P795 イタリアで民間最大の「アンブロシアーノ銀行」頭取が、テームズ河にかかる橋の下で首を吊った事件とは、次のようなものであった。
一九八ニ年六月十七日、アンブロシアーノ銀行本店の五階からグラツィエラ・コロケルが投身自殺した。この女性は三十年にわたってアンブロシアーノ銀行に勤務し、頭取の秘書を務めてきた。
その翌日のことである。『誰が頭取を殺したか』の冒頭の一節には、次のように書かれている。
--- 一九八二年六月十八日金曜日午前七時半頃、“デイリー・エクスプレス”紙の郵便職員アンソニー・ハントリーは通勤途上にあるブラックフライヤーズ橋を歩いて渡っていた。これは八十三年前に建造された鉄と石の橋で、テムズ河をまたいでシティー・オブ・ロンドンとロンドン南部のサウスウォーク地区を結んでいる。アンブロシアーノ銀行の頭取カルヴィーニことカルヴィの死体が発見されたのである…こうして幕を開いたカルヴィ事件は、遂に巨大銀行アンブロシアーノが倒産してしまうという深刻な金融事件に発展していった。
ハントリーは橋の下にしつらえてある足場になにげなく目を向けた。その一点を見て、ぞっとした。
まぎれもない人の頭だった。目をこらすと、数フィートのオレンジ色のロープで首吊りにされた男が足場からぶらさがっているのが見えた。ハントリーはフリート街のオフィスに駆けつけ、同僚にわけを話した。話を聞いた同僚は電話で警察に通報した。
ロンドン警視庁のある刑事によれば、「シティーで死体にお目にかかることはあまり多くない」という。ここでは詐欺のような「ホワイトカラー」犯罪のほうが暴力などによる変死事件よりもはるかに発生率が高い、とこの刑事は指摘する。
やがて、この死体はきわめて例外的なものであることがわかった。死者は六十歳前後の、いくらか腹の出た男で、服装はグレーのスーツだった。両眼は薄く開かれ、広げた足がくるぶしまで河の水に浸っていた。
警察が死体を足場から引き上げて調べると、スーツのポケットから数個のコンクリート塊
P796 と煉瓦、各国通貨合わせて一万五千ドル相当の現金が発見された。ポケットにはジャン・ロベルト・カルヴィーニ名義のイタリア旅券も入っていた。
程なく死者はミラノのバンコ・アンブロジアーナ(アンブロシアーノ銀行)の代表取締役頭取ロベルト・カルヴィと判明した。ロンドン警視庁は、カルヴィが六月十一日にローマのアパートから謎の失踪を遂げていたことを知った ---
しかもこの調査が進むめられると共に、すでに無数の犠牲者が存在していることが一般にも知られるようになった。さらに、アンブロシアーノ銀行が世界各地の幽霊会社に不正融資をおこない、その投資ビジネスのパートナーがローマ法王のいるバチカンだった、という信じが難いスキャンダルが明るみに出てきた。
ローマ法王とは、世界各地を訪れて平和を訴えてきた、あのヨハネ・パウロ二世のことであった。一体、よく使われるこの不正融資という言葉の正体は何であったのだろうか。
さらにそれから四年後の一九八六年三月二十日、今度はバチカン銀行の財政顧問であったミケーレ・シンドーナがイタリアの刑務所内で、大量の青酸カリを飲んで倒れ、二十二日の午後に死亡した。
シンドーナこそ、アンブロシアーノ銀行の頭取カルヴィを育てた男であった。ここに、バチカンの黒い影がはっきり浮かびあがってきたのである。実は、両人の黒い投資を嗅ぎつけたイタリア当局が調査を開始した途端、いわば“アンタッチャブル”の役にあったその調査官ジョルジョ・アンブロゾーリが一九七九年に自宅前で銃弾四発を射ちこまれて殺され、シンドーナはその殺人をシカゴ・ギャングに依頼した犯罪者として牢獄にぶち込まれた最も重要な鍵を握る人物であった。
そして、イタリアで“国家のなかの一国家”と言われるフリーメーソンの大組織プロパンガンダ2---略称“P2”の存在が問題になってきた。青酸カリで死亡したシンドーナ本人が、P2の中堅幹部だったからである。
P2の首領リチオ・ジェリについて暴露記事を書いた新聞編集人ミノ・ピコレリは、すでに一九七九年に、その記事を出してわずか数時間後、何者かに殺されるという事件が起こっていた。
その後、捜査当局が執拗にこのジェリを追跡した結果、実にイタリア政界の大臣三人がP2のメンバーで、国会議員四十三名がこの秘密結社に参加しているという空前のスキャンダルが暴露されたのである。国家ぐるみの犯罪組織に、イタリア国民はなす術もなく茫然自失となった。
