2022年10月29日土曜日

偏愛メモ 「始皇帝 天下統一」(大秦賦)[随時更新]

01邯鄲の少年 03:53~趙孝成王趙丹#劉鈞(tw)38:57~前257異人、呂不韋、咸陽に戻る。
02脱出 29:49~嬴異人と華陽夫人初対面、陽春曲、屈原、雲中君「浴兰汤兮沐芳,华采衣兮若英」(tw)
06王の剣 01:47~嬴政趙姫親子咸陽来着。嬴政、安国君嬴柱より鹿盧剣を授かる(tw)。「商君書」(史記列伝1 商君列伝 P120/ 122/ 124/ 126/ 128/ 130/ 132/ 134/ 136tw)32:20~大喪の礼、詩経秦風無衣(tw)35:39~荘子
01           02           06         麗姫と始皇帝04 04:06~無衣(tw)


07子楚即位 34:45~孟子いわく(twtw)
09東周滅亡 27:00~李斯、荀子の門下生、韓非もいる「出藍の誉れ」青は藍より出でて藍より青し 氷は水より出でて水より寒し、「青出于蓝--青出于蓝而胜于蓝 冰水为之而寒于水」(tw)
17禍根 08:55~呂不韋の仁政vs李斯の法家(tw)
23出会い 34:09~褒姒の一笑国を傾く(tw,tw,tw)39:57~関関雎鳩(tw)
07           09           17           23


26敗局 03:49~(史書に始皇帝の后妃の記述がない理由)外戚争いを回避(tw)麗姫と始皇帝04 33:49~心に決めた人がいた(tw)
29巻き狩り 30:45~成蟜が野生馬を手なずけ疾走する場面は、青海湖岸と思われる(tw)
42王の布陣 37:28~冬儿「私は嫁ぎます、…、大王の幼なじみの李信です」(tw,tw)
26           麗姫と始皇帝04     29           42


61韓非の正体 23:00~李斯、嬴政の問いに韓非を評価しその著作を贈る。30:35~嬴政「事を成さんと欲すればまず負けよ(欲成其事 先敗其事)」
67韓非の才 1435~韓非「(君主の法とは)」
68詭計 0540~韓非「従う者には情を背く者には罰を(顺之者应抚 逆之者当诛)」3849姚賈「できぬと分かりながらやったのです(明知不可為而為之(論語-憲問P15twtw))」
69韓の滅亡 03:52~韓非「ついに鯤鵬は名君を得て翼を広げ高く飛ぶ(終究鯤鵬,得遇明主,如今展翅高飛)」李斯の手で韓非を毒殺(赦免の勅命既に遅し李斯は卒倒)https://wishlove.cc/s/9zM25WlR.html
61           67           68           69

61嬴政のセリフ「最近読んだ本の中にこんな一説があった。事を成さんと欲すればまず負けよ(欲成其事 先敗其事)」
これは、韓非子・喩老04(参照)「将にこれを取らんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを与えよ」(取らんと欲するものは、まず与えよ)の箇所と思われる。韓非子2(参照)(P082-喩老(老[子]に喩う)第二十一)P90/92(相互参照)
独孤皇后23 14:38~伽羅「何かを奪いたければ何かを差し出して(将欲奪之、必固予之)」(tw)
74 0900易水の歌2351前227荊軻暗殺失敗(tw,参照)、王翦と李信は燕を攻め主力軍を全滅させた。昌平君は陳郢へ
76裏切り 0303昌平君、景涵の奸計(と華陽太后死により後ろ盾を失い)楚に下る0653蒙恬李信は項燕(項羽の祖父)に大敗(城父の戦い)1430羋一族謝罪に嬴政咎めず2200蒙恬李信上半身裸を縛ってリベンジを誓う(tw)2536郡県制に転換を宣言3049王翦楚討伐
74           76



史記列伝1

(P22-老子・韓非列伝-第三)

(P26-)

P27韓非は、韓の公子の末流である。刑名・法術の学をこのんで、黄帝・老子の道を根本とした。生まれつき吃りで十分に議論をつくすことはできなかったが、よく書を著わした。

