2019年3月10日日曜日

偏愛メモ『赤い盾』2.4ジェームズ・ボンド『女王陛下の007』(随時更新)

(P240-)

P241 これまで語ってきたのは、ロスチャイルド一族が全世界に根を張ってきた権勢であった。しかしこれから語るのは、そのロスチャイルド家を憎み、打ち倒そうとする反対勢力の牙城、ドイツ・オーストリア帝国の支配者クルップたちについてである。一九世紀、アフリカ、アジア、中近東へと、海賊帝国イギリスの名に隠れてロスチャイルドが進出するのを見て、クルップ家は心穏やかでなかった(相互参照)。

"ユダヤの豚"を嫌うクルップにとって、プロシャ(現在のドイツ)の隆盛は多年の夢であった。兵器を自ら製造して初めて、その夢が叶うのだ。すでに十六世紀末から三百年近くにわたってドイツのエッセンに居を構えてきたクルップ家は、今や世界の鉄鋼王クルップとなっていたのである。(略、科学の誕生)

なかでもドイツ人は、ロスチャイルド家というとんでもないものを発明しただけでなく、医学分野において数々の新発見をなし、のちにアインシュタインを生んだ民族である。

P242ミュンヘンのゼメリングが電信のアイデアを世に問うたあと、ゲッティンゲンのガウスが遠距離の電信法に実用技術をもたらし、やがてひとりのドイツ人が画期的な電信法を世に送り出した。

それは、ヴェルナー・ジーメンスであった。本人は農夫の子として生まれ、父を失ったあと十三人の兄弟姉妹を育てながら、次々と新発明を生み出したドイツの巨人ジーメンス、しかも本人ばかりか、三人の弟が世界的な発明家や技術者となって、鉄鋼の生産にも大きく寄与したのである。

クルップ家もこれと同じ時代、十九世紀半ばに強力な鋼を完成し、イギリスがアヘン戦争で勝利を収めたころ、すでに大量の殺人を可能にする銃砲の生産にめどをつけていた。続いてアルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明し、この特許によって別の側面から大量殺人の道を拓いたのが、それから二十四年後の一八六七年であった。強力な爆薬が誕生し、これを一体誰が有効に利用したのであろうか。

この時代、世界に君臨する大砲・銃砲のメーカーはまだ数が限られ、イギリスの「アームストロング」とフランスの「シュネーデル」が独占的な製造能力を誇り、この二社が群を抜いていた。世界各国の王侯や支配者がこの二社の製品を購入し、互いに同じ会社の銃砲を手にして殺し合いを続けていたのである(相互参照)。

そこから兵器メーカーが学んだ哲学こそ、紛争と戦争があれば利益を得られる、という火付け役の危険な思想であった。今日まで連綿と続く"死の商人"の誕生である。

フランスのシュネーデル社が敵国イギリスにに銃を売りつけ、逆にイギリスのアームストロング社が敵国フランスに銃を売りつけ、イギリスとフランスは互いに危険を察知して急いで戦争に踏み切る、というようなことが平然とおこなわれていた。

むしろ、厳密に計算して戦争を挑発し、ヨーロッパ全土に火の粉をまいたのが二社だったと言ってよい。その当時ドイツのクルップは、この市場に参入できずに苛立っていた。

しかし一ハ五一年に世界最初の万国博覧会がロンドンで開かれた時から、クルップの出品した真っ白に磨きあげられた鋼の砲身が軍人のあいだで注目を集めはじめ、遂にフランスから、ベルギー、スイスに至るまで各国から注文が舞い込むようになった。

やがてこれがロシア、オーストリア迄輸出されるようになると、一体兵器メーカーとは何なのか、という重大な疑問がささやかれるようになった。実は皮肉なことに、自分の国を守るために最も民族的であるべき兵器メーカーが、最も国際的に活動してほかの国を助けていたのである。

こうして世界は、十九世紀の終わりを迎えた時、「クルップ」、「シュネーデル」、「アームストロング」という三社の独占的な銃砲に支配されることになった。

一方、これらの銃砲に使われる火薬のほうは、ヨーロッパが「ノーベル」、アメリカが「デュポン」という二大メーカーに支配され、こちらは秘密協定を結んで、互いに縄張りを荒らさないようにしていた。

P243第一次世界対戦はなぜ起こったのか?

