2022年6月26日日曜日

偏愛メモ 「億万長者はハリウッドを殺す(上)」第七章 ハリウッド危機一髪 P143-201

重役室の密談 P144-
P144「モルガン商会」がムッソリーニ(相互参照)に大金を融資した一九二五年のことである(tw,相互参照)。USスチールの重役室で、新しい現象が起こっていた。それは、これまでアメリカとヨーロッパでバラバラに進行してきた「捜査局」の権力拡大と「ファシズム」の台頭が、一挙に結びつく歴史的事件であった。

ムッソリーニのローマ進軍に随伴する栄誉を与えられたアメリカ人、マーク・プレンティスという謎の人物がいた。このプレンティスの前歴は不明だが、独裁者に心酔した彼は帰国すると直ちに、USスチールのエルバート・ゲイリーを訪ねた。

このゲイリーとは、ジョン・ピアポント・モルガンが鉄鋼に手を出した時にまずフェデラル・スチールを設立して社長の席を与え、次いでUSスチールの設立に際して会長の席を与えた“片腕”である。プレンティスはゲイリー会長に、熱弁をふるった。

P145「ヨーロッパと同じように、すぐれた人材を集めて全国的な犯罪防止グループを組織するべきであります」

こうしてUSスチールの重役室に、宝石商のティファニーをはじめとしてさまざまな業界からトップが集められ、「全国犯罪委員会」の会合が持たれた。その議長をつとめたのは、ムッソリーニときわめて親密な友好を続けてきたイタリー大使リチャード・チャイルドだった。

子供が歩いているのを見ても自動車のスピードをゆるめずに轢き殺し、「国家の問題と比べてあんな子供の命など何だ。うしろを振りかえるな!」と言って走り去ったムッソリーニ…その仲間たちで作りあげたこの会合の 参加者のなかで、民衆弾圧政策に最も熱心だった人物こそ、誰あろう、時のニューヨーク州知事、まだ大統領になる前のフランクリン・“アトミック”・ルーズヴェルトだったのである。

当時アメリカのなかで、次の言葉が叫ばれていた。「すべての赤ん坊から指紋を採取せよ」「アラスカのアリューシャン列島に、強制収容所をつくれ」

この「全国犯罪委員会」の役割は、全米のそれぞれの州で独立している警察を、ひとつの巨大な権力に統一することだった。ここに、ムッソリーニの手法が採用されたのである。

イタリーの巨大自動車会社「フィアット」がモルガン商会を取引き銀行として活動していたのがこの時代だった。

自動車の町デトロイトでは、自動車王ヘンリー・フォードが“ディアボーン・インデペンデント”という週刊誌を発行し、ユダヤ人種を攻撃する全国的な活動をスタートしていた。

すでに二年前の一九二三年三月、アドルフ・ヒットラーは次のように演説した。
われわれは、アメリカのファシズム指導者としてハインリッヒ・フォードに期待するものである。彼のユダヤ人排撃論を翻訳し、出版したばかりであるが、すでのこの本はドイツ全土で数百万人に回覧されたのである
ハインリッヒ・フォードとは、ヘンリー・フォードのドイツ読みである。「全国犯罪委員会」がスタートした一九二五年に、恐怖のクー・クックス・クランの会員は九百万人に達し、一挙に前年の二倍にふくれあがっていた。

この時代を別の角度から観察すると、チャップリンの『黄金狂時代』、ロイドの『人気者』、キートンの『西部成金』が一斉に公開されて喜劇の黄金時代を迎え、ユダヤ人の七大メジャー映画会社がちょうどすべて出揃い、彼らとファシスト集団は、きわどい激突寸前の瞬間にあった。

何がこれほどまでにアメリカ人のファシズムを煽ったのか。

大統領はモルガン特権者のクーリッジだったが、彼は“ホワイトハウスを昼寝の場所と心得ている”と言い立てられた通り、政治的能力はゼロだった。一九ニ〇年にサッコとヴァンゼッティが逮捕された時、そのマサチュセッツ州知事をつとめていたという汚名が残されている。

