」とピエールは言って、ナターシャを振りかえった。そのきらきら光るうれしそうなまなざしが、まぶしいような魅力を注ぎかけているのを、彼は見なくても感じていたからである。
「まあ、じゃあなたは、モスクワにおのこりになるつもりですの?」
ピエールは、しばらくぼんやりしていた。
「モスクワに?」と彼は問い返すように言った。「ええ、モスクワに。さようなら」
「ああ、あたしも男だったらよかったわ、そしたきっとあなたといっしょにのこったのに。ああ、そしたらどんなにすてきかしら!」とナターシャは言った。「ママ、ねえ、あたしをのこして」ピエールは気もそぞろにナターシャを見た、そして何かを言おうとしたが、伯爵夫人が、それをさえぎった。
「噂に聞きましたけど、戦場においでになったんですってねぇ?」
「ええ、行きました」とピエールは答えた。「明日はまた戦闘があるでしょう…」と彼が言いかけると、ナターシャがさえぎった。
「でも、どうなさいましたの、伯爵?そんな妙な格好をなさって…」
「いや、きかないでください、何もきかないでください、自分でも何もわからないのです。明日…いや、いけない! ではこれで、さようなら」と彼は言った。「恐ろしい時代です!」そう言いのこすと、彼は箱馬車からはなれて、歩道のほうへ歩み寄った。
ナターシャはその後長いこと窓から顔を出して、やさしい、いくらかいたづらっぽい、うれしそうな微笑を浮かべながら、彼を見送っていた。
P1880/ 1882/ 1884
P1885九月一日の深夜、ロシア軍はモスクワを通過してリャザン街道へ後退すべしという、クトゥーゾフ将軍の命令が出された。
P1886
九月二日の朝十時に、ナポレオンはポクロンナヤ丘の上に立って、眼下に開けた光景をながめていた。
P1888/ 1890
P1932
午後三時すぎにミュラーの軍がモスクワに入った。
P1934/ 1936/ 1938/ 1940/ 1942
P1943百姓外套を着こんで(民衆のモスクワ防衛に参加するという、ただそれだけの目的で買ったのだが)、「おのこりになりますの? ああ、なんてすばらしいことなのかしら!」
P1944
とナターシャが言ったとき(P1878_1)、
---そうだ、たといモスクワが占領されても、踏みとどまって、自分の使命を果たすことだ、そしたらどんなにすばらしいことか、という考えがピエールの頭にひらめいた。
その翌日彼は、わが身を惜しまず、ぜったい【彼ら】におくれをとるまいと、ただそれだけを考えて、三つ三関門付近へ出かけていった。しかし、モスクワが防御されぬことを知って、むなしく家へもどると、彼はふいに、これまでは単にその可能性もあるとだけ考えていたことが、これでどうしても決行せねばならぬ不可避なことになった、と感じた。
彼は身分を秘してモスクワにとどまり、ナポレオンの生命をねらわなければならなかった。あるいは自分が倒れるか、あるいは、彼の考えでは、ナポレオン一人のために生じた全ヨーロッパの不幸に終止符を打つかである。
1946/ 1948/ 1950
P1951「突っ込めェ!」とピストルの引金に指をかけながら、酔いどれは叫んだ。フランスの士官はその叫び声のほうを振向いた、その瞬間、ピエールは酔いどれにおどりかかった。ピエールがピストルをつかんで、銃口を上に向けたとたんに、マカール・アレクセーエヴィッチの指は引金を強くおさえた、そして轟然と銃声がひびきわたり、硝煙があたりをおおった。フランスの士官は真蒼になって、玄関のほうへ駆けもどった。
フランス語のわかることを明かすまいという決意を忘れて、ピエールは、ピストルを奪いとり、それを投げ捨てると、仕官のそばへ駆けよって、フランス語で話しかけた。
「<おけがはありませんでしたか?>」と彼は言った。
P1952/ 1954/ 1956/ 1958/ 1960
P1961「<では、皇帝はモスクワに?>」と口ごもって、心にやましいことのあるような顔をして、ピエールは言った。
フランス士官は、ピエールの不安そうな顔を見て失笑した。
「<いや、皇帝の入城は明日です>」と言って、自分の話をつづけた。
P1962/ 1964/ 1966/ 1968
大尉の話を聞きながら、夜おそく、それも微醺をおびたときにはよくあることだが、ピエールは、大尉の語ることを一語もあまさずに聞きとって、それがちゃんと頭にはいっていたし、それと同時に、どういうわけかふいに脳裏に浮かんできた自分の思い出の連なりを追っていた。
これらの愛の話を聞いているうちに、思いがけなく、ナターシャに対する自分の愛が、ふっと思い出された、そして彼は、想像の中でこの愛のさまざまな場面を想い起しながら、ひそかにランバールの恋物語とそれをひきくらべていた。
義務と愛のたたかいの話を聞きながら、ピエールは、スハリョーワ塔の付近での自分の愛の対象との最後のめぐりりいの光景を、ごくこまかいところまでありありと目の前に見ていた。あのときはこのめぐりあいが彼の心を動かさなかったし、これまで一度も思い出したこともなかった(実は思い出しているP1943)。ところがいまは、このめぐりあいが何かきわめて重要な詩的な意味をもっていたように、彼には思われるのだった。
『ピョートル・キリールイチ、いらっしゃいよ、あたしたちもう見破りましたのよ』(P1878_0)とい
P1969う彼女の声が、いま彼の耳に聞こえていたし、目の前に、彼女の目と、微笑と、旅行帽と、こぼれた髪の房が、見えていた…そして、それらすべての中に胸を突きゆるがす感動的な何ものかがあるのが、彼には感じられた。
(略)つづいてピエールは、自分はこの女をほんの少女のころから愛していたが、彼女があまりにも若すぎたし、それに自分は名もない庶子だったので、彼女のことを考えるような大それたことはできなかった、と説明した。
その後、身分と財産を得てからも、彼は彼女を世界じゅうのすべてのものの上におき、何よりも自分自身よりも上において、崇拝していたからだ、と言った。ここまで話すと、ピエールは、これが理解できるか? と大尉に質問を向けた。
大尉は手振りで、理解できなくてもかまわないから、話をつづけてもらいたいということを示した。
P1970 「<プラトニックな愛、まぼろしか…>」と大尉はつぶやいた。ほろ酔いのせいか、胸襟を開きたいという欲求からか、この人間は自分の物語の中の人物を知らないし、知るわけもないという安易巻感からか、あるいはそれらがみな重なり合ってか、ピエールの舌がほぐれた。
そして彼は唇を唾でぬらし、酔いの出た目をどこか遠くへ向けながら、自分の結婚も、自分の親友に対するナターシャの愛と、その裏切りも、彼女に対する自分の巧まざる関係も、いっさいの自分の過去の物語を語った。
ランバールに問われるままに、彼ははじめはかくしていた自分の社会的地位と、自分の姓名まで打明けた。
(略)もう夜もかなり更けてから二人は連れ立って外へ出た。あたたかい、明るい夜だった。家から左の方角にあたって、モスクワで最初に火の手があがったペトロフカの火事が、夜空を明るく染めていた。右のほうの空には細い三日月が高くかかり、それと向かい合う位置に、ピエールの心の中で彼の愛の結びついていたあの彗星が明るい光を放っていた。たがいにわからぬ言葉で話し合う声と笑い声が聞こえた。彼らは都心の方角に見える火事明かりをながめていた。
大きな都会の遠い小さな火事には、すこしの恐ろしい凄味もなかった。
高い星空と、三日月と、彗星と、火事明かりをながめながら、ピエールは喜ばしい感動をおぼえていた。『ああ、じつにいい気持だ、これ以上何が要ろう?』と彼は思った。そのうちに、ふっと自分の計画を思い出すと、彼はくらくらっと眩暈をおぼえ、吐き気がし、倒れまいとして塀によりかかった。
新しい友に別れも告げずに、ピエールはよろよろしながら門をはなれて、自分の部屋にもどると、そのままソファの上に横になり、すぐに眠りに落ちた。
30
九月二日に火の手が上がった最初の火事が夜空を赤く染めるのを、徒歩や馬車で避難してゆく住民たちや後退中の兵士たちが、方々の路上からさまざまな思いでながめていた。
