2025年9月13日土曜日

偏愛メモ 『おしゃれの哲学』

第一章 「綺羅」と「素」P22-52

3.1日本人の化粧
P363.2「綺羅の美」と「素の美」(相互参照)/ 38/40未完成の美意識(草薙正夫)/42
(略)
ところで、能は、衣装だけを見ると「綺羅の美」に見えますが、舞台芸能としてみると、表現のポイントは、きらびやかな衣装よりも、顔の表情を能面で隠し、仕草を極度に抑制することにあります。

わずかな仕草ひとつひとつに相当な努力が隠されているので能は「素の美」ということになります。

3.3 ナチュラルメークは「素の美」

第三章 「みたて」「したて」「やつし」P110-143

P110 3.1「みたて」
P112 3.1.2「みたて」の構造
P114 (2)「みたて」のための「かくし」
もう一つ、「みたて」の効果を高める手法として「かくし」があります。本来「あるべき物」がない、それがないことによって、理想的な形の「あるべき物」が想像される、というものです(tw)。

「かくし」による「みたて」の代表的な例として、枯山水があります。枯山水が現れるまでの日本の庭には、池と川が欠かせませんでした。しかし、枯山水には池も川もありません(だから「枯」山水と名づけられたのですが)。

その欠落感と、きれいに掃き整えられた砂を「きっかけ」にして、見る人の心のなかに広大な海や深山幽谷が想像されるのです。

また、演劇を始めとする舞台芸能にも「みたて」の側面があります。舞台芸能においては、舞台装置や役者の扮装を「きっかけ」に、舞台や役者を「みたて代」にして「みたて」が行われます。

そういった舞台芸能のなかでも、とくに能は、「みたて」が不可欠の成立要件になっている芸能です。

能では、「みたて」の効果を高めるために、先ほどお話した「かくし」が使われています。能では、本来、舞台芸能では重要な役割を果たす顔を面で覆って演者の表情を隠し、体の動きを極限まで抑制された仕草にして隠しています。

そうした抑制のなかでの微妙な仕草、たとえば手の置き所や動かし方などの演者の細やかな気遣いや、面の角度を変えることによる表情の変化などを「きっかけ」にして、観客は登場人物の感情の変化を凝縮した形で感じるのです。

逆に言えば、能は、抑制に徹しているからこそ、観客の感覚も鋭敏になって、微妙な変化を読ませるということにもなります。

P115「かくし」は、隠されてるからこそ想像力が活発にはたらくという人間の心理を突いた仕掛けです。(「素の美」P42参照

(3)「上昇的みたて」と「下降的みたて」
(略)
P116「みたて」の例
P118 3.2「やつし」
120/ 122
P124 3.3「したて」
126/ 128
P130 3.4「みたて」「やつし」「したて」の関係
132/ 134/ 136
P138 3.5「やつし」の可能性
140/ 142

【関連】
・顔を隠すに関連する「虫垂衣」
・「「重ねる」にみる日本文化の様式美とその精神。時を重ね、陰翳を重ねる|Gutti グッチ