P463 いまここで、ポグロムとロマノフ王朝の本質についてくわしく見てゆこう。一九九〇年末に、ゴルバチョフ政権下のソ連が食糧危機に直面し、十二月に外貨獲得のためソ連産のダイヤを南アのデビアスに販売すると発表した。この事情を教えてくれるのが、今世紀初頭のポグロムである。
ウクライナに続いて、ハンガリーとオーストリアの反ユダヤ組織は次第に具体的な行動をとりはじめ、一九〇五年に、かの悪名高い"シオンの長老の議定書"と名付けられた文書がロシアの秘密警察によってセンセーショナルに広められた。
ユダヤ人が書いたというその秘密文書によれば、ユダヤ民族が世界征服の陰謀を企てているというのである。ドレフュス事件と同じ手口の捏造物だったが、ヨーロッパ人は文書を疑う前にユダヤ人を疑うという過ちを、再び繰り返した。
ロシア革命後も、"ブルジョワ集団ユダヤ人"は標的にされ、一九一八年にはポーランドのルヴォフで虐殺がおこなわれ、翌年にはヴィルナとウクライナとハンガリーで数万人単位の地獄図が展開した。真の悲劇は、この被害者がロスチャイルドのような財閥でなく、貧しいユダヤ人に集中した、という点にあった(tw)。
P464 勿論、十八世紀末のフランクフルトに誕生したロスチャイルド家が、この百年のあいだ狙われなかったわけではない。しかし彼らの豪邸が暴徒に襲われる危険な局面では、懐をあたたかくした軍隊や警察が護衛にかけつけ、パリやロンドンのど真ん中に土嚢を積みあげても支配者を守る、ということが可能であった。そうした状況もしばしば訪れ、結局ロスチャイルド家は殺されることがなかった。
ところが二十世紀のポグロムは、今日の東ヨーロッパ圏と呼ばれる地域全土を覆いつくした。まさにその一九一九年のポグロムの年に、ドイツにナチ党が結成され、イタリアにファシスト党が誕生、やがてヒットラーとムッソリーニの時代へ突入していったのである。
その発端となるポグロムの政策を打ち出したロマノフ王朝は、次に示すように不思議な系図39を描く一族であった。彼らは、伝えられるようなただの独裁者ではなく、背後は、その世界最大の財宝を供給するファミリーによって守られていた。
皇帝アレクサンドル二世が、革命を志す"人民の意志"と称する一派の爆弾に倒されたあと(相互参照)、その次男のアレクサンドル三世がツァーとなるやポグロムの政策を打ち出し、レーニンの兄を処刑する闘いの時代を迎えたが、この皇帝の従弟にあたるミハイル王子はと言えば、実は『モーツァルトとサリエリ』や『スペードの女王』で知られるロシアの詩人プーシキンの孫娘と結婚し、ロンドンで大実業家たちと交わっていた。
その実業家というのがほかならぬ、デビアスの支配者ジュリアス・ウェルナー(相互参照)という人物であった。そして遂には一九一七年のロシア革命直後、ウェルナーの息子とミハイル王子の娘アナスターシアが結婚してしまい、ロマノフ王朝が残した財宝をロスチャイルド家が引き受けるという関係がすでにできあがっていたのである。
謎の政商アーマンド・ハマーがこの財宝をいずこからともなく調達し、それをロスチャイルド家のアメリカ・デパート群で販売しながら財を成してゆく面白い物語が、ハマー本人の手で書かれている。実によくできた自伝である。しかしこの系図によって、その種は割れてしまう。
『戦艦ポチョムキン』が描いたロシア革命前後の時代に、ユダヤ富豪とロマノフ王朝はポグロムどころか、裏ではこのように親しく手を握り合っていた。"デビアスのもうひとりの支配者ウェルナー"と書いたのは、すでに紹介したダイヤ王セシル・ローズの黒幕アルフレッド・バイト(系図12(1,2))と共に南アに入り込むと、やがてフランス喜望峰ダイヤモンド会社を支配したこの人物が、「ウェルナー・バイト商会」を設立してデビアスの今日の礎石を築いたからである。それはすべて、ロンドン・ロスチャイルド銀行の業務であった。
(P476)
