2019年2月2日土曜日

偏愛メモ 『毛沢東』


(江沢民の出自)
P264 「はじめに」と第三章でも触れたように、毛沢東は一度も日本に歴史問題を突き付けたことはないし、また生きている間、ただの一度も抗日戦争勝利記念日を祝ったことがない。

中国が歴史問題を論じ始めたのは、毛沢東が逝去してから数年経ったあとのことである。それまでは中国人民は「南京大虐殺」に関してさえ、広くは知らされていなかった。日本の「歴史教科書改竄」などがあって、初めて「南京大虐殺」が中国国内で広く知られるようになったと、人民日報は書いているが、それ以外にも日本の元軍人や日本の左翼系ジャーナリストなどにより知ったという情報も中国大陸のネットにはある。いずれにしても、日本側がその場を提供してあげたようなものだ。

日中戦争の間は、父親が汪兆銘政権の宣伝部長として活躍していた江沢民は、毛沢東の老獪な戦略など知るはずもない。江沢民は、日中戦争時代は日本軍閥側の官吏の息子としてぜいたくな暮らしをしていた。だから当時の中国人には珍しく、ダンスもできればピアノも弾ける。日本が敗戦すると、あわてて中国共産党に近づくが、自分の出自がP265中国人民に知られなどしたら国家主席どころか共産党員としての資格も剥奪されると、江沢民は恐れたに違いない。

自分がどれだけ反日的であるかを示すために、江沢民は1994年から始めた「愛国主義教育」の中で必死になって反日煽動を行い、出自を隠そうとした。抗日戦争記念日を全国レベルで祝い始めたのは1995年からだ。その年の5月にモスクワで開催された「世界反ファシズム戦争勝利50周年記念祝典」に招待された江沢民は衝撃を受けた。中華民国が戦った反ファシズム連合国側の一員に、この「中国」が位置づけられているではないか。

それまでは中ソ対立があったが、1991年12月にソ連が崩壊し、ロシアのエリツイン大統領が中国をこの祝典に招待してくれたことにより、江沢民の自尊心はすさまじく刺激された。1995年9月3日、中国では初めて全国レベルの「抗日戦争勝利記念日」と「反ファシズム戦争勝利記念日」の祝典が合わせて行われ、江沢民は「抗日戦争」を「反ファシズム戦争の重要な一部分」と位置付けた。そしてその戦争において「中国共産党がいかに貢献したか」を強調し始めたのである。