第六章 殿下 P97-110
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第七章 人生を彩る男たち P111-121
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第八章 愛と憎しみ P122-134
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第九章 夫と妻 P135-151
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第十章 山上での会談 P152-166
P 152/ 154/ 156/ 158/ 160戦争と平和/ 162戦争と平和/ 164戦争と平和/ 166戦争と平和/第十一章 プリティ・フェイス P167-175
P167オードリーは一本の映画に君臨する善意に満ちた女帝だった。決して権力を乱用するようなことはなかったが、映画の製作にあたっては、注文をつけたり忠告したり、相談を受けたりできることになっていた。これは『戦争と平和』 ソ連版1 2 3 4
の契約書に項目ごとに明記されていた。初めて契約書に目を通したときには、「こんなにいろいろなことがうまくいかなくなろうとは、おもいもよりませんでした」。
そして与えられた権利を行使するようになって初めて、自分にとっても作品にとっても最善と思われることを追求することが、どんなにたいへんなことかを、思い知ることになった。最初の試練はじきにやって来た。オードリーの相手役となるピエール・ベズーホフに誰を充てるか、である。
ロシア貴族の私生児ピエールは、トルストイの理性、知性、そして平和主義の代弁者である。気立てがよく不器用で温厚な性格、あまり先を見通すこともなくいつもぼんやりしている。
ハリウッドのスターでそういう人間を演じることのできる人はほとんどいない。ただの臆病者の役ならば別だ。しかしオードリーには当てがあった。ピーター・ユスティノフ(相参1、相参2)である。ディノ・デ・ラウレンティスはこのイギリス人俳優の名が出たときに難色を示したのだが、それでも彼女はユスティノフを強く推した(tw)。
デ・ラウレンティスが難色を示したのは、ユスティノフの選択が間違っている、というわけではない。彼には知性も教養もある。『クォヴァディス』のネロ役で力をつけた彼は、自分の演じる人物に自ら考えて感情を移入できる俳優になっていた。
「でもね、オードリー」とデ・ラウレンティスは言った。「彼は君みたいに有名なスターではないのだよ」。トルストイならば二人といないヒロインのナターシャが知識人に惹かれるという筋にできたが、ハリウッドにはそのような勇気はなかった。
暴力や闘いに明け暮れる他の男たちとピエールとの違いは、眼鏡をかけているかどうかだけで、このようなヒーローを描くのはかなり厄介な問題だった。デ・ラウレンティスは知性と近眼は目に見えるセックスアピールでバランスをとるべきだ、と主張して、グレゴリー・ペックを強く推薦した。
オードリーは微妙なジレンマに陥った。おそらくデ・ラウレンティスの策略だろう。『ローマの休日』で同等
P 168 に扱ってくれた度量の大きい人と再び共演することは歓迎できないはずがない。しかしメルはどうだろうか。ローマで共演して撮影しているときに様々な噂の中心にいたスターが、現在自分の妻になっている女性の相手役になったら、歓迎するだろうか。デ・ラウレンティスは「彼の」ピエールを連れにハリウッドへ向けて出発した。
しかし彼がご機嫌伺に向かった先はヘンリー・フォンダだった。フォンダについてはオードリーも賛同し、間違いなくメルの了解もとれた。オードリーは、スティール撮影、メーキャップ、衣装など、自分のイメージを守るために契約書に認められた権利を行使した。
これは配役の件と違って即座に実行できた。最初彼女はカメラマンに、オーストリア人で『ローマの休日』でカメラマン助手を努めたフランツ・プラナーを指名した。ところがそれが叶わなくなったので、カラーのカメラマンとしては一流のジャック・カーディフに頼むことになった。
彼はとりわけオードリーともメルとも親しかった(頓挫した『オンディーヌ』の撮影を秘密裏に頼まれていたほどである)。それからメーキャップとヘアメークにはアルベルトとグラツィアのデ・ロッシ夫妻に依頼した。
デ・ロッシ夫妻はこの映画だけでなく、その後に撮った作品でもオードリーのためによく働いてくれた。こうしてオードリーの「取り巻き」ができた。大物スターは誰でも、気を使わずに身を任せられる「取り巻き」を持つものだが、オードリーにとっても、これは外界から守ってくれる防御璧のようなものになった。
さらにオードリーはジヴァンシーにナターシャの衣装の製作を依頼したが、「時代物」の衣装を製作するとなると、純然たる最新ファッションの旗頭として最近認められるようになった名に傷がつく、という理由で断られてしまった。
