100分de名著
01人為は空しい 02受け身こそ最強の主体性 03自在の境地“遊” 04万物はみなひとしいドラマ(tw)
孤高の花19(tw,tw)紅楼夢10、50
大秦賦06、史記列伝1-老子・韓非列伝P36
ミーユエ19 39:10~尾を泥中に曳く(参照、tw、tw)
大秦帝国 縦横14 11:33~荘子恵施逸話(参照、tw)、20 18:18~荘子流、身代金要求の手紙の書き方(tw) ~包丁解牛(参照1、参照2、tw)
争覇05 21:17~顰に倣う(参照)/ 宮廷の諍い女32 08:00~邯鄲の歩み(参照) 顰に倣う(tw)
争覇06 17:00~沈魚美人(参照、tw)
梨泰院クラス02(tw)
【胡蝶の夢】(参照1、参照2)
功名が辻24 06:21~胡蝶の夢(tw)
母儀天下09 22:51~胡蝶の夢(tw)
『荘子内篇』講談社学術文庫
斉物論篇第二P131
P132昔は荘周、夢に胡蝶と為れり。栩栩然とまいて胡蝶となり。自ずから喩しみて志に適えるかな。周たる知らざるなり。俄然にして目覚むれば、蘧蘧然く周なり。周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを知らず。周と胡蝶とは則ち必ず分め有り。此を之れ物化と謂う。
さて斉物論篇の最後の文章は、有名な“荘周夢に胡蝶となる”の説話である。「周」というのは荘子の名。「栩栩然」は、ひらひらと飛ぶさま。「蘧蘧然」は據據然(崔譔のテキスト)と同じで、はっきりしていることであろう(太宗師篇に、「蘧然として覚める」という用例がある)。
「自喩の「喩」は愉と同じで、たのしむと訓み、「適志與」の「与」は、ここでは詠歎を表わす助辞である。
いつのことだったか、ひと寝入りした荘子は、夢の中で一匹の胡蝶となっていた。ひらひらと空を舞う胡蝶!彼は何ともいえず楽しい気持ちになって、胡蝶の自由を心適くばかりひらひらと舞っていた。自己が夢に胡蝶となっていることも忘れて…。
P133やがて彼はふと目がさめた。彼はその目さめぬ中で、まぎれもなく荘周である彼自身に返る。しかし我に返った荘周は、はてなと考えてみる。一体、いま目ざめている自分が胡蝶となった夢を見ていたのか、それとも、今までひらひらと舞っていた胡蝶が夢の中で今、人間となっているのであろうか。
(略)
P135 養生主篇第三
P137
P139 (略、書き下し文)庖丁は文恵君のために牛を解せり。手の触るるところ、肩の倚るところ、足の履むところ、膝の踦まるところ、砉然、嚮然としておとたて、刀を奏めうごかすこと騞然として音に中らざること莫く、桑林の舞に合い、乃ち経首の会に中る。
さて初めに養生の根本原理を述べて、知と欲の放恣から自己を内に守り、相対的な価値観を超えた善悪の彼岸に立って万物の自然に冥合すべきことを明らかにした荘子は、
P140例によってこのあと庖丁と文恵君の解牛の問答に託して、養生の秘訣が天理の自然に循うことに在ることを、さらに譬喩的具体的に説明するのである。
(略)
P141/ 143/ 145
応帝王篇第七
P361
P362“限りある知を以て限りなき外物を追えば危きのみ”(tw)
P363
P364 "渾沌、七竅に死す"(相互参照)
『荘子(上)』講談社学術文庫
斉物論第二P67 第一章 一なる無へ深く沈潜していく
P69/ 71大知閑閑,小知間間,大言炎炎,小言詹詹/ 73/ 75/ 77/ 79/ 81/ 83/ 85/ 87
P89第三章 対立する仁義・是非・利害を全て棄て去って
P90また、試しに君にたずねてみよう。人は、湿地に寝起きしていると、腰痛を病んだり半身不随で死んだりするが、鰌はそうはならない。樹上に住むとすれば、びくびくと恐れぶるぶると震えるが、猨猴はそうはならない。
この三者の内、どれが正しい処を知っていることになるのだろうか。人は牛肉・豚肉を食べ、䴢・鹿は甘草を食い、蝍且は蛇をうまいと言い、鴟・鴉は鼠を好む。この四者の、どれが正しい味を知っていることになるのだろうか。
猨の雌は猵狙の雄が追いかけ、䴢は鹿と親しく交わり、鰌は魚と遊び戯れる。毛嬙や麗姫は、人が誰しも美しいと思うところである。しかし、彼女らを目にするや、魚は水底深く隠れ、鳥は空高く舞い上がり、䴢・鹿はさっさと逃げ出してしまう。この四者の、どれが天下の正しい美を知っているいるのだうか。
私の目から見れば、仁義の条理だの、是非の筋道だのは、ごてごてと入り乱れているばかりで、私にもその区別がつかないほどだ。