ロストフ家の一行は、その夜モスクワから二十露里はなれたムイチーシチ村に休止していた。一行は九月一日にあんなにおそく出発したし、道路が荷馬車や軍隊でいっぱいになっていたし、そのうえ忘れものが次々と出てきて人を走らせたりしていたので、その夜はモスクワから五露里のところで明かすことにした。
翌朝は起きたのがおそかったし、また道路が混雑してとめられてばかりいたので、大ムイチーシチ村まで着くのがやっとだった。
P1972/ 1974
31
侍僕は、もどって、モスクワが燃えていることを伯爵に告げた。伯爵はガウンをまとって、見に出ていった。まだ着替えをしていなかったソーニャとマダム・ショッスも、伯爵のあとにつづいた(ペーチャはもう家族と同行していなかった。彼はトロイツァへ向かう連隊とともに先に出発していた)。
モスクワが燃えているという知らせを聞くと、伯爵夫人は泣きだした。ナターシャは、
P1975真っ蒼な顔で、目をひたとすえて、聖像の下の腰掛けにすわったきりで(彼女はここに着いたときに、そこにすわったきりそのままの姿勢も変えずにいたのだった)、父の言葉に耳を傾けようともしなかった。彼女は三軒向こうの家から聞こえてくるたえまない副官のうめき声をに耳をすましていた。
「ああ、恐ろしいことだわ!」と凍えとおびえでがくがくふるえながら、庭からもどってくると、ソーニャは言った。「きっと、モスクワがすっかり燃えてしまうわ、空が真っ赤ですもの! ナターシャ、見てごらん、ここの窓から見えるわよ」と彼女は、なんとかしてナターシャの気をまぎらわそうと願うらしく、声をかけた。だがナターシャは、何を言われたのかわからないらしく、ちらとそちらを見たが、また暖炉の角にひたと目をすえた。
ソーニャが、なぜそうしなければならぬと思ったのか、自分でもわからずに、アンドレイ公爵が負傷してこの一行の中にいることを、今朝ナターシャに打明けてしまい、伯爵夫人を驚きと怒りに突きおとしたそのときから、ナターシャは石のように黙りこんでしまったのだった。
伯爵夫人はめったに見せないことだが、血相を変えてソーニャを𠮟りつけた。ソーニャは泣いてゆるしを請い、それから自分の罪の償いをしようとつとめるように、たえずナターシャの機嫌をとっていた。
「ごらんよ、ナターシャ、恐ろしい勢いで燃えてるわよ」とソーニャは言った。
「何が燃えているの?」とナターシャはきいた。「ああ、そうそう、モスクワね」
P1976/ 1978/ 1980
今朝、アンドレイ公爵が負傷して一行の中にいることを聞かされたときから、ナターシャはすでに、彼に会わなければならぬと心に決めていた。どうして会わなければならぬのか、彼女にはわからなかったが、しかしこの対面が苦しいものになることは、わかっていた、だからこそそれが必要なことなのだと、彼女はかたく信じていた。
(略)P1981そのとき燃えつきかけていた蠟燭の茸形の蝋のかたまりがとけおちて、両手を夜具の上に出して横たわっている、いつも見てきたアンドレイ公爵を、彼女ははっきりと見た。
彼はいつもとほとんど変わりがなかった。ただ、熱で燃えるような顔の色と、深い感動をたたえて彼女に注がれているきらきら輝く目と、特にシャツのはだけた襟元から見えてい
P1982 る子供のような弱々しい首が、えも言われぬ清らかな幼な子のような様子を、彼にあたえていた。これは、しかし、彼女がこれまで一度もアンドレイ公爵に見たことのないものだった。
彼女はそばによると、すばやい、しなやかな、若々しい動作でひざまづいた。
彼はしずかに微笑して、手をさしのべた。
32
アンドレイ公爵にとって、ボロジノの戦場の包帯所で意識をとりもどしたときから(P1770)、すでに七日間がすぎていた。この間ずっと彼はほとんど連続的な昏睡状態にあった。
P1984/ 1986/ 1988
『…親しい人間を愛することは人間の愛でできるが、しかし敵を愛することは神の愛をもってしかできぬ。だからこそ、あの男を愛しているのを感じたとき、おれは言い知れぬ喜びをおぼえたのだ。P1771
(略)これは魂の本質なのだ。だが、おれはこれまでの生涯にどれほど多くの人々を憎んできたことか。しかしおれが誰よりも強く愛し、だれよりも強く憎んだのは、彼女だった』
(略)P1989『ああ、もう一度だけ彼女に会うことができたら。一度でいい、あの目を見つめながら、言ってやることができたら…』
(略)P1990
ふっとわれにかえると、ナターシャが、いま啓示を受けたその新しい清らかな愛で、世界じゅうのだれよりも強く愛したいと彼が望んでいた、その生きたナターシャが、彼の前にひざまずいていた。
(略)P1992 その日以来、ロストフ家の一行が旅をつづけているあいだ、どの休憩地でも宿舎でも、ナターシャは重傷のボルコンスキイのそばをはなれなかった、そして軍医は若い娘がこれほど強い気性と、負傷者を看護する巧みな手腕をもっているとは思わなかったと、舌を巻かざるをえなかった。
(略)33
九月三日の朝、ピエールはおそく目をさました。頭がずきずき痛み、服を着たまま寝た
P1993ために、身体が窮屈にしめつけられ、胸には昨夜は何か恥しいことをしてしまったというおぼろげな意識がわだかまっていた。その恥しいというのは、ランバール大尉との昨夜の会話だった。
(以下、ピエールはナポレオン暗殺を決行しようと街に出るが、幼い子を火事場から救い、フランス兵からアルメニア美人を救おうとして殴り合いになり逮捕されてしまう)P1994/ 1996/ 1998/ 2000/ 2002/ 2004/ 2006/ 2008/ 2010
ピエールはまるで酒に酔ったような心地がしていた。自分が救い出した女の子を見ると、彼の昂揚した気分はいっそう燃えたった。
「<あの女がどうしたって?>」と彼は言った。「<おれが火の中から救い出したおれの娘を連れてきてくれたんだよ>」と彼は言ってのけた。「<さようなら>」そして彼は、どうしてこんな無意味な嘘が口をついて出たのか、自分でもわからずに、決然とした誇らしげな足どりで、フランス兵たちのあいだを歩きだした。
このフランス騎兵巡察隊は、デュロネール(訳注 占領下のモスクワ司令官)の命令で略奪兵取締りと、特に、この日フランス軍首脳部のあいだに生じた共通の意見によって火事の原因とされた、放火犯人たちの逮捕のために、モスクワの各方面へ派遣された隊の一つだった。
巡察隊はいくつかの通りをまわり、店員一名、神学生二名、百姓、家敷番各一名の、五名の容疑者と、数名の略奪兵を逮捕した。しかしすべての容疑者の中でピエールがもっとも怪しく思われた。
衛兵本部が設けられているズボフスキイ障壁内の大きな建物の宿営に、一同は連行されたが、ピエールだけは厳重な監視の下に、独房に収容された。
(第四巻につづく)
ソ連版『戦争と平和』第四部00:36;09~ペテルブルグ、アンナ・パーヴロヴナの邸宅P2014 第一部
1
ペテルブルグの上流社会では、首相ルミャンツェフ派、フランス人派、皇太后マリヤ・フョードロヴナ派、皇嗣派、その他諸派のあいだの複雑な争いが、例によって宮廷の雄蜂どもの唸りに押しつつまれながら、かつてないほどの激烈さでおこなわれていた。
(略)P2015八月二十六日のボロジノの会戦の当日、アンナ・パーヴロヴナの邸宅で夜会が開かれた。
(略)P2016その日のペテルブルグのニュースはベズウーホフ伯爵夫人(ピエールの妻エレン)の病気であった/ 2018/ 2020/ 2022ベズウーホフ伯爵夫人急死
(略)P2030
4
ロシアが半分近く侵略され、モスクワの住民たちが遠い諸県へ避難し、義勇軍が相次いで祖国の防衛に立ち上がった時代には、老いも若きもすべてのロシア人が、ひたすら生命を捨てて祖国の救済にあたるか、さもなければ祖国の悲運に涙を注いでいたのだと、当時を生きていなかったわれわれが思うのは当然である。