一九八九年に六度目の首相の座についたアンドレオッティ首相というのが、P2のシンドーナから“親友”と呼ばれていた人物で、過去にはロッキード・スキャンダルをもみ消したほか、無数の問題が指摘されてきた。
P797アンドレオッティ首相が指名したグイド・カルリ大蔵大臣もまた、バチカン銀行の不正を黙認してきたことで知られるイタリア中央銀行の元総裁であった。中東とソ連の混乱に世界の目は流れそうになるが、イタリアの混乱は規模と質の違い恐怖のマフィア政治、映画『ゴッドファーザー』を地でゆくものである。
つまりカルヴィ事件とは、このようなものだったのではなく、一九九〇年代に、現在進行中の事件である。
マフィアやフリーメーソンの殺し方は、誰もが知るように、社会から明らかに犯人が見えるという挑戦的な手法である。次の犠牲者への予告と警告、そして脅迫の意味を含んだ復讐の殺人が続発してきた。
カルヴィ頭取の死体が発見されたブラックフライヤーズ橋は、フリーメーソンP2にとって、彼らの儀式に使われる黒い衣を意味するもので、その殺され方はすべて彼らの儀式通りだと言われてきたが、別の目から見るれば、マフィアが犯人である可能性は高く、黒い衣はバチカンの法衣を連想さぜずにはおかない。
ほぼ完全犯罪に近い方法で殺し、これを裁くべき司法官を掌中に握った彼らの背後にいるのが誰かを、歴史のなかに探っておく必要がある。ブラックフライヤーズについて、いかなるジャーナリストも指摘していないことがある。
それは、世界最大の食品会社ユニリーヴァーの創業一族、そしてイギリス第三位の富豪であるセインズベリー家---ロスチャイルド家と結ばれタコの食品チェーンの王者が、ブラックフライヤーズに社員の訓練センターを設立し、ここを本拠地として活動してきたという事実である。それは果たして、無関係のことなのであろうか。実は、目の前に犯人がいるのである。
今から一世紀を遡る一ハ九六年、ミラノの守護聖人アンブローゼに因んで、カトリック教会の手で「アンブロシアーノ銀行」が設立された。長靴の形をしたイタリアは、わが国よりひと回り小さな面積だが、ローマ帝国によって世界を支配したかつての大国家である。
その最北部にあってスイスへ至る大都会、実質的なイタリアの首都が、このアンブロシアーノ銀行のミラノになる。そこから西へ向かうと、フランスに至る都市トリノがあり、こちらにはイタリア・トリノ自動車製造会社(Fabbrica Itariana Automobili Torino---略してFIAT)の大財閥が控えている。
謎を解く最後の目的地は、このフィアットのアニェリ一族の金庫になろう。
このような北部のミラノ--トリノ工業界に対して、長靴半島を南へ下りてくると、首都ローマがある。モンゴメリー・クリフト、ジェニファー・ジョーンズ主演の映画『終着駅』で、ヴィットリオ・デシーカ監督が描いたのが、このローマ駅の悲恋と人生模様であった。
デシーカは、同じローマを舞台に、第二次世界大戦の貧困を『靴みがき』と『自転車泥棒』の二作で語ってくれた。救いのない現実に生きる子供たち、しかしその姿が全世界の人間に希望を与えたのである。
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ところがこのローマの一画に、ファシスト党ムッソリーニとローマ法王の取り決めによって誕生した独立国、人口が一千人にも満たないバチカン市国がある。デシーカ監督の父は、そこからさらに南下したナポリ出身の銀行家であった。
ナポリ、ここはかつてロスチャイルド五人兄弟のひとりカールが商会を開いた南イタリアの商業都市で、貿易と文化の中心地として栄えてきた港町である。ムッソリーニのファシスト党がローマに進軍したのも、ナポリからの出撃であった。
トリノ、ミラノ、ローマ、ナポリ、この四大都市を説明すればイタリアを解剖できるというわけではない。バクー油田から貝ガラ印のシェルが石油を荷揚げしたのは、ヴェネチア近くの港町トリエステであった。ここからの陸路は、ジェームズの鉄道がパリまで支配していたのである。
ナポリから南はどうであろう。その先にはいわゆる大都市がない。そこがイタリア人にとって問題の土地である。映画『ゴッドファーザー』はアメリカのマフィア物語だが、勿論、長靴のつま先にあるシシリー(シチリア)島を本拠地として誕生した殺人者、それも実在の殺し屋集団の話である。
