0102(full、tw) 4300黛玉、蒲柳の質010023護官符
(clip)護官符0304 0430金陵十二釵正冊~紅楼夢十二曲 1746びしょぬれです(怎么湿了这么一大片)雲雨の交わり3400劉ばあさん、「朝廷ですら三軒の貧乏親戚あり」4510宝釵(#李沁)のセリフ、繰り返えされる12両と12銭の響きが心地よい。010614宝玉と宝釵011822宝玉と晴雯(#杨幂)
0304 12:30~「紅楼夢」十二曲 慶余年01 03:55~「紅楼夢十二支曲」留余慶(tw,tw,tw) 慶余年44 30:22~(tw)
新訳紅楼夢第1冊第五回「紅楼夢」十二曲
P 186/ 188/ 190/ 192/ 194/ 196/ 198/ 200/ 202/ 204/ 206留余慶/ 208/ 210/ 212/ 214/ 216/ 218以下脚注/ 220/ 222/ 224/ 226/ 228
(clip)夢精、雲雨の交わり0506 010129贾瑞と鏡の中の王熙鳳010857月満ちれば欠け、水満ちればあふれる。高みに登るほど落ちた痛みも大きい。…三つの春が去った後、花々は尽き、各自それぞれの自分の門を探す。情は会ってしまえば必ずや淫となる011613大明宮の内相
新訳紅楼夢第1冊第六回
P230 さて、秦氏は宝玉が夢の中で自分の幼名を呼ぶのを聞いたため不審に思いますが、細かく問い質すのもはばかられます。そのとき宝玉は夢とも現ともつかず、茫然としたままです。皆が急いで桂円湯(2)を運んで来たので、それを二口ほど飲むと、起き上がって衣裳を整えます。
襲人は彼の褲ズボンの帯に手を伸ばした際、思わず手が大腿に届きますが、ひんやりねっとりとした感じがしたので、びっくりして手を引っ込め、どうしたのかと尋ねます。
宝玉は顔を真っ赤にして、彼女の手をキュッとつねります。襲人はもともと賢い女の子ですし、年も宝玉より二つ上で、近ごろようやく男女の事にも通じてきたので、いま宝玉のこうした光景を目にすると、半ば察しをつけ、思わず顔を赤らめて、それ以上尋ねようとはしません。(略)
「夢で何をご覧になったのです?あの汚いものはどこから流れ出たのですか?」
「一言では言い尽くせないよ」
そう言うと、夢の中の事を襲人に詳しく語って聞かせます。警幻仙姑が雲雨の情を授ける一段まで話が進むと襲人は恥ずかしがって顔を覆い体を伏せて笑います。宝玉の方も日ごろ襲人がもの柔らかで愛らしいのを好ましく思っていましたから、襲人にせがんで、警幻仙姑が教えてくれた雲雨の事を一緒に味わってみようとします(参照)。
襲人はもともとおばあさまが自分を宝玉に与えたことを承知していますから、いまこうなったとしても、別に礼を犯したことにはなるまいと思い、そこで宝玉とこっそり試してみることにし、幸い誰にも見つからずにすみました(3)。
これ以後、宝玉は襲人を他の者とはさらに別格に扱い、襲人も宝玉のためにますます心を尽くします。この話はとりあえずこれまで。
(clip)宝釵(#李沁)の韻を踏んだセリフ、繰り返えされる12両と12銭の響きが心地よい(tw、tw)
0708 (tw) 0930秦氏お葬式2547元春賢徳妃の報2726宝玉晴雯(#杨幂)3330元春里帰り用別邸(大観園)計画3457噂をすれば影4142秦鍾臨終4206大観園完成。賈政、大観園を下見し宝玉の詩才を試す(tw)