当時の話や記録は、すべてが例外なく、ロシア人の献身、祖国愛、絶望、悲嘆、英雄的行為ばかりを語っている。しかし、実際にはそうではなかったのである。
われわれにそのように思われるのは、単に、われわれが過去の中からその時代の全体の歴史的関心のみを見て、人々のもっていたあらゆる個人的な、人間的な関心を見ないからにすぎない。
ところが実際には、それらの現実のもろもろの個人的関心は、全体の関心よりもはるかに重要で、そのかげにかくれて全体の関心などはすこしも感じられないし、まったく目につかないほどなのである。
当時の人々の大多数は事態の全般的な推移にはほとんど関心を向けずに、ただ現実の個人的関心にのみ動かされていた。
P2031しかし、こうした人々こそが当時のもっとも有益な動力だったのである。
事態の全般的な推移を理解しようと試み、自己犠牲の精神と英雄的行為をもってそれに参加しようと望んだ人々は、社会のもっとも無益な成員たちだった。彼らはすべてを裏返しに見ていた。
そして利益のためとして彼らがおこなったことはことごとくが、無益な愚行という結果に終わった。ロシアの村々を荒らしたピエールやマモーノフの連隊がそれであり、貴婦人たちがほぐしたが、ひとつも負傷兵のところまでとどかなかった解木綿等々がそれであった。
利口ぶって、やたらと悲憤慷慨するのが好きで、ロシアの現実をの状況の解説を事としていた人々でさえ、心ならずも、あるいは噓や虚構の、あるいはだれの罪でもありえないことの責任を負わされた人々に対する無益な非難や憎悪の、微妙な調子をその言葉の中にこめていた。
もろもろの歴史的事件に見られるもっとも顕著な教訓は知恵の木の実を食べてはならぬということである。無自覚な行動のみが果実をももたらすものであり、歴史的事件において役割を演じている者は、けっしてその意義などに理解していないのである。
もしそれを理解しようなどと試みれば、その無益なことに驚くだけである。
当時ロシアに起こっていた事件の意義も、それに近く参加していた者ほど見えなかった。ペテルブルグや、モスクワを遠く離れた諸県では、貴婦人たちや義勇軍の軍服をまとった男たちが、ロシアと首都の悲運に涙を流し、一身をなげうってなどと勇ましいことを語り合っていたが、モスクワの後方に退った軍の中では、モスクワのことなどほとんど語れも、考えられもせず、その炎上する姿を遠くからながめても、フランス軍に復讐を誓う者など一人もなく、
P2032
みな今度もらう三半期分の俸給とか、次の宿営地とか、酒保の娘マトリョーナのこととか、そうしたたわいもないことばかり考えていた…
ニコライ・ロストフは滅私奉公などという目的はさらになく、たまたま、勤務中に戦争が起こったために、祖国防衛に長期にわたって直接的に参加していたにすぎなかった。だから彼は当時ロシアに起こっていたことを、べつに絶望にとらわれるでもなく、前途を憂慮するでもなく、ただ漫然と眺めていた。
もしもロシアの現状をどう思うかときかれたら、彼は、何にも考えることはない、そのためにクトゥーゾフや首脳部がいるのだ、しかし連隊が補充されると聞いたから、戦争はまだまだつづくにちがいない、そしてこのままゆけばまあ二年もすれば連隊をあずかることになろう、と答えたはずである。
彼はこんなふうに事態を見ていたから、師団の馬匹補充のためにヴォローネジ市へ出張を命じられたとき、間近に迫った決戦に参加できないことに落胆しなかったばかりか、大喜びでその命令を受けたし、またその喜びをかくそうともしなかったのである。その喜びの原因が同僚たちにはわかっていた。
ボロジノ会戦の数日前に、ニコライは調達費と必要書類を受領した、そして軽騎兵を先発させて、駅逓馬車でヴォローネジ市へ出発した。
(略、ニコライのヴォローネジ市での社交、ボルコンスキイ公爵令嬢マリヤとのことなど)P2034/ 2036/ 2038ボルコンスキイ公爵令嬢マリヤ(アンドレイ公爵の妹)/ 2040/ 2042
「じつは、<おばさま>、母がもうまえから、ぼくをお金持ちの娘と結婚させたいと望んででいるのですが、ぼくは、金のために結婚するという考えだけは、どうしてもいやなんです」
P2043「それはそうですとも、わかりますわ」と県知事夫人は言った。
「でも、ボルコンスキイ公爵令嬢だけは、話が別です。だいいち、正直に打明けますが、あのお嬢さんは、ぼくはすっかり気に入っていますし、ぼくの気性にぴったりなのです。それにあのような状態の中で、あんなふしぎな会い方をしてからは、ぼくはときどき、これが運命というものなのだ、と思うようになったのです。県知事夫人は感謝をこめて、彼の肘をにぎりしめた。(略)それに、妹のナターシャが彼女の兄の許嫁になっていたころは、まさか彼女との結婚を考えるなんて、ぼくにはできないことでした。ナターシャの婚約が破談になり、それからいろんなことがあって、…まさに条件がそろったところで、ぼくが彼女に会うような、おそらく定めになっていたのでしょう。まあ、こういうわけです。ぼくはこんなことをだれにも語ったことがありませんし、これからも言いません。あなたにだけです」
(略)P2044/ 2046/ 2048/ 2050/ 2052
ボロジノ会戦と、わが軍の死傷者の恐ろしい知らせと、それよりもさらに恐ろしいモスクワ陥落の知らせが、ヴォローネジにとどいたのは、九月なかばだった。公爵令嬢マリヤが、新聞で兄の負傷を知り、それきりあとは何の消息もないので、アンドレイ公爵をさがしに出かけようとしているということを、ニコライは聞いた(彼は自分では彼女に会っていなかった)。
ロストフは、ボロジノ会戦とモスクワ放棄の知らせを受けると、絶望とか、憎悪とか、復讐とか、そうした類いの気持ちをおぼえたわけではなかったが、にわかにヴォローネジのなにもかもが退屈で、腹だたしくなり、何を見ても妙に気恥ずかしく、気づまりになった。
(略)P2053「ぼくはひとつだけあなたに申上げたかったのですが、お嬢さん」とロストフは言った。
「それは、もしもアンドレイ・ニコラーエヴィチ公爵が生きていらっしゃらないとしたら、連隊長ですから、当然すぐに新聞に発表されたはずだということです」
公爵令嬢は、彼の言葉の意味は分からないながらも、彼の顔にあらわれている悲しげな同情の色をうれしく思いながら、じっと彼を見まもっていた。
P2054/ 2056/ 2058ソーニャからの別れの手紙
(略)P2070
10
九月八日に、捕らえられた者たちが収容されている小屋へ、衛兵たちの緊張しきった態度から見て、きわめて重要な地位にあると思われる士官がはいってきた。司令部付きらしいこの士官は、名簿を手にして、ロシア人全員の点呼をとり、ピエールを<姓名を名乗りたがらぬ男>と呼んだ。
(略、放火犯処刑、ピエールのバラックでの囚人生活など)P2072/ 2074/ 2076/ 2078(放火犯処刑)/ 2080/ 2082/ 2084/ 2086ピエール、バラックに居合わせた囚人(カラターエフ)からジャガイモをもらう/ 2088/ 2090/ 2092/ 2094/ 2096
14
兄がロストフ家の人々といっしょにヤロスラーヴリにいるというニコライからの知らせを受けると、公爵令嬢マリヤは、伯母のとめるのも聞かずに、ただちに出発の準備にかかった。
(略、アンドレイ公爵、みんなに看取られて亡くなるP2123)P2106/ 2108/ 2110/ 2112/ 2114/ 2116/ 2118/ 2120死は--目ざめなのだ/ 2122/ 2124
(略)第二部
1
P2125もろもろの現象の原因の総和は、人間の知恵では把握できない。しかし原因をさぐりだしたいという欲求は人間の心の中にこめられている。そこで人間の知恵は、どのひとつも単独で原因と思われるような、現象の無数の条件の複雑きわまるからみあいを見きわめることをせずに、手近な、しかももっとわかりやすい因子をつかまえて、これが原因だ、と唱えるのである。
歴史上の事件で(ここでは観察の対象は人々の行動であるが)もっとも幼稚な因子は、神々の意志と、もっとも目だつ歴史上の位置に立っている人々、---歴史上の英雄たちの意志である。