地中海を根城として、イタリア半島の南部を支配するシシリアン・マフィア。このシシリー島は、島という呼び名のため小さく感じてしまうが、面積は台湾の七割ほどあり、地中海の“独立国家”とみなさなければならない。
ところがその血で血を洗うマフィアに挑戦したのが、ほかならぬファシスト党のベニト・ムッソリーニであり、同時にローマ進軍前のムッソリーニとマフィアの首領ヴィツィーニがあっていたという史実は、ファシズムの出生と権力抗争に深い関係があったのではないかという疑問を投げかける。ファシズムについての安易な歴史観は禁物である。
P799映画『ゴッドファーザー』に登場したシシリー島のコルネオーネ村は、大地主が支配する世界に立ち向かっていった農民一族の一大拠点であったが、その大地主たちは、小作農民を監督するために雇った人間を次第に組織化しゆき、それがマフィアと呼ばれるようになっていった。
この大地主というのが、隣国フランスの二百家族たちのような、不在地主を含むものであった。そして鉄道王ジェームズ・ロスチャイルドこそ、このシシリー島の経済を握る重要人物、すなわち当時は独立した国家であるこのシシリーの貨幣を鋳造する陰の支配者であった。
コルネオーネ村などに発生した農民の反乱は、対立するマフィアがその内部に巧みに潜入することによってまたしても懐柔され、時に抗争をくり返しながらも、シシリー島全体がマフィアに支配される形態を保って今世紀に突入してきた。
その時代には、イタリアから新大陸アメリカへ移民する人間も相当の数にのぼっていたが、すでにイギリス人とフランス人によって支配されていたアメリカでは、イタリア移民は貧民層におしこめられ、彼らは自衛団を組織する必要に迫られた。
このとき力を発揮したのが、シシリー島で鍛えられたマフィアであり、いつしかこの自衛団が悪名高い“コーザ・ノストラ”と呼ばれる犯罪組織に成長してゆき、独り歩きをはじめたのである。
一九二〇年代の禁酒法がマフィアにとって大きな資金源となり、カナダとの国境を越えてブロンフマン一族たち(相互参照)と取引きが成立したのは、このようなヨーロッパの構造がそのまま新大陸に持ち込まれたからであった(tw)。
その収入は想像を絶する金額に達し、全米一の自動車会社ゼネラル・モーターズの売上をしのぐと言われたが、皮肉にも、ゼネラル・モーターズを買収したのはデュポン家であり、のちにデュポン社の最大株主となるのがブロンフマンであった。
『お熱いのがお好き』の巻頭シーンに登場したようなマフィアの内部抗争と聖バレンタイン・デーの大虐殺…アル・カポネ、ラッキー・ルチアーノ、ガンビーノ・ファミリー、のちにイスラエル首相となるメナヒム・ペギン、ポール・カステラーノなどを次々と誕生させたマフィアの黒幕も、ヨーロッパの貴族社会であった。
この歴史のなかに、マフィアとフリーメーソンとファシスト、それに黒い法衣をまとった得体の知れないバチカンの僧侶たち、彼らに資金を提供する銀行家や工業家というものを結びつけて見る必要が出てくる。
カルヴィ事件の登場人物を丹念に洗ってゆくと、どうしても一つの答えしか出てこない。それはフィアットのアニェリ財閥である。
P800 アンブロシアーノ銀行のなかで、カルヴィはフリーメーソンの力を背景に政財界の人脈を緻密につくりあげていった。この男は大した家庭の出でもなかったが頭取の座につくことに成功し、実力という点でも、カトリックの一銀行にすぎなかったアンブロシアーノをイタリア第一の勢力に育てあげた。
そこまで財力を持つと、社会が持っている貯蓄力がアンブロシアーノに集中してゆき、初めは幻想であったものがいつしか本物の力に変わりはじめるものである。
イタリアの銀行は、特異な性格を世界の財界人に感じさせてきた。“フォーチュン'90”の企業番付と銀行番付を比較してみると、“世界の五百大企業”なかにランクされているイタリア企業は、IRI(産業復興公社)、フィアットをはじめとして、七社だけである。
ところが銀行のほうは、わずか“世界の百行”のなかに八つもの名前を連ねている。企業の力がなくとも銀行が大きいというのは、興味深い現象である。まるで働かずに金だけを集めることができるイタリア人の特異な才能を象徴しているかのようである。
このようなことは泥棒の世界でしかあり得ないのだが、イタリアではそれが国家として成立する。それはイタリアにおける銀行家の高い地位も示しているが、今日のようなリラに対する世界的な信用度の低さを考えれば、世界的にランクされる彼らの実力は国内で異常に抜きん出ているはずだ。