新訳紅楼夢第1冊第十六回P 478/ 480元春賢徳妃の報/ 482/ 484/ 486/ 488/ 490/ 492/ 494/ 496/ 498/ 500元春里帰り用別邸(大観園)計画/ 502/ 504/ 506秦鍾臨終/ 5081010 (tw) 大観園、元春3206荘子「巧者は労し智者は憂う無能者は求めず飽食し遊び自由に浮くのみ使える木は切られる」(tw)
新訳紅楼夢第2冊第十七・十八回P 000大観園完成、平面図/ 002宝玉の詩才/ 004/ 006/ 008/ 010/ 012/ 014/ 016/ 018/ 020…047
1112 0801宝玉と姉妹たち大観園に移り住む1121会真記(西廂記)1550黛玉「花びらは花塚に埋めればいい」1650宝玉、会真記を黛玉に見せる4300賈環、宝玉の顔を傷つける5115宝玉と黛玉、物の怪騒動(賈環の母趙氏の仕業)、~
(clip)会真記(西廂記、tw、相互参照、相参1) (full)1314 0233宝玉と黛玉のすれ違い1532宝玉と黛玉と宝釵1812蔣玉函(#張睿)010539宝玉と凶暴な晴雯(#楊冪)
『恋の中国文明史』第六章 モンゴル文化の陰影-「鶯鶯伝」→「西廂記」など(相互参照)
新訳紅楼夢第2冊第二十三回 P126/ 128/ 130/ 132/ 134/ 136飛燕、合徳、則天武后、楊貴妃の外伝。会真記(西廂記)/ 138会真記(西廂記)、花埋め、牡丹亭/ 140牡丹亭、会真記(西廂記)/ 142
(clip)明蘭54「鶯鶯伝」(セリフ)は、会真記(西廂記)の底本。また、(鶯鶯伝→?)遊仙窟→万葉集、和漢朗詠集、源氏物語に影響(tw)→『恋と日本文学と本居宣長』(相互参照)
(clip)宝玉と黛玉は喧嘩しては仲直りの繰り返し full1516 2330賈環の嘘話で宝玉、棒叩き010121黛「西廂記」の一節
(clip)晴雯(#楊冪)は献身では誰にも負けないが気性が激しいのが難点(#楊冪、王昭君では好印象だったのにw相互参照、tw、tw、tw)
1718 0515襲人昇給0712宝玉「文臣は諫言に死、武臣は戦に死ぬ、男の理想の死に方だと言うが、文臣は君主をいさめるどころか、自分の利益を追い求めているだけ、武臣も同じだ国を守ることより戦功を立てることしか頭にない」0930探春「詩社」を提案2014晴雯(杨幂)3433風流さでいえば瀟湘妃子(黛玉)が一番ね、含蓄に富むのは蘅蕪君(宝釵)の詩だわ5847黛玉(瀟湘妃子)の詩011014熙鳳が重い鼎を持ち上げた項羽だとしたら平児こそがその両腕よ011235(秘密事項)お金は熙鳳様が運用のため人に貸している011430(遠い親戚)劉ばあさんが野菜をもって上京
1920 2622鸳鸯と熙鳳、劉ばあさんを幇間として弄ぶ3418蘅蕪苑(宝釵の住まい)3710酒令4041宝釵は黛玉が「牡丹亭」と「西廂記」を引用したことに気付いた011532宝釵、「牡丹亭」と「西廂記」のことで黛玉を問い詰める
(clip)宝釵(#李沁)、黛玉(#蒋夢婕)が「牡丹亭」と「西廂記」を引用したことに気付く(tw,tw、tw)。黛玉は口達者、春秋の筆法など2122 01181徽宗の描く鷹や趙子昴の描く馬の画ほどおめでたいというのかしら?
