P428アガサ・クリスティが描いたこの推理小説によって、オリエント急行(tw)は一段とその名を高めたが、それ以上に最近では、ショーン・コネリーの人気を決定的にした『007・ロシアより愛をこめて』の社内格闘シーンで知られるオリエント急行は、映画人にとって格好の題材としてたびたび使われてきた。
列車が豪華というだけでなく、フランスのパリを出発して、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、トルコへと向かい、ヨーロッパのさまざまな色彩と匂いを持った国を通過しながら、絶えず敵対しあう国境の戦線を突っ走る、それだけでも異常な存在、異様な走る怪物、これがオリエント急行である。
敵国を通過すれば、コンパートメントにスパイが坐っていなければ不思議であろう。そしてスパイが隠れているなら、殺される者が乗り合わせ、大実業家と政治家を破滅におとしいれる肉感的な女性が送り込まれているはずだ。
実際、オリエント急行は数々の小説に描かれたよりはるかに複雑な性格をもって、今からほぼ百年前、一八八三年に開通した。アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』を映画化したシドニー・ルメット監督は、ヘンリー・フォンダの『十二人の怒れる男』で知られるユダヤ系だが、系図9に示した通り、彼が結婚したグロリア・モルガン・ヴァンダービルトは、往時の全米一の鉄道王ファミリーの娘であった(相互参照)。
世界一の名声を誇る鉄道を映画化したのが、世界一の鉄道王の一族だった、P429というのが彼らの世界であり、映画はただ意味もなく製作されたのではなかったが、皮肉なことに映画化の三年後、一九七七年にこの鉄道の歴史が終わるという結果となった。
現在では再開され、謎のバーミューダで海運事業をおこなう億万長者、その名もシャーウッドという男がオリエント急行を走らせ、この人物の育ての親がタイタニック一族のウィリアム・アスターであった。
両人ともホテル経営の世界で通じ合い、ホテルと列車が切り離せない関係にあったからである。ヨーロッパの鉄道で、ロスチャイルド家の息がかかっていない財産を捜すことはことは、専門的に調べれば調べるほど、ほとんど不可能に近いことが分ってくる。
映画のなかでオリエント急行を引っ張って走り続けた230G型の蒸気機関車は、かつてパリ=オルレアン鉄道に属していたものだが、この鉄道会社を設立した人物たちはロスチャイルドに一矢を報いようと線路を敷きながら、なぜかその重役室にアラン・ロスチャイルドが坐ってしまったのである。
しかもこの会社には、ジョゼフ・ミッテランという男がいた。フランス大統領の父親である。
なぜそうなってしまうのか、フランスの産業資本家には理由が分からないでもなかった。オリエント急行がパリを遠く離れ、終着駅のイスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)に到着する頃には、文字通り異国情緒豊かなオリエントのトルコに入り、ロスチャイルドの支配の手から逃れたかのように思えば、それは早合点になる。
南北アメリカ大陸に大量のユダヤ移民を送りこんだユダヤの大慈善家、ヒルシュ男爵がすでにトルコの鉄道を完全に支配し、オリエント急行は途中からヒルシュ鉄道につながっていた。すでに述べた、ジェームズ・ゴールドスミスの一族である。
現在では誰もが何気なく乗る鉄道は、ヨーロッパで不思議な性格を持っていた。これがヒットラーを生み落とし、イスラエルを建設して中東戦争からオイルショックを招き、今日の軍需産業と原子力産業の大動脈となっていることには、誰も気づいていない。
鉄道とは鉄の道、そのうえに何が走るかにつては定義していなのである。したがって、鉄道のうえを馬が走ってはいけないという法はない。
一八二五年という大昔、イギリスでジョージ・スティーヴンソンが蒸気機関車によって初の公共鉄道の列車を走らせたことは、誰もが記憶にある。ところがこの鉄道には、機関車がその一台しかなかった。
線路に莫大な投資をしていたため、ひとつの列車が機関車に引っ張られて走り去ったあと、線路を空っぽにしておくほど資本家はお人好ではなかった。
そのため、実際にこの列車を引いたのは、ほとんどが馬だったのである。と言うより、スティーヴンソンの蒸気機関車が動き出すまで、鉄道はすべて馬が貨物を引くための道具として各地に利用され、その貨車に積まれた特に重要な荷物が石炭であった。
ここに、今日の時代を予見する不思議な原理が存在した。
P430馬が石炭を引いていた時代には、石炭を運べばそれで用事が足りた。ところがスティーヴンソンの蒸気機関車は、自ら石炭を燃やして石炭を運びはじめた。しかもその石炭の最大の用途がほかならぬ鉄の生産のためであった。
さらにこの鉄が、鉄道を敷いてゆく。結局、鉄道と石炭と鉄という三つの工業が、互いに共存し合い、互いに相手を育て、ひとつが大きくなればほかも成長するという、手のつけられない産業拡大のメカニズムを誕生させたのである。
