(P10-)
P10 人間は高度に合理的で聡明な存在ではなく、きわめて非合理で誤りに陥りやすい存在であり、その個々の過誤は社会的過程のうちでのみ訂正されると考え、きわめて不完全な素材をもっとも有効に活用することを目指す反合理主義的アプローチは、おそらくイギリスの個人主義のもっとも著しい特徴である。(略)
右のような見解に対してデカルト的あるいは合理的「個人主義」が示す対照をあきらかにするには、『方法序説』第二部から有名なひとつの句を引用するのが最上であると私は思う。「多くの棟梁の手でいろいろと寄せ集めてつくられた仕事には、ただひとりで苦労したものに見られるほどの出来栄えは滅多にない」とデカルトは述べている。(略)
この社会契約論的個人主義あるいは社会制度の「設計」理論の発展を、デカルトからルソーとフランス革命を経て、いまなお依然として社会問題に対する技術者の特徴的態度でありつづけているものに至るまで、詳細に跡づけてみるならば、興味ぶかいであろう。(略)
そして設計理論は、社会的過程が個人の人間理性の統制に従属させられるP12ときにかぎって人間の諸目的に役立つようにされうる、という結論に必然的に至りつく、したがって直接に社会主義に導くのに対して、真の個人主義はそれとは反対に、人間は自由にしておかれると、個人の人間理性が設計しあるいは予見しうる以上のことをしばしば成しとげると信じる。(略)
(P12-)
P13 スミスの主たる関心が、人間がもっともよいときに時折成しとげるかもしれないことにあるよりもむしろ、人間がもっともわるいときに害悪をなす機会をできるだけすくなくすることにあったことである。
スミスとかれの同時代人たちが提唱した個人主義の主たる功績は、その体制のもとでは悪い人間が最小の害悪しかなしえないことにある、と言ってもおそらく言い過ぎではないであろう。
その体制は、機能のよしあしが、それを操作する善い人間をわれわれが見つけうるか否かには依存しないし、すべての人間が現にあるよりも善くなることにも依存しないのであって、善くもあれば悪くもあり、分別のあることもありはするが愚かであることのほうが多い人間を、そういう多様で複雑な姿のままで、役立たせる社会体制である。
マキアヴェッリに通じますね→『ルネサンスとは何であったのか』P180-(参照)
かれらの目的は、かれらの同時代のフランス人たちが自由を「善良で賢明なひと」だけに与えようと欲したのとは異なって、そのもとではすべての人間に自由を許すことができるはP14ずの社会体制であった。(略)
P15 ひとりの人間は社会全体のちっぽけな部分以上のことを知りえないという事実、したがってかれの動機のなかに入りこむことができるのは、かれの行為がかれの知る範囲内においてもつであろう直接的効果だけだというP16事実である。
〝限りある知を以て限りなき外物を追えば危きのみ〟「荘子内篇」講談社学術文庫(P361/ 363(tw))
(P18-)
P18 ここでわたくしは、人びとが事実等しくないからこそ、われわれは人びとを等しく取扱うことができるのだ、ということが許されるであろう。もしすべての人の資質と傾向が完全に等しいとするのであれば、なんらかの社会組織をつくるために、われわれは人びとを別様に取扱わねばならなP19いであろう。
幸いなことに、人びとは平等ではない。そしてまさにこの事実のおかげで、諸機能の分化が組織化の意志の恣意的決定によって決められる必要がなく、万人に同じように適用される平等な規則を作ってしまえば、各個人がそれ相応の地位に落ちつくのに任せることができるのである。
人びとを平等に取扱うことと人びとを平等たらしめようとすることとのの間には天地ほどの違いがある。
人びとを平等に取扱うことは自由な社会の条件であるのに対して、人びとを平等たらしめようとするすることは、ド・トクヴィルが述べたように、「隷従の新しい形態」を意味する。
(P38-)
P39 個人主義の主要原則は、どのような人あるいは集団も、他人の地位が何であるべきかを決定する権力をもってはならないとすることである(tw)。個人主義はこのことを、自由のきわめて本質的なひとつの条件と考えるので、この条件が正義感や嫉妬心を満足させることの犠牲に供されてはならないのである。(略)
ド・トクヴィルは、「民主主義と社会主義とは、平等というただひとつの言葉を共P40有するだけである。しかし相違に注意せよ。民主主義は平等を自由のなかに求めるのに対して、社会主義は平等を拘束と隷属のなかに求める」と書いた。(略)
P41 個人主義がわれわれに教えることは、社会が個人よりも偉大であるのは、社会が自由であるかぎりにおいてだけだ、ということである。
『方法序説』
(P18-)
P18 私は終日炉部屋にただひとりとじこもり、このうえなくくつろいで考えごとにふけったのであった。さてそのとき考えた最初のことどもの一つは、多くの部分から組み立てられた多くの親方の手でできた作品には、多くの場合、ただ一人が仕上げた作品におけるほどの完全性は見られない、ということをいろいろな方面からよく考えてみようと思いついたことであった。