clip full
新訳紅楼夢第3冊第四十回 P176/ 182 第四十二回 P208/ 210/ 212/ 214/ 216/ 218/ 220
2324 1006柳湘蓮(#徐海乔、tw)1727香菱#宋軼(tw,相互参照、37)1951湘妃竹2119邢氏を頼って兄夫婦とその娘岫煙(#趙夢恬)が上京した2208薛蝌(#黄軒)薛宝琴(#徐璐tw)2816邢岫煙(#趙夢恬)4521晴雯(#楊冪)012256晴雯(#楊冪)、外套繕い
新訳紅楼夢第4冊第四十九回P 112/ 114上京/ 116/ 118/ 120/ 122/ 124/ 126/ 128/ 130/ 132/ 134/ 136/ 138宝琴、鹿肉を食べる/ 140/ 142/ 144
第五十回P 146即景詩/ 148/ 150/ 152/ 154/ 156/ 158/ 160/ 162/ 164/ 166/ 168/ 170/ 172/ 174/ 176/ 178/ 180/ 182/ 184/ 186宝琴、梅の花を持ち、山腹で待つ、双艶図/ 188/ 190宝琴、梅家と婚約済み/ 192/ 194/ 196/ 198/ 200/ 202/ 204/ 206/ 208
第五十一回P 210/ 212/ 214/ 216/ 218/ 220/ 222/ 224/ 226/ 228/ 230/ 232/ 234/ 236/ 238/ 240/ 242/ 244
第五十二回P 246/ 248/ 250/ 252/ 254/ 256/ 258/ 260/ 262/ 264/ 266哦囉斯国(ロシア)/ 268/ 270/ 272/ 274/ 276/ 278/ 280/ 282
2526 5305紫鵑の冗談に宝玉卒倒011553薛蝌(#黄軒)、邢岫煙(#趙夢恬)
2728 2400さすが探春だわ、あの子も可哀想だわ、側室の子でさえなければ010909邢岫煙(#趙麗穎)薛宝琴(#徐璐)
2526 2728
2930 1600宝玉と邢岫煙(#趙夢恬)3550賈璉、尤二姐を側室に迎える4954なぜ着物を破るの?この音が好きなの010230隆児のお嬢様たちの寸評011126柳湘蓮#徐海乔011802柳湘蓮と尤三姐の激しさ
3132 (賈璉が黙って尤二姐を側室にしたことへの謀)熙鳳、尤二姐を迎えに行く~011431尤二姐自害011726宝玉(#楊洋)
3334 3424宝玉、賈政の前での試験5934(香り袋の件をきっかけに)晴雯(#杨幂)、王氏に呼び出される。持ち物検査
3536 4520晴雯(#杨幂)、追放される5534美しいことは罪5747孔子廟の檜、孔子の墓前の鋸草、諸葛亮が植えた常緑樹、岳武穆の墓前の松、沈香亭に咲く牡丹、馬巍の地の石楠花、王昭君の塚の草010304宝玉、晴雯(#杨幂)の家を訪ねる、その後、死
3738 宝玉、晴雯(#杨幂)追悼詩、そこに黛玉1334薛蟠夏金桂結婚、薛蟠の好色、女の争い1451香菱#宋軼(23)2816迎春、孫紹祖(下劣な人間)4643「色を好むがごとく徳を好むも者を見ず(吾未見好徳如好色者也)」(tw、tw、tw、tw、tw、参照、論語-衛霊公P05)
clip色を好むがごとく徳を好むも者を見ず full3940 宝玉の縁談の話2219黛玉の誕生祝2534薛蝌(#黄軒)、薛蟠トラブル金で解決、周太妃逝去3131黛玉、師曠,師襄,伯牙の引用(tw)5320黛玉、宝玉と王氏との婚約の話を聞いてしまう
#黄軒(tw)→紅楼夢39 ミーユエ62 冒頭(参照) 私のキライな翻訳官08(tw) 冒頭 風紀洛陽01 22:00~
4142 2606秋なのに海棠が咲いている5140貴妃(元春)逝去5508宝玉、正気を失う
4344 4451宝玉、宝釵(を黛玉だと思ってる)と結婚式、騙されていたと知り錯乱、同じころ、黛玉死去
4546 0753探春、遠くに嫁ぐ。大観園は寂れる一方。尤氏、賈珍、賈蓉が次々に病に。金桂、自業自得死。賈政、弾劾され家に戻る3324賈赦、不正で身分剥奪、家財一切没収。熙鳳は、病に伏せる。邢氏は途方にくれる。史太君、自分の財産を賈赦と賈珍と熙鳳に分配