P91
P92…毛嬙麗姫、人之所美也、魚見之深入、鳥見之高飛(tw)、䴢鹿見決驟。四者孰知天下之正色哉。
P97第五章 人間の主体性の根源にあるものは
P98第六章 万物の転化・転生はあたかも夢のようだ
かつて荘周は、夢の中で胡蝶となった。ひらひらと舞う胡蝶であった。己の心にぴたりと敵うのに満足しきって、荘周であることを忘れていた。
P99ふと目が覚めると、きょろきょろと見回す荘周である。荘周が夢見て胡蝶となったのか、それとも胡蝶が夢見て荘周のとなったのか、真実のほどは分からない。だからと言って、荘周と胡蝶は同じ物ではない。両者の間にはきっと違いがある。物化(ある物が他の物へと転生すること)とは、これを言うのである(tw)。
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
(解説、略)
P101
養生主第三
P103第一章 有限の生を養うために、無限の知を追いかけることを止める
P104第二章 庖丁の解牛の技から養生の道を会得した(tw)
庖人の丁が、ある時、文恵君(梁の恵王か)のために牛を料理してみせた。丁の手が触れた部分、肩に凭せかけた個所、足で踏みつけたとことろ、膝で押さえつけたあたりの肉が、あるいはぱりぱりと、あるいはさくさくと、心地よい音ともに切り離されていく。
さらに牛刀を振るえば、ばりばりと響きわたり、どれ一つ取っても調子はずれの雑音はない。あたかも殷の湯王の柔林の舞曲さながらで、それどころか尭の経首の総奏が、今に甦った感すらあった。
P105感動した文恵君が、思わず声を発した。「ああ、見事だ。技もこれほどまでになるものか。」
庖人の丁は、刀を置いて次のように答えた。「臣の好んでいるのは道であって、技以上のものであります。ところで、臣が牛の料理を始めたばかりの頃は、目に入るものは何でも牛に見えたのであります。それが三年も経つと、最早牛の全体は全く目に映らず、刀の入れ所だけに目が行くようになりました。
そして今では、内面の霊妙な働きのうちに働きだすのであるでもって牛に向かっており、目は使いません。一切の感覚・知覚が全て停止して、霊妙な欲求が無意識の内に働き出すのであります。
かくて、臣は、刀を牛体の自然の筋目に沿って動かし、大きく空いた肉の隙間に打ちこみ、大きく穿たれた骨の穴に導き入れるのでありますが、牛体の本来の成り立ちに従っているのすぎません。
かような次第で、臣の技で、骨と肉の絡みあった難所に刀がぶつかることは、今まで一度たりともありませんでした。ましてや、ねじ曲がった大骨など、擦ったことさえありません。
腕のよい庖人でも、一年ごとに刀を取り替えます。肉を切り割いて刃こぼれしますから。並の庖人になりますと、毎月刀を取り替えます。骨を叩き切るからであります。しかし、臣の刀はかれこれもう十九年、料理した牛は数千頭にもなりましょうか。
それなのに、刀はたった今砥石から降ろしたばかりのようで、刃こぼれ一つありません。もともと牛の骨筋というものには隙間があり、刀の刃というものには厚さがない。厚さのないものを隙間のあるところに入れるのですから、
P106刃を気ままに遊ばせるにも広々として、必ずゆとりのある道理であります。かような次第で、かれこれももう十九年使い続けておりませけれども、刀はたった今砥石から降ろしたばかりのようで、刃こぼれ一つないのです。
(略、原文)
P107
・・・
P141
P142徳充符第五(tw)
総説
「徳」という言葉は、一般的に言って、道家や『荘子』が用いる場合、儒家が倫理的な意味で用いてきた「徳」と同じでない。そうした人間中心主義的な用語法やそれに基づく儒家の思想が、視野狭窄に陥っていると批判して登場したのが、道家の用語法やそれに基づく同家の思想だからである。
まして、今日我々が普通に用いる「道徳」(もラルズ、エシクス)とは全然異なると考えて差し支えない。
道家や『荘子』の「徳」とは、大体のところ、客観的には、世界の根源者である「道」の作用・働きを指している。例えば、『老子』第五十一章に「道之を生じ、徳之を畜(育)う。」とあるように、「道」が「物」の存在に関わるのに対して、「徳」はその成長に関わっているのを参照されたい。
また主観的には、人間が自己の身に「得」ているもの、「道」や「天」によって与えられた何かを指す。その「もの」「何か」とは、自己の身体と精神、「形」と「心」のことなのであるが、この学派が精神よりも身体を重んずるので、主に身体(及びその働き)を意味する場合が少なくない。