李斯(第二巻、李斯列伝第二十七参照)とともに荀卿(孔子・荀卿列伝第十四参照)に師事したが、李斯は韓非にはおよばないと思っていた。

韓非は韓が領土をけずりとられ弱められるのを見て、しばしば書面で韓王を諫めたが、韓王はその意見を活用できなかった。

そこで、韓非は、韓王が国を治めるにあたって、法律制度を修明し、君主たるの権勢を把握して臣を制御し、国を富まし兵力を強くし、人材を求めて賢人を任用することに努めずに、かえって、軽薄でだらしのない虫けらのような小人を挙用して功労・実績のある人々の上位にすえる状態を憂慮し、

P28---儒者は文をもって法令をみだすものであり、任侠者は武をもって禁令を犯すものである。ところが、君主は平常時にはいわゆる名誉の人(儒者)を寵遇し、非常時になると武人を重用する。

これでは、平常君主が厚禄をあたえられているものではない---と考えた。そして、廉直な人々が邪枉な臣下たちのために君主との間をさえぎられるのを悲しんで、すぎさった時代の成敗の変遷を観察して、孤憤・五蠹・内外儲・説林・説難などの十余万字におよぶ書を著わした。

ところで、韓非は君主に遊説することのむずかしさを知悉して、それを「説難」篇につぶさにのべたのだが、秦で非業の死をとげて、みずからそのむずかしさから脱れることはできなかったのである。

「説難」篇にいう---

(略、むずかしいのは、説く相手の心意がどこにあるかを知って、わが説をそれに適中させることの点にある。と指摘している)

P34竜という動物は、よく 狎らしてしまうと、人がその背にのることもできる。しかし、その喉の下に直径一尺ほどの逆鱗があり、誰かがそれにふれると、必ずその人を殺してしまう。

それと同様に、人主にも逆鱗がある。遊説者がよく人主の逆鱗にふれることがなければ、遊説はまあまあ成功だといえよう。

ある人が、韓非の書を秦にまで伝えた。秦王(政。のちの始皇帝)が孤憤・五蠹の篇をみて言った。

「ああ、わしは、これを書いた人人に会って交際することができれば、死んでも思いのこすことはない」

すると、李斯が言った。

「これは、韓非という男が書いたものです」

そこで、秦は急に韓を攻めた。韓王(安)は、はじめ韓非を挙用しなかったが、事態が窮迫するにおよんで、韓非を使者として秦におくった。

P35秦王は韓非がきたことを悦んだが、まだ信用はしなかった。李斯や上卿の姚賈は、韓非の才能が自分たちよりもすぐれているので、自分たちに取ってかわられるのではないかとおそれて、韓非をにくみ、毀って言った。

「韓非は、韓の公子の末流です。いま、王は諸侯の国を兼併して天下を統一なさろうとのぞんでおられますが、韓非は、本来、韓のために挺身して、秦のためにはしないでしょう。

これが人情というものです。そうかといって、王が韓非を挙用なさらずに、久しく秦に留めてから韓におかえしなさるのは、みずから憂患をおのこしになるようなものです。苛酷な法を適用して誅殺なさるにこしたこしたことはございません」

秦王はそのとおりだと思って、韓非を役人の手に下して罪を糾弾させた。李斯は使いのものをだして韓非に毒薬をとどけ、自殺するようにさせた。韓非は直接に秦王に陳弁したいと思ったが、謁見できなかった。

秦王は、韓非に対して取った処置を後悔して、使者を派して赦そうとしてが、そのときすでに韓非は死んでいた。

申不害や韓非は、みな著書を後世に伝えていて、それを学ぶものが多い。わたしは、韓非がせっかく「説難」篇をつくったのに、みずから禍を脱れることができなかったのを悲しむのである。

P36太史公曰く---

老子が貴ぶところの道は、虚無で実体はなく、自然に順応し、なんら作為するところなくして千変万化する、それ故に、その著書・言辞は微妙で理解しがたい。荘子は、老子のいわゆる道徳を敷衍して奔放に議論を展開したが、要は自然に帰一している。

申子は卑近で、道徳を名と実とに適用して刑名の学をおこなった。韓非子は、すみなわを引いたようにきちんと法規を制定し、世事人情に切実で、是非の別を明らかにしたが、究極的には残忍刻薄で恩愛の情にかけている。

みな道徳の意を本としているが、老子が最も深遠である。


*1---通行本には「老荘申韓列伝」に作るものが多いが、『史記』の「太史公自序」にしたがって「老子・韓非列伝」とした。

*2---形名と同じ。法家の学で、官吏を任用する場合に、その議論(名)と実際(形)とが一致するかどうかをみきわめる君主のための政治学。


小説十八史略1

(P373-同門の弟子 荀子→李斯、韓非)(相互参照)


