2018年8月9日木曜日

偏愛メモ なぜマーシャル将軍は5月に提案された太平洋戦争終結のための最後通告を「時期尚早」といったのか?見方が違う二つの著書より

■「国防長官はなぜ死んだのか」102-126


P102 海軍長官として、フォレスタルは日本との戦争を終わらせる計画を対日戦勝記念日(アメリカでは8月14日)の五か月半も前に立案していた。彼の計画は1945年3月1日までにどんどん流れ込んでいた情報に基づいたものだった。日本はすでに降伏の強い意向をもち、天皇がローマ法王に和平の仲介を求めてすらいるという情報だ。

もしルーズヴェルトがフォレスタルの計画にしたがって行動していれば、戦争は数日のうちに終わっていたはずだ。原爆がヒロシマとナガサキを灰にすることもなく、何千ものアメリカ兵が沖縄戦以降の不必要な戦闘で命を落とすこともなかっただろうし、ロシア軍が1347日間続いた太平洋戦争の最後の6日間に参戦する機会を得ることもなく、ワシントンがロシアに全アジアの征服の鍵を手渡す名目を与えることもなかっただろう。

P103 もちろん、この最後の点こそが、政府内のソ連の同調者がルーズヴェルトにフォレスタルの計画を拒否するように急いで説得し、アメリカ国民が数えきれない同胞の命を救うことのできたこの機会について何も耳にしないように手を回した理由だった(これらの事実は後になって、海軍情報副部長エリス・M・ザカリアス少将と、日本政府首脳の証言により確認されている)。

5月に、太平洋戦争を終わらせるもう一つの動きが、同じように葬られた。ドイツ降伏と同じ月、トルーマンは日本への最後通告を承認し、軍の是認に委ねた。しかし、5月29日、マーシャル将軍はそれを「時期尚早」として除けた。

その前日に、ハリーホプキンスがモスクワでスターリンと会談し、赤軍が「満州への配備を十分に整える」には、8月8日までかかるという情報を聞きだして、急いでワシントンに電信を送ったことは重要だ。つまり、ロシアがヤルタ会談で約束された領土を手に入れるためには参戦のジェスチャーを見せる必要があったので、スターリンはアメリカが日本と講和するのを8月8日より後にしたかったのだ。それ以外に戦争を長引かせる理由はなかった。

マーシャルが最後通告を拒否することがなければ(結局、7月27日に日本に対して通告が発せられた)、戦争はおそらく8月中旬ではなく6月中旬に終わっていただろう。そして、赤軍ではなく、アメリカ軍と中国国民党軍が日本の関東軍の降伏をうけいれていただろう。その場合は延安の共産軍が奉天の兵器工場と満州の工場や鉄道を押さえ、中国全土の掌握に役立てることもなかった。

P104 陸軍省(マーシャル)が朝鮮戦争を38度線で分断する機会をもつこともなかったし、朝鮮戦争も起こってなかったはずだ。日本への「平和攻勢」を遅らせることで、マーシャルは太平洋戦争を2か月間長引かせ、ロシア赤軍が勝利の分け前にあずかれるようにしたのだ。

7月末、フォレスタルはもう一度太平洋の虐殺を終わらせるための努力をした。今回、彼は状況があまりにも深刻だと考え、ベルリンのポツダム会議に11時間もかけて飛んだ。トルーマンにロシアを太平洋戦争に引き入れることは大きな災難を招くと警告し、不必要に厳しい無条件降伏を性急に日本に求めることは虐殺を長引かせるだけだと主張するつもりだった。彼の劇的なフライトは7月6日の前駐日大使ジョセフ・C・グルー国務次官との会話に触発されたものだった。

8月半ばまでに、グルーは退任してディーン・アチソンが後を継いだ。フォレスタルは『日記』にこう書いている。
・・・(グルーは)大統領から日本に渡すべき提案文書の草案をようやく形にすることができて満足していた。その目的は「無条件降伏」という言葉によって何を意味するかを明確にすることだった。しかし、彼は大統領に随行する者たち(とくに[チャールズ・]ボーレン)によって(ポツダム会談への)道中、その部分が削られるのではないかと不安だとも言った。彼らは、ロシアが参戦する機会を得る前に日本との戦争を終わらせるために考案された明確な条件を与えるわけにはいかないという考えをもっていた。
どうやらグルーの懸念は十分に根拠のあるものだったようだ。フォレスタルがベルリンに到着したときにはすでに時遅かった。彼の飛行機がワシントンを離れたころ、ポツダムの最後通告が日本に与えられていた。