ボストンの警察を動かした人物は、モルガンの犬だったのである。実は、この時代に大統領の力を握っていたのは、金鉱採掘王として「商務長官」の職にあったハーバート・クラーク・フーヴァーだった。

P147商務長官フーヴァーと、捜査局長フーヴァーは、親戚関係がないと言われている。しかし両人ともモルガン一族と深く結んだ投機屋で、そのブルドッグのような風貌は“兄弟か”と思わせるものがある。シャーロック・ホームズなら見逃すまい。

フーヴァー家の系譜図を入手できれば、歴史はさらに興味深いものになろう。内閣を動かした商務長官フーヴァーがこれらのファシズム赤狩り時代を生み出した動機は、かなり明白なものである。

彼は、「ロシア・アジアコンソリデーテッド社」と「インター・シベリア・シンジケート」を支配した前歴を持っていた。彼はアルタイ山脈からイルティッシュ河に至るシベリア地域の広大な鉱脈を握っていた。

ところが一九一七年三月十一日と十一月六日にロシア革命が発生すると、フーヴァーの利権はどこへ消えたのか。「憎むべきは共産主義者なのだ」

このような山師は、落胆したり悟りを開くような心境に達することがない。頬の肉を打ち震わせ手激怒したに違いない。ロシア革命の成功直後に彼が政界へ飛び込み、ウィルソン大統領による第一次大戦に駆けつけたのは偶然の一致ではなかった。そのときの彼の姿は、誰の目にもありありと思い浮かべることができよう。

共産主義者のロシアを打倒できるなら、利権は再びフーヴァーの手許に戻ってくる。いまヨーロッパで楚のロシアの社会主義を痛烈に攻撃していたのが、アドルフ・ヒットラーだったのである。

その力を利用するには、アレン・ダレスの上官アンソニー・ドレッセルが主張したように、「アメリカはドイツの軍国主義と手を組むべきだ」という結論が導かれた。

P148“共産主義は悪だ”という宣伝が、アメリカ人を扇動するのに最も効果的で、それが煽動者自身にとっては本懐でもあった。こうして一九二五年に、アメリカの金融業者とヨーロッパのファシストが政治レベルで結びつき、国内では捜査局長フーヴァーの出番を迎えたのだ。

翌一九二六年、アレン・ダレスが兄のつとめる法律事務所サリヴァン=クロムウェルに入社すると、アメリカとドイツの交渉が急速に進められた。

この事務所はUSスチールとスタンダード石油の両トラストを成立させた全米一のオフィスとして両者の顧問をつとめるだけでなく、そのメンバーの弁護士たちは四十を超える銀行と大企業の重役をつとめ、全体としてひとつの巨大な投資会社でもあった。

「ニュージャージー・スタンダード石油」がここでドイツ最大の化学トラスト「IGファルベン」と同盟を結んだのは、このモルガン=ロックフェラー連合のサリヴァン=クロムウェルから出される指令を受け、ダレス兄妹が画策したものだった。

さらに、「ゼネラル・エレクトリック」はドイツの電気トラスト「AEG」と同盟を結び、「ゼネラル・モーターズ」は「ドイツ・アダム・オペル」を子会社として支配した。

これらのドイツ企業に入り込んだ金は、続々とナチス党の金庫に流れて行った。さきほど述べたサッコとヴァンゼッティの処刑がおこなわれたのは、この一九二七年だったのである。

この年まで出揃っていた七つのユダヤ人メジャー映画会社のうち、最後の年に登場したMGMを率いていたのが、その三番目のイニシャル・ミスターMこと、ルイス・B・メイヤーだった。

P149メイヤーは十年前から、モルガンのファースト・ナショナルから金を貰って映画を製作し続けてきた。後世あまねく天下に知られるようになったMGMのトレードマーク、精悍なメトロ・ライオンは、当時すでに噂を立てられていた。

「ウォール街から、モルガンの雄叫びが聞こえる」

このミスターMが、一九二七年にダグラス・フェアバンクスとメアリー・ビッグフォードの夫妻をかつぎ出してアカデミー協会を設立したが、その正式名は“映画芸術科学アカデミー協会”と決まった。