そのトップの座についたアンブロシアーノの財力は、実はカルヴィ頭取が世界各地にこしらえた幽霊会社を通じて闇の投機事業から得た収入が、かなりの部分を占めていた。
そこで特に問題となり、社会が衝撃を受けたのは、神聖なるカトリック教徒の総本山「バチカン銀行」がこれに関与し、兵器メーカー、ポルノ出版社、避妊用ピルのメーカーといった、信徒にとって悪魔的な企業の株をバチカンが所有していたことである。
そのため彼らの信用が一度崩れはじめると、財力も急激に減りはじめ、追い詰められた独裁者のカルヴィ頭取は信用を回復するための作戦に出た。右腕と頼むカルボーニを使って、イタリアの有力者に救済を求めたのである。この時から、彼らは自らの正体を現しはじめた。
その有力者のひとりが、カルロ・カラッチオロという出版業者で、週刊誌“エスプレッソ”とイタリアで一、二を争う有力紙“レプブリカ”の社長をつとめる男であった。
現在これらの版元となっているモンダドーリ・グループは、財界の巨頭オリヴェッティ社のデベネディッティによって支配されているが、ここに、アンブロシアーノ銀行とイタリア財界の重要な絆が発見されたのである。
実はデベネディッティは、アンブロシアーノ銀行の副頭取に就任し、一時はカルヴィと手を組んでいた男である。オリヴェッティ社は、かつてのタイプライターで世界的な名声を博し、現代では大手の事務機器メーカーであるが、ユダヤ人カミロ・オリヴェッティによって創業され、それをトリノの裕福なユダヤ一族の出であるデベネディッティが受け継いできた。
P801食品の世界でその姿を見た通り、デベネディッティはブイトーニの支配者であり、ロスチャイルド家の象徴的な代理人であった。ここに“ユダヤ教徒とカトリック教徒”の新しいトンネルが存在していた。
しかもこのイタリア財界の巨人は、フィアットの副社長としてアニェリ財閥の№2のポストを経験していた。果たして、カルヴィ頭取の本当の後盾となっていたのは、誰であろう。アニェリ財閥ではないのか、という疑問がここに生まれる。
カルヴィに救済を求められた出版社の社長カラッチオロは、フリーメーソンの大団長コロナ、そしてバチカンの高官フランコらと談合して、アンブロシアーノの支援作戦を展開した。
そのカラッチオロの正確な名前を書く必要がある。カルロ・カラッチオロ⁼ディ⁼カスタニェトというのが正式の名前である。ヨーロッパのジャーナリズムは、この名前を隠し続けてきた。
ほかでもない、イタリア最大の財閥---正しくは唯一の財閥---アニェリ一族の総帥、ジョヴァンニ・アニェリの結婚相手が名門カラッチオロ⁼ディ⁼カスタニェット家のマレラ王女であった。
同家の系譜図は一般に公開されていないが、一族のフィリッポは「イタリア自動車クラブ」の会長であった。つまりフィアット自動車帝国の代理人をつとめてきた男である。
一八九九年に初代ジョヴァンニ・アニェリが創業したフィアットは、アメリカから自動車王ヘンリー・フォードの技術を導入し、フランスのラザール一族からシトロエンの株四九パーセントを買収したほか、イタリア国内では「アルファ・ロメオ」と「フェラーリ」を子会社に持つ完全独占会社である。
傘下には、前述の事務機のオリヴェッティ、イタリア最大の国有会社IRI、大化学会社モンテジソン、穀物商人フェルッツィ、金融業のイタリア商業銀行とクレジット・イタリアーノ、メディオバンカ、軍需産業のアエリタリアとスニア、エアラインのアリタリア航空、スパゲッティのブイトーニがある。
新聞の財閥物語を読んでいると、いつも彼らが戦っているかのような書き方を目にするが、すべてアニェリ一族の手のなかで共同事業にいそしむパートナーである。
カルヴィ頭取がこのアニェリ一族のカラッチオロに救いの手を求めたのは、当然と言えばあまりに当然のことであった。しかし彼はバチカン銀行という聖地を汚すスキャンダルを起こしたため、その責任をテームズ河の橋の下で取らなければならなかった。
彼の首吊りが自殺であるか他殺であるかは、橋の下にアクロバットのように超人的な技術で首を吊らなければならなかった現場の状況から判断して、あまりに明白であった。ところが殺しの犯人は存在しないのである。
