ドル買い事件はなぜ起こったのか
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国民の貧困に襲いかかった大不況
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軍部とファシズムの勢力拡大(相互参照)
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犬養毅が殺されてほぼ二年後、一九三四年三月九日には、株売買をめぐる帝人事件の疑惑を厳しく追及していた時事新報社長の武藤山治(元鐘淵紡績社長)が、新報社に出社する途中、失業者の暴漢に襲われ、凶弾五発を浴びて倒れ、翌日に息を引き取った(相互参照)。
この暗殺はほかのテロと性質が違い、どす黒い謎に包まれている。皮肉にも武藤は、三井の中でただ一人、五・一五事件の犬養毅暗殺直後から、三井が利益をあげすぎて、資本主義の利益が社会に還元されていない、資本主義は間違った方向に進んでいる、と警告を発していた人物であった。
団琢磨が殺され、テロにおののいた三井・三菱・安田は、社会に対して何か手を打たなければ危ないことき気づいた。明治時代には、軍閥を生み出す維新の志士と手を結んで資金係となった彼ら財閥だが、不思議なことに、その系譜は商人と実業家の長者ばかりで、軍人がほとんどいなかった。
三井家の系図には、古い維新政府の海軍大将をつとめた薩摩の川村純義の孫娘が三井生雄と結婚しているだけで、大正以降の大日本帝国の軍人は一人もいなかった。
P333岩崎家、住友家、安田家にも軍人が一人も見当たらず、古河家が結婚した西郷一族も日清・日露戦争までの軍部主義者である。この時代には、西郷家がみな実業家になっていた。
つまり財閥側は、軍隊を育てても、自分たちが金もうけにうつつを抜かしているあいだ、血気にはやる青年将校たちに首輪をつけていなかったことき気づいたのである。
浅野財閥の初代・浅野総一郎の孫娘・歌子が、天皇神権を崇拝する皇道派を率いた陸軍大臣・荒木貞夫の息子・荒木貞発に嫁いだのは、この一九三○年代よりあとであった。
復古主義の荒木は、二・二六事件を起こす青年将校たちからクーデター後の総理大臣に予定されていた人物だが、「竹槍で近代兵器に勝てる」と主張した頭脳だから、軍人としての実力があろうはずはない。しかし最も危険な人物である。
この陸軍大臣・荒木貞夫と共に、満洲国の建国を進めたのが、海軍大臣・大角岑生である。彼は、ロンドン海軍軍縮条約(相互参照)の締結を求める理性派の人間を海軍から一掃する派閥人事をおこなったことで、軍人のあいだで悪名高い。
この海軍大臣の子供二人が、一人は三井家に、一人は安田家に入って結婚したのが、やはりこの一九三○年以降であった。財閥側が、急いで婿や嫁を軍部の支配者に差し出した図に見える。
ドル買い事件で矢面に立たされ、さんざん叩かれた三井は、殺された大番頭の団琢磨が、ただ優秀な技術者という人物ではなかった。私生活において「入ったものはすべて自分の懐に入れる人間」と評されていたのである。
団の後を継いだ池田成彬は、すぐさま改革に着手した。
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新時代の軍需産業のスタート
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財閥が生み出した新たな侵略主義
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日中戦争の金融を動かした池田成彬と結城豊太郎
信語
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日本興業銀行と巨大な軍事融資
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中島飛行機と満洲重工業開発の台頭
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新興財閥を率いた総帥の横顔
P360中島知久平・鮎川義介・野口遵/
362津田信吾・石原広一郎/
364森矗昶/
366大河内正敏/
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反旗を翻した人間たち
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