しかしジヴァンシーは数回ローマへ行き、衣装用に準備した生地や色をチェックし、オードリーに似合うかどうかを確認してくれた。
オードリーの特徴的なヘアスタイルは、時代に忠実になろうとすると犠牲にしなければならなかった。するとコラムニストの中から、オードリーが『麗しのサブリナ』の製作から日を置かずして「成長してしまった」と嘆き悲しむ声が聞こえてきた。
スクリーンの中でいつまでも青春期を過ごしているオードリーを見ていたい、『戦争と平和』の製作にかかっている今、彼女がニ十五歳の誕生日を迎えようとしていることは考えたくない、というわけなのだ。
実際彼女は写真に撮ると実年齢よりもずっと若く見える。トルストイのナターシャは物語が始まるときにはわずか十五歳なので、若く見えるということは幸いした(実際の脚本では慎重を期して一、二歳足している)。
P169年齢は別にして、偉大なロシア人作家の小説に登場するナターシャの容姿や個性を見ると、これはオードリー・ヘップバーンのことか、と思わずぞっとしてしまう部分がある。
「黒い目をした口の大きい女の子。特別にかわいい、というわけではないが元気一杯で、走った後に素肌を見せた幼子のような肩を上下させ、コルセットを揺すって喘ぎ、黒い巻き毛をぐっと後ろへ寄せる。こんな素敵な年頃で、この人はすでに子供ではなく、かといって若い婦人、とも言えない」
「かわいらしくて…気さくで…彼女を知ることは楽しみが増える、ということだ」とE・M・フォースターがかつてナターシャについて言ったことがある。オードリーを知っている人が言ったことをそのまま口にしただけかもしれない。
キング・ヴィダーは一九五五年、春も終わろうという頃にローマに移動してシナリオの準備にかかったが、「オードリーはナターシャそのもの。本からそのまま抜け出た感じだ」と断言している。
もし身体的特徴が似ているということだけでそのように言うのなら、この配役に間違いないはなかった。しかし残念ながらそうではなかった。
オードリーは異常に湿度の高いローマの夏、チネッタ・スタジオで衣装とカメラのテストを始めた。このスタジオは、精力的に動きまわる興行主と六百万ドルのプロダクションへの感謝の気持ちを込めてディノチッタと呼ばれていた。
どちらかというとまだエアコン設備が珍しかった頃である。オードリーは何よりも暑さと湿気に参ってしまわないように気をつけなければならなかった。彼女はメルとアルバン丘陵に借りた別荘から一時間近くかけて車でスタジオへ通った。
仕事が終わってから過ごす穏やかなプライベートな時間は、まるで二度目の新婚旅行のようなもので、マスコミでも特に許可を得た人、というよりむしろ有力なメンバーでなければ別荘を訪れることはできなかった。
その中にルエラ・パーソンズがいる。オードリーは栽培種だけでなく自ら摘んだ野生種も混ぜて夏の花の小さな花束を作り、それをロサンゼルスからやって来てエクセルシオル・ホテルに泊まっているコラムニストに贈ってご機嫌伺をしていた。
お返しにルエラは、オードリーが実に幸せそうで「話をしながら無意識のうちに手を伸ばしてメルの手を軽く叩いている」と書いた。ルエラにはそのようなつもりはなかったのだが、この一文からは、ふたりがスターとして常に人目にさらされ、結婚生活に支障を及ぼさないまでも、少なくともストレスは感じていることを、うかがい知ることができる。
P170 仕事のために離れ離れになることを避ける、と強く決意した結果、今度は何か月も前から仕事の予定を組まなければならなくなり、今引き受けている仕事がまだ終わらないうちに、次の契約が山積みされていった。
オードリーが『戦争と平和』の最初のシーンをこれから撮るというときにも、喜劇『アリアーヌ』(タイトルを『昼下がりの情事』と変更したところ好評を得た)の話が持ち出されていた。
共演はゲイリー・クーパーとモーリス・シュヴァリエ、監督はビリー・ワイルダー、製作はパリで一年以上先の話である。メルと離れたくないオードリーは承諾の返事を遅らせ、メルの仕事が決まるまで待たせた。
幸いなことにメルは、同じ時期にパリで撮影されるジャン・ルノワールの喜劇作品『恋多き女』に役をもらうことになった。「一緒イコール幸せ」という方程式は当分崩れそうになかった。
ウィリアム・ワイラーは契約の順番をイライラしながら待っていた。できることなら順番を飛ばしてしまいたい。彼はロスタンの作品『鷲の子』のヨーロッパでの権利を買っていた。
合衆国ではすでに著作権の消滅した作品である。この作品のナポレオンと皇后マリー・ルイーズの間に生まれた息子の役を、彼はオードリーに振っていた。この息子は一人前の男になって父親の築いた帝国を相続する前に肺病で死ぬ。
アルザス生まれのワイラーは、フランス系ドイツ人としてヨーロッパの王朝に強い愛着心を抱いていた。撮影はナポレオンの流刑後息子が養育されたウィーンのシェーンブルン宮殿で行いたい、と申し出た。
しかしワイラーの壮大な計画はパラマウントの上層部の強い反対につぶされた。出演料の高い新人スターを男役に使うなどもってのほか、というのである。女優が男役を演じるという異端はカルボとともに去りぬ!