P476(tw) アラブ人が裏切られ、今日の中東紛争の混乱を引き起こした原因がイギリスの悪名高い三枚舌(相互参照1、2)にあったことは、ほとんどの歴史家によって指摘されてきた。映画館の観客は騙すことができたかも知れぬが、歴史家を欺くことはできなかった。
つまり第一次世界大戦の戦火が激しく燃え上がっていた一九一六年、イギリスとフランスは中東を分割して、手中に収めようと画策していた。「三枚舌」つまり具体的には、イギリス代表のマーク・サイクスとフランス代表のジョルジュ=ピコが密談を重ね、オットマン・トルコ帝国の領土を勝手に区分けする作業に入っていた。これが有名な秘密の"サイクス・ピコ条約"と呼ばれた一枚目の舌である。
アラブ人に知らされなかったこの秘密協定によれば、パレスチナをアラブ人ではなくヨーロッパの両国が支配することになっていた。しかも奇妙なことに、この前年にイギリスの高等弁務官アーサー・ヘンリー・マクマホンが、すでにアラブ人と接触を続けていたのである。
マクマホンは第一次世界大戦の開幕と同時に、一九一四年にエジプトへ送り込まれ、P477アラブ一族の首長フセインにアラブ民族の独立を約束した。それが二枚目の舌であり、このフセインが、アレック・ギネス扮するファイサル王子の父親であった。そしてこの"マクマホン書簡"の言葉通り、アラビアのロレンスが送り込まれ、トルコを倒すことに成功した…
そこへ一九一七年、今度はイギリスの外相バルフォアが、同じパレスチナの土地をユダヤ人に与え、母国を建設すると声明したのである。これがまた悪名高い三枚目の舌、"バルフォア宣言"であった。
こうして第一次世界大戦のなかで、パレスチナというひとつの土地が、現実にはあり得ないことながら、四ヵ国に対して所有権を約束されていたことになる。マクマホン書簡(一九一五年)ではアラブ人に、サイクス・ピコ条約(一九一六年)ではイギリス人とフランス人に、バルフォア宣言で(一九一七年)ではユダヤ人に、である。(略)
すでに述べたように、ロレンス(相参1、相参2)は、第一次世界大戦が終わったあとは植民局の中東部門に配属され、(略)この中東情報局とは、その名が示す通り、中東をイギリスの植民地として支配する機関であるから、映画のドラマに描かれたアラブの独立とは、まったく矛盾する。アラブの独立どころか、植民地化に奔走した男、裏切り者の当人であった。
ではロレンスをそこに呼んだ男は誰であったか。この名は、読者もどこかで聞いたことがあるはずだが、ウィンストン・チャーチル(→参照)という人物であった。(略)
「砂漠の英雄と百年の悲劇」映像の世紀バタフライエフェクト2022.06.22(tw)
(P478-)
(P494-、ミンスク)
P494 こうした東ヨーロッパからロシアにかけて、通商の重要な拠点になっていたのが、今日の白ロシア共和国(一九九一年ベラルーシと改名)の首都ミンスクであった。(地図参照)。ここが交易センターになったのは、十九世紀後半の一八七〇年代にモスクワからポーランドのワルシャワに至る鉄道が敷かれ、これとは別に、ゴメリからバルト海のリエパヤに達する鉄道が敷かれた時代であった。
ゴメリは現在の白ロシア共和国に属するが、当時はその南のウクライナ最大都市キエフの文化圏にあった。この二大幹線が、モスクワ~ポーランドそしてウクライナ~バルト海という四つの大商業圏を結び、その両方の鉄道がミンスクで交差したからである。
資金はロスチャイルド家、この場合はその一族のグンツブルグ家によって調達され、ミンスクがロスチャイルド家の根城になっていった。表面上は、ロシア貿易で財を成したイギリスのトムソン・ボナー商会が大きな役割を果たしたとされているが、この商会は十九世紀にゴールドシュミット商会に吸収されていたためである。
ロシアで最初の鉄道が敷かれたのはモスクワとペテルブルグ(一九九〇年現在のレニングラード)の路線で、これがロシア産の穀物などをバルト海から船積みし、帰りにはイギリス産の石炭をモスクワに運んだ。この鉄道で莫大な財産をこしらえたヨーゼフ・グンツブルグの資金が、今度はミンスクで一層の富を生んだわけである。