たとえば、ただ一人の建築家が設計し完成した建物は、ほかの目的のためにつくられた古い城壁などを利用することによって、多くの人の手でとりつくろわれてできあがった建物よりも、美しく秩序だっているのがつねである。
同様にまた、はじめ城下町にすぎなかったのが時がたつにつれて大きな町となったところの、古い都市は、一人の技師が平野の中で思いのままに設計してつくった規則正しい町にくらP20べると、たいていは全体のつりあいがとれておらず、なるほどその中の建物を一つ一つ別々に見れば、新しい建物に見られるのと同じくらいの、あるいはそれ以上の巧が見いだされはするけれども、
しかしそれらの建物が、ここには大きいのが、あちらには小さいのが、というふうに並んでいるのを見、またそのために街路が曲がりくねり高低になっているのを見ると、それらをそのように並べたものは、理性を用いる人間の意志であるよりはむしろ偶然である、といいたくなる。
しかしそれでも、私人の建物を町全体の美観に役だてるために監視する任務をもった役人が、どの時代にもいた、ということを考えると、他人の作品に手を加えるだけでは、できのよいものをつくりだすことがむずかしい、ということはよくわかるであろう。同様にまた私はこうも考えた、昔はなかば野蛮の状態にありそののち徐々にしか開化せず、その法律を、犯罪や争いのわずらいに強いられてのみつくってきた国民は、寄り合った最初から、ある賢明な立法者のつくった憲法を守ってきた国民ほどには、よく治められていることはありえないであろう、と。
それは、神のみがもろもろの掟を命じたところの、真の宗教のもつ体制が、あらゆる他の体制よりも、比較にならぬほどよく秩序づけられているにちがいな、のと同様である。そして人間世界のことをいえば、スパルタがその昔大いに栄えたのは、その法律の一つ一つがすぐれていたゆえではなく[それらの多くはきわめて奇妙なものであって、良俗に反してさえもいたから]、それらの法律がただひとりの手でつくられたもの(リュクルゴスの立法)であるために、すべて同一の目的に向かっていたからである。
同様にしてまた私はこうも考えた。書物による学問、少なくともその推理が蓋P21然的であるにすぎず、なんらの論証をももたないところの学問は、多くのちがった人々の意見から少しずつ組み立てられひろげられてきたものであるから、良識あるひとりの人が、目の前に現れる事がらに関して、生まれつきのもちまえでなしうる単純な推理ほどには、真理に近くありえない、と。
同様にまた私はこうも考えた。われわれはすべて一人前の人間である前に子供であったのであり、長い間われわれの自然的欲望と教師とに支配されなければならなかったが、これら二つのものはしばしば互いに反対しあい、それらのいずれも、いつでも最善ののものをわれわれに選ばせたとはいえないのであるから、われわれの判断は、われわれが生まれたはじめからわれわれの理性の完全な使用ができてただ理性によってのみ導かれてきたとかりに考えてみた場合ほどには、純粋であり確実であることは、ほとんど不可能なのである。
町の建物をつくりかえ街路をいっそうりっぱにしようとする計画だけのために、あらゆる建物をとりこわすなどということが見うけられないのは事実である。しかしながら、多くの人が自分の家を建てかえるためにこわさせることはよくあるし、家がひとりでに倒れそうになっていたり土台が十分しっかりしていない場合には、とりこわさざるをえぬことさえときにはあるものだ。。
こういう例を考えて私は、次のような信念をもつようになったのである。
一私人が、一国のすべてを土台からつくりかえ、それをいったんくつがえして建て直すというようなやり方で、国を改革しようと計画することは、まことに不当なことであり、そしてこの方法をとることによって私は、自分がただ古い土台の上に建てたにすぎなかった場合よりも、また幼いときに教え込まれた諸原理のみを、それが真理であるかどうか一度も吟味せずに、自分のよりどころとした場合よりも、はるかによく私の生活を導くことに成功するであろう、とかたく信じたのである。
またそれほどのことでなくとも、もろもろの学問の組織を、あるいは学校でもろもろの学問を教えるために定められている秩序を、改P22革しようとすることすらも、
一私人の計画すべきことではないであろう。
しかしながら、
私がいままで自分の信念のうちに受け入れたすべての意見に関しては話は別であって、
一度きっぱりと、それらをとり除いてしまおうと企てること、そしてそうしたうえでふたたび、ほかのいっそうよい意見をとり入れるなりあるいは前と同じ意見でも一度理性の基準によって正しくととのえたうえでとり入れるなりするのが、最上の方法なのである。