このヨーロッパ大戦争はひとりの男の手で起こされた、と言われるほどの人物がこの世に存在した。十九世紀末に現われた怪人ザハロフの行動を追跡してゆくと、必ずしもその表現が的外れではないという印象を受ける。

全ヨーロッパの君主を手玉に取り、“死の商人”として時の大帝国すべてに兵器を売り込んだザハロフ、この謎の男の正体は何であろう。一九一四年六月二十八日、オーストリア・ハンガリーのハプスブルク王朝のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻は、ボスニアの首都サライェヴォを訪れた。

その日、すでにヨーロッパ全土にはザハロフの手で火薬の粉が山のようにまき散らされていた。そこに一本、火のついたマッチを投げ込めば、一瞬で全土が燃え上がらんばかりになっていた。誰もが知る通り、皇太子夫妻がセルビアの青年に暗殺され、これが導火線にとなって大戦に発展したのである。

政治家だけを取り上げて戦争の発端を論ずるような歴史観は、今日まで多くの知識人が犯してきた重大な過ちである

ザハロフ--正式名のない男。しかしベージル・ザハロフであると自ら主張する人物は、クルップ、シュネーデル、アームストロングの三巨人に対抗して、第四の兵器製造会社「ヴィッカース」を育てはじめた。それは次のような物語であった。

一八八〇年代の初め、アメリカ人のハイラム・マクシムが優れた銃を発明した。この画期的な殺人銃を携えて大西洋を渡った彼は、イギリスに姿を現わし、マクシム銃の売り込みをはじめた。

当時、ヨーロッパ大陸から中東にかけて五つの帝国が君臨し、勢力を争っていたが、それを大帝国イギリスが狙うという状況だった。第一は寒い国ロシアのロマノフ王朝、第二は、ナポレオン敗れたりとは言え、大砲メーカーのシュネーデルを擁して相変わらず鼻息の荒いフランス、第三は遂にクルップが鉄鋼王・大砲王として台頭したドイツ(プロシャ)、第四はエーゲ海を支配するオスマン帝国のトルコ、そして第五番目がハプスブルク王朝の広大な勢力を誇るオーストリア・ハンガリー帝国であった。

マクシムはそのハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ皇帝が見守るなかで自分の銃の発射実験をおこなってみせ、標的に皇帝の頭文字を打ち抜くという離れ業をやってのけた。驚嘆の声が漏れるなかで、マクシムは鼻高々となったが、その様子をじっと眺めている者があった。ザハロフである。

この偉大なる詐欺師は、マクシムとは何の関係もないにもかかわらず、記者団に対して銃の成功をわがことのように誇り、何と、それがマクシム銃ではないという誤報を広めて姿を消してしまったのである。

こうしてマクシムは世界一の銃を発明しながら注文がまったくない、という奇怪な経過を体験した。

P244 しかも、最後に、ザハロフと手を組まざるを得ないような罠にはまっていたのである。さらにマクシムは一八八四年、待望の機関銃を完成し、その四年後にはザハロフの取りなしで造船・兵器会社ノルデンフェルトと、続いて十三年後の一ハ九七年に「ヴィッカース社」と合併し、それからの十年間に目ざましい発展を遂げたヴィッカースが、今や第四の銃砲生産者として姿を現わしたのであった(tw)。

二十世紀に突入した時、この死の商人の世界には、不思議な共同作業があった。互いに技術を分け合い、秘密のカルテルによって兵器を補完し合っていたのだ。しかしそのためには、クルップ、アームストロング、シュネーデル、ヴィッカース、さらにオーストリア帝国のシュコダ(チェコスロバキアのスコダ)、ロシアのプティロフという六大メーカーが揃った時、このいずれの会社にも出入りする商人がいなければ共同事業は成立しなかった。それがザハロフとノーベルであった。

ノーベルは火薬をもって、そしてザハロフは商談をもって、この六社のあいだを走り回った。ザハロフはクルッ家と古い付き合いをしてきたが、今やヴィッカース家とも急激に親密度を増すと、代理人として働くようになっていた。

そこで、クルップが世界一の信管を完成した時には、ライバルのヴィッカースがその技術を買い取り、砲弾一発ずつにKPZというイニシャルを入れて砲弾を製造した。この三文字は“クルップの特許信管”を意味したが、この砲弾を一発射つごとに特許料を一シリング三ペンスを支払うという契約が交わされた。