その結果、ミンスクはロシアのなかで特異な都市となった。P495第二次世界大戦がはじまったときの資料によれば、人口の四割がユダヤ人であった。別の資料では、ユダヤ人が過半数を占めていたともいう。ポグロム以前の十九世紀では、さらにその割合が高かったはずである。それほど大量にユダヤ人が生活していたため、モスクワに進軍する途中でナチスの戦車がこの町を破壊しつくし、この地方では特に悲惨な虐殺がおこなわれたのである。
今日では一九九〇年一月、ソ連とイスラエルの国交回復が進むなかで、多くのユダヤ人がこのミンスクをあとにしてイスラエルに向かった。しかしそのイスラエル入植者は、ヨルダンとエジプトとの国境近くに送り込まれ、アラブ人が生活する村落に強引にわりこむことになった。兵士付きの入植、つまり抵抗するアラブ人を占領地から追い出すための口実に利用されたのが、このソ連からのユダヤ移民であった。
そしてパレスチナで、アラブ人とユダヤ人が一触即発の状況を迎えた。彼らが脱出しなければならなかった最大の理由が、一九八六年四月二十六日のチェルノブイリ原子力発電所四号炉の爆発による、大惨事の発生と引き続く経済崩壊であった。ソ連の原子力産業は、内部がヨーロッパと同じメカニズムつまりロスチャイルド財閥によって動かされてきた(tw)。
これは第一次世界大戦前にロシアの兵器工場であったペテルブルグのプティロフでロシア革命の発火点となる大ストライキが発生し、第二次世界大戦後は、ここが母体となってソ連の核兵器と原子力が誕生したからである。そのプティロフが、死の商人ザハロフの活動を通じてロスチャイルドにおさえられた歴史の必然である。
ソ連の"水爆の父"がアンドレイ・サハロフであったのは、決して奇遇ではないだろう。一九八九年にこの世を去ったサハロフは、人道主義者としてノーベル平和賞を受賞している。水爆を開発した人間を平然と讃え続けるジャーナリズムは正気の沙汰とは思えないが、一九八〇年一月二十三日にイスラエル議会は、サハロフを釈放するようソ連に要求する決議を採択した。
また、「サハロフがシオンの囚人であること」を公表するよう提案もなされた。サハロフとザハロフ、この両人はただ一字違いという関係にすぎないのであろうか。ソ連が金塊とダイヤを放出するときには、ロンドンのロスチャイルドに頭を下げなければならない。そのつながりから、原子力の世界では、ひそかにロスチャイルドがソ連国内で動き回ってきた。
ミンスクで起こっている人類の歴史上未曽有の悲劇---白血病・甲状腺などの癌による子供たちの大量死---これを隠してきた責任者として住民が指弾している人物、その名をユーリ・イズラエルという。この男は、異常など一切起こっていないと言う。ソ連のなかに生きてきたロスチャイルド財閥の象徴的な人物であろう。その後、百万人の住民避難を必要とする、と白ロシア科学アカデミーのコレシコ教授が実態を明らかにし、悲劇はこの先とどまるところを知らない。
P496 ここで述べているサハロフやイズラエルに対する懐疑を、ユダヤ人非難にしないよう注意が必要である。ちょうどその逆である。すべての現象は点在して起こったように見える。ところがミンスクのユダヤ人はおそらくかつて貧困にあえぐ階層であったと考えられ、ロスチャイルド家の交易のためにミンスクへ移住し、ロスチャイルド家の原子炉のために移住を余儀なくされ、ロスチャイルド家の国家イスラエルへ移住し、ロスチャイルド家の中東戦争に巻きこまれたのである。
このミンスク出身のダルジンが、イスラエルのレウミ銀行会長に就任したのは、このような事情による。またイスラエルの建国を一九四七年の国連総会が初めて議決したとき、全世界が最も驚いたのは、ソ連がこの議決に賛成したことであった。そのときのソ連代表が、ミンスク出身のグロムイコであったという史実は、新たな謎を投げかける。
