第一論文 「善と悪」・「よいとわるい」 P20-60
1.7 P31-33P31---僧職的評価様式が騎士的・貴族的評価様式から分岐し、やがてそれに対立するものにまで発展を続けることがいかに容易であるかを、諸君はすでに察知したことであろう。殊に僧職階級と戦士階級とが互いに嫉視し合いながら対抗し、褒賞の処理について互いに協調する意志がないようなときには、いつもこの対立に拍車がかけられる。
騎士的・貴族的な価値判断の前提をなすものは、力強い肉体、若々しい、豊かな、泡立ち溢れるばかりの健康、並びにそれを保持するために必要な種々の条件、すなわち戦争・冒険・狩猟・舞踏・闘技、そのほか一般に強い自由な快活な行動を含むすべてのものである。
ところが僧職的評価様式は---われわれの見てきたところによると---これとは別な前提をもっている。つまり、戦争のこととなると、彼らには分が悪いP32のだ!
周知の如く、僧職者は最悪の敵である---だが、何故であるか。彼らが最無力者だからだ。この無力から憎悪が成長し、やがてそれが巨怪な物騒なものとなり、最も精神的(酒精的)な、最も有毒なものになる。
世界史上における最大の憎悪者は常に僧職者であったし、更に最も才気に富んだ(酒精分の多い)憎悪者もまた僧職者であった。---僧職者的復讐の精気(ガイスト、酒精)に比べれば、他のすべての精気は殆んど全く取るに足りない。
人間の歴史は、無力者によって持ち込まれた精気がなかったとすれば、それこそ余りにも気の抜けた代物だったことであろう。---われわれは直ちに最大の事例を取り上げよう。
地上において「貴人」・「権力者」・「支配者」・「有力者」に対して仕かけられたあらゆる所業といえども、これをあのユダヤ人たちのやった事柄に比べれば言うに足りない。
あのユダヤ人たち、あの僧職的民族は、結局、ただ価値の根本的な転倒によってのみ、従って最も精神的な復讐の一幕によってのみ、自分たちの仇敵や圧制者に対して腹癒せをするすべを知っていた。そしてこれこそは僧職的民族に、あの陰険な僧職的復讐心をもった民族にふさわしい唯一の遣り口であった。
あのユダヤ人たちこそは、恐るべき整合性をもって貴族的価値方程式(よい=高貴な=強力な=美しい=幸福な=神に愛せられる)に対する逆倒を敢行し、最も深刻な憎悪の(無力の憎悪の)歯軋りをしながらこの逆倒を期待したのだった。曰く、
「惨めなる者のみが善き者である。と・・・
貧しき者、力なき者、卑しき者のみが善き者である。悩める者、乏しき者、病める者、醜き者こそ唯一の敬虔なる者であり、唯一の神の幸いなる者であって、彼らのためにのみ至福がある。
---これに反して汝らは、汝ら高貴にして強大なる者よ、汝らは永劫に悪しき者、残忍なる者、淫逸なる者、飽くことを知らざる者、神を無みするP33者である。
汝らはまた永遠に救われざる者、呪われたる者、罰せられたる者であろう!」
諸君は誰がこのユダヤ人的価値転倒の遺産を作ったのかを知っている・・・ユダヤ人があらゆる宣戦のうちで最も根本的なこの宣戦によって与えた巨怪な、かつ極度に宿命的なイニシャティヴに関して、私は他の機会において筆にしたあの文句を指摘する(『善悪の彼岸』一九五節)
---曰く、「ユダヤ人たちとともに道徳上の奴隷一揆は始まる」と。この一揆は背後に二千年の歴史をもっており、そしてそれが今日われわれの眼前から退いているのは、それが---勝利を得たからにほかならない・・・
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・『近現代ヨーロッパの思想』P535(ニーチェ「権力への意志」)・『赤い盾』2.6 ロスチャイルド家の反撃P388-(ゴビノー伯爵『人種の不平等に関するエッセイ』)