韓非子1

(P229-孤憤(孤りの憤り)第十一)


韓非子2

(P024-解老(老[子]を解く)第二十 二 [第五十八章の解])
024禍兮福所倚/ 026/ 028/ 030/ 032

韓非子2

(P082-喩老(老[子]に喩う)第二十一)


韓非子4

(P178-五蠹(五つの蠹)第四十九)


史記列伝2 李斯列伝第二十七

P50/ 52/ 54百里奚、蹇叔、…/ 56/ 58/ 60/ 62/ 64/ 66/ 68/ 70/ 72/ 74/ 76/ 78/ 80/ 82/ 84/ 86/ 88

荊軻、暗殺決行
1)大秦賦74 09:48~渡易水歌※27:45~暗殺決行
2)麗姫と始皇帝44 32:57~渡易水歌※
3)麗姫と始皇帝48 12:35~暗殺決行
1)               2)               3)

※渡易水歌風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。探虎穴兮入蛟宮,仰天嘘兮成白虹。(風は吹きすさび易水の流れは冷たく、壮士は去りて二度と帰らぬ。虎穴を探して蛟宮に入る、天にうそぶけば白き虹が立つ)
前半二句は史記列伝2 刺客列伝 第二十六P44に有り。後半二句は後の創作と思われる(tw)。

史記列伝1 魯仲連・鄒陽列伝 第二十三
P 422/ 424/ 426/ 428/ 430/ 432/ 434/ 436白い虹(武器の象徴)太陽(君主の象徴)/ 438/ 440/ 442/ 444
源氏物語3葵・賢木・花散里(阿部秋生ほか) [23]源氏参内して、帝と昔今の物語をする
P 172/ 174/ 176白虹日を貫けり。太子畏ぢたり(tw)

78終 13:26~斉の使者が降伏の意向を伝え、離秋が兄の斉王の説得に斉に赴く(tw)

嬴政のセリフに「~秦へ下るならば、昔、斉に来た陶朱公と同等の財を保証し宗廟は受け継がれよう~」とあった。陶朱公とは范蠡のことである。范蠡は「飛鳥尽 良弓蔵 狡兎死 走狗烹」の言葉が象徴するように「時機」を心得た人物として知られている。

史記列伝3 貨殖列伝-第69

P440/ 442
P444 列国の君主よりも富裕であった。こうして、斉の富強について、威王・宣王に至ったのである。

それ故、「倉廩(米倉)実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」(『管子』牧民篇)と言われるのである。礼は財産があれば生まれ、財産がなければ廃れる。さればこそ、君子が富めば好んでその徳をおこない、小人が富めばその力相応のことをする。

淵は深いから魚がおり、山は深いから獣が棲むように、人は富裕であってこそ仁義が伴う。富裕な者が勢いを得ればますます世にあらわれ、勢いを失えば賓客もよりつかなくなり、楽しくなくなる。

このことは、夷狄においてはますます甚だしい。諺に、「千金の子は、市に死せず(千金の財をもつ富者の子は、罪を犯しても、市場で刑殺されることはない)」とあるが、これは空言ではない。

だから、「天下の人々は、和楽してみな利のために集まり、入り乱れてみな利のために去る(天下熙熙皆为利来,天下攘攘皆为利往)」と言われるのである。かの千乗の封国をもつ王、万家をもつ大夫さえ、なお貧乏を患える。まして、しもじもの庶民はなおさらである。
金蘭良縁39 32:19~(tw)  国子監は花ざかり09 13:14~(tw)
むかし、越王勾践は会稽山(浙江省)の上で困窮し、范蠡と計然(范蠡の師という)を重用した。計然は言った。
(略)
P446范蠡会稽の恥をすすいでから、嘆息して言った。

「計然の施策は七つあり、越はそのうちの五つを用いて本懐をとげた。すでに国に実施したのだから、私はこれを家に適用してみよう」

そこで、小舟に乗って江湖に浮かび、姓名をかえて、斉に行って鴟夷子皮と称し、(山東省)に行って朱公と称した。

朱公は---は天下の中央であり、四方の諸侯の国に通じており、物資の交易がおこなわれるところだ---と考えて、生業に従事し、物資を蓄積しては、時機をみて売って利益をおさめたが、ただ自然の時機を待つだけで、人のはたらきには頼らなかった。