『戦争と平和』の撮影には日々相当な集中力が要求されたので、オードリーがジョージ・スティーヴンスの申し出を断ったのも驚くようなことではない。それは『アンネの日記』の映画化だった。
断わったのには過密なスケジュール以上の理由があった。何があってもくじけないユダヤ人少女の物語はとても語りきれるものではない。ドイツ兵やゲシュタポがすぐそばを歩き回っている秘密の隠れ家に、何年も閉じ込められていたのに心の平静を保つことができた少女---オードリーは自分で経験した戦争中の危険や窮乏生活に重ね合わせてしまったのである。それに彼女は「聖人を演じる」ことが心もとなかった。この反対理由を聞いたスティーヴンスはますます熱心にオードリーに食い下がった。
P171『聖処女/ベルナデットの歌』のジェニファー・ジョーンズを見て欲しい、聖人がいかに興行成績に貢献して、世俗の役者に代わってオスカーを獲得することもあり得るか、証明したではないか、と。
しかしオードリーを説得することはできなかった。彼女がスティーヴンスに話したところによると、彼女は一九四六年というまさに戦争直後に「ある友人」から校正刷りの写しをもらい、オランダ語で『アンネ・フランクの日記』を読んだという。その「友人」とは母親のの恩人ポール・ライケンズ(Paul Rykens)(相互参照)だった。
何年もたってから、オードリーはレズリー・ガードナーのインタビューにこう答えた。「読みましたよ。読んで心がズタズタになりました…もう本を読む、という気持ちではありません、印刷物なんかではありません。私の人生そのもの…そういう経験はこのときだけです。激しく心を揺り動かされました」
そしてついにオードリーが『アンネ・フランクの日記』を再び開き、今度は生き抜こうという決意をそこに読み取るときがやってきた。今まで映画で演じてきたどんな役よりも力強く人道主義の理想に訴えかける霊感的な役柄を見出すはずだった。
ところがこのヒロインは、自分の祖国が、家が、家族が、戦争でめちゃめちゃにされるのを見るのである。まだ戦争の記憶が生々しく残る一九五○年代半ばのローマでそういう役を演じるというのは、オードリーにしてみればかなり悲痛な経験となっただろう。もしジョージ・スティーヴンスの誘惑に負けていたら「私は心身ともに参ってしまったでしょうね」と彼女は友人にそっと打ち明けたという。
『戦争と平和』への出番は契約書に明記された十二週間を優に超えて「超過分」を稼ぎ出したが、それはオードリーの健康やスタミナと引き換えだった。彼女は根気強い生徒で、ナターシャを演じるのに必要な技術をすべて学ぼうとしていた。
馬は常に不安の材料だったが、意を決して純血種のロシア生まれのポニーに乗り、貴族の娘らしい乗り方を身に付けた。チネチッタの防音スタジオには驚くほど細かいところまでまねたロシア貴族趣味の大きな音楽堂が再現され、オードリーはそこで十九世紀初頭にモスクワの宮廷舞踏会で当時の貴族たちが踊った極めて複雑なダンスのレッスンを受けた。
また何時間もぶっ通しで大勢の衣装係に囲まれて立ち続け、見事な新作のガウンを着つけてもらうこともあった。その衣装は、オランダで王室行事があったときに曾祖母が実際に着たと思われる様式の衣装を参考にして作ったものだった。
超大作の映画にはよくあることだが、製作プランは原作を超えてますます膨らんでいった。
P172 オードリーがナターシャに吹き込むものは透明感あふれる輝きで、これ素のままで表現できた。役を演じるにはオードリーの容姿があればそれで十分だった。キング・ヴィダーはトルストイを学問的に解釈しているだけで感覚としては的確に解釈しているわけではなかった。
「当然あのとんでもない量の本をまるまる取り入れたいという誘惑に駆られる」とヴィダーは小説家アーウィン・ショー宛ての手紙で不気味な言い方をしていた。最終的にショーは他の五人の作家とともに呼び出されてトルストイの込み入ったプロットやサブプロットをまとめ、一本にすっきりと整えた。
