2019年1月31日木曜日

偏愛メモ 北方領土問題

(tw,tw,tw)『戦後史の正体』P168-172

P168 北方領土の北側の二島、国後島、択捉島というのは、第二次世界大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償として与えた領土なのです。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉のソ連への引き渡しに反対し、わざと「北方領土問題」を解決できないようにしているのです。(略)

(1)まず一九四五年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾しました。このポツダム宣言では日本の領土について次のように述べています。
「日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国ならびにわれわれの決定する諸小島に極限されるべし」
P170つまり日本の領土は「本州、北海道、九州、四国」と「連合国の決定する小島」に限定されるというわけです。ですから問題は、「北方領土」が「連合国の決定する小島」にふくまれるかどうかということになりますが、こうした問いを立てた時点で、すでにひとつのトリックにひっかかっているのです。

というのは、そもそもこの「北方領土」という概念はあとになってできたもので、その中身は「北海道の一部である歯舞島、色丹島」と「千島列島の南端である国後島、択捉島」に分かれます。そして後者に関してはすでにのべたとおり、第二次世界大戦が終わる以前から、米国が「ソ連に引き渡す」と明言しているのです。(略)

ルーズベルト大統領はテヘラン会議(1943.11)でソ連の対日参戦を求め、P171ヤルタ会議(1945.02)で「千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」という内容をふくむヤルタ協定を結びました。(略)

(2)一九五一年九月八日のサンフランシスコ講和条約では、「日本国は千島列島に対するすべての権利を放棄する」とされています。吉田首相は調印直前の九月七日、「択捉、国後両島」が「千島南部」であると認めています。そして調印後の一〇月一九日には、西村条約局長が衆議院の国会答弁で、「条約にある千島の範囲については、北千島、南千島両方をふくむと考えております」と答えています。

こうした前提のもと、一九五六年の日ソ交渉で重光外相は、日ソ国交回復を成功させるためには「択捉、国後の放棄もやむをえない」と判断します。(略)講和条約で放棄しているのですから、妥当な判断です。ところがそうした日本政府の方針に対し、なんと国務長官になっていたダレスが重光外相P171に圧力をかけ、

もし日本が国後、択捉をソ連にわたしたら、沖縄をアメリカの領土とする」と猛烈に脅してきたのです。さらに谷駐米大使に対しても、国後、択捉をソ連にわたすのであれば「サンフランシスコ講和条約の締結国は、条約によって与えられた一切の権利を留保するだろう」と激しい圧力をかけています。(略)日本とソ連のあいだに、解決不能な紛争のタネをうめこむためでした。(略)

『秘密のファイル(下)』(url)
(P162-)

P162 アメリカは鳩山不信をさらに強め、感情的な敵意をむき出しにしていたことがよく分かる。アメリカ側は、意図的に手荒な仕打ちをしたわけである。十月五日、訪日したハーバート・フーバー国務次官がアリソン大使とともに、鳩山を訪ね一時間余り会談した。

「鳩山はことのほか友好的だったが、あいまいで、いくつかの点でまったくポイント外れの発言をしたり、直接的な回答をせずにごまかしたりした」アリソン大使は同日付で国務省に送った秘密電報でそう伝えた。電報によると、鳩山は、日ソ交渉の展望について、「間もなく妥協するとの印象を持っている。自由党と一部国民は千島と南サハリンの返還を要求しているが、日本はサンフランシスコ講和条約でこれらの主権を放棄したと思う」

と言ったという。現実には、日ソ交渉はそれから一年もかかった。翌一九五六年三月十九日、東京で行われたダレス国務長官と鳩山の会談もよそよそしい雰囲気で終わった。例えば、鳩山が小笠原島民が帰還できるよう、「解決策を検討してほしい」と言うと、ダレスは、P163「島民は帰還を認められるべきだとの考えに傾いていたが、この問題を検討すればするほど自信がなくなる」