4748 賈赦と賈珍、任地におもむく。湘雲里帰り、宝釵の誕生会、宝玉は正気を失ったまま、黛玉を回想。宝玉と宝釵。迎春死去。史太君死去。
4950 妙玉、賊に連れ去られる。惜春出家。趙氏発狂死去。熙鳳死去。紫鵑出家。4939荘子『秋水篇』(tw,tw)012226襲人の嫁ぐ相手は蒋玉函。宝玉が科挙に合格したおかげで、賈赦と賈珍は大赦され世継も復活、財産も戻る。宝玉は天界に戻る。
『恋の中国文明史』第八章 新しい恋--『紅楼夢』の謎(相互参照)
8.1新しい恋の登場P257十八世紀六〇年代前後、『石頭記』という名の写本が北京の巷にあらわれたとき、ヨーロッパではちょうどルソーの『新エロイーズ』(一七六一年)とゲーテの『若きウェルテルの悩み』(一七七四年)が刊行された頃であった。
かつて小説を軽蔑していた中国の文人たちは今回だけはさすがにこの作品の魅力に抗することができなかった。活字本の刊行を待たずに、この小説はたちまち世間に広く流布し、「友人同士は互いに借りて写し、われさきに読もうとする者ははなはだ多かった(程偉元ほか「紅楼夢引言)。
また、「ものずきは一部写し取るごとに、縁日の市場に出していた。その値段は高く釣り上げられ、(一部は)金数十(両)もえられた。(写本は)たちまちのあいだに世のなかに広まった(程偉元「紅楼夢序」)。
一七九二年に書名が『紅楼夢』に変えられた増補本が刊行されてから、その影響はさらに大きくなる。嘉慶九年(一八〇四年)に出版された『樗散軒叢談』によると、ある文士は『紅楼夢』が非常に好きで、心が打たれる箇所まで読むと、必ず本を閉じて考え込み、あるいは嘆き、あるいは涙を流す。
P258侵食ともに忘れ、一ヵ月のあいだに七回も読み通した。最後には精神がぼんやりして、精力が尽きて死んでしまったという。この作品はそれほど読者を魅了した。(略、それまでの小説は暇つぶしのために娯楽小説であった)
ところが、『紅楼夢』はそれらの小説とは違って、読者を「本気」にさせた。これは他の小説の場合には見られなかった現象である。清代の人々の書いたエッセーを読むと、文人たちが『紅楼夢』に大きな興味を示し、ときにはその内容をめぐって論争したりしている(謝鴻申『東池草堂尺牘』)。
読者、あるいは普通は醒めた目で小説を見ていた文人たちにこれほどまでに冷静さを失わせたのは、この小説が人々の心の琴線に触れたからであろう。
人間心理の深層に触れ、多くの人たちの共鳴を呼び起こした『紅楼夢』のなかで、P259もっとも大きな比重を占め、もっとも読者を感動させたのは、いとこ同士である賈宝玉と林黛玉の恋である。
それまでの才子佳人小説に比べると、『紅楼夢』のなかの恋はひとしお人々の心を打つものがあった。なぜこの二人のあいだの情愛がこのような魅力を持ち、それは従来の恋とどのような違いがあるのか。
賈宝玉と林黛玉との恋封建時代の中国において、普通はほとんどありえない状況のもとで生まれたのである。二人は「幼いころから耳と髪の毛の触れあうほどの親密さで育った」(伊藤漱平訳、以下同様)。
それだけでなく、賈宝玉が十五歳になっても、林黛玉と同じ邸宅のなかに住み、毎日対面し、公然と交際している。同じ小説のなかで、十三、四歳で結婚した例がたびたびふれられたことから考えると、同じ年齢になっても、未婚の女性と自由に交際できるのは非常に特殊だといわざるをえない。
ましてや、賈宝玉は九つのとき、すでに性行為を経験した早熟な少年である(参照)。
「男女は七歳にして席を同じうせず」という儒学の教えにしたがうならならば、ほんらいこのようなことは絶対許されない。いとこ同士の結婚は別段孔孟の教えにそむくことではないが、婚前の交際はほかの男女関係の場合と同じようにきびしく禁止されていたはずである。
男女は七歳にして席を同じうせず、花子とアン33(tw、相互参照)このことについて『紅楼夢』では、賈宝玉が女の子から離れると、すぐ精神状態がおかしくなるので、孫を甘やかしている祖母が例外的にこのような生活を許した、と解釈している。