獄中で青酸カリを飲まされたシンドーナは、「裁判所で何もかも喋ってやる」と息まいていたが、身の危険が迫る彼の監獄は男が近づけないよう女囚専門の刑務所で、特別の独房
P802 を設けて厳重な監視をおこなっていた。窓には防弾ガラスがはめ込まれ、監視用テレビと特殊警護官十二人が見守り、食事は毒味つきという完璧なものであった。ところが風呂場でコーヒーを飲んだ直後に倒れ、「彼らに毒を盛られた」と言い残して、帰らぬ人となってしまった。
シシリー島の出身で、自らをマフィアとフリーメーソンとバチカンの代理人を兼ねていた男のもらった最後の報酬が、青酸カリだったのである。これも完全犯罪で、犯人は存在しない。
本書では、犯人を断定しない。しかし、バチカン銀行の歴史と、以下のようなフィアットのアニェリ一族の系図を知れば、読者がなにを想像されようと自由である。
イエス・キリストの第一の使徒ペテロは、ノーベル文学賞を受賞したポーランドの作家シェンキェヴィッチの作品『クォ・ヴァディス』のなかで、次のように殉教者として描かれた。暴君ネロは新しい都ネロポリスを建設する妄想にとり憑かれてローマに火を放ったが、群衆の怒りが爆発したためローマの大火をキリスト教徒の仕業であると逆宣伝した。そして闘技場に数千人の観衆を集めると、ライオン数十頭を放ってキリスト教徒八つ裂きのショーを見せるという残酷な振舞いにおよんだ。
この難を逃れた使徒ペテロは、自らの伝道がこの地獄を招いたものと苦悩しつつ街道を歩んでいたが、そこに突然一条の光が天にきらめくのを見た。ペテロは思わず大地にひざまずいた。「クォ・ヴァディス・ドミネ(主よ、いずこへ行き給うや」)」と問いかけると、ペテロの頭上にキリストの声が聞こえた。「ローマに戻りて、再び十字架にかからん」この天のお告げを耳にして闘技場に戻ったペテロは、そこでライオンに食われ、火あぶりにされている殉教者たちに心の平安を与えながら、自分は十字架に逆さ吊りのはりつけとなって処刑されてしまったのである。
この『クォ・ヴァディス』の物語は、十五年の歳月をかけてロバート・テイラー、デボラ・カーの主演で映画化された。イタリア全土の人が動員されてエキストラとなり、ローマの大火を再現、MGMの超大作としてとして映画ファンを劇場に吸い寄せたが、何と言っても巨人ウルススが本物の猛牛と格闘して牛の首をねじ折る場面と、ピーター・ユスティノフ(相互参照)の暴君ネロが語り草となった。
『クォ・ヴァディス』最近ではアガサ・クリスティーの『ナイル殺人事件』、『地中海殺人事件』などの名探偵ポワロ役を演じるユスティノフは、父親がMI5工作員で、白系ロシア人の陸軍将校であるから、一九七六年から八四年までソ連の国防大臣をつとめたドミトリー・ウスチノフ元帥の一族と思われる。ユスティノフとウスチノフのつづりは同じである。(関連『ロマノフ家の黄金』P334)
この『クォ・ヴァディス』の殉教者、聖ペテロこそ、バチカンで初代のローマ法王(教皇)とされている人物である。ペテロがはりつけになった場所がバチカン(正しくはVatican)P803の丘、そしてバチカン市国にそびえるサン・ピエトロ寺院が、ペテロすなわちイタリア名"聖ピエトロ"のために建てられた教会であり、キリスト教の総本山となった。現代の第二六四代法王ヨハネ・パウロ二世はポーランドが生んだ初の法王で、そのためポーランドの"連帯"にバチカン銀行を通じて莫大な支援を送り、愛読書がポーランドの作品『クォ・ヴァディス』であることはよく知られている。
一九八一年五月に起こった法王暗殺未遂事件は、 この"連帯"との関係を断たせるためKGBが裏で糸を引き、トルコのテロリスト、アリ・アジャに銃撃させたのが真相だと言われているが、アリ・アジャの組織に係わって武器密輸の疑いで起訴されたのがミュージカル映画『南太平洋』の主役ロッサノ・ブラッツィであった。ロシアのピーター・ユスティノフが『クォ・ヴァディス』のなかで初代のローマ法王を殺し、ロシアの国防大臣ウスチノフがKGBを使って現代のローマ法王を実際に殺そうと企み、しかも殺されかけた当のローマ法王が『クォ・ヴァディス』を愛読していたという奇怪なパズルは、名探偵ポワロでも解くことができまい。(略)
初代ペテロからヨハネ・パウロ二世に至るまでの千九百年にわたる長い歴史のなかで、ローマ法王の性格が大きく変化したのは一八七〇年のことであった。この年に、意外な人物がバチカンに勢力を浸透させ、今日のどす黒い聖地を誕生させたのである。当時、イタリアは全土に革命の気運が高まり、隣国フランスの二百家族の「フランス銀行」が札束を独占した一八四八年、ミラノでは民衆の暴動が勃発した。