簡潔にまとめ過ぎ、という声もあった。しかしショーの名は映画のクレジットに載っていない。南カリフォルニア大学の文書館には二巻から成るヴィダーの『戦争と平和』の原稿が保管されている。
各ページの下の方にはそのページの中で大事だと思われる場面が書き留められている。間違っていたとしてもどうしてもシナリオの片隅にでも入れたいと思ってメモしたのだろう。
そうやって余計なものを入れたのはまだよかった。逆に削ったのがまずかった。問題が生じたのである。特にオードリーへの影響が大きい。原作のナターシャは戦争や死、疫病、窮乏生活そして破壊を目の当たりにして、生き残りたいと強く願い、そうして強い心の持ち主になる。
やがては時勢や運、幸福と狂気、破壊と回復など何でも承知した女性に成長し、最後には満足感に満たされるのだが、映画には原作にあるような決定的な変貌を遂げる場面がなかった。
そのように変貌を遂げる演義はかなりの技量を要求する。キャリアの浅いオードリーにできるだろうか。おそらく無理だろう。しかし、ヴィダーはオードリーに能力以上の演技ができるかどうかを確かめる機会も与えていない。
彼女は映画の中で精一杯かわいらしく演じるだけなのだ。彼女にはどんなベテランの女優でも役を深めるために必要とするもの、つまり、経験に伴う洞察力を引き出す監督の指導がない。オードリーの力不足と監督の力不足から、オードリーはただの無邪気な演技に頼らざるを得なかった。
この企画についてのメモやアーウィン・ショーへの手紙から判断すると、ヴィダーはオードリーの魅力に相当惚れ込み、ナターシャには「成長して」ほしくなかったようである。ショーに宛てた手紙には、この物語の中心を流れるものは「ナターシャの…成長ぶりで、彼女がこの話の命もしくは魂そのものであり、不滅の存在である」と頭ではわかっているのだが、と書いている。その通り。しかし不滅では、人間の面白みがなくなってしまうのではないだろうか。
P173ヴィダーはあまり気持ちが乗らなくなると『風と共に去りぬ』を参考にして閃きを得たようである。当然デ・ラウレンティスには異論がなかったが、オードリーには何の役にも立たなかった。
彼女は取り付かれたように演じるヴィヴィアン・リーとは違うタイプだからだ。ヴィヴィアンは自分の行動がどのような結果を招くかを気にしない役者なので、スカーレット・オハラの性格にぴったりだった。
オードリーの内面の変化という未だかつて経験したことのない流れを、うまく舵取りして抜けなければならなかった。そしてその方法はヴィダーから教わっていなかった。
オードリーの演じるナターシャは魅力的で、それに異論を唱えるものはいない。一方アンドレイ公爵はメルが美男子のメーキャップで演じているが、役柄には合っていても妙に個性のない演技だった。
そのアンドレイ公爵がナターシャを語るとき、それはまるでオードリーその人を語っているかのようだった。彼女を腕に抱き、「まるで春を抱いているよう(参照)」な気分になる、と。
おあいにく様。秋や冬のオードリーはどんな役でもどんな映画でも、絶対、ない。
映画の批評でオードリーは悪く言われることはなかった。たいていは好意的な見方だったが、イギリス人批評家ポール・デンは、「大きなロシア人の目をした、何となく小鹿と半獣神ファウヌスを思わせる可愛い顔は、何を演じても変わり映えがしない」、とこれまた手厳しい批評をしている。
ディリス・パウエルはナターシャが「成熟」していないことを認めて、成熟具合が描かれていないのは確かだが、「かわいそうなナターシャはまるでポートワインやチーズのようだ。熟すれば皆に愛されるのに」、と同情している。
そしてC・A・ルジュンヌは厳しい見方をしながら評価も織り交ぜ、「時代遅れの映画だが」、オードリーは「魅力的な可愛いアヒルちゃん」だと言い切った。オードリーが孤児のようなやせっぽっちのいたずら娘の役を演じなくなったら、一番若さを誇れる時期を犠牲にしてしまうではないか、もったいない、と嘆いた批評家たちが、今度は十分に大人を演じられない、と嘆くのだった。