P143 なお、道家が人間を存在者つまり「物」というレベルでのみで把えている間は、古くからの(主に儒家の)思想上のテーマである「性」という言葉は不要であるが、彼らが人間を人間として問題にするようになると、「徳」は「性」と関連づけられたり「性」と同じ意味なったりして、それが『荘子』や道家の文献の中にも表れるようになる。
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P151
P152第四章 才に欠けたところがなく、心に徳を深く湛えた人は(tw,tw)
魯の哀公が、ある時、仲尼にたずねて言った。「隣国の衛に、哀駘它という名の醜男がいた。男たちは暫く彼を相手に話でもすると、心惹かれて離れがたくなり、女たちは一目見るなり、父母に頼んで『どの人の妻になるよりも、いっそあの方の妾でいとうございます。』などと言い出す者が、何十人では利かないありさまだ。
かといって、彼が先頭に立って何かを唱えるのを一度たりとも聞いた者はおらず、常に他人と調子を合わせるばかりなのだという。
人の死を助けてやれる、王侯の権力があるでなく、人の飢えを満たしてやれる、財産の蓄積があるでもない。
P153 その上、顔の醜さは天下の人々をびっくり仰天させるほど。他人に合わせるだけで先には唱えず、その見聞は鄙近な村里のできごとを出ない。それなのに、男も女もその周りに集まってくるというのは、きっと常人とは違って優れた点があるに違いない。
そう考えて、寡人(諸侯の自称)は召し出して眺めてみたが、なるほどその醜さといったら天下中をびっくり仰天させるに十分だ。
しかし、そばに置いてみて幾月と経たぬ内に、寡人はその人となりに心が惹かれ、一年経たぬ内に信用するようになってしまった。たまたま我が国の宰相が空位になっていたので、国政を委ねようと意向を打診してみたところ、ぼんやりとして返事もろくにせず、のらりくらりとして断っているようであもある。
それで、寡人はあまりに急いで国政を委ねようとした自分を、恥ずかしく思ったのだった。それから間もなく、男は寡人のもとを去ってどこへともなく行ってしまった。
・・・
P154さて、お話の哀駘它のことですが、何一つ善いことも言わないのに信用され、これといって功績もないのに親しまれて、一国の君主に国政を委ねようという気を起こさせながら、断られるのでないかとひたすら気をもませた、ということですね。これはきっと、才に欠けたところがなく、徳を心の奥底に深く湛えた人に違いありません。」
哀公、「そなたの言う、才に欠けたところがないとは、どういうことなのかな。」
仲尼、「この世の中で我々人間が、死に生まれ、生き長らえ亡くなり、行きづまり時めき、
P155貧しくなり富み、賢くなり愚かになり、毀られ誉められ、飢え渇き、寒がり暑がり、等々するのは、全て万物の極まりない変化であり、運命の必然的な運り行きというものです。
日に夜に互いに違いに入れ代わってやむことのなく、人知でその根本原因を把えることはできません。ですから、内面の徳の調和を乱すほどのものでなく、心の深みにまで入りこませてはならないもの。
そこで、これらの諸現象がゆったりと調和を取りながら流れていくのに任せて、自分の心は安らかさを失わず、これらを日に夜に寸時も止めず運り行かせつつ、自分は諸現象と春のような和やかさを保つわけです。
これこそ正しく、諸現象との触れあいを避けぬことにより、時の流れを我が心の中に作り出していくことに他なりません。才に欠けたところがないとは、こういうことです。」
「徳を心の奥底に深く湛えるとは、どういうことなのかね。」
「譬えてみれば、真っ平というのは、水が静止した窮極のことを言いますね。これを高低を測る基準とすることができるのは、内に保たれたものが外に出て動くことがないからです。
それと同じように、徳というのは、内面が平安になった極致のことを言います。そして、徳を心の奥底に湛えた人は、あらゆる現象の現れる根拠となるので、いかなる存在もこの人から離れることができないのですよ。」
哀公は、後日、以上のやり取りを孔子の弟子の閔子騫に語った。「これまで、私は南面して天下に君臨し、支配の権柄を握って民生の安寧に心を配っていることを、自ら至上と自惚れていた。
P156しかるに、今、夫子より至人(道に達した人)についての話を聴いて、私には君主たるの実がなく、軽々しく身を振る舞って、我が国を亡ぼすのではないかと空恐ろしくなってきた。