今日で言う民族主義によるイタリア統一を果たそうと、民衆が決起したのである。これはちょうどわれわれが見てきた東西ドイツの統一、そしてこれから実現しようとしている南北朝鮮の統一と同じようなものであった。そちこちに入り込んだフランスやオーストリア、スペインなどの王国がイタリアを分断していたため、イタリア全土を統一するための戦争が展開されたが、この統一に反対したのがローマ法王とナポリ王であった。
前者がバチカン、後者はロスチャイルド商会が店開きして王室の財政を支えていたナポリである。共に、民衆からしぼり取るには、当時の勢力分布ほど心地よいものはなかったため、イタリア統一などはもってのほかであった。ところがイタリア革命の嵐はとどまるところを知らず、一八六〇年にはこのバチカンとナポリ王国、そして水の都ベネツィアを除いて、全土が統一されるという快挙を成し遂げてしまった。さて残るは、ロスチャイルド家の牙城とローマ法王領だけである。
P804 愛国者がガリバルディーの率いる革命軍"赤シャツ隊"は、マフィアの本山シシリーにも上陸して全島を占領してしまった。今日のシシリアン・マフィアは、この軍勢の残党と融合したものである。フィアットの総本山トリノを根城とするサヴォイ王朝がこの統一国家イタリアの君主となったため、マフィアはシシリーの利権を守るためこれらの軍勢に激しく抵抗した。シシリー島のなかでは、愛国的なマフィアが大衆のあいだに隠然たる勢力を持ち、かなりの支持を得てきたのは、新たに支配者として復活したサヴォイ王朝がシシリー人にとって略奪者と映ったからである。
それに取って代わった現代の中央政界も農民にとっては同様の怪物でしかない。『ゴッドファーザー』の映画が描いた通り、マフィアが身内に対して持つ固い結束と愛情は、外に向かって血みどろの闘いを展開してゆくのである。
シシリー島を本拠として出陣した赤シャツ隊が、ナポリに進軍してフランスの王朝を打倒したのは、一八六〇年九月七日のことであった。問題は、フランス王室ブルボン家のナポリ王が倒されると共に、"赤い盾"の三代目アドルフ・ロスチャイルドが命からがら逃げ出したという金融界の重大事件にあった。ここで五本の矢は、一本が折れて四本となったのである。ブルボン家とロスチャイルド家がナポリで手を組んでいた史実は、現代のイタリアを解剖するうえで歴史上のメカニズムを教えてくれる。
最大財閥アニェリ家の二代目エドアルド・アニェリの結婚相手が、ほかならぬブルボン家のヴィルジニアだったからである。アニェリは、ロスチャイルドの"赤い盾"代理人であろうか。そうであれば、今日のイタリア全土はロスチャイルドの私有地になる。
しかし命からがら逃げ出したナポリ・ロスチャイルド商会である。一八六〇年の革命で消滅したあと、わが一族はどのように逆襲を試みたのであろうか。一八六六年にはヴェネツィアもイタリアに統合した。民衆にとって残る敵は、ローマのカトリック総本山バチカンの独裁者たちであった。シシリーからナポリを陥落させ、さらに北上してローマに進軍した民衆の前に立ちふさがる壁は、聖なる宗教という怪物であった。十年後にはローマまで軍勢が歩を進め、ローマ法王の領地がひとつまたひとつと消えてゆくのを目にした当時の法王ピウス[またの名をピオ]九世は、自ら"バチカンは牢獄である"と定義して引きこもり、そこには一歩も侵入を許さないという戦術に出た。これが今日のバチカン市国の原形となったのである。
ではその一八七〇年から翌年にかけて、バチカン内部に何が起こっていたのであろう。広大な領地を失って法王の収入がなくなったため、第一の問題は金であった。その窮地に立つローマ法王に融資を申し出た者があった、という貴重な記録がバチカンに残されている。その救済者の名はロートシルト--またの名をロスチャイルドと言われていた。
P805 カトリックを救ったのが、ユダヤ教徒だったのである。ロスチャイルドをユダヤ人と見てはならない。当時の額で二十万ドルというから、バチカンの金庫がほとんどロスチャイルドによって占拠されてしまったのである。わが"赤い盾"五人兄弟のナポリ商会は、公式には一八六〇年に閉鎖され、消滅したことになっている。しかしオーストリアからイタリアにかけて大鉄道工事を進めていたわれらの鉄道王ジェームズの子供たちが、むざむざイタリアの利権を手放すほど甘かったわけではない。