ヴィダーがもっと大胆に原作に手を入れ、もっと想像力豊かな監督だったら、オードリーは『戦争と平和』でどのように演じただろうか。神様でも答えられまい。ヴィダーは一九五五年には六十一歳になり、『ビッグ・パレード』のような一九二〇年代の無声スペクタクル映画の輝きも、少し前の『白昼の決闘』の派手な大成功も、すでに過去のものになっていた。
P174 彼には社会的に洗練された知識や歴史観が欠けているので、トルストイの内面を読み取るような映画作りはできなかった。ヴィダーを弁護するならば、この頃はまだ「監督の映画」と呼ばれるような作品を作るための基本事項に、十年後だったら当たり前の心理学的手法が含まれていなかったのだから仕方があるまい。
物語を語る新しい考え方が自分の作品に必要になったときでも、彼は証明済みのハリウッド様式に頼ったのだ。オードリーもそのハリウッド様式に実にうまく合わせていたが、最もドラマチックな場面で彼女の欠点が露呈、映画全体を見ても最悪な場面になってしまった。
それはヴィットリオ・ガスマン演ずる颯爽としているが節操のない士官が、ナターシャを誘惑する場面である(吹き替えは耳を塞ぎたいほど耳障り!)。ナターシャはつかの間の不貞をはたらき、名誉もアンドレイ公爵の愛も失ってしまう。
ところがオードリーはトルストイのヒロインを演じても幼稚で無邪気な人物以上の演技ができないので、おそらくナターシャが駆け落ちの支度をするときのセリフは気まぐれで薄情に聞こえるはずなのだが、それがいかにもウソっぽく聞こえ、聞いている方が恥ずかしいほどの出来だったのである。
ヴィダーの手紙には、そのことはわかっていた、非難されても半ば仕方がないと思っている、と書いてある。アーウィン・ショーに宛てた手紙には「そのまま台本を読んでみてくれ、と妻に頼んだら、ナターシャの特徴をどのようにしてだめにしてしまったか、妻は午前中えんえんと話し続けた」とある。
「妻」とはヴィダーの三人目の妻で作家のエリザベス・ヒルである。オードリーの経験不足がさらに失敗に拍車をかけた。それは認めなければならない。オードリーとヴィダーの関係は決して職業上の倫理に反しているわけではないが、親しすぎたようで、けっして互いのためにはならなかった。
オードリーはヴィダーにとってスターというよりも霊感の源泉だった。『戦争と平和』は興行的には失敗で、とうてい利益にをあげるまでには至らなかったが、それでもオードリーに対する熱が冷めるということはなかった。
ヴィダーの言葉を借りると、彼女はまだ「監督の喜び」のままだった。「映画製作現場」とそのままのタイトルをつけたヴィダーの回顧録を読むと、彼が概念の芸術家というよりも生まれつきの解説者であることがわかる。
しかしこの散文的な色気のない男も、オードリーについては次のように夢中になって語り始めるのだ。「今まで監督をしてきた女優の中で、誰は一番好きか、と訊かれると---こんな気恥しい質問はない---いつもすぐに一人、心に浮かぶ」。
P175わざわざ名前を挙げる必要もなかった。二人の間に存在した恋愛感情は、『戦争と平和』のどの場面にも如実に現れている。
ヴィダーに対する批評は、オードリーに関する限りまったくの間違いではないにしても、決して当を得たものではない。次第にそのことが明らかになっていくのを目の当たりにしながら、ヴィダーは、少なくともそれには満足していた。
彼は、オードリーが「私の考えでは理想的」である、という信念を曲げはしなかったが、「彼女はひょっとしたらナターシャをロシア人的に表現することができないかもしれない」と心配はしていた。
それでも一九六六年にロシア人が(セルゲイ・ボンダルチュク監督で)『戦争と平和』のロシアバージョンを製作したとき、「ナターシャを演じたのはリュドミラ・サヴェーリエ(リュドミラ・サベーリエワ)という、オードリーそっくりの女優だった」。ヴィダーはそれ見たことか、とばかりにメモを残している。
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