しかし、各々の歴史上の事件の本質、つまりその事件に参加した人々の全集団の行動に目を注ぎさえすれば、歴史上の英雄の意志が集団の行動を指導しているのでないばかりか、逆に、常にひきまわされていることがわかるはずである。
歴史上の事件の意義をどのように解釈しようと同じことだ、と思われるかもしれぬ。しかし、西方の諸民族が東方へ行ったのは、ナポレオンがそれを望んだからという人と、そ
P2126
れがおこなわれたのは、おこなわれねばならなぬ必然性があったからだ、と言う人とのあいだにある相違は、
地球は固定していて、もろもろの遊星がそのまわりをまわっているのだと信じた人々と、地球が何によってささえられているのかは知らぬが、地球や他の遊星の運行を支配している法則があることは知っている、と言った人々のあいだにあった相違と等しいのである。
歴史上の事件の原因は、すべての原因の総和である一つの原因以外にはないし、またありえないのである。しかし、事件を支配する法則はある。その法則のある部分はわれわれには不明であるが、ある部分は感知される。
この法則の発見は、われわれが一人の人間の意志の中に原因をさぐることから完全に開放されるときにのみ可能であり、それは遊星運行の法則の発見が、人々が地球は動かないという観念からはなれたときにはじめて可能となったのと同じことである。
ボロジノ会戦、敵軍によるモスクワ占領、そしてモスクワ炎上とつづいたあとの、一八一二年の戦役のもっとも重要な事件と歴史家たちが認めているのは、リャザン街道からカルーガ街道へ、さらにタルーチノ陣地へのロシア軍の転進---クラースナヤ・バフラ背面の側面行軍と世に言われている作戦である。
歴史家たちはこの偉業の栄誉をさまざまな人物にになわせ、本来、これがだれの計画になるものか、議論がわかれている。外国の歴史家たちや、フランスの歴史家たちでさえ、この側面行軍を語りながら、ロシアの司令官たちのすぐれた才能を認めている。しかしなぜに軍事評論家たち、またそれにつづいて
P2127あらゆる人たちが、この側面行軍がある人物のきわめて深い策謀から生まれた、ロシアを救い、ナポレオンを破滅させた作戦であると考えるのか、---まったく理解に苦しむところである。
(以下、これに関する考察)P2128/ 2130/ 2132/ 2134/ 2136/ 2138/ 2140/ 2142
(クトゥーゾフ将軍、講和に応じず、ナポレオン撤退、tw,tw)P2190
15
十月の初旬に、またナポレオンの新書と講和の提案を携えた軍吏が、クトゥーゾフの総司令部に到着した。この親書にはモスクワよりと偽りの表記がなされていたが、そのころはナポレオンはクトゥーゾフのの正面に近い旧カルーガ街道まで進出していたのである。クトゥーゾフはその親書に対して、ロリストンが持参した最初の親書にあたえたと同じ返答をあたえた。講和など論外である、と彼は言った。
その後まもなく、タルチーノの左翼方面で行動していたドーロホフのパルチザン部隊から、フォミンスコエに敵軍があらわれたが、これはブルシエの師団であり、他の諸部隊からはなれて単独行動をとっているので、殲滅は容易である、という連絡がはいった。兵士たちや士官たちはまた出撃を要求した。司令部の将軍たちは、タルーチノ付近の安易な勝
P2192
利の生々しい記憶にそそのかされて、ドーロホフの進言の実行をクトゥーゾフに迫った。クトゥーゾフはいかなる攻撃も必要と認めなかった。当然の策として、中がとられた。フォミンスコエに小部隊が派遣され、ブルシエ軍に突撃を敢行させることになった。
妙な偶然からこの使命が、---これがじつはもっとも困難で、もっとも重要なものであったことが、あとでわかったのだが、---ドーフトゥロフにあたえられた。
このドーフトゥロフというのは、小柄な、きわめて謙虚な男で、どこそこの会戦の作戦計画の立案者であるとか、連隊の先頭に立って馬をとばしたとか、十字章を砲に投げつけたとかいうようなはなばなしいことは、だれにも書きのこされていないし、決断力に乏しく、明敏さに欠けると、一般に考えられ、言われていたが、アウステルリッツから一八一三年にいたる、フランスとの戦争の全時期を通じて、状況が困難なところにくると、かならず指揮官としての彼の姿を、われわれは見いだすのである。
アウステルリッツで彼はアウゲスト堤に最後まで踏みとどまり、みな逃げるか死ぬかして、後方部隊に一人の将軍もいないという状況の中で、連隊を集め、数えるかぎりのものを救ったのである。また彼は、熱病の身をもかえりみず、二万の兵を率いてスモーレンスクへおもむき、全ナポレオン軍を相手にして都市防衛にあたったのである。
スモーレンスクで、マラホフスキイ城門で熱病の発作のためにとろとろとしかけたとたんに、敵の一斉砲撃に起され、そしてスモーレンスクをまる一日守りぬいたのである。ボロジノ会戦で、バグラチオン公爵が戦死し、わが左翼軍が九人に一人の割で殺され、フランス砲兵隊の全力がそこに集中されたとき、---そこに
P2193急派されたのが、ほかならぬ、決断力に乏しく明敏さに欠けるドーフトゥロフその人であり、クトゥーゾフが他のものを救援に向けかけて、あわててその誤りを訂正したのであった。
そして小男のおとなしいドーフトゥロフが左翼軍陣地へ駆けつけ、そしてボロジノは---ロシア軍の最高の栄誉となったのである。しかるに、多くの英雄たちが詩に、散文に讃えられているが、ドーフトゥロフについてはほとんど一言も書かれていない。
またしてもドーフトゥロフはそのフォミンスコエに派遣され、そこからさらに小ヤロスラーヴェツへ進まされた。この地こそフランス軍と最後の決戦がおこなわれたところであり、明らかに、フランス軍の滅亡がここからはじまったのである、そしてまたしてもこの時期の知将や英雄たちが大勢書きたてられているが、ドーフトゥロフのことはほとんど書かれていない、いや、ほんのちらと述べられているが、疑わしげにである。ドーフトゥロフについてのこの黙殺こそが、何よりも明らかに彼の価値を証明しているのである。
機械の作動のわからぬ人間が、その活動しているところを見て、その機械のもっとも重要な部分は、たまたまその中に巻きこまれて、その動きをさまたげながら、こまかくふるえている木片であると思うのは、無理もないことである。
機械の構造を知らぬ人間は、動きを妨害しているこの木片ではなく、音もなく回転している小さな伝導歯車が、機械の中枢部の一つであることが、理解できないのである。
十月十日、つまりドーフトゥロフがフォミンスコエまでの行程のなかばまで来て、あた
2194/ 2196/ 2198
P2199 17
クトゥーゾフは、老人はみなそうだが、夜はよく眠れなかった。彼は昼間はよく思いがけぬときに居眠りすることがあったが、夜は、服のまま寝台の上に横になり、たいていは眠られずに、考え事をしていた。
彼はいまも寝台の上に横になり、醜くたるんだ重い大きな頭をぶよぶよの腕にのせて、ひとつしかない目で闇を凝視しながら、考えていた。
皇帝と私信を交わしており、司令部内でもっとも力をもっているベニグセンが、クトゥーゾフ
P2200 をさけるようになってから、クトゥーゾフは、無益な攻撃行動への参加を強いられないという点では、むしろまえよりも安心していた。クトゥーゾフの記憶に苦々しい跡をのこしたタルーチノの戦闘とその前日の教訓も、彼らに反省させぬはずがない、彼はそう思っていた。
『われわれが攻撃に出れば、損をするだけだということが、彼らにもわかるはずだ。忍耐と時間、これがわしの軍神なのだ!』とクトゥーゾフは考えた。りんごは熟するまで、もぐ必要がないことを、彼は知っていた。りんごは、熟すれば、ひとりでに落ちる。
青いうちにもげば、実も木も害い、自分も酸っぱさに歯をうかせるだけだ。彼は、老練な猟師のように、野獣が傷ついたこと、それはロシアの総力があたえうるかぎりの傷であることを知っていたが、それが致命傷か否か、これはまだ確認されぬ問題であった。