このように導いてくれたからには、私と孔丘は、上下に隔たる君臣ではない、徳をもって交わる真の友人に他ならない。」
(略、原文)
天運第十四
P353第四章 孔子のアナクロニズムと時代に応じて変わるべき礼法制度
P355
P356その昔、絶世の美女の西施がたまたま胸を病み、眉をしかめて田舎に帰ったことがあった。それを目にしたとある田舎の醜女、えも言われぬ美しさにうっとりして、一旦家に戻ると、自分も胸に手を当てて、村中をしかめっ面で伸し歩いたものだ。
するとこれを見て、村の金持ちは固く門を閉ざしたまま外に出ようとせず、貧乏人は妻子を引き連れて一目散に逃げ出したそうな。その醜女には、西施のしかめっ面のえも言われぬ美しさは分かったが、しかめっ面がなぜうっとりするほど美しいのかまでは、分からなかったのだ。
残念ながら、あんたの先生は窮地に陥るしかないね。」
P357
秋水第十七
P389第一章 私は何をなすべきか、なさざるべきか--万物の自化の思想
P391
P392「井の中の蛙…」
P393/ 395/ 397/ 399/ 401/ 403/
P405第二章 天機の根源にある無は、不勝の故にかえって大勝を勝ち得る
P407第三章 聖人の勇について--窮通に命・時のあることを知った上で
P409
P411第四章 東海の大きな楽しみと井の中の蛙(tw)
P413 ついでに言っておくが、あなたもあの燕の寿陵という村の若者が、都会風の歩き方を習おうと趙の都邯鄲に出かけて行った話を聞いたことがあるだろう。その若者は、まだ都会風の歩き方を身に着けない内に、これまでの歩き方も忘れてしまい、ただもう四つん這いになって村に帰る他なかったという(故事成語、邯鄲の歩みtw,tw)。
宮廷の諍い女32 07:52邯鄲の歩みさて、あなたのことだが、さっさと帰らないと、荘子の思想が身に着かないばかりか、これまでの知識さえ忘れ、あなたの得意とする技さえなくしてしまうぞ。」
P414公孫竜は、口を開けたまま閉じることもできず、舌を上に挙げたまま下げることもできず、ついに一目散に逃げ出した。
P415第五章 私は泥にまみれて生きる一匹の亀でありたい(tw)
かつて荘子が濮水(衛の川)のほとりで、独り釣糸を垂れていた。そんなところへ、楚の国王が、太夫二人を使者に立てて先行させ、内意を伝えさせようとした。「ご面倒ながら、国の政治を司どる宰相にご就任願いたい。」
すると、荘子は釣竿を手にしたまま、振り向きもせず、「聞くところによると、楚の国には死んで三千年にもなるという神聖な亀がいて、王はこれを袱紗で包み竹箱に収めて、先祖の廟堂の中に大切に蔵っておられるとか。
ところでおたずねするが、この亀にしてみれば、殺されて甲羅を残して大切にされたかっただろうか、それとも生き長らえて尻尾を泥の中に引きずっていたかっただろうか。」
P416二人の太夫は口をそろえて、「それは、やはり生き長らえて尻尾を泥の中に引きずっていたかったでしょう。」
荘子、「帰って下さい。私も尻尾を泥の中に引きずっていたいと思うのです。」
第六章 宰相の位はあたかも腐った鼠のようなもの
P416論理学者の恵子(施)は梁国(魏に同じ)の宰相であった。ある時、荘子が彼に会おうと出かけて行ったが、恵子(施)に告げ口する者がいて、こうささやいた。「荘子がやって来るのは、あなたに代わって宰相の位に就こうという魂胆ですぜ。」
417 これ聞いて恵子(施)はすっかり恐怖心にとらわれ、荘子を捕らえようと梁の国中を三日三晩にわたって捜索させた(tw,tw,tw)。
荘子は自ら出向いて恵子(施)に会い、次のように言うのであった。「南の地に一羽の鳥がいて、名は鵷鶵と言うのだが、君は知っているかな。そもそもこの鵷鶵という鳥は、遥か南の海に飛び立って、北の海の果てを目指してして飛んでいく。
その途中、麗しい梧桐の木でなければ止まらず、めでたい楝の実でなければ食わず、清らかな甘泉の水でなければ飲まないという、高貴な存在だ。さて、ある時、一羽の鴟が腐った鼠を手に入れた。そこへ件の鵷鶵がたまたま通りかかった。
すると、獲物を奪われることを恐れた鴟は、振り仰いでぐっとにらみ、一声『かあーっ』とどなりつけたというのさ。今、君は、手に入れた梁国の宰相の位を奪われることを恐れて、この私を『かあーっ』とどなりつけるつもりかね。」
P418第七章 魚の楽しみ、私は直観によってそれが分かった
P419/421