clip full
しかし、それがほんとうの理由ではないことは明らかである。
P260このように非常な特殊な環境が未婚の男女の自由な交際を可能にした。賈宝玉と林黛玉は子供の頃から一緒に遊んで育ち。物心ついてから知らず知らずのうちに恋が芽生えたのである。
この転化の過程は非常に自然で、それに、二人はもともと気心の知れた友人だから、最初の段階では「以心伝心」で心が通じ合い、明確な言語表示はせずとも必ずしも不可欠の手段ではない。
しがって、「鶯鶯伝(参照)」以来の恋物語と異なり、二人は第三者の手助けをまったく必要としなかったのである。才子佳人小説のなかで、偶然の出会いで一目ぼれ、詩文の交換、逢引きはほぼきまりきった「三部曲」で、その過程で侍女など第三者による媒介は絶対欠かせないものであった。それに比べると、『紅楼夢』のなかの恋はまったく違う特徴を有している。
賈宝玉と林黛玉のまわりには侍女が大勢いるにもかかわらず、二人の交際は彼女たちを通す必要がない。否、むしろ下女たちの目を避けようとしたところさえある。二人は「席を同じうせ」ざる年齢になっても、まだ隣り合わせの部屋に住んでおり、もちろんなんの気兼ねもなくつきあうことができた。
大観園に移ってからも、賈宝玉はすでに立派な「男子」になったものの、ひきつづき自由に林黛玉の住まいである瀟湘館に出入りすることが許されている。
賈宝玉と林黛玉は自由に交際できるだけでなく、二人のあいだのつきあいは男女の禁制をはるかに越えた親密なものである。林黛玉は官僚家庭に生まれた令嬢でありながら、P261なんのためらいもなく恋人の身体に触れたりする。(略)
未婚男女のあいだのこのような親密な交際は『紅楼夢』以前の文学にあったろうか。才子佳人小説では、一目ぼれから二回目の対面までのあいだに、男女双方の思慕しかない。
したがって、男女のあいだの直接的な交際の時間はきわめて短い。それに、二回目の対面ではほとんど例外なく性交渉におよぶから、賈宝玉と林黛玉のあいだのような、清純なつきあいはありえない。
一方、恋物語の影法師とも言える性愛小説でも『紅楼夢』のような清らかな男女交際は扱われていない。第一、『紅楼夢』にあった社交の条件はそれまでの文学にも、現実生活にもなかった。
『紅楼夢』のなかで、男女のあいだの自由な交際が栄国邸というかぎられた空間のなかの、かぎられた人にしか許されていなかったとはいえ、P262状況として可能になったのはこれがはじめてであった。
こうして、自然なつきあいのなかに発生し、時間の経過とともに発展するような恋は清代の半ばごろになってようやくあらわれたのである。
ところで、この新しい状況のもとで二人はどのようにして恋をしたのか。なによりも注目するべきは、安易な愛の告白がなくなったことだ。相手に想いを伝えようとするときにはなるべく婉曲な表現を用いる。
それも隠された意味がはっきりしている言葉や、まわりの人にもすぐわかるような暗示を使わない。曖昧な表現で胸の内をそれとなく示すのがよいとされている。意味の明確な比喩はたとえ遠回しの言い方でも女性は受け入れない。
第二十三回に賈宝玉が戯曲「西廂記」のなかの文句を借りて、林黛玉に内心の思慕を暗示しようとした一駒がある(参照)---
宝玉は笑いながら、「ねえ、わたしはさしずめ<多愁多病の身>、あなたはかの<傾国傾城の容色>…」直接的な告白ではないにもかかわらず、誰にもわかる「西廂記」のなかの文句を借りているから露骨な表現ということになる。このような意思の伝達は上品な恋の表現にはならない。
黛玉はこれを聞いて、思わず頬から耳もとまで赤く染めましたものの、とたんに、しかめたようでそうでもない二すじの眉根をきりりとさか立て、ねめつけるようでそうでない双の眼をかっと見開き、しなやかな頬を怒りでひきつらせ、あでやかな顔をむきにして、宝玉を指さしながら、
「このお馬鹿さん、なんということをおっしゃるの!