いまは、ロリストンとベルテレミと再度の軍使派遣と、パルチザン部隊からの報告によって、野獣の傷が致命傷であることを、クトゥーゾフはおおむね知っていた。だが、もっとその確証が必要であった。それを待たなければならなかった。
『彼らは、どんな傷を負わせたか、見に行きたくてうずうずしとる。待つことだ、いまにわかる。やれ作戦だ、やれ攻撃だと!』と彼は考えた。
『何のために? みな手柄をたてたいのだ。まるで戦うことに、何か楽しいことでもあるかみたいに。彼らはまるで子供だ、何がどうなっているかなど、まるでわかりゃしない、だからみんな戦いのうまさを、人前
P2201に見せたがるのだ。いまはそんなことは問題じゃないのに』
『しかしだれも彼も、急にうまい作戦を進言してくれるものよ!二つか三つかの偶然の事態を考案すると、それで作戦のすべてができたと思ってしまうのだ(彼はペテルブルグからの総合作戦計画を思い出した)。そんな偶然は数限りなくあるというのに!』
ボロジノであたえた傷が致命傷であったか否か、という未解決の問題が、すでに一月クトゥーゾフの頭の上に垂れ下がっていた。一面から見れば、フランス軍がモスクワを占領した。しかしその反面、クトゥーゾフは、自分がすべてのロシア人たちとともに全力を出しつくした、あの恐ろしい一撃が、致命傷をあたえぬわけがないことを、その全存在で確実に感じていた。
しかし、何といっても確証が必要だった。そして彼はそれをすでに一月も待っていた、そして日がたつにつれて、彼はますますあせりをおぼえてきた。寝台の上に横たわりながら、眠られぬ夜、彼は、若い将軍たちと同じことを、そのようなことはしてはならぬと日ごろ彼らをたしなめていたその同じことを、自分もしていた。彼は若い将軍たちと同じように、可能なかぎりあらゆる偶然を考えてみた、ただちがうところは、それらの仮定の上に何も築かなかったことと、二つや三つの偶然をではなく、何千というそれを見ていたことであった。
考えを進めるにつれて、それはますます多く見えてくるばかりだった。彼はナポレオン軍の、全軍の、あるいは一部のあらゆる働きを考えた---ペテルブルグへの動きも、彼に向かってくる動きも、彼を包囲しようとする動きも考えてみたし、彼がもっとも恐れていた偶然、つまりナポレオンも彼の戦法をそっくり盗んで、モス
P2202
クワにとどまり、こちらの出方を待つのではないか、ということも考えてみた。クトゥーゾフはメドゥイニ(訳注 カルーガ県の都市)とユフノフ(訳注 スモーレンスク県の都市)へのナポレオン軍の後退をさえ考えてみた。
しかし、彼が予想できなかったことが、一つだけあった。それは実際におこなわれたこと、つまりモスクワを出てから最初の十一日間のナポレオン軍の、最後のあがきにも似た、狂気の疾走だった。子の疾走が、そのころはまだクトゥーゾフもさすがに思いおよばなかったこと、すなわちフランス軍の壊滅を、可能にしてくれたのである。
ブルシエ師団についてのドーロホフの報告、ナポレオン軍の悲惨さについてのパルチザンたちからの情報、モスクワを出る準備をしているという噂---こうしたすべてが、フランス軍の傷が深く、逃走を企てている予想を裏づけていた。しかしこれは予想にすぎず、若い将校たちは重大なものに思われても、クトゥーゾフを納得させるものではなかった。
彼は六十年にわたる体験から、噂というものにどの程度の比重をおくべきかを心得ていたし、人間が何かを強く望んでいると、その望みを裏づけるかのように、あらゆる情報を整理しがちで、その場合それに矛盾するような情報は好んで見落としたがるものだということを、承知していたのである。
だからクトゥーゾフは、それを強く望めば望むほど、軽々しくそれを信じることをいよいよ自分に許さなかった(tw,tw,tw,tw)。
この問題が彼の精神力のすべてをのみつくしていたのである。他のいっさいのことが彼には生活の習慣的な実行にすぎなかった。司令部の将軍たちとの会話も、タルーチノからスタール夫人(tw)(訳注 フランスの女流文学者)(相互参照)に書き送った手紙も、小説を読むことも、
P2203褒賞も授与も、ペテルブルグとの交信も、その他もろもろのことも、このような習慣的な生活の実行と生活への服従であった。しかし、彼一人だけが予見していたフランス軍の壊滅、それは彼の心のすべてをとらえていたただ一つの渇望だったのである。
十月十一日の夜更け、彼は横たわり、肘枕をして、このことを考えていた。
隣室に人の動く気配がして、トーリとコノヴニーツィンとボルホヴィチノフの足音が聞こえた。
「おい、だれだ? はいりたまえ、さあ! 何か変わったことか?」と元帥は彼らに声をかけた。
従卒が蝋燭をともすあいだに、トーリは報告の内容を伝えた。
「だれが持ってきたのか?」蝋燭がともったとき、トーリをどきりとさせたほどの冷たいきびしい顔で、クトゥーゾフはたずねた。
「疑う余地はないと思います、閣下」
「呼んでくれ、その者をここへ!」
クトゥーゾフは片足を床へ垂らし、折り曲げた別な足にふとった腹をのせて、すわっていた。彼は、急死の顔にその心の中にあるものを読みとろうとするように、よく見きわめるために、鋭い目を細めた。
「話したまえ、さ、きみ」と彼ははだけたシャツの胸元を合わせながら、しずかな老人く
P2204
さい声でボルホヴィチノフに言った。「さあ、もっと近くへ寄って。どんな知らせをもってきたのかな? あ? ナポレオンがモスクワを出たのか? それはほんとうか? あ?」
ボルホヴィチノフはまず命じられてきたことをすっかり詳細に報告した。
「話したまえ、早く話したまえ、気をもませるものじゃない」とクトゥーゾフはそれをさえぎった。
ボルホヴィチノフはすべてを語り終えると、沈黙して、命令を待った。トーリが何か言いだしかけると、クトゥーゾフはそれをさえぎった。彼は何か言おうとしたが、ふいに目が細くなり、顔がしわくちゃになった。
彼は、トーリに片手を振ると、顔をそむけ、たくさんの聖像が飾られているために黒っぽく見える奥の正面に向きなおった。
「主よ、われらの神よ! よくぞわれらの祈りを聞きとどけてくださりました…」と彼は合掌し、ふるえる声で言った。「ロシアは救われました。感謝いたしますぞ、主よ!」そして彼は泣きだした。
18
フランス軍がモスクワを出たという知らせを受けたときから、戦争の終結にいたるまでの、クトゥーゾフの全活動は、その権力と、狡知と、懇願によって、無益な攻撃や、作戦や、
P2205滅亡の道をたどる敵との衝突から、自分の軍をおさえること二のみ向けられている。ドーフトゥロフは小ヤロスラーヴェツに進んだが、クトゥーゾフは全軍をなかなか動かさずに、カルーガ県からの撤退を命じている。その後方へ退くことが彼にはきわめて当然なことに思われたのである。
クトゥーゾフはいたるところで後退するが、適は、その後退を待たずに、反対の方向へ逃げてゆくのである。
ナポレオン研究の歴史家たちは、タルーチノと小ヤロスラーヴェツにおける彼の巧妙な作戦を叙述し、もしナポレオンが豊かな南方の諸県に侵入することができたとしたら、どうなっていただろう、という仮定を出している。
しかし、ナポレオンが南方の諸県へおもむくことをさまたげる何ものもなかった(ロシア軍は常に彼に道をあけていたからである)ことは、しばらくおくとして、歴史家たちは、ナポレオン軍は当時すでにその内部に滅亡の不可避的な原因をもっていたがために、何ものをもってしても救われえなかったのだということを、忘れている。
モスクワで豊富な食糧を見つけながら、それを保存することができずに、踏みにじってしまったような軍、スモーレンスクにはいって、糧秣を買い集めることをせずに、略奪をほしいままにしたような軍、こんな軍が、モスクワと同じように、火のついたものはすっかり焼いてしまうという性分のロシア人たちが住んでいるカルーガ県で、どうしてまともな軍にもどれるはずがあったか?