ともったいをつけて、小笠原は、「多くの人口を維持できそうにないし、・・・米国と自由主義世界にとって戦略的価値も高い」と後ろ向きの回答しかせず、会談はかみ合わないままだった。鳩山政権の時代、アメリカ政府はあえて日本政府とより緊密な関係を築こうとせず、先送りにした感がある。

一九五五年四月九日、国家安全保障会議(NSC)は新しい対日政策NSC5516/1号文書を承認した。「日本は、対米依存度を低くし、ソ連、共産中国との関係拡大などで国際的行動の自由を拡大しようとする」という現状を認識したうえで、
  • 効果的で穏健な保守政権の発展を促進する。
  • 個人的接触、意見交換、可能な支援により、実業家、政府当局者、防衛当局らP164の理解と協力を拡大する。
  • 共産主義勢力の組織基盤を攻撃し、共産主義者の財政・政治力を損ねるための効果的な国内的治安措置で日本政府を支援する。
  • 非共産党系知識人指導者の間のマルクス主義的傾向を除去し、一般国民に共産主義の危険を啓発する計画を拡大する。
  • ソ連との外交関係樹立に反対しないが、共産中国との外交関係に反対する。
  • 歯舞、色丹両島の主権をめぐる日本の主張を支持する。千島列島と南サハリンに対するソ連の主権の主張に対して譲歩しない。
といった行動をとることを決めた。第六章「日本改造」で明らかにした、米情報機関の秘密工作はこうしたNSCの指令に根拠があったのだ。鳩山政権下では、アイゼンハワー政権は鳩山や重光以外の、政界の大物との接触を拡大した。

一九五六年八月二十二日、国務省北東アジア部のノエル・ヘメンディンガー部長代行はウォルター・ロバートソン国務次官補にあてた秘密メモで次のように明記した。P165「鳩山の後任には、より能力が高く、エネルギッシュな指導者が出てくる。岸(信介)は最も可能性が高い後継者とみられる」アメリカは、ポスト鳩山時代が早く来て、岸が首相になるのを待望していたのだ。

米、北方領土返還を恐れる
鳩山政権下で、アメリカ政府が最も懸念したのは、日ソ交渉の開始だった。一九五五年三月十日、ホワイトハウスで行われた国家安全保障会議(NSC)でアレン・ダレスCIA長官が指摘した。
「日本は、千島列島の少なくとも二島、歯舞、色丹両島の返還の希望を公言している。ソ連は歯舞を返還するわずかな可能性がある。しかし、ソ連が一度占領に成功した領土を放棄するのは通常の彼らの行動ではない」
これを受けて、兄のジョン・フォスター・ダレス国務長官が発言した。
「ソ連が千島列島の重要な部分を放棄するような事態が起きれば、米国は直ちに、琉球諸島の施政権返還を求める、日本からの強い圧力を受けることになる。ソ連が現在の占領地域を日本に返還すると予測するのは、これまでの経験に反する。しかし、まさに日米間の緊張を増すためにそのような策に出ることは考えられる」
P166四月七日のNSCでも同じ問題が議論された。対日政策NSC5516号文書がテーマである。その政策原案では、北方領土問題をめぐっては、
  • 歯舞、色丹両島の主権をめぐる日本の主張を支持する。
  • 千島列島と南サハリンに対するソ連の主権の主張を法的に無効と扱う。
とされていた。これに対しダレス国務長官が異議を唱え、力説した。
「前項には賛成だが、後の項には反対だ。もしわれわれがこの線で行動すれば、危険な領域に入ってしまう。千島列島と南サハリンに対するソ連の主張は実質的に琉球諸島および小笠原諸島に対するわれわれの主張と同じだ。従って、ソ連を千島列島および南サハリンから追い出す努力をすれば、われわれ自身を琉球諸島、小笠原諸島から追い出してしまう恐れがある
アイゼンハワー大統領は笑みを浮かべながら述べた。
「ロシア人を千島列島から追い出そうとしても成功しないのは確実だよ」
だが、ダレス国務長官は真剣だった。
P167「琉球諸島は、ソ連にとっての千島列島よりもっと価値がある。このため、琉球諸島でのわれわれの立場を危険にさらしてはならない」
大統領はこれに同意。結局、後の方の項目は、
  • 千島列島と南サハリンに対するソ連の主権の主張に対して譲歩しない。
と変更された。アメリカは、このように、ソ連が北方領土を返還する可能性の方を恐れていた。アメリカはむしろ、ソ連が日本を直接攻撃する可能性より、こうした日米文壇に出る可能性の方が高いとみて警戒していた。そうした可能性は、当時作成されたCIAの国家情報評価(NIE)でも指摘されている。