あろうことか、そんないかがわしい芝居本など仕込んでいらして、そういうやたらな文句を口まねしてわたくしを侮辱なさろうなんて。さあ、伯父さま・伯母さまにいいつけてあげますから」となじりました。
もちろん、これは内心の思いの伝達に会話がまったく使われていないということではない。ただ、相手への思慕の念の告白には、きびしい制限がある。賈宝玉はたびたび林黛玉に心中の思いを打ち明けようとしたが、いつも適切な表現がないのに悩んでいる。それについて彼は、
この胸のうちは、じかにあなた二は打ち明けにくいのだけど、いずれわかってもらえる日がきっときます。お祖母さま・父上・母上、このお三かたは別として、四番目は黛さん、あなたなのですよ。かりにも五番目の人があるものとお疑いなら、誓いでもなんでも立てますとも。と語ったことがある。それが二人に許されるもっとも大胆な愛の告白である。会話はふんだんに用いられているが、P264すべて婉曲な意思表示にかぎられている。そこで、『紅楼夢』式の特殊な恋の表現法が生まれる。作者のことばを借りれば、つまり、二人は、
いつも偽りの情を用いてはさぐりを入れます。先方が本心本意をかくそうとてもっぱら偽りの意を用いれば、こちらも本心本意をかくそうとて偽りの意ばかり用いる…。とこんなぐあいで二つの嘘が出会って、はては一つのまことが生じるといったあんばい。ということである。この新しい恋において、かつての才子佳人式の恋物語にあるような、早過ぎた性交渉が完全に排除された。重要なのは男女双方が相手に対する深い情を示すことで、そうした情は言語表現よりも相手に対する関心、いたわりなど誠意のある行動を通して表現される。
「鶯鶯伝」系譜の文学のなかで、恋は結婚から分離され、独立のプロセスとして認められたもの、それはおもに思慕を意味し、つねに性交渉と融合したかたちで密室のなかで展開される。
また、プロセスそのものは短く、恋はしばしば苦痛を意味する離別を伴い、社交の過程のなかで恋を完遂することはついに発見されなかったのである。
才子佳人小説のそうした特徴は『紅楼夢』のなかではすでにみられない。恋そのものが日常生活のなかに融合された一つの過程としてその意味が改めて認識され、恋は隠されたかたちではあるが、P265おおやけの社交の場で行われた。
前世に受けた恩をこの世において涙で返すという設定はやや陳腐だが、同時にその裏には恋は必ずしも結婚に行きつかない過程である、という見方があることも見逃せない。
8.2 満族文化の南下
ところで、『紅楼夢』のなかに突如としてあらわれたこの新しい恋はどこからきたのか。「鶯鶯伝」以来の恋物語を継承した点があったろうが、根本的な違いがあることも否めない。なぜ『紅楼夢』にこのような恋が出現し、どのような背景があったのだろうか。
この問題を考えるとき、われわれはまず作者の曹霑の生まれ育った家庭と、小説の背景となる諸要素について考えなければならない。曹霑は別号雪芹で漢民族の出身であるが、満族領地の東北で生まれた。
曹家の先代は明末の下級将校であったが、のちに満族の捕虜となり、東北地方に定住した。曹霑の曾祖母で曹爾の妻孫氏は康熙帝の乳母で、曹爾の子曹寅は幼いときから康熙帝の勉強の付添いをしていた。
曹家は康熙帝の信用が厚く、康熙二年曹爾は江南織造に任じられ、曹爾の死後、曹寅がその職を世襲した。織造は正式な官位ではないが、実入りの多い職である。江寧(南京)に赴任した曹寅は秘密裏に朝廷の「情報員」をしており、南方で見聞きしたことをたとえ一つの冗談でも漏れなく康熙帝に報告していた。
P266康熙帝は六回も江南巡行をしたが、そのうち四回は曹寅の織造署に泊まった。曹霑が子供のころ、曹家はまだ全盛期で財力も勢力も非常に大きかった。康熙帝が病死したのち、曹家は即位した雍正帝に排斥されるようになる。
やがて曹霑の父親曹頫は解任され、財産没収の処分を受けた。それ以降、家運はしだいに傾き、曹霑は晩年になると、かなり困窮した生活を送っていた。
曹霑の家系をたどっていくと、曹の一族と満族文化の特殊な関係が浮かび上がってくる。曹家の人々は宮廷生活に非常に近く、特に康熙帝に付き添っていた祖父曹寅は幼い頃から満族文化の教化を受けていた。