これは一例である。イギリスのヴィッカースが、当時のその台頭をおそれていたドイツのクルップから砲弾を買ったり、その逆にマクシムの精密銃の技術がドイツやフランスに流れた裏には、戦場の軍人の目には信じられないような、ただならぬ動きがあった。

多くの兵器ビジネスを仕組んだザハロフは、ユダヤ人だという噂につきまとわれていた。この人物の出生は永遠の謎である。バジリウス・サーハルというユダヤ人がトルコのイスタンブールに生まれ、この男がロシアに入る時にユダヤ人虐殺をおそれてベージル・ザハロフに変名したらしいのだが、当時の時代背景を思い浮かべるには、モーパッサンの小説を読むの一番分かりやすい。

プロシャ兵に痛めつけられるフランスの農家の姿が多くの短篇に描かれているが、幼い頃にはプロシャとロシアの違いすら分からずに混同したものだ。ところがロシアのロマノフ王朝はドイツ出身なのだから、必ずしも混同とは言えない。

皮肉にザハロフの時代、民族と兵器が入り乱れて交流していたわけである。その時代を知るには、次のような事実を見てゆくほうが実像をつかむのに早い。

マクシム---正確にはマクシム・ノルデンフェルト社---がヴィッカース社と合併したという物語、それはいかなる兵器関係の書物にも記されている常識的な記述だが、その合併に当たって誰が設立資金を提供したかについては、どこにも解析がない。これは歴史を解析する上で大きな手落ちである。しかもその重要な人物は分かっているのである。

この新会社の株を発行した銀行は、ほかならぬロスチャイルド銀行であった。投資銀行の歴史のなかに、わずかにその内容を明記する一文が見つかる。さらにもうひとり、「ヴィッカース&マクシム社」の設立資金として莫大な金を投じた男がいる。

それは、アーネスト・カッセル卿だという。この名を聞いて驚くのは、奇妙な歴史が浮上してくるからだ。

P245 一九〇四年、日露戦争当時のイギリスの大富豪として知られ、戦争資金を求めてロンドンを走りまわった高橋是清(相互参照)が深く親交を結んだ人物がカッセル卿であった。やがて高橋がジェイコブ・シフとロスチャイルドたちから戦争資金を得て、外国から鉄砲を購入したリストのなかに、ドイツのクルップ社の名前が発見されるのである。結局、ロスチャイルドの金はロンドン--アメリカ--日本を経由してクルップに流れていたのだ。

(略)

P246 実際、死の商人ザハロフが動かした世界とは、これであった。それを戦争という史実のなかで再構築してみると、日露戦争では、これらの殺人技術が双方に大量に流れ込み、購入資金を提供したロスチャイルド家が、裏ではその兵器によって莫大な利益をあげていたことは明らかである。

ファシストや好戦家に非難の声は集中するが、彼らは、金がなければ人殺しもできない。そのファシストに金を与え、好戦家に銃を与えたのは、銀行家である(tw,tw,tw,tw)。アメリカの南北戦争にも、アームストロング銃が大量に供給されていたが、南軍と北軍の双方に送り込まれていた。

ザハロフの商売では、ロシア大公の秘愛の踊り子に目を付けると、ペテルブルグの社交界にこの踊り子を連れて出入りし、大砲の注文を取り付けることに成功した。クルップの大砲、ヴィッカースの大砲などが入り乱れてロシアに流れ込んだのである。一八六六年のドイツとオーストリアの戦争においても、敵方オーストリアが使っているライフル銃が自国のクルップ社製のものであることを知って、プロシャ兵は奇怪な思いにとらわれた。

なかでもおそるべきは、一八九九年から一九〇二年に南アP247で起こったボーア戦争であった。ヴィッカース社は、イギリス人とボーア人の双方に兵器を売りつけ、その戦争を挑発した植民大臣チェンバレンが兵器を供給しながら、一族が莫大な利益をあげていた。チェンバレンの三番目の妻は、有名なアメリカの判事の娘で、その一族が爆薬会社デュポンの御曹司ヘンリー・アルジャーノン・デュポンと閨閥を作っていたのである。(略)

(P248)

P249 わが国との関係で言えば、日露戦争で日本がロスチャイルドの資金を得て軍備を増強し、ようやく大国相手に戦争することができたと述べたが、実はその兵器を大量に売り込んだのが、前述の「クルップ」だけでなく、「ヴィッカース」の代理人ザハロフであった。これでロスチャイルドは、融資した分を取り返し、利息を取るという二重の利益を得た。それが軍需産業と銀行の関係であった(tw,tw)。(略)

