2022年7月2日土曜日

偏愛メモ 『阿片王 満州の夜と霧』第五章 アヘンの国 P165-196

P174漸近主義はアヘン癮者に人道的配慮を与え、巨額の専売収入も確保できる、というのが後藤の考えだった。

初代台湾総督となった児玉源太郎の命を受け、台湾総督府民政局長に抜擢された後藤はこの方針を断行し、多大な成果を収めた。これ以後、アヘン漸近主義は、わが国植民地経営の基本方針となった。

後藤のその考えを最も大がかりな形で実験する舞台となったのが、東アジアの一画に突如として出現した満州帝国という巨大な傀儡国家だった。ちなみに後藤は満鉄の初代総督に就任している。

先にあげた『東亜共栄圏建設と阿片對策』は、イギリスによる阿片禍が中国を亡国の危機に導いた、だが、大東亜共栄圏と五族共和による大アジア主義は中国を亡国の危機から救う、という身勝手な論理で貫かれている。

しかし、いうまでもないことだが、アヘン漸近主義と専売制度は、二十世紀の新たなアヘン戦争の口火を切るための、いわば体のいい口実にほかならなかった。

軍部を無謀な日中戦争に踏み切らせた心理的理由の一つとして、中国の軍閥たちが独占するアヘン利権を武力で収奪することにあったことは確かだった。

アヘン戦争でイギリスのジャーディン・マセソン商会やサッスーン商会は、アヘン販売の利権を独占的に手中に収めることによって、巨万の富を得た。満州におけるアヘン漸近主義と専売制度は、満州帝国経営の基礎的資金となったばかりか、特務機関や憲兵隊の豊富な謀略資金ともなった。

P175歴史の闇の中に葬り去られた昭和通商という謎の国策企業の内幕を、同社のOBたちを丹念に訪ねて聞き取り調査した前掲の『阿片と大砲』にも、次のような証言が紹介されている。
昭和十七年夏、この頃になると、工作物資としては金と阿片しかなかった。少量で高価という点でも工作物資にうってつけで、わたしは軍からこれを工作に使えと言われて、張家口へ二回出張し、約十トンを宰領した。

この宰領は南支軍の参謀長からの添書を携行し、途中は一切、軍の手配により、特務機関を通じて秘密裡に引き取ったから、出先の昭通の店でも知らないことだった。

この阿片は生阿片で石油缶につめて重爆撃機で広東に運んだ。宰領には昭通からはわたしと他に一名、軍から中尉が搭乗していた。広東空港に着くとすぐに軍司令部へ運ばれ、ここから工作の都度、昭通へ引き渡された。

阿片を宣撫工作や軍の現地食糧調達、物資収買に使用することを“高貴薬工作”と称していた。従軍するとき、軍は約六十キロの阿片の入った梱包を四つか五つ、苦力にかつがせて運び、作戦中はふんだんに使った。

敵地のことだから食糧調達その他に儲備券や軍票が使えなかったからである
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