曹家の人々はみな漢族の出身で最後まで中国の名字を変えなかったにもかかわらず、生活習慣においては漢族文化よりも満族文化に馴染んでいたように思われる。曹爾の代からその一族はすでに満族化していたか、少なくとも満族の風俗習慣から大きな影響をを受けていたことが推測できる。
曹寅は文才に長け、詩や戯曲を創作したことがあり、曹頫も詩文に優れていた。とくに曹霑は中国文学の学識が深く、その詩文から満族文化の影響の跡はほとんどみられない。
ところが、そうした漢族文化の教養は必ずしも数世代にわたって受けた満族文化の影響を取り除くものではない。康熙帝と同じように、現実生活のなかで満族の生活習慣を保つことと、漢文化に対して深い興味と豊かな教養を持つことのあいだに根本的な矛盾はなかった。
(略、満族人の優遇、漢軍八旗の満族化など)
P269順治帝も康熙帝も漢軍八旗の満族化に非常に大きな関心を持っており、一六八七年に康熙帝は、かつて漢軍八旗の満族化が進んでいなかったことに立腹し、統率の将校を叱ったことがあった(『清聖祖実録』)。
このような民族文化に固執した帝王がまわりに満族化していない漢族の人を登用するはずがない。事実、曹家は満族の人たちと関係を持っており、曹頫の姉の夫で、曹霑の伯父に当たる人はナルス(納爾蘇)という名の王族であった。
一方、曹霑の家が満族化しただけでなく、曹霑の生きていた清代において、中国文化そのものも満族文化の強い影響を受け、ある程度変質したことも見逃せない。
このことはとくに北方地城で目立っていた。清王朝は中国全土の支配を果たしてから、儒学尊重など中国文化を保留する政策を取ってはいたものの、一方では積極的に満族文化を広め、弁髪や満族の服飾の着用を強要した。
また、満族人の優遇も人為的に満族文化の浸透を加速させた。
満族の居留地域の拡大は漢民族の恋や結婚の風習に影を落とした。第一にあげられるのは、辺境文化の比較的自由な男女関係が、男女交際の禁制を動揺させたことである。当時の漢民族と違って、明末の満族は男女の交際に対しきびしい禁制はなかったように思われる。
明王朝との戦いのなかで、清朝は婦人を従軍させたことさえあった(莫東寅著『満族史論叢』)。満族のそうした慣習はすぐには漢民族の文化を変えなくても、満族に近い漢民族の人たちは多かれ少なかれその影響を受けたであろう。
(略、満族文化の漢族文化への影響)
P271清王朝は初期から儒学を重視する政策を取り、また、中期以降、満族の人たちが逆に漢民族の文化を吸収し、満族の漢民族化現象が起きた。しかし、清の中期までは、満族文化の方が漢民族文化に大きな影響を与えた。
そのような文化背景のもとで、満族化がかなり進んだ家庭に育った曹霑は漢詩文にどんなに優れても、無意識のうちに満族の風俗習慣を身につけたであろう。彼は漢詩文に長けながらも、一方で辺境の騎馬民族の恋や結婚の風習および感情表現を知らず知らずのうちに覚えたにちがいない。
満族の生活スタイルを維持するためには、漢民族の風俗習慣や伝統道徳のきびしい規制を多かれ少なかれ放棄せざるをえない。そうした放棄のなかには当然意識的な部分もあるだろうが、多くの場合、むしろ彼ら自身も気が付かないうちに行われたっものである。
このことは『紅楼夢』のなかにも一部あらわれ、たとえば女性の官能美の一つとされる纏足についてはまったく触れられておらず、また逆に、満族の子弟が必ず覚えなければならないとされた「騎射」(馬術と弓術)は何回も言及されている。
男女関係においても、満族の貴族階級の内部における若い男女の比較的自由な交際など、従来の中国で禁止されていた慣習や作法に反映している。
そうした若い男女の比較的自由な交際は新しい型の恋、P272つまり自由なつきあいのなかで育まれる自然発生の恋を登場させ、恋を性行為から分離したものとするための基礎条件を造ったのである。
ところで、このことについてあるいは次のように反論する人がいるであろう。社会が発展し、資本主義の要素が芽生えるにともなって、清代の漢族の大家庭でも若い男女が比較的自由に交際できるようになったのではないかと。