このように、よく生業を営む者は、取り引きする相手を択んで、あとは自然の時機にまかせるのである。朱公は十九年の間に三度も千金を積み、そのうち二度まで分け散じて、貧しい友人や疎遠な親類に与えた。これこそ、いわゆる「富めば好んでその徳をおこなう」者である。

後年、老衰して家業を子孫にまかせた。子孫は家業を収めて増殖し、ついに富は巨万に達した。それ故、富について語る者は、みな、陶朱公を称えるのである。

コウラン伝

コウラン伝05 30:35~「繞梁」の逸話(tw,tw)
37 3055英雄は美女を愛する(相互参照)
史記列伝2 呂不韋列伝 第二十五
008/ 010/ 012/ 014

P016 始皇の七年(前二四〇年)に、荘襄王の母の夏太后が薨じた。孝文王の后は華陽太后といい、孝文王とともに寿陵(孝文王の陵。長安の東北)に合葬されていた。また、夏太后の子の荘襄王は芷陽(長安の東)に葬られていた。それ故に、夏太后は別に単独で杜(長安の東南)に葬られた。それは、夏太后が「東にわが子を望み、西にわが夫を望みたい。百年後には近傍に一万戸の邑がでるだろう」と言っていたからである。
コウラン伝60 27:15~夏大太后逝く「杜の東に葬ってね…」41:~10でも、好きだった
始皇九年に、「嫪毐は実は宦者ではありません。常に太后と私通乱行して子二人を生み、みなこれを匿し、太后と相談して、『王がもし薨じたら、自分たちの子を後嗣にしよう』と申しております」と密告する者があった。そこで秦王(始皇)は役人に命じて取り調べさせ、くわしく実情をしった。事は相国呂不韋に連なっていた。九月に、嫪毐の三族を皆殺しにし、太后が生んだ二人の子も殺し、ついに太后を雍に遷し、もろもろの嫪毐の舎人は、みなその家産を没収して蜀(四川省)に遷した。

王は相国をも誅殺したいと思ったが、その先王につくした功績が大きく、また、賓客・弁士のうちに相国のために弁護する者が多かったので、法を適用するに忍びなかった。十年の十月に、相国呂不韋を罷免した。その後、斉人の茅焦が秦王を説得したので、秦王は太后を雍から迎えて咸陽に復帰させた。そして、文信候(呂不韋)を都からだして、封領の河南におもむかせた。
茅焦の諫言
コウラン伝62 38:17~         大秦賦53 35:15~
呂不韋、洛陽に下る
コウラン伝62 36:13~         大秦賦49 01:35~
P017その後一年余り、諸侯の賓客や使者が蘄年宮、道路に引きつづいて文信候に謁見を求めるありさまであった。秦王は謀反をおこされるのを恐れて、文信候に次のような親書を賜うた。「あなたは秦に対するいかなる功労があって、秦があなたを河南に封じ、十万戸の食邑をあたえているのだろうか。また、あなたは秦といかなる血縁があって、仲父とよばれているのだろうか、その家属とともに移って蜀に居住するように」

呂不韋は、次第に権勢を剥されて果ては誅殺されるだろうと考えて、酖毒を飲んで死んだ。秦王が怒りの対象としていた呂不韋と嫪毐がみな死んでしまったので、嫪毐の舎人で蜀に遷された者すべてを都に復帰させた。始皇の十九年(前二二八年)に、太后が薨じた。帝太后と諡し、荘襄王とともに 茞陽(芷陽)に合葬した。
大秦賦64 呂不韋自害 01:35~
太史公曰く---
嫪毐は呂不韋のおかげで尊貴になり、封ぜられて馬信候とよばれた。ある人が嫪毐を密告したとき、毐もそれを仄聞した。秦王は左右の者に問うて証拠を固めようとし、まだ事を公表しなかった。そして、雍におもむいて郊祀(郊外において天を祀る)した。毐は禍がおこるのを恐れて一党と謀り、いつわって太后の印璽を使って、兵を発して蘄年宮で反乱をおこした。

秦王は役人をくりだして毐を攻めさせた。毐は敗走した。役人は追跡してこれを好畤(陝西省)で斬り殺し、ついにその一族を滅ぼした。

P018呂不韋もこの事件によって落ち目になった。孔子のいわゆる聞---表面は仁者のようで評判はよいが、内実は仁を実行しない人---とは、呂不韋のような人物を指すのであろうか。
コウラン伝51 28:41~劳心者治人 劳力者治于人(勞心者治人、勞力者治於人。心を労する者 人を治め 力を労する者 人に治められる。『孟子』滕文公上(参照1参照2))

『孟子』P157/159


関連リンク

・GoogleマップでWeb旅行!始皇帝の道 戦った場所(参照
あらすじとGoogleマップをリンクさせた素敵なサイトです!