日ソ国交回復
日ソ交渉は、ソ連の強硬姿勢で難航した。訪英中の重光外相は一九五六年八月二十四日、ダレス国務長官と駐英米大使公邸で会談し、"泣きついた"。
「ソ連は、米英両国の同意を得て、(北方領土)諸島を占領している、と主張していP168るのです」
重光は、北方領土問題を解決するには、関係諸国が参加した国際会議を開くしかないのではないか、とダレスに提案した。しかし、会議を開けば、
「ソ連は台湾や琉球諸島の問題を含めようと図るし、日本国内から、特に社会党から琉球諸島の全面返還の圧力が高まる」(アリソン大使)
と米側は恐れた。

アイゼンハワー政権時代、アメリカは小笠原諸島や沖縄の返還を考えていなかった。何度か日米間でやり取りした結果、米政府は九月七日、日本側に次のような覚書を渡し、ようやく対ソ交渉で日本支援に動き始めた。
  • 米国は日ソ間の戦争状態を正式に終結すべきだと考える。
  • サンフランシスコ講和条約は、日本が放棄した領土の主権問題を決定していない。
  • 歴史的事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は(北海道の一部である歯舞、色丹とともに)常に日本の一部であり、日本の主権下にあると認識されるべきだ。
これを受けて、鳩山は十月七日、河野一郎農相とともにソ連に向けて出発した。ブP169ルガーニン首相との首脳会談で交渉が妥結、同十九日、「日ソ国交回復に関する共同宣言」などに調印した。

結局、領土問題では、歯舞、色丹両島は平和条約の締結時に返還する、という内容が盛り込まれた。しかし、国後、択捉両島のことはまったく触れられなかった
「われわれは、合意は両国政府にとって満足できるものと仮定できるだけだ」
国務省スポークスマンのコメントはそっけない内容だった。

日ソ国交回復の結果、この年の国連総会で日本の加盟が認められた。鳩山は、これで政治エネルギーを燃焼し尽くした。調印から二ヶ月後の十二月二十日、鳩山内閣は総辞職。鳩山自身も一九五九年(昭和三十四)死去した。結局、鳩山は二年以上の在任中、一度も訪米しないという、戦後では異例の首相で終わった。

鳩山の長男、威一郎は大蔵官僚から外相などを歴任した。由紀夫、邦夫の二人の孫も政治家となった。鳩山由紀夫は「駐留なき安保」という大胆な構想を月刊誌に発表、ワシントンで波紋を広げた。米政府当局者はこの構想を強く警戒した。由紀夫は後に民主党の代表にもなったが、祖父と同様、アメリカとの意思の疎通が大きな課題となった。

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https://www.asahi.com/articles/ASM5B557ZM5BUTFK010.html
(2016.12.5)【ヤルタ密約秘話】英外務省、露の北方領土領有の根拠「ヤルタ密約」に疑念 「ルーズベルト米大統領が越権署名」 外交公電で全在外公館に警告(1/3ページ) - 産経ニュース https://www.sankei.com/world/news/161205/wor1612050013-n1.html