(略)P2212
第三部
1
ボロジノ会戦、それにつづくモスクワ占領、そして新たな戦闘もなくフランス軍の退却、これは歴史上のもっとも教訓的な現象の一つである。
諸国家と諸民族の対外的活動が、その相互間の衝突において、戦争という形であらわれるということ、そして戦争の成功が大きいか小さいかの直接的な結果として、国家との民族の政治的な力が大きくなもなり、小さくもなるということは、すべての歴史家たちの一致した見解である。
どのようにして、ある王があるいは皇帝が、他の王あるいは皇帝と不和になり、軍隊を招集し、敵の軍隊と戦い、勝利をおさめ、三千、五千、一万の人間を殺し、その結果その国家と数百万の全民族を征服したかという事件の歴史的記述が、どれほど奇妙であっても、何故に全民族の力の百分の一ほどの一つの軍の敗北が、全民族を屈服させたのかということが、どれほど不可解であっても、---歴史上のすべての事実が(われわれの知るかぎり)、
P2213一民族の軍隊の他民族の軍隊に対する成功が大きいか、小さかが、その民族の力が大きくなるか、小さくなるかの原因か、あるいはすくなくとも重要な兆しであることを、確認している。
軍が勝利を得れば、ただちに敗れた民族の損失において買った民族の権利は増大し、軍が敗北を喫すれば、たちまち敗北の程度にしたがってその民族は権利を失い、自国の軍が完全に敗れた場合は、その民族は完全に征服されるのである。
歴史の示すところによれば、古代から現代にいたるまでそうであった。ナポレオンのおこなったすべての戦争がこの法則の証明となっている。オーストリア軍の敗北の程度にしたがって、オーストリアはその権利を失い、フランスの権利と力が増大している。
イエナとアウエルシュテット付近におけるフランス軍の勝利は、プロイセンの自主独立を葬り去っている。
ところが意外にも、一八一二年にフランス軍がモスクワ付近で勝利をおさめ、モスクワは占領された、そしてそれにつづいて、新たな戦闘がおこなわれたわけでもないのに、消滅したのはロシアではなく、六十万の軍と、それにつづいてナポレオンのフランスなのである。
この事実に歴史の法則を無理に着せて、ボロジノで戦場はロシア軍の手に帰したのであり、モスクワののちにナポレオン軍を壊滅させた闘争があったのだと言うことは、---不可能である。
フランス軍のボロジノの勝利ののち、大会戦はおろか、いくらかでも目ぼしい戦闘は一度もおこなわれなかった。それなのにフランス軍は消滅したのである。これは何を意味するのか?
P2214
もしこれが支那の歴史からの例であったら、この現象は歴史的なものではない、とわれわれは言うことができたかもしれぬ(自分の尺度に合わぬものにぶつかったときの、歴史家たちの逃げ口上である)。
もしこの事件が小部隊による短時間の衝突というようなものであったら、われわれはこの現象を例外ととることができたかもしれぬ。ところがこの事件は、われわれの父たちの目の前でおこなわれ、父たちにすれば祖国の存亡を決する大事件だったのであり、しかもこの戦争は史上有名なすべての戦争の中の最大なものであった…
一八一二年の戦争のボロジノ会戦からフランス軍壊滅にいたる時期は、戦場の勝利は征服の原因でないばかりか、征服の不変の指標ですらない、ということを立証した。民族の運命を決定する力は、侵略者にあるのではなく、軍と戦闘にすらあるのではなく、何か別なものにあることを証明したのである。
フランスの歴史家たちは、モスクワを出るまえのフランス軍の状態を描きながら、偉大な軍はすべてが厳正な規律の下におかれており、ただ騎兵と砲兵と輜重だけは例外で、それも馬と有角家畜の飼料がなかったためだ、と断言している。
周辺の百姓たちがそおの乾草を焼き、フランス兵たちにわたさなかったので、この困窮はいかにしても救うことができなかった、というのである。
戦場の勝利が通例の結果をもたらさなかったのは、フランス軍が去ったあとで略奪品の
P2215落ちこぼれを拾いに荷馬車を引いてモスクワに繰出してきて、だいたい英雄的感情などというものには縁のない、百姓のカルプやウラスなどという連中や、こうした類いの数知れぬ百姓たちが、高い値段を約束されたのに乾草をモスクワに運んでこないで、それを焼いてしまったためだ、というのである。
フェンシングの規則にしたがって、剣を持って決闘にのぞんだ二人の男を想像しよう。
(略)規則による決闘を要求した剣士は、フランス軍であり、剣を捨てて、棍棒を振上げた相手は、ロシア軍である。フェンシングの規定の中ですべてを説明しようとする人々が、---この事件を書いた歴史家たちである。
スモーレンスクが焼けたときから、これまでの戦争のいかなる伝統にも従わぬ戦争がはじまったのである。都市や村落を焼き払い、戦闘後の退却、ボロジノの激突、そしてまた
P2216
退却、モスクワの炎上、略奪兵たちの逮捕、輸送物資の横取り、パルチザン戦法---こうしたことはみな規則からの逸脱であった。
ナポレオンはそれを感じていた、そしてフェンシングの正しい姿勢をとってモスクワにとどまり、自分の頭の上に相手の剣のかわりに棍棒が振上げられたのを見た、そのとき以来、彼は、戦争がすべての規則に反しておこなわれていると(人を殺すための何かの規則が存在するかのように)、たえずクトゥーゾフとアレクサンドル皇帝に苦情を訴えつづけた。
規則違反についてのフランス側の苦情申立てがつづき、またロシアの上流人士たちにも棍棒で戦うことが何か恥しいことに思われて、既定にしたがって<第四>か、<第三>の姿勢をとり、相手の<第一>姿勢に巧みな突きを入れたいという思いはあったが、
そうしたことはいっさいかかわりなく、民衆の戦いという棍棒がそのあらん限りの恐ろしい壮大な力で振上げられ、だれの好みも規則も問わずに、愚かしいほど単純に、しかし適宜に、相手の見境なく、ロシアの国土から完全に追い払うまで、フランス軍の上に容赦なく振下ろされたのである。
一八一三年のフランス人たちのように、フェンシングの規則にしたがって一礼し、剣を逆さに持ちかえて、優雅な身振りで恭しくそれを寛大な勝者にわたすようなことをしなかった、わが民族に幸いあれ。
試練のときに、規定によればこのような場合、他の人々はどうするかなどと問いもせずに、あっさりと気軽に手に触れた棍棒をにぎり、その心の中の屈辱と復讐の念が軽蔑とあわれみに変わるまで、容赦なくなぐりつづける、そのような民族に幸いあれ。
2
(略)P2218/ 2220
フランス軍は、一八一二年の退却に際して、戦術上の法則によれば、分散して追撃をかわさなければならぬはずであるが、反対にかたまりあっている。軍の士気がすっかり消沈して、集団にかたまることのみが軍をつなぎとめていたからである。
ロシア軍は、反対に、戦術上の法則によれば結集して攻撃しなければならぬはずであったが、実際には分散して攻撃している。士気がきわめて昂揚して、各人が命令を待たずにフランス部隊に突入し、困難と危険に挺身するのに強制を必要としなかったからである。
3
P2221いわゆるパルチザン戦は敵のスモーレンスク侵入とともにはじまった。
(略)P2222/ 2224/ 2226/ 2228
P2229「ロストフ! ペーチャ!」そのとき、手紙にざっと目を通したデニーソフが、びっくりして叫んだ。「おい、どうしてそれを先に言わなかったんだ?」そしてデニーソフは顔じゅうを笑いにして、そちらを向くと、士官に手を差出した。
その士官はペーチャ・ロストフだった。
(以下、パルチザン部隊でのペーチャの働きが描かれる)P2230/ 2232/ 2234/ 2236/ 2238/ 2240/ 2242/ 2244/ 2246ペーチャ、フランスの少年兵/ 2248/ 2250/ 2252/ 2254/ 2256/ 2258/ 2260/ 2262/ 2264/ 2266/ 2268ペーチャの死/ 2270ピエール解放、捕虜を連れてのフランス軍一行の退却の様子/ 2272/ 2274/ 2276/ 2278/ 2280カラターエフはその善良そうなまるい目でピエールを見た/ 2282カラターエフの死、生命がすべてだ、地球儀/ 2284/ 2286