大秦賦メモ

02 2949嬴異人と華陽夫人初対面、陽春曲、屈原、雲中君「浴兰汤兮沐芳,华采衣兮若英」

06 3539荘子曰く、近場に行くものは一日分の食で足りる、…、万里を行く私は怠けられない。

07 3445孟子曰く、臣下を手足の如く尊重すれば、臣下も自身の体の如く王を大切する。臣下を犬馬のように扱う王は、ただの民草同然に見なされる。

17 0855呂不韋、李斯に「荀子に学んだのは儒家or法家?」李斯「法家です。・・・・」

20 0310前245趙王趙丹逝く、趙偃即位1257●廉颇丞相代理辞任3408廉颇趙を去る

22 0328李斯の策、天下統一したら封建制の廃止。嬴政と李斯の志が一つになった瞬間0410嬴政知らぬ間に呂不韋甘羅ら秦と趙同盟により趙燕戦、趙は燕から36県奪い11県を秦に譲る。秦と燕の不和、甘羅は嬴政に斬殺、李斯は長史に昇進3936前241年李斯御史昇進のはずが王綰に

23 2940羋華との出会い(華陽太后の謀)3429のろし台の逸話(褒姒と周幽王)

24 2858愛する人に嫁げるなら苦労さえ甘美なもの4021嬴政が「男になった」ことを趙太后に伝える宦官●冬儿にいつか嫁がせてあげると太后

25 2208淳于越

26 0516王妃は立てない0849晋の献公の驪姫

27 2318項燕初登場

28 1344前241最後の5国合従軍秦を攻める4225蕞(さい)城守る、戦い蕞(さい)の戦い

29 0635樊於期、太子丹を見逃す3000成蟜、野生馬を手なずけ評価高まる

30 1419前240蒙驁夏太后逝く3344呂不韋の意図を李斯は見抜いていた。成蟜の件を口実に大王の親政を阻止するのだと

33 1309成蟜死罪3542●華陽太后「成蟜の死は親政を阻止するための一歩でしかない」嬴政「さすが太后、では、今後私がどうすべきかおわかりでしょう。第二の昭王にはなりたくない」

35 1258●渭陽君嬴傒、趙姫への複雑な思いを心に秘め王族の栄誉と人倫の束縛が心の中で鎖になり嬴傒は苦しんでいた3112呂不韋を襲い李斯に匿われていた嬴虞(密偵として)嫪毐の食客となる

36 魏の密偵・破嫪毐の食客となる0322武器庫、呂不韋が備蓄した武器の数々0800●桃夭1316鄭国渠視察

37 1515樊於期、魏の垣城と蒲陽を落とす2829前238楚王逝く。陽泉君と李斯、使節として楚へ。嫪毐、太后との秘密を知っている李斯へ刺客を送る

38 0257嬴政「今や礼節は廃れた徳を以て国を治めるなら我が命のあるうちは統一は果たせぬ」0527春申君暗殺される0906「太子悍が春申君の子」1728李信、陽泉君と李斯を嫪毐の刺客から救う3442扶蘇誕生、李斯「山上に扶蘇茂り水面に蓮花咲く」

39 嫪毐、鄭貨の刺客に襲われる4300嬴虞、関内候を捕らえる

40 関内候死2333嫪毐、身重の紫(趙姫が嬴傒に妻にと送った間者)を犯す。嫪毐趙姫の秘密をばらし身投げ2700嬴政、嫪毐の狼藉を知る3412●嬴虞、嫪毐趙姫の秘密を嬴政に伝える

41 3900嬴政、嫪毐趙姫の子供と対面

42 1800嫪毐の謀反に備えて。嬴政、李斯に「李信を?」李斯「知っています、命の恩人です」嬴政「今は桓齮の下にいる。軍の動きに留意させろ。桓齮と王翦を極秘に呼べ」3728冬儿「私は嫁ぎます、…、大王の幼なじみ李信です」

43 1553趙姫に子供がいることを知った呂不韋の心の内「太后に与えた玩具が国を危機に陥れる危機に陥れるとはあまりに予想外であった」2921李信、3438●嬴政は冬儿に何を話そうとしたのだろう?