(P250-)

(P258-)

P259 やがて、二十世紀を迎えた。パウル・メンデルスゾーンの「アグファ社」は、"赤い盾"一族の強力な資金に助けられて急成長を遂げていたが、これをドイツ帝国のなかで排除しようとする強力な集団が台頭してきた。鉄血宰相ビスマルクは、かつてロスチャイルド家の融資を受けながらオーストリア・ハンガリー・イタリア・ロシアという広大な範囲を牛耳って勝手にドイツ帝国に組み入れてしまったが、今そのドイツが向かうところは"ロスチャイルド家の排除"にあった。

クルップ⁼ジーメンス連合が、その工場から生みだした最大の製品、それはベルタ砲でもなければ、発電機でもなかった。その製品とは「ドイツ銀行」だったのである。発明家にして企業家のヴェルナー・ジーメンスの従兄ゲオルクが、一八七〇年にドイツ銀行を設立、ここに"赤い盾"に対抗する一大金融勢力を結集して以来、ドイツの金融界は新たな金融戦争の世界に突入していた。すでにイギリスでくわしく見た利権掠奪戦争が、ドイツの工業界を中心に胎動しはじめていたのだ。

ドイツ銀行と共に、同じ年に「コメルツ(商業)銀行」、P260続いて二年後には「ドレスナー(ドレスデン)銀行」が開業し、それまでの「ロスチャイルド銀行」、「ディスコント銀行」、「ダルムシュタット銀行」という、いずれも"赤い盾"一族が独占的に支配する世界に、強力なライバルが登場した。

それでも二十世紀に入るまでは、工業界全体が未だ産業革命直後の共同事業によってがんじがらめになっていたため、ある出来事を迎えるまでは、決して本格的な闘争には突入しなかった。ところが世紀末に、ある出来事がヨーロッパの様相を変えようとした。

アメリカの石油王ロックフェラーがヨーロッパの産業共同体に強力なくさびを打ち込み、すでに全米で成功を収めた独特の資本主義戦略によって、ドイツを二分する紛争を巻き起こした。

後年「ドイツ・モービル」となるロックフェラーの石油会社が一八九九年に設立され、ダンピング攻勢をかけはじめた。怒ったヨーロッパの王者ロスチャイルドは、ドイツ銀行と組んで対抗したが、ドイツ銀行にもロスチャイルドを倒したいという下心があったことは否めない。石油王ロックフェラーの活動は巧妙を極めた。

  ドイツ銀行関連→『赤い盾』P83

世界最大の産業"石油"が誕生していたわけである。しかも時代は、ドイツ人のゴットリープ・ダイムラーが一八八五年にエンジン付き自動車を発明し、翌年にカール・ベンツが三輪自動車を発明、ドイツから"ダイムラー・ベンツ"の時代を告げる高らかな鐘の音が聞こえていた。アメリカで自動車王ヘンリー・フォードが自動車を組み立てる一八九六年に先立つ、すでに十年前のことである。

そこへもうひとりの天才ドイツ・オーストリア帝国に現れた。後年、ヒットラーのもとでフォルクスワーゲンを生み出すフェルナンド・ポルシェであった。これで自動車とガソリンが結びつき、石油業界が沸き立たないわけがなかった。

ドイツの勢いはとどまるところを知らなかった。一九〇三年には、ドイツ海軍が初めてディーゼル(相互参照)・エンジンを装備した潜水艦を進水させて世界を震えあがらせ、翌年にはドイツ銀行がルーマニアの油田に進出を果たして「ドイツ石油」を設立した。予期された通り、ロスチャイルド対ロックフェラー対クルップという三つ巴の利権争奪戦に発展していった。

表面上は、三者がそれぞれ協定を結んだり連合を組むかのような行動をとりながら、最後にはロシアの中近東、アジアの油田をめぐって、協力関係が爆発する日を迎えた。ドイツはバグダッド鉄道の株を握って、そのついでに巧みに油田開発権を手に入れることに成功したが、わずか二年という期間しか油田の開発が許されなかったため、とうとう期限切れの一九〇六年、欲に飢えたドイツがメソポタミアで協定を踏みにじるという行動に出た。