農業支配者として台頭したグロムイコは、白ロシア・ウクライナの穀物貿易に深く関与し、"外交官"の№1に選ばれたはずであった。それが何の力であったのか、彼は黙したまま多年にわたるソ連外相の履歴を残してこの世を去ったが、ソ連の穀物史の真相については、のちに信じがたい証拠を示す。
イスラエル建国に重要な役割を果たしたもうひとりの東ヨーロッパ出身の男がいる。このイギリス人は、文字通り力によって歴史を大きく変えた。"アラビアのロレンス"と対比して"ユダヤのロレンス"と呼ばれたその男は、オード・チャールズ・ウィンゲートという名で、一九三六年に自ら望んでパレスチナに入ると、イギリス諜報機関の指導者としてユダヤ軍団を組織していった。
アラブ攻撃の急先鋒となり、ユダヤ人の若者を選んで夜襲部隊を育てながら、やがてこの部隊から中東戦争で悪名高い片眼のダヤン将軍を誕生させたのである。後年の中東戦争でアラブ人を殺すことに快感を覚えた戦争好きのダヤンは、そのウィンゲート将軍によって育てられた男であった。(略)
アラブ人は、この人間たちの仕組んだ罠に落ち、"アラビアのロレンス"と"ユダヤのロレンス"の陰謀にもてあそばP497れたことになる。その結果、第二次大戦では石油利権などの争いに利用され、そして終戦からわずか二年後、遂に一九四七年十一月二十九日の国連決議で、郷土パレスチナが分割されてしまった。そこにヨーロッパ人が「ユダヤ人の国家を建設する」という一方的な決定を下したのである。
しかも分割は、アラブ人に不毛の土地を与え、ユダヤ人が地中海沿岸の甘い土地を独占するという形で線引きがおこなわれた。国連決議から半年後、一九四八年四月九日、ユダヤ人はアラブ人の住むデイル・ヤシン村を襲い、何の武器も持たない民間人を大量に虐殺・・・まだその悪夢もさめやらぬ五月十四日、初代大統領ワイツマン、初代首相・国防相ベングリオンを戴いて、ここにユダヤ人はイスラエルの独立を宣言した。(略)
この独立宣言が第一次中東戦争を招いた。調停役として国連が選んだベルナドッテ伯爵はユダヤ人に暗殺されてしまい、それ以後は、さらに悲惨なれきしをたどってきた。一九五六年に、前述のようにイスラエル・イギリス・フランスが手を組んでエジプトからスエズ運河を強奪するため、スエズ動乱---第二次中東戦争が引き起こされた。
一九六七年には、片眼のダヤン将軍指揮下のイスラエル軍が奇襲をかけ、緒戦でアラブの航空機をほとんど破壊し、わずか六日間でイスラエルの勝利を決定する第三次中東戦争が仕掛けられたのである。続く一九七三年の出来事は、まだ記憶に新しい。アラブ諸国が結束して全世界に石油の供給を停止し、イスラエルへの兵器輸出を禁じるよう求めた"オイルショックの第四次中東戦争"が勃発した。
これはいわゆる公式の大戦争を定義したにすぎないもので、真の問題は、パレスチナを追われたアラブの難民を追いつめるように、イスラエルがレバノンの難民キャンプへの爆撃を強行するなど、日常的に殺人を繰り返してきたことにある。一九四七年の国連決議さえ無視して、現在でも日々占領地の面積を拡大しつつある。あらん限りの占領をおこなったので、これ以上奪う土地はないかのように見える。ところがその占領地には、アラブ人の村落がある。
ここへ日夜爆弾を投げこみ、パレスチナの外からは気づかれないように、老人、婦女子に至るまで痛めつけ、殺してきたのがイスラエル兵---ユダヤ人の姿である。そこへ前述のようにソ連からの移民が一九九〇年から大量に入植しはじめ、この年の暮れに"一時間あたり百人の移民"という記録が打ち立てられ、その数は一九九二年までに総計百万人に達するだろうとユダヤ機関は豪語した。
この移民を支援する運動および組織は"アリア"と呼ばれているが、時に若者に対する支援組織"ユース・アリP498ヤのフランス会長として資金を提供してきたコロムラ男爵家の令嬢アリックスは、母親の姓がゴールドシュミット=ロスチャイルド、また、夫の名はギイ・ロスチャイルドであった。
イスラエル建国の歴史を調べるのは、今日なお中東において、白昼イスラエルによるパレスチナ人の虐殺が続いているからである。