44 0953●呂不韋「なぜ嫪毐を殺すのを止めたのです」嬴政「秦の法が裁くのは行為です」(本当の狙いは嫪毐の謀反を利用して呂不韋を倒すのが狙い)1348嬴政、樊於期に「扶蘇と冬儿を託す」3839驪山軍営、李信と王賁、異変気付く

45 2727冬儿死3605樊於期、扶蘇を救出

●47 0809前238.4加冠の儀を咸陽帰還、無衣岂曰无衣0923●冬儿の遺体を前に佇む嬴政1505●嫪毐、呂不韋が宮中に送り込んだと自白2300嬴政と呂不韋2700論功行賞3326趙高の黙々と働く姿が嬴政の目に留まる

48 0138宗室の取り立てが少ないとの嬴傒の申し立てに秦の法に基づいて行っていると嬴政

49 0439呂不韋、咸陽から領地の洛陽へ3811逐客令
50 1623李斯「客臣を追放するとは遺憾の極みなり、かつて穆公は西は戎から由余を求め東は宛から百里奚を得た。蹇叔を宋より迎え丕豹公孫支は晋から来た。この五子は秦の産にあらず。しかし穆公はこれらを用いて二十の国を従え西戎の覇者となった」との書信を嬴傒に渡す。1815鄭国復帰
51 2830李斯の上申書により逐客令は廃止

52 0325楊端和と李信、魏攻め

53 先に攻めるのは?韓(李斯)趙(王翦)1930趙、太后拉致計画2930太后を咸陽に戻す方策、李斯は斉の使者茅焦に太后のことを語らせる●釜茹。

54 1700嬴政、誘拐された太后を救出、咸陽に迎える2819●国尉尉缭、誘拐で捉えた郭開や頓弱を使い趙を計略によって攻めることきめる

55 1300頓弱を使った秦の計略2434秦との同盟のため趙王偃自ら秦にやって来ることに(計略通り)3706文字の統一4200燕の太子丹再び秦の人質に

56 秦趙同盟かけひき2246狩場にて。李信(趙王偃による)嬴政暗殺阻止4043辛勝(春平君趙佾による)趙王偃暗殺阻止

57 0918●趙王偃「戦いはだまし合いだ。敵の虚を突いてこそ勝てる(兵者詭道也 出其不意攻其不备)」2040燕の太子丹が太后趙姫をけしかけて趙王偃を襲撃(失敗)盟約は潰れたかに見えたが嬴政が一計を案じて盟約成立


58 0455●燕の太子丹「趙が盟約を結んだのは燕を攻めるためだというのに、盟約を破棄して共に趙を攻め邯鄲の恨みを晴らそう」1702●趙との盟約の目的、趙を平定するため2005前236趙王趙偃は龐煖率いる主力軍に燕を攻めさせた

59 1239●李斯「趙王は趙佾と李牧を代地に送り龐煖は燕で苦戦」嬴政「王翦に伝えろ、橑楊を突破し邯鄲を攻めよhttp://www.maroon.dti.ne.jp/ittia/History/Ohsen.html」その時書いていた文字「否极泰来(不幸が極まれば道は開ける)」2020龐煖、邯鄲に戻る途中、秦軍に襲われ、将軍を辞しどこかに消える2438李牧が戻ったことにより邯鄲攻略ならず3525膠着状態、鄭国渠、文字統一で燕の太子丹ともめる嬴政

60 2517●前236倡后の誘惑に負けた趙佾との濡場の現場を見た趙偃憤死、倡后の子趙遷即位

61 0136春平君趙佾「悼襄王が秦の謀略にはまり魏燕韓とも亀裂が生じた」合従の話し合い3038嬴政「事を成さんと欲すればまず負けよ(欲成其事 先敗其事 韓非子)」老子「取らんと欲するものは、まず与えよ」に喩えて「将にこれを取らんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを与えよ」http://sloughad.la.coocan.jp/novel/master/achaina/kanpi/kanpindex.htm

62 統一文字秦篆による商取引は韓非により阻止されるが李斯により復活

63 0510斉の合従離脱への対抗策として呂不韋を利用しようと韓非2650嬴政「責任は重大だ、蜀へ流せ」3727~呂不韋自害

64 0137●前235嬴政12年呂不韋自害無衣岂曰无衣0900~李斯「文信候は大王と秦のために命を絶ったのです」3515●前233李牧に肥下の戦いで敗れ平陽城にて桓齮自害3739韓非から太子丹に密書3900嬴政東進はじめての挫折

