P244 多数の日本軍兵士の捕虜と一般市民の被抑留者が、送還業務に反抗したり、サボタージュしていたならば、この送還計画の実施が不可能であったことはいうまでもない。しかし、日本の天皇が降伏声明を行った結果、中国における日本軍部隊は非常に従順で、われわれは日本軍部隊の、統制のとれた協力を得られるものと確信した。
日本人が集結させられ、乗船港に向かって出発する直前、シラミ駆除を受けていた地区を視察したさい、私は多くの日本人が示した卑屈に近い態度に驚いた。一万人ほどの日本人の男女と子供とを集結させていたある収容所で、日本人一同が土下座して私の方向に向かい、頭を地にすりつけているのを見たとき、私はびっくり仰天、まったく当惑してしまった(tw
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)。
P245 われわれの戦争目的は、他の人種の奴隷化であったのだろうか。それとも、人種、皮膚の色、社会的階級などに関係なく、全人類を対等ならしめ、他人を恐れず卑下しなくもよい社会をつくるため、われわれは戦ったのではなかったのか、と私は自問した。
権力におぼれた傲慢な誇大妄想狂から、人に卑屈と恐怖をしいる権力を取り除くために戦ったのである、と私は自答した。わが連合国の指導者たちは、人間の尊厳性の維持についてしばしば言及した。だが、わが連合側の<無条件降伏>要求によって、いまや日本日本は完全にわれわれの慈悲にすがらねばならないハメとなった。
この現実を見て私は、われわれが過誤と愚劣な行動の結果、他日、ソビエトが強大な勢力を得た暁には、われわれもまた、ソビエトの前にひざまずき、その慈悲にとりすがらねばならないようになっているのではないか、と恐れた。
いまや戦争は終わり、敵の占領から解放された地域では、知事、市長、地区の首長など、重要な行政上の職に多数の者を任命することが必要となった。私は蔣介石に対し、軍人以外の有能な文官を起用するよう主張した。
当時、中国には行政官と管理者とが不足していたが、蒋介石としては軍閥政治の確立を避けることが重要である、と一般に見られていた。
『日本近現代史入門』(相互参照)
P386
6.6 海外の日本人帰還に命を懸けた海員たち P386-398
(略) 日本の敗北直前、八月八日にソ連軍の侵攻を受けて、退路を断たれた満州と北朝鮮では、シベリアに抑留されて重労働を強いられ、命を落とした人をはじめ、帰国できない人が膨大な数にのぼった。それでも大半の日本人が帰国できたのは、軍人の帰還を保証した人道的なポツダム宣言と、中国の蒋介石が打ち出した驚くほど寛容な政策に負うところが大きかった。(略)
しかし、実際に帰還の船を動かして日本人を故国に運んだのは、日本人の海員であった。日本が占領していた太平洋諸島では、補給路がたたれたまま一〇〇万人が餓死寸前で敗戦を迎え、全滅する直前に米軍によって救出された。だが、ほかの地域では、敗戦国・日本に対するアジア全土の激しい憎悪の嵐をかいくぐって、日本人の海員たちが、最も厳しい状況のなかで命を懸けて、残る五〇〇万人の命を救ったのである。
P387 この経過については、のちに日本郵船会長となる有吉義弥が著した一九六一年初版の古い本『占領下の日本海運--終戦から講和発効までの海運側面史』(国際海運新聞社)にくわしい。(略)以下に再現しておく。神戸の海員会館には現在、「海に墓標を 海員不戦の誓い」の額が掲げられ、戦時中に沈没した船の膨大な写真資料を展示している。
そして、どれほど夥しい数の海員が、軍人のために戦争で無残な死に追いやられたかを実証し、すべての日本人は、この史実を知って、今こそ目を覚ませと訴えている。
その戦時中の海運業界の苦難は、真珠湾攻撃の一年前、一九四〇年一〇月ニ一日に船員徴用令が公布された日にはじまった。徴用とは、軍部の命令で強制的に軍人の手足となって働かされることであった。真珠湾攻撃の翌年には、一九四二年四月一日に、戦時海運の国家管理の中枢をになう組織として「船舶運営会」が設立され、政府が民間所有船と全船員のすべてを実質的に徴用する体制になだれ込んだ。