■「初代国防長官フォレスタル」094-108


P98 一方、フォレスタルが硫黄島のあとにフィリピンに立ち寄った際、マッカーサー将軍でさえ、満州に残る関東軍の「精鋭200万」に対処するため、少なくとも60個師団のソ連軍の参戦を確保しなければならないと力説していた。マーシャル将軍もソ連の対日参戦を軍事的に不可欠と論じた。統合作戦計画委員会によると、来るべき一連の日本侵攻作戦には22万人のアメリカ軍の死傷者が見込まれていたのである。なにしろ、第二次世界大戦全体でのアメリカ軍の死者が26万であるから、これはやはり無視できない数字であった。今度は硫黄島沖縄での激戦と若いアメリカ兵の死体の山が、フォレスタルの脳裏をよぎった。

アメリカの犠牲の最小化と対ソ不信---フォレスタルのジレンマには、二つの解があった。一つ目の解は、グルー次官率いる国務省の知日派グループによってもたらされた。峻厳な無条件降伏方式を修正し、天皇制を容認することで日本の早期降伏を誘うことである。

P99 天皇制をファナティックな日本軍国主義の源泉とみるアメリカ世論は反発するであろう。しかし、天皇が最後まで対米戦争に反対し、彼の周囲にはリベラルな英米協調論者のいることを、グルーは知悉していた。もちろん、鈴木首相もその一人である。 グルーから趣旨説明の草稿を受け取ったスティムソン陸軍長官は、こう付言した。「このペーパーには、一つだけ不満がる。それは、日本が幣原、若槻、浜口といった西洋世界の指導的政治家と同等にランクされうる進歩的指導者を生み出す能力を持っていることを、十分に論じていない点である。(中略)

おそらく、フォレスタルは幣原の名も若槻、浜口の名も知らなかったであろう。グルーやスティムソンのような日本への思い入れは、彼にはない。
無条件降伏に関するわれわれの見解は、日本軍の降伏であって、国家としての日本の破壊を意図するものではない、と述べるだけで十分なのではないか、と私は尋ねた。ドーマン氏(国務省の日本専門家)は、それでは十分ではない、アメリカは日本の哲学や政体、宗教を破壊するつもりだと日本人が思い込めば、われわれは彼らの真に自殺的な抵抗に遭遇するだろう、と語った。物理的、経済的に彼らを破壊するつもりはないという保証だけでは不十分である、と彼は言った。((フォレスタルの)『日記』1945年5月26日)
P100 この専門家の説明に、フォレスタルは得心する。それでアメリカの犠牲を極小化できるなら、理にかなった取引である。また、前大戦ののちにカイザー(ドイツ皇帝)を残しておけば、ヒトラーの台頭はなかったかもしれない。民主的な改革の夢に燃えるニューディール左派とはちがい、フォレスタルはあくまで合理的なビジネスマンであった。

しかし、マーシャル参謀総長が待ったをかけた。「今これを発するのは時期尚早だと思う」。そこには「今は明らかにされないある軍事的理由」があった。原爆開発である。アメリカ軍の犠牲者の極小化と対ソ不信というフォレスタルのジレンマの、もう一つの解である。

フォレスタルら海軍首脳が原爆開発について知らされたのは、4月末である。陸軍のレスリー・グローヴズ少将の下で組織されたマンハッタン計画は、すでに20億ドルの巨費を原爆開発に投じていた。これこそ偉大な前大統領が「望んでおられた」計画である。だが、スティムソン陸軍長官は、原爆の使用についてはまだ確定した方針はない旨を、トルーマン大統領に伝えた。

P101 そこで、スティムソンを長とする陸海軍と国務省の暫定委員会が発足した。ラルフ・バード海軍次官は、人道上の観点から原爆の使用に反対した。彼は中国のどこかの沿岸で日本の使節を接見し、原爆の破壊力とソ連の対日参戦が近いことを通告して降伏を促すよう、スティムソンに提案した。しかし、陸軍長官からの返事はなかった。こうした事前通告論や太平洋の無人島での爆発のデモンストレーション論は、政府内で他にも存在した。(中略)