P2287デニーソフは、庭に掘った穴のところへペーチャ・ロストフの死体を運んでゆくコサックたちのあとから、帽子を手にもち、暗い顔をして歩いていた。
16
酷寒がはじまった十月二十八日から、フランス軍の退却は、兵たちは凍傷にかかり、焚火で焼け死ぬ、皇帝や王や大公たちは、毛皮外套で着ぶくれ、略奪品に埋まって寒い箱馬車を走らせるという有様で、ますますその悲劇的な性格を強めるにいたった。
しかし本質的には、フランス軍の退却と分解の過程は、モスクワを出たときからすこしも変っていなかった。
モスクワからヴァージマまでのあいだに、近衛師団は数えずに(これは戦争の全期を通じて、略奪以外の何もしなかったのである)、七万三千のフランス軍のうち、のこったのはわずか三万六千であった(このうち戦闘で失われたのはせいぜい五千である)。
これが級数の第一項で、これによって後続の数は数学的に正確に決定されるのである。
フランス軍は、寒気の強弱や、追撃や、退路遮断や、その他個々に取上げられたあらゆ
P2288
る条件にかかわりなく、モスクワからヴャージマ、ヴャージマからスモーレンスク、スモーレンスクからベレジナ、ベレジナからヴィルナと、この同一の比率で減少し、消滅していったのである。
ヴャージマからフランス軍はそれまでの三つの軍団が一つの集団にかたまり、そのまま最後まで退却をつづけた。ベルチエは皇帝に次のように書いている(司令官たちが軍の状態をいかに真実を糊塗して書くものであるかは、周知のことである)。彼はこう書いている。
(以下、彼の報告書、そして悲劇のフランス軍退却劇)P2290/ 2292
P2293そして、最後に、偉大な皇帝が勇敢な軍を見すてて逃走したことが、歴史家たちによって何か偉大な天才的なことであるかのうように語られている。人間の言葉では最低な卑怯な行為とされ、どの子供にも恥ずべきこととして教えられている、この最後の逃亡行為さえ
P2294
も、歴史家たちの言葉にかかると正当化されるのである。
歴史的考察のさしもの強靭なゴム紐ももはやこれ以上伸ばすことが不可能になり、事実がすでに、全人類が善と称しているものや、正義と呼んでいるものにまで、明らかに撞着するようになると、歴史家には偉大さという救いの観念があらわれる。
偉大さは善悪の尺度の可能性を除去してくれるかのようである。偉大な人間には---悪というものはない。いかなる悪逆非道も、偉大な人間の罪に帰することはできないのである。
『<これは偉大である!>』と歴史家たちは言う、すると、もはや善も悪もなく、『偉大なもの』と『偉大でないもの』があるだけである。偉大なものは---善であり、偉大でないものは--悪である。
偉大さとは、彼らの観念によれば、英雄と呼ばれるあの特殊な存在の特性である。だからナポレオンは、あたたかい毛皮外套にくるまって、破滅に瀕している仲間たちばかりか、自分がここへ連れてきた(と思いこんでいる)人々までもほったらかして、家へ逃げていきながら、<これが偉大なことなのだ>と感じて、平然としているのである。
『<崇高と滑稽のあいだはわずかに一歩あるのみだ>』と彼は言う。彼は自分の中に何か崇高なものがあると思いこんでいたのである。そして全世界が五十年もこうくりかえしてきた。
『<崇高だ! 偉大だ! ナポレオンは偉大だ! 崇高と滑稽のあいだはわずかに一歩しかないのだ>』
そして、善悪の尺度でははかれぬ偉大さというものを認めることは、自分の無価値と、
P2295限りない小ささを認めることにすぎぬことに、だれも気づかないのである。
キリストによって善悪の尺度をあたえられているわれわれにとっては、はかれぬものは何もない。そして正直と、善と、真実のないところに、偉大さはないのである。
19
ロシア人の中に、一八一二年の戦争の最後の時期の記述を読んで、怒りと不満と疑惑の重い気分にとらわれなかった者が、果たしてあろうか? わが方の三つの軍団が優勢な数で包囲し、算を乱したフランス軍が、飢えと寒さに苦しみながら、群れをなして投降し、しかもロシア軍の目的が(歴史がわれわれに語るところによれば)まさに敵の退路を絶ち、分断し、全フランス軍を捕虜にすることにあったのに、何故フランス軍を一人もあなさずに捕捉し、殲滅しなかったのか、という疑問を感じなかった者があろうか?
何故に、数のうえでフランス軍に劣りながら、ボロジノで堂々と戦った、その同じロシア軍が、三方からフランス軍を包囲し、捕捉殲滅を目的としながら、それを達成しなかったのか? わが方が優勢な数で包囲しながら、なおかつ撃つことができなかったような、わが軍にははなはだしく優越する何ものかが、果たしてフランス軍にあったのか? どうしてこんなことが起こりえたのか?
歴史は(この言葉で呼ばれているもののことだが)、こうした疑問に答えながら、その
P2296
ようなことが起こったのは、クトゥーゾフが、トルマーソフが、チチャゴフが、何某が、何某が、これこれやこれこれの機動作戦をおこなわなかったからだ、と語っている。
しかし何故彼らはそれらすべての作戦をおこなわなかったのか? 所期の目的が達成されなかったことが、彼らの責任だったとしたら、何故に彼らは裁かれ、処罰されなかったのか? しかし、ロシア軍の失敗の責任がクトゥーゾフ、チチャゴフその他の人々にあったと、たとい認めたにしても、それでも、クラースノエとベレジナ付近でロシア軍がおかれたもろもろの条件のもとで(いずれの場合もロシア軍の兵力が優勢であった)、何故に、それを目的にしていながら、元帥や王や皇帝もろともフランス軍を捕虜にすることができなかったのか、やはり不可解である。
この奇妙な現象の説明として、クトゥーゾフが攻撃をさまたげたことをあげることは(これはロシアの戦史研究家たちの意見であるが)、論拠が薄弱である。何故なら、クトゥーゾフの意志がヴァージマとタルーチノで軍の攻撃を抑止できなかったことは、われわれの知るところだからである。
何故に、ボロジノにおいてきわめて手薄な兵力で完全編成の敵に勝利を得た、その同じロシア軍が、クラースノエとベレジナにおいて優勢な力をもちながら、烏合の衆と化したフランス兵の群れに敗れたのか?
もしもロシア軍の目的が、フランス軍の退路を絶ち、ナポレオンと元帥たちを捕虜にすることにあって、この目的が達成されなかったばかりか、この目的達成のすべての試みが
P2297きわめて不様につぶされたとすれば、この戦争の最後の時期がフランスの史家たちによって勝利につぐ勝利と考えられているのはまったく正しく、ロシアの史家たちが勝利と認めるのは完全な誤りである。
ロシアの戦史研究家たちは、論理に拘束されるかぎり、心ならずもこの結論に帰着し、英雄的行為や忠誠などをいかに高らかに賛美しても、フランス軍のモスクワからの退却がナポレオンの一連の勝利であり、クトゥーゾフの敗北であることを、不本意ながら認めざるをえないのである。
しかし、民族的自尊心をまったく考慮しないとしても、この結論はそれ自体が矛盾をふくんでいることが感じられる。何故なら、フランス軍の一連の勝利がフランス軍を完全な壊滅にみちびいたのに反して、ロシア軍の一連の敗北が敵を撃滅し、ロシアの国土から完全に駆逐するという結果をもたらしたからである。
この矛盾の根源は、皇帝や将軍たちの手紙や、戦況報告や、上申書等の資料によって事件を研究する歴史家たちによって、一八一二年の戦争の最後の時期の目的として、あたかも敵の退路を絶ち、ナポレオンを諸元帥や全軍もろとも捕虜にすることにあるかのような、けっして存在しなかった、まちがった目的が想定されたことにあるのである。
このような目的はぜったいになかったし、あるはずもなかった。何故なら、それは意味がなかったし、その達成は完全に不可能だったからである。
P2298
この目的がいかなる意味ももたなかったのは、第一に、秩序を失ったナポレオン軍が可能なかぎりの速度でロシアから逃げていったからである。すなわちすべてのロシア人が願っていたにちがいない、ほかならぬそのことを実行したからである。
可能なかぎりの最大の速度で逃げてゆくフランス軍に対して、何のために種々の作戦をおこなう必要があったか?