こうして船乗りは、国家が強制的に徴用した船に乗船を命じられ、重用された船員の延べ人数は一〇万人にも達した。その上、船上でも戦地でも、船員は絶えず軍人から激しい差別を受け、
P388十分な食料も与えられず、危険な任務を命じられて最低の条件で酷使されてきた。
徴用された船は大量の漁船にまでおよび、敗戦まで実に"一万五五一八隻"の民間船舶が撃沈され、犠牲になったのである。軍人やその関係者が書いた戦時中の美談では、軍艦ばかりが登場するが、それは嘘と虚飾に満ちた戯言にすぎない。
撃沈された戦艦大和が三〇〇〇人を海の藻屑とした最期に涙する前に、海員の苦労を知らずに、海運のカの字も知ったことにならないのだ。原因は、反目する陸軍と海軍が船の奪い合いをするような状況にあり、戦争に勝つという国家的な作戦など、微塵もなしに戦争を始めたことにあった。
戦後に海員たちが語ったように、「軍人が低能で、政治家は馬鹿」という国家であった。そのため太平洋での米軍との大戦争のため、ミッドウェー海戦・・・ガダルカナルの戦闘で、軍用船でない普通の商船が駆り出されて次々と撃沈され、続いてマリアナ諸島-・・・フィリピン海戦で一層の被害を受け、備砲も爆雷も持たない商船の海員は、軍人の命令に従って、ただ死ぬために海上に乗り出さなければならなかった。
略P390
P391(表 2016.3.31現在までの引揚者数)引揚者総数がほぼ六三〇万人であった。(略)ところが、ポツダム宣言第九条が、「日本軍隊の家庭復帰」を約束して、敗戦後の「陸軍・海軍部隊」の帰国は可能となったが、在外「一般邦人」
P392にはそのような規定がなかったため、帰国は軍人が優先され、民間人は無視されたのである。
それどころか、ポツダム宣言受け入れを決定した当日早くも、一九四五年八月一四日付の暗号電信で「居留民は出来得る限り定着の方針を執る」と在外公館に伝えていたのだ。
敗戦後の八月二二日に内閣が設置した終戦処理会議は、総理大臣・東久邇宮稔彦、外務大臣・重光葵、国務大臣・近衛文麿、陸軍大臣・下村定、海軍大臣・米内光政、参謀総長・梅津美治郎、軍令部総長・豊田副武より成り、内閣書記官長・緒方竹虎が幹事をつとめ、八月三一日に、「在外邦人は現地に於いて共存」、つまり帰国させないと決定していたのである。
このあと九月一七日に外務大臣が交代して吉田茂に代わり、吉田がこの政策を推進する主役となって、右腕の白洲次郎(参照)を使って、GHQと折衝した。そのとき彼らは、この決定に基づいて、GHQに対して、在外邦人を満州や中国、朝鮮の現地に定着させるよう積極的に要請し、一般人の切り捨てを具体化するという許しがたい行為におよんだのである。この事実は、日本の外交文書に明記されている。
戦後現在まで、引揚者の帰国にまつわる数々の悲劇が語られ、ドラマ化され、日本政府にまったく引揚げについて発言力がなく、あたかもそれがアメリカやソ連の大国の思惑によってもたらされた悲惨な出来事だったかのように解説されるのは、論旨を外国の責任にすり替えようとするきわめて悪質な嘘である。
ソ連のスターリンはまぎれもなく非道だったが、GHQの現場を動かしていたのはそう司令官マッカーサーではなく、すぐれたアメリカ人たちであり、彼らはソ連と違って、血の通った人間として行動し、一般日本人が危地であることを知ってからは、その救済に心血を注いで骨折った。
ところが日本政府が冷血漢ぞろいで、特に、白洲次郎と結託して米軍と折衝にあたった対連合軍陸軍連絡委員長の有末精三が悪質で、大本営の支配者として、ほとんどの船舶をつぎこんで外征部隊(軍人)三〇〇万人の帰還を第一に進め、一般人を無視するよう主張したのである。