5月31日、暫定委員会は、事前通告なしの原爆の早期使用を、大統領に勧告した。バード時間は辞任する。6月18日、米英ソの首脳会談を一か月後に控えて、トルーマンは政府と軍部の最高指導者をホワイトハウスに集めた。76万人からなる九州上陸侵攻作戦(オリンピック作戦)を11月11日に開始することが承認された。その次には関東平野上陸侵攻作戦(コロネット作戦)が予定されていた。これらの作戦が無視しがたい犠牲をともなうと予測される以上(のちには50万人とか100万人とかいう数字が流布するが、これは根拠に乏しい誇張である)、原爆投下への反対論は、グルーとリーヒ大統領付幕僚長ら少数を除いては、ほとんどいなかった。二人は無条件降伏方式の変更を強く求めたが、トルーマンはアメリカ世論の動向を気にしていた。こうしたなかで、フォレスタルはオリンピック作戦の結果を見届けて、主要な決断を下すよう提案している。

P102 7月13日、トルーマン大統領は、米英ソ首脳会談のためポツダムに向かった。スティムソン陸軍長官も、77歳の高齢をおしてこれに同道した。腹心のマックロイ次官補が彼を支える。この日、アメリカ政府は重要な秘密情報を入手した。フォレスタルの『日記』に聞こう。
日本が戦争から抜け出したがっている最初の確実な証拠が、今日届いた。東郷外相から佐藤駐ソ大使宛の電報が傍受され、そこでは、モロトフがポツダムに出発する前に会見し、・・・天皇の戦争終結の強い意志を伝えるよう指示している(『日記』1945年7月13日)。
日本政府も和平を望んでいるのである。しかし、この期に及んでソ連に仲介を期待するとは、どこまで非現実的な国際認識であろうか。

大統領一行がポツダムに到着した翌日、ニューメキシコ州のアラモゴートで原爆の実験が成功した。「手術は今日おこなわれました。・・・グローヴズ医師はお喜びです」という電報が、5時間後にスティムソンの手元に届いた。トルーマンは、日本本土上陸なしに戦争を早期終結させる可能性を考え始めた。チャーチルも原爆の使用に賛意を示した。スターリンですら表面上は平静を装って、「それを聞いて嬉しく思う。日本に対して、有効に使用されることを望む」と語ったという。

事態の進展に触発されて、フォレスタルは招かれざる客としてポツダムに駆けつけた。しかし、彼が到着する二日前に、ポツダム宣言はすでに発せられていた。その主要な部分は以下の通りである。
10 われわれは、日本人を民族として奴隷化し国民として滅亡させることを意図するものではない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含むすべての戦争犯罪人を厳格に処罰する。日本政府は、日本国民のうちに民主的傾向が復活され強化されるよう、それに対する一切の障害を除去しなければならない。・・・
12 上記の諸目的が達成され、日本国民が自由に表明した意志に基づいて平和的傾向を有する責任ある政府が樹立されしだい、連合国占領軍は日本から撤退する。
13 われわれは、日本政府がただちに全日本軍隊の無条件降伏を宣言し、それを誠意をもっておこなっていることを適切かつ十分に保証する措置をとるよう要求する。日本にとって、それ以外の選択は迅速にして完全な破壊あるのみである。
P103 もちろん、ここでは、「日本国民が自由に表明した意志に基づいて」とあるように、天皇制存続が仄めかされている。また、無条件降伏も、国家としての日本ではなく、「全日本軍隊」に求められている。しかし、グルーがあれだけ熱望し、スティムソンもフォレスタルらも支持した天皇制存続への名言はなかった。

当時トルーマン大統領に大きな影響力を持っていtのは、バーンズ国務長官である。彼は国内政治の観点を重視し、アメリカ世論への配慮から天皇制存続の明言を避けるよう、大統領に勧告したのである。実際、世論調査ではアメリカ国民の三割以上が天皇の処刑を、また三-四割が日本民族の奴隷化を望んでいた。

P104 スティムソンはこのポツダム宣言を遺憾とし必要なら「大統領が口頭で外交チャンネルを通じて[天皇制存続]保証を与える可能性」を示唆し、トルーマンもこれを約束した。

予想どおり、日本政府はポツダム宣言をすぐに受諾できなかった。受諾による陸軍の暴発を恐れて、鈴木首相は「ただ黙殺するのみである」との声明を発表したのである。鈴木は国内説得のためにまだ時間を要した。「初代国防長官フォレスタル」

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