また、中国では「四世同堂」(四世代が同居する)とか「三世同堂」が当局から奨励され、世代を異にする血縁関係にあるいくつかの夫婦が一つの邸宅のなかに住んでいる場合、果たして男女交際を完全に禁止することができるか、という疑問も生じるであろう。
これについて、曹霑が生きていた時代に、康熙皇帝の朝廷に宮廷画家として十三年間滞在したイタリア人宣教師マッテオ・リパは次のような貴重な証言を残している。
自分たちの家の離れに閉じ込もって自分たちだけで暮らしている女性たちの慎み深さはたいへんなものである。かの女たちの部屋には街路に面した窓はない。部屋のなかへは幼い子供を除いては男はだれも入れない。最後にあげられたのは特殊な例であるかも知れないが、全体の記述は一般的な家庭を対象にしている。普通の家庭の住宅条件でも男女隔離がきびしく実行されていたことは明らかである。
このことは身分のある者の間ではたいそう厳格に守られている。かの女たちが外出するのは正月といったような稀な機会だけである。それも必ず輿に乗って行かなければならない。
妻に対する夫たちの嫉妬心はひじょうなもので、妻に自分の父や兄と話をすることも許されない。叔父と話をすることも許さない。P273弟と年少の甥を除いては近親も話をすることができない。
新年に際しては、夫婦は夫の父に対して敬礼を行う。そのあと妻の実家へ挨拶に行く。夫の父の誕生日にも、妻の両親の誕生日にも同じことをする。この二日を除いては夫の父親は嫁と言葉を交わすことはない。
このことでわたしが思わず笑ってしまったことがあった。ある人が嫁の行動が悪いので叱るか、笞打ちする必要が生じた。しかし嫁の部屋には入ることができないので、直接やることはできない。
そこで自分の前に息子を呼び、嫁の落度を叱ったのち、息子を床の上に横にならせ、ふさわしい数の笞打ちをいくつか加えた。息子は甘んじてこれを受け、叱責に感謝した。そのあとで自分の受けたものと同じ数の笞打ちを妻に与えた。(矢沢利彦訳)
ましてや広い邸宅を持つ上層階級の家ではもっと厳格に男女を隔離することができたであろう。言い換えると、漢族の上層家庭において、このような男女の禁制はきびしくなることがあっても、緩くなることはないと思われる。
『紅楼夢』のなかの栄国邸についてもいえる。もし栄国邸が漢族の高級官僚の家庭なら、男女の禁制には非常にきびしいものがあったはずである。
事実、はじめて栄国邸に着いたP274林黛玉は「男の兄弟ともなれば、当然住まう場所柄からして違いましょう」と言ったことがあるから、男の子と女の子が別々に育てられるのが常識であった。ちなみにそのとき林黛玉は六歳で、賈宝玉は七歳であった。
幼い子供ならともかくとして、十数歳になっても女の子と自由に交際することは、普通の漢族の上流階級の家庭ではとうてい考えられないことである。ましてや賈政のような頑固な儒学の信奉者を父親とする家ではなおさらありえないはずだ。
ただ一つ考えられるのは、栄国邸のモデルである曹霑の家がかなり満族化し、家庭内において男女のつきあいがあまりきびしく規制されていなかった、ということである。
そのような家のなかでは、たとえ賈政のような頑固者でも、この慣習を変えることはできない。否、そのような環境のなかで育った賈政自身さえもそれを気にしていなかったであろう。
このように見てくると、『紅楼夢』における新しい恋はやはり満族文化の影響のもとで生まれたもので、もし満族文化の南下がなかったら、おそらくこのような恋の登場はさらに遅れたであろう。
8.3民族文化衝突の落とし子
P274/ 276/ 278/ 280
(略)
関連 曹雪芹の家系と生涯 http://pingshan.parfait.ne.jp/honglou/hongxue2.html
via 紅楼夢小辞典http://pingshan.parfait.ne.jp/honglou.html
『紅楼夢』の作者である曹雪芹の祖父の曹寅は納蘭性徳の同僚であり、納蘭性徳を『紅楼夢』の主人公である賈宝玉のモデルとする説が清朝以来存在する。胡適は『紅楼夢研究』(1921年)でこの説を否定し、曹雪芹本人をモデルと考えた。(納蘭性徳wiki、tw)