映画の芸術性とともに、ここに「科学」の文字を組み込み、ライオンが本来の目的とした電気、電信、電話、フィルムなど、ビジネスの務めを果たすようにと命名されていた。

やがてメイヤーの手でこの協会長に祭りあげられた映画界のトップスター、フェアバンクスの芸名はふるっていた。これを翻訳すれば“公正なる銀行”である。

フェアバンクスは映画界に入るまで、ウォール街で株の売買に明け暮れ、次いで法律事務所に勤め、モルガンとは切っても切れない仲だった。このフェアバンクスの映画入りを勧誘したのが、ロックフェラーからの資本がひそかに侵入していた「トライアングル社」である。

この映画会社は長続きしなかったが、彼の主演作はいつもダルタニアンのような剣戟とは限らず、『電話結婚』、『ニッカーポッカー』のような、ある種の連想を誘う作品も目についた。

彼が新妻に迎えたメアリー・ビッグフォードは、一時期ファースト・ナショナルに在籍したことがあるばかりでなく、ウォール街の株式取引所で彼女の投機熱を知らない者はなない、と言われル女性だった。

P150当時ビックフォードが株の売買について相談に訪れたのは、相場について予言を与えるエヴァンジュリン・アダムスという女性占い師だったが、その部屋の壁に視線を投げると、ジョン・ピアポント・モルガンとメアリー・ビッグフォードの写真が、寄り添うように並べて掛けてあった。

後年、自分で化粧品会社を設立した“アメリカの恋人”は、とてもその主演作にあるような小公女という性格の女性ではなかったのである。

このメイヤー、フェアバンクス、ビッグフォード三人の馬が合ったのは、三度会えばそのうち一度は金銀銅が話題にのぼったからである。

フェアバンクスとビッグフォードは今日では何よりも俳優として名を残しているが、ユナイテッド・アーティスツを設立した時からプロデューサーを兼業していたため、俳優よりも実業家と呼ぶにふさわしく、ダルタニアンの剣はその打出の小槌にすぎなかった。

映画スター、カメラマン、デザイナーなどの雇い人が給料について不平を漏らし、容易に凹まないのに絶えず手を焼いていたフェアバンクスは、ちょうどいま目の前で俳優たちが組合を結成して賃上げを要求しようとする危険な動きを見て、同じ立場にあるメイヤーと額を寄せ合って密談を重ねると、その職人たちの機先を制してアカデミー協会を設立してしまった。

このアカデミーという立派なカバンのなかに危険人物を取り込んでゆけば、協会は夫婦のベッドのように、クッションの利いた心地よい働きをするだろう。

その目的のため映画の職人たちにプレゼントするアカデミー賞のトロフィーを、MGMの美術監督によってデザインさせ、一見おだやかな印象を与えるように作りながら、実はオスカー像がしっかりと手に握りしめていたのは、フェアバンクスの役回りを象徴するかのよに、鋭い剣でなければならなかった。

P151この黄金像を製造させるため最初に選んだ会社はアレックス・スミス、正確には「アレクサンダー・スミス父子」という金属会社だったが、ここは、取締役に「GE」の重役ロバート・スティーヴンスの名が見られる通りのモルガン一族だった。

オスカーの黄金像は、こうしてあらゆる面でモルガン賛歌のなかに誕生したものだが、四年後に「ダッジ・トロフィー」という会社に切り替えて製造を依頼した。

すでに述べた通り、このトロフィー・メーカーの親会社は「フェルプス・ダッジ」といい、アリゾナの銅山で大当たりしてからロックフェラーの「アナコンダ」と双璧を成す全米一の銅・貴金属メーカーとして君臨してきた。

この大富豪ダッジ家四代目の当主アール・ダッジがモルガン家から妻を迎えているばかりか、フェルプス・ダッジ社の取締役は、ドイツの第一次大戦賠償でヴェルサイユ宮殿に臨み、ムッソリーニに大金を用立てたトマス・W・ラモントである。