第二に、全精力を逃げることに注いでいる人々の行く手に立つことは、無意味であった。
第三に、外部からの原因がなくても級数的に消滅してゆくフランス軍を全滅させるために、自軍の兵を失うことは無意味であった。退路などをわざわざ遮断しなくても、彼らは、十二月に国境を越えさせた人数、すなわち全軍の百分の一以上の兵を国境外に連れ出すことはできなかったのである。
第四に、皇帝、諸王、諸公を捕虜にしようという願望は無意味であった。それらの人々を捕虜にしたら、ロシア軍の行動がこのうえなく困難なものになったにちがいないことは、当時のもっとも有能な外交官たち(J・メストルその他)が認めたところである。
フランスの軍団を捕虜にするという願望は、それよりもさらに無意味であった。ロシア軍自体がクラースノエにいたるまでにすでに半数に減っていたのに、捕虜の軍団の護送に何個師団かを割かなければならぬし、しかも自軍の兵士たちの食糧さえ不足がちで、捕虜たちは餓死している状態だったからである。
(略)P2300/ 2302/ 2304/ 2306/ 2308/ 2310/ 2312/ 2314/ 2316/ 2318/ 2320/ 2322/ 2324スタール夫人/ 2326/ 2328/ 2330/ 2332最低の乞食以下だ/ 2334/ 2336/ 2338/ 2340/ 2342/ 2344ランバール大尉/ 2346アンリ四世/ 2348同じ人間/ 2350/ 2352/ 2354/ 2356/ 2358/ 2360/ 2362/ 2364/ 2366/ 2368/ 2370/ 2372/ 2374/ 2376
15
一月末にピエールはモスクワに着き、焼け残った傍屋に落着いた。彼はラストプチン伯爵や、モスクワにもどっていた何人かの知人たちを訪ねた、そして三日目にペテルブルグに発つことにしていた。
すべての人々が勝利を祝していた。荒廃の中からよみがえりつつある首都はすべてに生命が沸き立っていた。ピエールには何もかもが喜びだった。だれもがピエールに合うことを望み、そしてだれもが彼が見てきたことをたずねた。
ピエールは出会うすべての人々にたまらない親しみをおぼえる自分を感じていたが、何かで自分を縛りつけないために、心ならずもすべての人々に対して慎重に自分をおさえていた。
重要なものであろうと、ごくつまらないものであろうと、問われるすべての質問に対して、どこに住むつもりか、家を建てるか、ペテルブルグへ行くつもりか、小さな箱を一つとどけてもらえまいか、というようなことをきかれても、彼は、ええ、たぶん、そのつもりですが、とどっちつかずの返事をしていた。
ロストフ家の人々については、コストローマにいると聞かされたが、ナターシャのことは、ほとんど彼の頭に浮かばなかった。たまに頭に浮かぶことがあるにしても、遠い過去の快
P2378 い思い出としてにすぎなかった。彼は世間のもろもろの条件からばかりでなく、思えばわざと自分に押しつけたようなこの感情からも、自分が自由であることを感じていた。
モスクワへ来て三日目に、彼はドルベツコーイ家の人々から公爵令嬢マリヤがモスクワにいることを知らされた。アンドレイ公爵の死や、苦しみや、最後の日々のことは、たえずピエールの心を痛めていたが、いまは新たな疼痛をともなって彼の頭に浮かんできた。
食事の席で、公爵令嬢マリヤがモスクワに来ていて、類焼をまぬがれたフズドヴィジェンカの屋敷に住んでいると聞くと、彼はその日の夕方に彼女を訪ねていった。
(略)2380ピエールナターシャ再会/ 2382/ 2384/ 2386/ 2388/ 2390/ 2392/ 2394/ 2396/ 2398/ 2400/ 2402/ 2404/ 2406/ 2408/ 2410/ 2412/ 2414/ 2416スタール夫人/ 2418/ 2420/ 2422/ 2424/ 2426/ 2428/ 2430/ 2432
P2434
5
一八一三年にベズウーホフ家に嫁いだナターシャの結婚は、旧家であるロストフ家の最後のうれしい出来事であった。その年にイリヤ・アンドレーエヴィチ伯爵が死んだ、そして旧家の常として、彼の死とともに同家は没落した。
1)恋人たちのアパルトマン 28:00~1813年のウイーン、将軍と貴婦人を気取った仮装舞(tw)モスクワの大火、避難、アンドレイ公爵の死、ナターシャの絶望、ペーチャの死、伯爵夫人の悲嘆と、この一年のすべての出来事が、あいつぐ打撃となって、老伯爵の頭上に落下した。
2)アンナ・カレーニナ(英米) 1997ソフィー・マルソー、ショーン・ビーン 15:56~舞踏会(tw)
3)アンナ・カレーニナ(英仏米)2012キーラ・ナイトレイ、ジュード・ロウ、アーロン・ジョンソン 25:44~舞踏会
彼はこれらすべての出来事の意味が理解できなかったし、理解する力がないことを感じていたようで、精神的にその老いた頭を垂れて、もう観念して、消えのこった生命の火を消してくれる新しい打撃を請うていたようであった。
彼はおびえておろおろするかと思うと、不自然に活気づいて、むやみに積極的になることもあった。
(略)P2436/ 2438
(略)第二部
1
P2526歴史の対象は諸民族と人類の生活である。人類はおろか、一民族の生活をも、直接的にとらえ、言葉でつつむ、すなわち、記述することは、不可能のように思われる。
従来の歴史家たちは、とらえることが不可能のように思われる民族の生活を、とらえて、記述するために、しばしば一つの簡単な方法を用いてきた。彼らは民族を支配している個々の人間の活動を記述し、そしてこの活動が彼らにとっては全民族の活動をあらわすものであった。
どのような方法によって個々の人間がその意志のままに民族を行動させたか、またそれらの人間の意志自体が何によって支配されたか、という問題に対して、歴史家たちは、第一の問題には---民族を一人の選ばれた人間の意志に服従させる神の意志の承認をもって、第二の問題には---選ばれた人間のその意志を神の定めた目的に向ける、その神の承認をもって、答えている
(略)P2528/ 2530/ 2532/ 2534/ 2536スタール夫人/ 2538/ 2540/ 2542/ 2544/ 2546/ 2548/ 2550/ 2552/ 2554/ 2556/ 2558/ 2560/ 2562/ 2564/ 2566/ 2568
戦争と平和(ソ連版)と小説の対比(随時更新)
第一部021517 ピエール「人を殺すのは罪悪だ」アンドレイ「何が善で何が悪か人間が判断できることじゃない」~
022105 アンドレイ公爵、ロストフ家を訪問、ナターシャと第一次接近遭遇
022404 かしの木(枯れ木から青々と茂る木に変化)
022510 アンドレイ公爵「人生は31歳で終わりはしない」P917人生が三十一歳で終わるわけがない
第二部
002940「神秘や憧れの時は過ぎ今彼の心の中には無垢でか弱い彼女への憐みの情が広がった」
003410 ピエール「人間の営みとは何なんだろう~」
001604 ピエール(アンドレイ公爵に)「ロストフ家のご令嬢がいるお誘いしては?」P998
010800 ナターシャ、ボルコンスキー公爵に侮辱される
011758 ナターシャ、アナトールに誘惑される
013428 ピエール「もし僕がこんなでなくこの世で最も美しく聡明で立派で自由な人間なら今ここでひざまずき求めるでしょう(P1317)」
第三部
004242 アンドレイ公爵「捕虜はとらない」P1688
011352 アンドレイ教釈負傷、隣には片脚を失った恋敵アナトーリP1770
第四部
000228 ボロジノ戦後の軍議P1790クトゥーゾフ将軍モスクワを放棄P1800
000549 9月1日ロシア軍はモスクワを通過しリャザン街道へ撤退P1884
000859 避難途中ナターシャ、ピエールに遭遇、ピエールは残るというP1878
001004 眼下を見下ろすナポレオンP1886
001133 フランス軍モスクワ入城P1932
001337 ピエール、フランス兵士を救うP1950
002300 アンドレイ公爵とナターシャの再会P1990
002454 ピエールは、ナポレオン暗殺計画を企てる
002547 ピエール、火事場で幼児を探し救い出すP1996
003136 ピエール逮捕されるP2010
003609 ペテルブルク、アンナ・パーヴロヴナの邸宅P2014
003714 エレンの突然の死P2022
003938 放火犯処刑場へ
004623 ピエール、カラターエフからジャガイモを貰うP2086
005533 私は死にそして目が覚めたP2120
005810 クトゥーゾフ将軍講和に応じずP2190
010106 ロシア講和に応じずナポレオン撤退P2204(さあ、もっと近くへ寄って。どんな知らせをもってきたのかな)
010400 カラターエフはその善良そうなまるい目でピエールを見たP2281
010618 生命がすべてだP2282
011029 ペーチャ、フランスの少年兵P2246
011626 奇襲
011700 ペーチャ死P2268ピエール解放P2270ペーチャ・ロストフの死体を運んでゆくP2287
010910 フランス軍の退却はP2287
012010 ナポレオンは偽名をかたり、自軍を置きざりにしてパリへ逃げ帰った(tw,tw)P2292彼らの総司令官は~
012425 心の中の屈辱と復讐の念が軽蔑と憐みの情に変わるまでP2216
012503 ランバールという大尉だとP2344
012558 アンリ4世の歌P2346
012750 同じ人間だな、そうさ皆同じ人間だP2348
012916 クトゥーゾフ将軍勝利宣言
013009 最低の乞食以下だP2332
013100 モスクワ復興
013200 ピエール、ナターシャと再会P2380
ナポレオン追放P2531
・『1812年の雪 モスクワからの敗走』(参照) #bookwalker