起こったのはさらに欲深いイギリスである。五年後には逆にイギリスがインドネシアでドイツ石油を吸収してしまい、さらに翌年ロックフェラーの牙城アメリカへの進出を果たした。

P261ロシアでは、バクー油田に代わってグロズニー油田なども脚光を浴びながら、そこに投下された資本はドイツ1に対してイギリス12という不公平なものであったから、ドイツはますます苛立ってきた。

石油がなければ、クルップの軍艦も役立たなくなる。船舶用の燃料は、すでに石炭から重油へと一大転換を遂げていたからである。

ドイツ資本家の不満は、一九一二年の「トルコ石油」の紛争解決法によって、クライマックスに達した。数年にわたって争われてきた利権は、ドイツ銀行が二五パーセントに対して、残る七五パーセントをイギリスの資本家が獲得するという形で決着がつけられてしまった。

これは紛争の解決どころか、火に油を注ぐ結果となり、二年後に再びトルコ政府は利権の配分を変えたが、ドイツ銀行の二五パーセントはまたしても変わらず、ただイギリスの七五パーセントが誰の手に渡るかという問題について、大英帝国内の強欲な紳士たちを新しい配分によってなだめたにすぎなかった。

  関連→『石油の世紀(上)』P305

(略、「アラビアのロレンス」(相参1相参2)の物語=諜報機関の物語が記される)

(P262-)

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P266 同書で簡単にヴィクターと呼ばれているのは、正式名ナサニエル・マイヤー・ヴィクター・ロスチャイルド、つまりイギリス・ロスチャイルド家の六代目当主で、ネイサン以来の“赤い盾”ロンドン銀行として毎日金価格を決定するN・M・ロスチャイルド商会の会長をつとめ、本書を執筆中の一九九〇年三月二十日に七十九歳でこの世を去った。

事実上は、ロイヤル・ダッチ・シェル石油の支配者で、イギリス核兵器研究所を動かす軍需産業の最重要人物であった。ピーター・ライトは、最後に引退の時期を迎え、N・M・ロスチャイルド商会に入ることまで考えるが、やがて諜報の世界から去ってゆく。

--「ピーター、君の問題は、あまりにも多くの秘密を知っているということだ」とロスチャイルドが言った--

これが本書の結びとなっている。このロスチャイルド卿の行動として特筆されるべきは、核兵器開発の中枢機関として知られるイスラエルのワイツマン研究所に肩入れをしてきたことである。

ざっとこのような背景を持つのがイギリス諜報機関の実態である。しかし国家の情報機関は、法律によって行動が拘束される面もある。どうしても民間人の協力を得なければならない。そこでこれと手を組み、全世界に進出してゆくのが、世界最大の保険会社「ロイズ」である。

かつてはロイズ・コーヒーハウスで、船乗りから七つの海の情報を集めてシティの証券取引所を動かし、ロイズ保険を誕生させてからは、「マルコーニ社」の無線技術を最初に導入し、それを社内の“情報部”が活用してきた。

逆にその情報解析が、MI6にフィードバックされて、資料の交換がおこなわれている。たとえば、わが国で三井物産の若王子誘拐事件が発生する前に、すでにこの商事会社はロイズ保険の“誘拐保険”に加入していた。

保険会社は、事故や事件の真相をつかまなければやたらと保険金を支払わなければならないため、秘密警察をはるかにしのぐ情報収集能力が求められる。警察は迷宮入り事件として処理すればそれですむかもしれないが、保険会社は、金を支払えば経営に直接の打撃を受けるからだ。

結論を言えば、MI5とMI6---"女王陛下の007"(相互参照)は、ロスチャイルド財閥の情報機関である。『スパイキャッチャー』が出版されて問題になったのは、イギリス国家の情報機関でトップや要職の座にあった人物が、しかも夥しい数の人間が、敵方ソ連の二重スパイだったという衝撃的な事実が暴露されたことであった(tw,tw,相互参照)。
女王陛下の007
ところがバクー油田やルーマニア情勢を歴史のなかで解読したわれわれには、もはや何の驚きでもない。ロスチャイルド財閥が経営する大英帝国化学「ICI」一社を見ても、幹部がMI5・MI6のメンバーと重複していなければ、むしろ不思議なくらいである。