一八六八年にはすでにジェームズはこの世を去っていたが、問題のローマ陥落の一八七〇年から、パリ・ロスチャイルド家はイタリアの牙城をローマと定め、バチカンの密室を中心にビジネスを展開しはじめた。
今日、バチカン銀行の投資顧問としては、ロンドン・ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行とクレディ・スイスが、ヨーロッパと世界戦略を担当している。この三つとも、"赤い盾"である。ハンブロー家は、上巻の系図10(1、2)に星印★★★の一族として示される通り、南アのアングロ・アメリカンや宝石・美術界のクリスティーズを動かす"ユダヤ人"、あるいは系図63にデンマーク男爵ハンブローとして示された"ロスチャイルド一族"の代表者である。クレディ・スイスの金庫については、最後のお楽しみ。
ただし力を失ったバチカンだけで"統一イタリア"を支配できるわけがないので、民衆の王として権力の座についたヴィットリオ・エマヌエレ二世の懐柔に乗り出すことも、パリ・ロスチャイルド家は忘れなかった。この初代イタリア国王ファミリーは、今日ではフランス王室とたびたび合体している。文字通り、寝室のなかでの合体である。
革命後に「ここは牢獄だ」と言い張って侵入者をしめ出してきたその後のバチカンは、さらに興味深い行動に移った。ロスチャイルドの入れ知恵によって、ピオ九世は独自の外交に乗り出し、投機事業のテクニックを身につけるようになったのである。ピオ九世の後継者レオ十三世は、続いてバチカンの内部に"宗教活動協会"という変わった事務所を設立した。"Istuto per Ie Opere di Religioni"---一般に「バチカン銀行」と呼ばれているのがこれである。
歴史家の目は、ローマ法王の分析に余念がない。しかしそれではバチカンの真相に触れることができない。実際には、ローマ法王を取り巻く黒い法衣を着た参謀たち、ことに枢機卿と呼ばれる緋色の法衣をまとった七十人の最高権力者が、このカトリック教会総本山の金庫の鍵を握り、法王を動かしているのである。彼らは世界各地に散らばり、それぞれの国家や地域で聖なる献金を受け取りながら政治と経済に絶えず目を配り、懺悔室でさまざまな階層の人間の告白に耳を傾けて世情をつかんできた。
これは人払いしたうえでの直接の伝言であるから、暗号文を使う必要はなく、諜報機関として
P806 これほど都合のよいメッセージの手段はないと言われる。国連の裏をはじめとして、"黒いパラシュート部隊"と呼ばれる僧侶が動きまわり、実際、パラシュート訓練からボクシングまで体得したこの男たちが外交の世界で何をしてきたかは、よく知られている。ことに注目すべきは、次の男である。
バチカン銀行の創設期からローマ法王庁を動かした最大の実力者が、ラファエル・メリーテルヴァル枢機卿であった。バチカン銀行を創設したレオ十三世の後継者、ピオ十世に可愛がられ、続いてベネディクト十五世とピオ十一世の歴代ローマ法王に秘書として仕えたのがメリーテルヴァルだ。
一九三○年に死亡しなければ、ローマ法王の最有力候補と言われていたこの枢機卿が、バチカンの存在を独裁者ムッソリーニに納得させ、遂に一九二九年、有名なラテラノ条約を取り結んでバチカン市国の独立を認めさせたのである。一体この人物は何んのであったのか。
一枚の系図を描く時期であろう。彼がロンドンのロスチャイルド家と親しくしていた事実は、歴史の断片にさまざまな形で登場する。たとえばロシアのポグロムをおさえるため、ロスチャイルドから依頼を受けたメリーテルヴァルは、ユダヤ人ぼ救済にも乗り出していた。この系図74はこれまでのものに比べれば簡単である。簡単だが、中身は充分に濃厚である。メリーテルヴァルは家は、イギリス貴族を先祖に持つスペイ
P807 ン貴族で、両国を股にかけて外交を展開してきたのであるから、「リオ・チント・ジンク」の代理人のような存在であった。父がウィーン駐在のスペイン大使、兄がロンドン駐在のスペイン大使、さらに、いとこの息子フィリップ・ズルエタがイーデン首相、マクミラン首相、ダグラス=ヒューム首相と歴代のイギリス首相の個人秘書として仕えた大英帝国の知恵袋であった。しかしこのような公式の肩書きの裏に、彼らの隠された活動があった。