有末精三とは何者であったのか。そもそも戦争犯罪者の筆頭に数えられる悪魔の細菌戦七三一部隊長・北野政次が、翌年一九四六年一月九日に、米軍機で中国の上海から日本に帰国したときのことである。翌日一〇日に対連合軍陸軍連絡委員長の有末精三から、「米軍とは、戦犯免責について話がついているから、心配する必要がない」と告げられ、満州の哈爾浜郊外の平房にあった七三一部隊本部を破壊して、徹底的に証拠隠滅を図った、という重大な事実も教えられていた(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著、朝日新聞社)。
つまり有末は七三一部隊が中国人に対しておこなったペスト菌をうえつける生体実験など、鬼畜にも等しい犯罪すべてを知っていた人物であった。このような男がトップに立って軍人の引揚げ帰還を差配していたのだ。しかも東久邇宮内閣が、軍人の帰還だけを考え、一般人切り捨てを閣議決定していたのだから、外地の一般人三〇〇万人には、刻々と危機が迫っていた。
このような場合、まず第一に、老人・女・子供を救い出し、弱い者の帰国を見届けてから最後に軍人が帰還するのが、どこの国でも人間の情である。ところが、日本の武士道は、軍人がわれさきを争って帰国する手順をとったのだ。
最近の日本人は、いい加減なことを物書きによって賞賛される武士道やサムライを立派なものだと思いこんでいるが、実際の武士道とは、これほどぶざまなものである。それを聞いたGHQが特権を発動して、外征部隊より優先して一般人の引揚げをおこなわせなければならなかったのである(tw)。
敗戦におよんでも、民度は最も低い集団が、日本の政治家と官僚・軍人であった。しかし船員たちは違っていた。
(略)
P394/ 396
(略)P397 現在では、敗戦から翌一九四六年末までの一年余りで、この海員たちによって、五〇〇万人以上が祖国日本に引き揚げ、最終的に帰国した日本人は福岡県博多港と長崎県佐世保港にそれぞれ約一四○万人、京都府の舞鶴港に約六六万人を中心に、六三〇万人近くが帰国できたとされている。
その中には親を失って身寄りのない多くの孤児がいた。一九五〇年四月一日に、GHQ覚書により、日本の全船舶が民営還元され、船が民間の船主によって運行される本来の姿に戻った。船舶運営会は、解散されるまで国庫から二四二億円を超える莫大な赤字補填を受けて、六大銀行に一億円ずつ預金するほどの財政を維持したとされている。
その船舶運営会の資金は、日本の全船員の生活を守るために使われたのである。この海運業界の功労を紹介したのは、敗戦の年、一九四五年一〇月五日に、この涙ぐましい引揚げ作業を進める海員によって「全日本海運組合」が創設され、これが"戦後最初の全国的な労働組合"となったからである。
P398(略) 現在多くの労働組合は、企業内の御用組合となって弱体化し、海運業界の幹部には朝鮮戦争・ベトナム戦争を通じて悪しき米軍と密着する傾向を強めてきた者もあるが、全日本海員組合はいまも、海員であればすべて受け入れる産業組織として、「戦火の海に船員は二度と行かない」と誓って、戦後に生み出された"日本国憲法を改悪しようとする政治家"に猛然と反対している。
そして二〇一六年一月二九日には、「防衛省予算に、民間船員を海上自衛隊の予備自衛官補とする費用が盛り込まれている。これでは、戦時中におこなわれた海員徴用と同じではないか」と反対声明を出した。
(略)■『戦後引揚げの記録』若槻泰雄著
P046 1.在留邦人の保護
P048八月十四日の緊急電
「できるだけ定着、財産保護」--日本政府方針
P050運命の分かれ目
P052 2."消えた"ソ連軍占領区
「内地民政上の必要を犠牲にするも…」引き揚げに全力
日本政府の悲鳴と哀願
P054 断わられても、断られても
P056 ソ連の沈黙
P058 八方手を尽くし
P060
■『忘却のための記録』清水徹著
P004目次/ 006/ 008
■『竹林はるか遠く』ヨーコ・カワシマ・ワトキンス著、都竹恵子訳
P004序/006目次
■NNNドキュメント「奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」2016.02.21(url)