P267 一九一九年、ロシア革命直後にロンドンに新生ソ連の銀行が設立された。寒い国からやってきた赤い銀行「モスクワ・ナロードヌイ銀行」であった。ソ連はここを窓口として、資本主義社会に金銀ダイヤなどの貴金属を売って食料などを買い込む、といった普通のビジネスをおこなってきた。

それはシティにあるほかの銀行と何も変わらず、資本は百パーセントソ連ながらイギリス法人として経営され、重役陣はソ連だが従業員は大部分がイギリス人、といった構成になっている。

この人民銀行を一九五九年から大きく育てたドボゾノフ会長は、ひどくロスチャイルドびいきで知られ、個人的にも深く接触していたばかりか、最大の取引相手が「モルガン・グレンフェル」であった。

時には、ICI社に一千ポンドのクレジットを供与するという事件まであったというから、ソ連の赤い銀行と大英帝国の"赤い盾"は、過去の米ソの対立軸では想像もできない世界のなかで共存してきたのである。

この情報部員の活躍の舞台、それが第一次世界大戦だったことになる。したがってロレンスをはじめとする部隊が何を画策したかを脳裡に描きながら、一千万人の死体が転がった戦争の本質を新たに記録しておく必要がある。

国家は軍事なり--軍事は軍資金なり--軍資金は公債なり--公債御用商人はロスチャイルド家なり--の時代であった。世界大戦の帰趨を占う唯一最大の鍵がロスチャイルド家だったことは、誰にも否定できない。しかしヨーロッパの五ヵ国、イギリス、フランス、オーストリア、ドイツ、イタリアには、ロスチャイルド家の五人兄弟の家系が商会を構え、それぞれの国の公債を大部分かれらが売りさばいていた。

この五ヵ国が枢軸国と連合国に分かれて戦火を交えた第一次世界大戦は、それまでの侵略戦争と違って本格的な殺戮戦争であったから、五人兄弟の家系は互いに殺し合いをしなければならなかったはずである。矛盾は生じなかったのだろうか。

五家族に矛盾は生じなかったどころか、ロスチャイルド家の置かれた状況こそが第一次世界大戦を招く動因であった。戦争の発端は誰もが知る通り、一九一四年六月二十八日、サライェヴォを訪れたオーストリアのフランツ・フェルディナント皇太子とその妃ソフィーが、セルビアの青年に暗殺された事件であった。これが導火線となって、大戦に発展した。

暗殺されたハプスブルク家のフェルディナントは、ウィーン・ロスチャイルド商会のサロモンが鉄道を敷くため、許可を得ようと"フェルディナント皇帝鉄道"の名を冠して成功した、その皇帝一族である。そしてロスチャイルド家が今日まで男爵を名乗っているのも、すべてフェルディナント皇帝一族から授かった爵位の賜物だった。その愛すべき皇太子夫妻が暗殺されたのが、サライェヴォ事件だった。事件の現場は、ボスニアの首都サライェヴォ--ここはロスチャイルド家にとって重要な意味をもっていた。

P268 ボスニアは現在のユーゴスラヴィア、すなわちギリシャの北端に位置するバルカン半島の国で、ここをトルコなど各国が侵略する歴史を繰り返してきた。
(google地図)

一九九〇年から激しい動乱が起こっている場所だ。ことに 一九〇八年、オーストリアがここを併合し、そのあとエーゲ海まで抜ける鉄道を敷設したのだから、これは完全な侵略であった。そのため同じバルカン半島のセルビア王国の一青年が立ちあがり、オーストリアの皇太子夫妻を暗殺する事件にまで発展したのであった。セルビアも今日では、ボスニアと同じくユーゴスラヴィアの一共和国になっている。

ロスチャイルド家は、これを次のように見ていた。侵略の片棒をかつぐオーストリア南部鉄道をかつて所有していたのが、ほかならぬロスチャイルド家であった。愛すべき皇帝一族だったが、オーストリアがバルカン半島を侵略した背後にでは、ドイツ資本が後ろ盾となって強い圧力を加えはじめていた。

利害関係から見れば、ユダヤ人迫害の強い勢力が、ドイツから南下してオーストリア、バルカン半島へと侵攻していたこの時、ロスチャイルド家が何を考えていたかは想像に難くない。ロスチャイルド商会は、オーストリア南部鉄道をイタリア政府に売却して逃げてしまったのである。しかし、その一帯の利権をいずれは取り戻さなければならなかった。