ズルエタの妻は、系図59(1、2)に描いたコニャックのヘネシー家七代目の娘マリー・ルイーズであった。つまりロスチャイルド家の一族で、"キリストの血"ぶどう酒をつくって教会のミサに貢献するフランスの大財閥である。ズルエタ本人は、"ベルギーの原爆男爵"で系図69ですでに登場した男(図中の白い星印☆)、ベルギー最大の企業「ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック」重役、「ベルギー銀行」重役、コンゴのウラン鉱山「ユニオン・ミニエール」重役、香港の「香港上海銀行」重役、イギリスのマーチャント・バンク「ヒル・サミュエル」重役・・・これが、イギリス首相秘書の正体であった。
現代アメリカでは、AIDSの診断薬で六割のシェアを持つ「アボット・ラボラトリーズ」重役でもあり、ロスチャイルド家にとって、右腕と頼むフィリップ・ズルエタの国際的な投機戦略ほど頼もしいものはなかった。その一族がバチカンを動かしてきた枢機卿である。
P808 バチカン市国の誕生とバチカン銀行の性格は、こうして内部からロスチャイルド財閥によってしっかり固められてきた。第二次世界大戦中には、一九四二年に法王ピオ十二世がバチカン銀行を改革し、一層投機的な性格を持つ今日の銀行制度が誕生したが、ピオ十二世はそれまで十年以上にわたってバチカンの財産を管理してきた人物で、ロスチャイルド銀行に"小口の口座"を開いていたという。
そしてこのローマに対して、世界各地の教会が動き出したが、とりわけ大英帝国ではイギリス国教のカンタベリー大主教が、イギリス国民に聖なる教義を説きながら、バチカン銀行の創成期に大いなる貢献をすることになった。バチカン銀行の性格を決定した最も重要な"創立時"と"改革期"にカンタベリー寺院の大主教として君臨したふたりの人物は、興味深いことに、偶然にも同じ姓を持つフレデリック・テンプルとウィリアム・テンプルであった。これは調査するに値しよう。
いまの系図4で右中央の部分に示したのがこの両人であるが、この就任は偶然の出来事ではなかった。二人は実の親子であり、モルガン・グレンフェル一族であるばかりか、この系図では省略するが、先祖が"ダイヤモンドのピット"一族だったのである。父親のテンプルを大主教のポストに推奨したのが、ボーア戦争のソールズベリー首相だったのであるから、この物語は大僧正たちの裸の姿を見せてくれる。以上が、カルヴィ事件の背景にあった黒い世界---ブラックフライヤーズである。
バチカン内部には、バチカン銀行と連動する「世襲財産管理局」の特殊部門があり、そこでは、アニェリ財閥が支配するイタリア商業銀行の副会長ベルナルディノ・ノガラがボスの座を占めてきた。民間人であってもカトリック教徒のバンカーであれば、このようにバチカン内部の№1のポストを支配してしまう。そこに必要なのは、バチカンの世襲財産を大きく太らせてくれる投資能力だからである。
そのためバチカン銀行は現在、ロンドンの財界紙"フィナンシャル・タイムズ"と連絡網を持ち、同紙オーナーの「ラザール・ブラザーズ」ピアソン一族から特別の情報を入手できるようになっている。兵器メーカーやポルノ出版社など、バチカンが金もうけのために殺人も色事もいとわず投資してきたのは、フランス小咄にしばしば登場する好色坊主の話とは少し違う。
中世に淫乱をきわめたボルジア家のルクレツィア・ボルジアは、ローマ法王アレッサンドロの娘であり、同時にこの父親と近親相姦の関係にあるという悪魔の世界であったが、それとも話が違う。顧問のロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行に金を託せば、パリのフリーメーソン(相互参照(1,2,3))から"キャバレー・セクシー"に資金が投下されてもそれは自然の理にかなう現象であった。しかも死の商人はロスチャイルド家の最大のもうけ口であった。
P809 テームズ河で首吊り死体となって発見された悲劇のロベルト・カルヴィは、本人の息子がハンブローズ銀行に勤務していたのである。この頭取怪死事件では、ロスチャイルド財閥との黒い関係一切聞かれず、犯人像は、マフィアとフリーメーソンとバチカンに絞られてきた。しかしそれは下手人の話であって、黒幕の話ではない。
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