2022年8月4日木曜日

偏愛メモ 『アメリカの鏡・日本』

第三章 世界的脅威の正体 P94-156

3.1 つくられた脅威 P96-110
(P104)

P104一九四四年二月二十九日には、ノックス海軍長官が米潜水艦は日本の艦船のほぼ半分を沈めたと発表した。「日本は所有する、あるいは押収または購入によって取得した全輸送船七五〇万トンのうち三〇〇万トン以上を失った」。これに対して、同作戦中にわが方の潜水艦がこうむった損害は「驚くほど小さい」ものだった。

一九四四年五月の段階で、フォレスタル海軍長官の言明として伝えられたところによれば「われわれは太平洋の敵領海内二四〇〇キロの地域で思いのまま作戦活動ができる」ところまできていた[注8]。

そして「戦艦・空母からなる機動艦隊の積極攻撃はまったく日本海軍の妨害を受けていない」のだった。一九四四年五月十四日付のニューヨーク・タイムズの見出しは、アメリカが「太平洋の制海権」を握ったことを伝えていた。

一九四四年八月までに、戦闘はほとんど終わり、あとは「掃討作戦」を残すだけだった。フィッチ提督によれば「いままさに攻撃を開始しようとしている艦船、航空機、新旧合わせた各種武器の大規模展開にくらべたら、過去八ヵ月にわたって日本軍に鉄槌を加えてきた機動艦隊58は夏の微風程度のもの」[注9]だった。

一九四四年八月までに、米軍は何回か日本本土の目標を爆撃している。さらに十二月にかけて、週に四、五回、定期的に本土爆撃に出動した。一九四五年三月二十一日の記者会見で、ジョージ・Cケニー中将は「九月一日以来日本空軍は一万機の飛行機を失った」ことを明らかにし、「日本空軍は壊滅した。もはや脅威ではない」と語った[注10]。

この会見のさい、日本列島上空に「危険な迎撃態勢」が展開されているか、という質問が報道検閲官の注意を受けたが、将軍はこれを無視し「日本軍はもはや脅威ではないだろう」といいきった。

P105そして仮にわれわれが日本に飛行機を与えても、日本にはそれを操縦できるパイロットも、維持点検できる整備兵もいない、とつけ加えた。

「日本の優秀な整備兵たちは遠くラバウル、ブーゲンビル、ウェーク、ニューギニアの沼地にいる。日本が彼らを連れて帰ることは不可能だ。なぜなら、船を送っても、うちの若者たちが出ていって、沈めてしまうからだ」

ケニー将軍はまた、一月九日のルソン進攻開始以来、わが軍は敵機にまったく悩まされていないと語った。

このように、日本の攻撃力の壊滅がはっきりしているにもかかわらず、アメリカは一九四五年三月、東京に対して焼夷弾の絨毯爆撃を開始した。

(略)

3.2 日本はいつ敗れたか P110-114
3.3 サムライ神話 P114-127
3.4 銃もバターも P128-142
3.5 降伏受諾 P142-149
(P142)

P143日本政府は少なくとも一九四五年五月(V・Jデーの三ヵ月前)に降伏の打診をしているが、この打診は米政府によって公式に無視、あるいは拒否された(tw,tw)。事実、一九四四年の早い段階から、日本政府の内部では完全敗北とみなしうる条件の受け入れが真剣に検討されていたのだ(相互参照)。

米戦略爆撃調査は一九四六年七月、トルーマン大統領に「日本の戦争終結努力」と題する報告を提出した。日本指導部との面接調査を基にしたこの報告は、単なる流言とされていた降伏の打診が、かなり早い時点からしばしば行われていたことを確認している(相互参照)。

(略)

3.6 リーダーの資格 P149150
3.7 日本は戦略地域か P150-151
3.8 飢餓民主主義