ナチスによる大量虐殺を非人道的と非難し、『アンネの日記』をもって世界じゅうの人びとに涙を流させてきたユダヤ人が、自らその資格を失おうとする狂気は、いったいどこから生まれてくるのか。
知識を出版物から得ようとすると、ジャーナリズムを支配する何者かの手によって、かえって事実を見誤ることがある。その代表的な例が、アラブとイスラエルの対立に関する世界である。アラブ諸国から来るまともな文化論の紹介は、全世界でほとんど皆無の状態である。
耳にするのは、中東の悪い王国が妻を何十人も宮殿に住まわせ、アラビアン・ナイトよろしく世毎に愉しんでいる、といった類の物語ばかりであった。実際、上層階級は伝えられる通りで、賄賂と詐術、石油と大金、あとは放蕩生活に明け暮れるアラブ王室の世界が存在することを否定し難い。そこへイスラム教の厳しい戒律と、背教者に対する残忍な処刑の現実が重なり合ってくる。
しかしそれですべてではない。こうした物語には、苦しむアラブの民衆の姿がどこにも語られていない。第二次世界大戦が一九四五年に終結すると、三年後にはイスラエルの国家がパレスチナに成立し、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺がニュールンベルク裁判で明らかにされ、世界が息を呑む惨劇を知った直後だけに、この新しいユダヤ人国家の創設は、いわゆる先進国のあいだでかなり強い支持を得た。
ことにわが国は、自らがナチスと同盟を組み、アジア諸国の侵略をおこなった張本人である。ユダヤ人国家の建設に何の異議を唱えられよう。こうして問題は、長いあいだ、ほとんどの国で隠されてきた。(略)
紀元前の歴史をひもとけば、今から三千年前にダビデとソロモンの時代があり、パレスチナにユダヤ人の王国が築かれた。当時はパレスチナと呼ばれていなかったが、のちにローマ帝国がユダヤ人をこの土地をから追放し、以来、離散(ディP499アスポラ)のユダヤ人は流民の民となった。この時代から、ここが聖書のペリシテ人に因んでパレスチナと呼ばれるようになり、今日に至った。それでこれをユダヤ人の故郷とするところまでは理解できる。
しかしイスラエルの建国は、全世界のユダヤ人がここに戻ってきた、というような美しいドラマではなく、聖書を持ち出すなら、ダビデ王以前にユダヤ人ではない無数の民族がここにいたことを自ら聖書が証明する通り、パレスチナがユダヤ人専用物であるはずはない。現代の話をするなら、すでにここに住みついていたアラブ人(パレスチナ人)を追放した侵略者はまぎれもなくユダヤ人であった(tw)。
ゼロからわかる中東問題-茂木誠(youtube、相互参照)
イスラエルに入った人は、この土地がかつては荒れ果てた砂漠であって、これを緑に変えたのはユダヤ人である、という話を百回も聞かされる。そちこちで出版されている書物から、すでに出発前にその"歴史"なものを読み、洗脳されているのであるるところが自分の足でイスラエルを歩いてみると、どこでもアラブ人が住み、畑を持っている。北部ガリラヤの野辺は、キリストが山上の教訓を垂れた丘一帯にひりがる緑が、何千年もの歴史を物語っている。アラブ人が畑で働いている。
こうしてイスラエルという国家に懐疑的になる。時代は変わり、PLOのアラファト議長の登場からパレスチナ問題が多くの人にも理解されるようになり、数々のジャーナリストが正確な中東情勢を伝えるようになってきた。(略)
パレスチナ問題の根源は、"ヨーロッパ人"によるユダヤ人迫害にあった。このヨーロッパ人の責任が、アラブ人から土地を奪取することによって中東に転嫁されたことに源がありながら、そのヨーロッパ人が口をつぐんでいるのは、不思議な沈黙である。
(P500-)
(P502-、ロスチャイルド家系図)
(P506-、ロスチャイルド財閥史)
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