65 0513太子丹と韓非と趙佾1348嬴政6国弱体化策銅鉄不足策1613鄭国渠2700李牧vs王翦3015●樊於期と太子丹再会4006李牧と郭開

66 (樊於期案)太子丹が匈奴経由で李牧に銅鉄を供給0607私鋳に絶望する韓非2042移民厚遇2905「故なく城を攻めず 罪なき者を殺めず 人の親を殺め 子女を妾とするは盗みなり(用兵不攻 无过之城 不杀无罪之人 夫杀人之父兄 臣妾人之子女 此皆盗也)」https://kanbun.info/shibu02/utsuryo08.html3427「道を得るものは助け多し、太助すくなきは親戚も背き、助け極まれば天下もこれに従う(得道多助,失道寡助、寡助之至、親戚畔之、多助之至、天下順之)」http://www.maroon.dti.ne.jp/ittia/XunziMencius/LuckyIsNotAsLooksIsNotAsCooperation.html

67 0823李師「龍の逆鱗にふれれば…」1435●韓非「(君主の法とは)」

68 0540●韓非「従う者には情を背く者には罰を(顺之者应抚 逆之者当诛)」3849姚賈「できぬと分かりながらやったのです」

69 0352●韓非「ついに鯤鵬は名君を得て翼を広げ高く飛ぶ(終究鯤鵬,得遇明主,如今展翅高飛)」李斯の手で韓非を毒殺(赦免の勅命既に遅し李斯は卒倒)https://wishlove.cc/s/9zM25WlR.html 2507寧騰南陽謀反(李信が丞相張讓をひきつける姚賈の策略)3530前230韓降伏(趙魏楚は助けず)

70 0605前229趙攻め

71 3606邯鄲総攻撃

72 0623前228趙滅亡3729太后趙姫逝く

73 0400前228哀王と李園を殺し楚王負芻即位3633荊軻

74 0900易水の歌2351前227荊軻暗殺失敗、王翦と李信は燕を攻め主力軍を全滅させた。昌平君は陳郢へ

75 王賁は丹陽落とす1010●王翦と李信は遼東、楊端和と蒙恬は韓、趙の旧地に駐屯、王賁は魏と対峙。大梁攻め難攻。1819昌平君(王賁魏攻め援護のため楚を抑える)景涵和平交渉2039●大梁水攻め2529前225魏降伏2636楚攻めについて王翦と李信2935封建制について3307嬴政「鶏はねぐらに帰り日は暮れて羊牛は山を下りる(詩経「君子于役」、鸡栖于埘,日之夕矣,羊牛下来)http://www.hitsuzi.jp/2015/06/2500sheep.html https://kanbun.info/syubu/shikyo_kunshiu.html」「封建は保留」3421●【王翦と嬴政】封建について

76 0303昌平君、景涵の奸計(と華陽太后死により後ろ盾を失い)楚に下る0653蒙恬李信は大敗(城父の戦い)1430羋一族謝罪に嬴政咎めず2200蒙恬李信上半身裸を縛ってリベンジを誓う2536郡県制に転換を宣言3049王翦楚討伐

77 2010王翦「戦で重要なのは心を攻めること(攻城為下、攻心為上)」3750前223王翦項燕を破り楚は滅亡

78 0142蒙恬「王翦李信は呉越の地に王賁は遼東に向かい残るは斉のみ高唐の主力軍をたたけば臨淄は落ちます」1318田冲「斉は秦に降伏します」(離秋夫人は斉王の妹)1414嬴政「昔、斉に来た陶朱公と同等の財を保証し宗廟は受け継がれよう。投降を拒めばただちに高唐を攻める、臨淄は塵と化す」2139●田冲「小事にこだわる者は威厳を失い、薄恥に耐えぬ者は名声を失う(效小节者不能行大威,恶小耻者不能立荣名https://so.gushiwen.cn/mingju/juv_05ad956e29ea.aspx、戦国策、小節に傚(いた)す者は大威を行う能わず小恥を悪む者は栄名を立つる能わず(小さな操を立てる者には大きな威令を行うことはできず、小さな恥を憎むものには栄えある名声を揚げることはできない))」