一九一四年七月二十八日、オーストリアがセルビアに宣戦布告して第一次世界大戦の幕が切って落とされた(相互参照(12))。

四日後にはドイツが参戦し、ロシアに宣戦布告、翌日にはルクセンブルク、フランス、ベルギーに侵攻したのである。ドイツの反ロスチャイルド勢力は、この機会にあらゆる利権を奪い取ろうと勇んでいた。しかしベルギーにも侵攻したので、ロンドンのロスチャイルド家は、ベルギーのアントワープに抱えるダイヤモンド・シンジケートを守る必要に迫られた。

"ロスチャイルドのイギリス"は、ドイツに対してベルギーからの撤退を最後通告した。ところが八月四日、ドイツがベルギーに正式に宣戦布告して、以後は雪崩のように各国の相互宣戦布告が相次いだ。

第一次世界大戦の重大なキッカケは、サライェヴォ事件ではなく、その直前まで進められてきたイギリスとフランスの南方植民地政策にあった。その利権を争っていたドイツが、南アのケープタウン、エジプトのカイロ、インドのカルカッタ、すなわちイギリスの3C政策を崩してエジプトから南アまで進攻しようとしたのが、本質の対決の動機であった。

これは、裏返して言えば、すでに第二次世界大戦のヒットラー出現を予告するユダヤ勢力撃滅作戦、さらにはっきり名指しすれば、ロスチャイルド家を絶滅して利権を奪取しようとするP269ドイツ新興財閥の野望でもあった。

この戦争におけるそれぞれの国の行動を、この観点から列記すると、以下のように、実に不思議な戦争の実像が浮かびあがる。すべてが取引であった。

一九一四年六月十五日、イギリスとドイツが協定に調印し、ドイツはバクダッド鉄道をバスラ以南に延長しないと約束した。つまりは大戦が開始される直前に、「ペルシャ湾の利権に介入するな」とドイツにイギリスが警告を発したのがこの日であった。バグダッド鉄道の重要性をイギリス国内で主張していたのは、イギリス家四代目当主ナサニエル・ロスチャイルドだった。
  • 七月二十八日 開戦
  • 七月三十日 ロシアが総動員令を発令
  • 八月八日 イギリスが、ドイツ領東アフリカの攻撃を開始。イギリス3C政策の拠点であるエジプトの確保に乗り出す
  • 九月十九日 イギリスが、ドイツ領南西アフリカに上陸。ほぼ同時に、南アフリカ連邦がイギリス史援軍の派遣を決定
  • 十一月二十二日 イギリスが、ペルシャからの石油パイプを保護するためにバスラを占拠
  • 十二月十八日 イギリスが、3Cの拠点エジプトを保護国にすると宣言し、実質的に植民地とする。これで、スエズ運河をフランスと共有しながら、さらに領土も自由にできるようになった
  • 一九一五年二月三日 トルコがスエズ運河を攻撃し、反撃に転ずる
  • 四月二十六日 イギリス・フランス・ロシアがイタリアに対し、アフリカの植民地拡張を約束。イタリアはその見返りに一ヶ月以内の参戦を約束
  • 一九一六年四月二十六日 イギリス・フランス・ロシアが、アジアとトルコの分割秘密協定に調印
  • 五月九日 イギリスとフランスがサイクス・ピコ秘密協定を調印し、アジアとトルコの分割案とアラビアでの勢力範囲を定める(ロシアが承認し、のちイタリアも参加)
  • 一九一七年十一月二日 イギリス外相のバルフォア宣言により、ユダヤ人国家をパレスチナに建設する考えを打ち出す
  • 一九一八年十一月十一日 終戦--四年四ヵ月近くにわたる死者一千万人の戦争が幕を閉じ、オーストリア皇帝一族ハプスブルク王朝滅亡す(tw)
これが戦争中の出来事かと思うほど、民衆が血を流しているなかで実行された取引の一例である。オーストリア側についた枢軸国のドイツ、トルコ、ブルガリアとP270セルビア側についた連合国のイギリス、フランス、ロシア、イタリア、ベルギーなどの関係は、ロスチャイルド家の利権を中心に解析すると、かなりはっきりした分布図ができる。(以下省略)

  関連→『赤い盾』3.4 砂漠の秘密協定(イギリスの三枚舌外交

(P270-)


  戻る→『赤い盾』2.4