モルガン商会の筆頭パートナーをつとめるこの長身で青い眼の美男子ラモントは、フェアバンクスよりオスカーのモデルにふさわしい人物と言われた。

アカデミーが設立されて十日後、チャールズ・リンドバーグによって大西洋無着陸横断飛行という世紀の偉業が成し遂げられ、彼が帰国したときニューヨーク市民が迎えた歓呼の嵐は、それまでのいかなる凱旋将軍もかなわない熱狂の渦を巻き起こした。

新しい時代を迎えていた。この年から大衆車T型フォードの生産は中止に追い込まれ、キャデラックの華麗さを競うモルガン・ゼネラル・モーターズが、自動車業界で群を抜く一位の姿を現しはじめた。

P152翌一九二八年に封切られたトーキー映画『シンキング・フール』がこれまでの映画の興行記録を書き替えたとき、チャップリンは深く物思いに沈み、それまで上機嫌で進行してきた『街の灯』の製作を、突然ストップしてしまった。ショックは大きかった。

レオンカヴァルロ作のオペラ『道化師』で耳にした次の台詞が、彼の胸をよぎった。「喜劇はこれでおしまい!」

この年、ロイドはサイレントで押し通したが、キートンはサイレントの『カメラマン』に出演のあと、素早くトーキーの『エキストラ』に切り替えた。三人の持ち味だったドタバタ喜劇の神技は、チャップリンの予感した通り、人気という点でこの時に終わりがはじまっていた。

映画界はトーキー・ブームに湧き、モルガン商会には笑顔が絶えなかった。

『ドン・ファン』、『ジャズ・シンガー』、『シンキング・フール』と、ワーナー・ブラザースが立て続けに音楽トーキーを成功させた発明品は、モルガンが一九世紀に支配権を確立した電信電話シンジケート、「ベル電話研究所--ウェスタン・エレクトリック」と電機メーカー「GE」の産物だったからである。

この特許権を握り、映画ファンがトーキーに熱狂しているのだ。それまで映画界の暗闇に沈んでいたワーナー・ブラザーズがにわかにスポット・ライトを浴びる姿を見れば、負けられないほかの映画会社が特許を買い求め、ウェスタン・エレクトリック社に駆け込んでくる姿は、容易に想像された。

実際その通りのことが起こり、ユニヴァーサル、パラマウント、ユナイテッド・アーティスツ、コロンビア、MGMの五社が入れ替り立ち替り、顔色を変えて電話会社と電機メーカーの門をくぐり、そこで、トーキー特許を発売する専門会社のアドレスを教えられた。

P153これら映画会社の顔が本当に蒼ざめたのは、そのみすぼらしい会社へハリウッドの知名人らしく威風堂々と乗り込み、風采のあがらない相手から特許権の使用料を教えられた瞬間だった。

『ジャズ・シンガー』のストーリーは、ユダヤ移民がジャズ歌手として出世してゆき、やがてユダヤ教を捨てて自由の金を手にする成功譚である。モルガン商会からのメッセージ“金こそすべて”が、シナリオに織り込まれていたことに映画人は気づかなかった。

ジャック・モルガンからの請求書が安かろうはずはない。この映画は、ユダヤ人であるワーナー兄弟が、アル・ジョルスンの歌声に託してユダヤ教からの脱出を声高らかに宣言した作品だったから、これまでハリウッドを握っていたユダヤ人世界を、今日からは金で買い取れる、という新時代の到来を予告したものである。

強固に結束していたユダヤ教の世界は、モルガンに知恵をつけられたユダヤ人自らの手で崩され、今日からウォール街のマーケットで自由に売買できるものに変わったのだ。

「フィルム一巻につき、特許料五百ドル?」

そのハイエナのような特許会社が映画六社からの収入で手にした利益は、十年間で楽に二千万ドルを超えてしまった。デュポンが全米一のゼネラル・モーターズを支配した時の金が五千万ドルであるから、その半分近くに相当するトーキーの利益は非情にして非常なものだった。

これをモルガン・シンジケートの電話会社で山分けしたのである。一九二八年に公開された初のオール・トーキー映画『紐育の灯』は、その背景を連想させる題名の通り、電話が大活躍する物語なのだ。

(随時更新)

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