なぜなら、この仕事においてもさまざまな困難が認められはしたけれども、しかしそれらには対策がないわけではなかったし、またその困難は、公の事がらに関する、ほんのわずかな改革のうちにでも見いだされる困難とは、比較にならず小さなものなのであるから。公の組織という、これら大規模な建物のほうは、いったん倒されると、また建て直すことがあまりにもむずかしく、それどころか、ゆり動かされてもちこたえるということさえむずかしく、その倒壊はまことにひどい結果を生まざるをえない。
そしてまた、これら組織のもつ不完全性について考えてみると、いったいそれらが種々異なった形をもつという事実がすでに、それらの多くが不完全性をもつことを思わせるに十分なのであるけれども、しかしいろいろ不完全なところはあってもそれらは、明らかに慣習というものによって、大いに和らげられているのである。
のみならず慣習は、不完全性の数々を知らず知らずの間に取り除いたり改めたりさえもしているのであって、われわれが知恵をしぼっても、こうはうまくはゆかぬと思われるほどである。
また、最後に、そういう不完全性はたいていは建物の変革よりも辛抱しやすいものである。あたかも山々の間をうねりくねって行く本道が、人の通るにつれて少しずつ平らに歩きやすくなり、近道をして岩をよじ登ったり崖の下まで降りたりするよりは、その本道を行くほうがはるかによい、のと同様である。
このゆえに私は、生まれついた身分からいってものちに得た地位からいっても公事をつかさどることを求められていないのに、いつも頭の中で何か新たな改革をやめない、ですぎたおちつかぬ気質の人々を、どうしても是認しえないのである。そしてこの書物の中に、そういう愚かな考えを私がもっているかと人に思わせるような点が少しでもあると思ったのなら、私はこの書物の公刊をゆるすなどという気にけっしてならなかったであろう。
私の計画は、私の考えを改革しようとつとめ、まったく私だけのものである土地の上に家を建てようとすること以上におよんだことはけっしてない。
私のやったことが私には十分満足すべきことであって、ここにその模型を読者に示すとしても、だからといってそれに倣うことを人にすすめようとするつもりなのではない。神の恩寵をさらに豊かにめぐまれた人ならば、たぶんもっと高い計画をいだくことであろう。
しかし私は、私のこの計画でさえすでに、多くの人にとっては大胆すぎるのではないかとあやぶむのである。以前に自分の信念のうちに受け入れたあらゆる意見をを捨てようという決心だけでも、誰でもが倣ってよい例ではない。
世間は、そういうことにまったく適しP24ない二種類の人々からのみ成り立っているといってもよいほどなのである。
すなわちその一つは、自分を実際よりもずっと有能であると思い込んでいて、何ごとについても早まった判断をくだすのを控えず、自分のすべての思想を順序正しく導くにたるだけの忍耐をもたぬ人々である。
そういう人々は、いままで受け入れた原理について疑い、普通の道から離れる、という自由をひとたび手に入れると、いっそうまっすぐに行くためにとらねばならぬ小径をけっしてたどることができず、一生涯あちこちをさまよいつづけるであろう。
第二は、自分たちが、真を偽から分かつ能力において、自分たちを教えうるある他の人々より劣っている、と判断するだけの理性あるいは謙遜さをもっている人々であって、こういう人々は自分自身でいっそうよい意見を求めるよりは、他の人の意見に従うことに、むしろ満足すべきなのである。
(略)
その後旅にでて、われわれの考えとはまったく反対な考えをもつ人々も、だからといって、みな野蛮で粗野なのではなく、それらの人々の多くは、われわれと同じくらいにあるいはそれ以上に、理性を用いているのだ、ということを認めた。
そして同じ精神をもつ同じ人間が、幼児からフランス人またはドイツ人の間で育てられるとき、かりにずっとシナ人や人喰い人種(アメリカ土人)P25の間で生活してきたとした場合とは、いかに異なった者になるかを考え、またわれわれの流行においてさえ、十年前にはわれわれの気に入り、またおそらく十年たたぬうちにもう一度われわれの気に入ると思われる同じものが、いまは奇妙だ滑稽だと思われることを考えた。
そしてけっきょくのところ、われわれに確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多くの習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であるということのほうがはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことはなんら有効な証明ではないのだ、ということを知った。
こういう次第で私は、他をおいてこの人の意見をこそとるべきだと思われるような人を選ぶことができず、自分で自分を導くということを、いわば、強いられたのである。(略)
(P28)
(P82)
P83 なおこの機会にここで後世の人々に、私の意見だと人から聞いても、私が自身で公にしたことでなければ、けっして信じないようにと、お願いしておきたい。