これが今日の“工業のための工業”のはじまり、終着駅がなく、行く先とどまるところを知らぬ機関車に引っ張られゆく人類の出発の姿であった。
イギリスでは、スティーヴンソンの鉄道に融資した男、エドワード・ピーズがその先端を走っていたが、鉄道事業が成功したとみるまに、息子ヘンリーがロイド家のメアリーと結婚した。
これも東インド会社の系図13に示した通り、鉄道家と銀行家の輝かしい結婚であった、ロイズ銀行が鉄道の成功を見逃すはずはなかったのである。
その当時ロスチャイルド家のネイサンは、鉄道事業にほとんど関心を示さず、もっぱら金貸しに専念していたというのが通説となっているが、それはロスチャイルド家にとってほんの一時期でしかなかった。
確かにネイサンは利鞘をかせぐ知恵を父から教え込まれ、それに忠実に従った。そのため金融王として莫大な財産を築きながら、鉄道のような新しい未知の事業には、かなり用心深かったのである。
スティーヴンソンによる蒸気機関車の発明を目の前にしながら、ネイサンはこの金の卵に手を出さなかった。ところがこのビジネスは、貴族たち上流社会の人間がおそれていた通りの効果をもたらし、イギリス産業界を引っ張って猛烈なスピードで走り出した。
それに対して当時バルザックが描いた上流階級の人間は、これまで通り馬車という乗物を特権と心得ていた。貧しい人間が路上を歩いている時、ハネ飛ばしても許されるほどの存在として、馬車は交通機関ののなかで君臨していた。
当時の馬一頭は確かに高価なものについたので、今日の自動車のオーナーに比べれば、馬車の持ち主はかなり位階の高い存在だったからである。ここに列車が登場して、誰もがその大型車両を利用するようになれば…
「鉄道なんてものができれば、必要もないのに、下層階級の人間が動きまわるようになるだけだ」ワーテルローの戦いでナポレオンを破ったウェリントン公爵の不遜な言葉がこれであった。旅行や移動が必要ないかどうかは、当人が決めることだが、ともかくウェリントン公爵の予言通り、イギリス人は誰もが列車を利用して移動できるようになり、商人の目から見れば、誰もが金を払う巨大なビジネスが誕生した。
ネイサン・ロスチャイルドがこの投資を無視したのは、一生の不覚である。P431しかしロスチャイルド家は反撃を始めた。
イギリスでは後れを取ったが、大陸ヨーロッパでは産業革命が遅々として進まず、相変わらず列強の覇権争いに明け暮れる日々が続いていたため、この分野でロスチャイルド家が先手を取る絶好のチャンスでもあった。
目をつけたのが当時ヨーロッパ最大のハプスブルク王朝に支配されるオーストリアで、ここにはすでに長男アムシェルがオーストリア政府の指定業者として介入していた。
一八一七年にはアムシェル、次男サロモン、四男カールの三人が、ついで一八二二年には三男ネイサンと五男ジェームズが、オーストリア皇帝から男爵(Baron)の爵位を授けるほど、すっかりお気に入りのファミリーとして迎えられていた。
子の爵位が、現在のロスチャイルド家の人物の肩書として、人名録に登場するものである、そこにフランス語でdeの称号を使うのは、ドイツ語のvonより耳ざわりがやわらかいからだ。
さらにイギリスに渡った三男ネイサンが、そこでオーストリア領事に任命されるという待遇であった。ユダヤ人迫害どころか、いまや“ユダヤ王”の名で呼ばれるほど、ロスチャイルド家は上流社会のなかで尊敬の対象となっていた。
音楽の都ウィーンには、そろそろシュトラウスのワルツが流れようとする時代、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』のごとく、わが一族にとって心地のよい森の都があった。
ただしこの尊敬の念は、ロスチャイルド家の金庫に詰まっている札束が世界じゅうの誰よりも多い、という種類のものだったことは言うまでもない。この手のものは、一夜にして崩れるおそれがある。五人兄弟はそれを心得ていた。
一八二五年、スティーヴンソンが列車を走らせた年、ヨーロッパ全土に吹き荒れた恐慌の嵐は、ロスチャイルド家に一考を促した。現金、保険、公債といった資本だけに頼っていると、暴落には耐えられない。
これらの資本を物に変える必要があると悟った五人は、ロンドンで緊急会議を開き、産業の買収に乗り出したのである。
まず手始めとして狙ったものが、第一に製鉄、第二に鉄道、第三に水銀であった。後年、これを足掛かりにあらゆる分野に進出することになる。この大転換がなければ、今日のロスチャイルド家は存在しなかっただろう。
かのフィレンツェのメディチ家のように崩壊していたに違いない。すべての国の実力者と同じように、製鉄と鉄道を握り、鉱山と土地を手中にするところから、ロスチャイルド家もまたロイド家のあとを追って、近代的事業家としての活動力を身につけはじめた。
重要な機械と建造物は、すべて鉄からできている。物資を運ぶのは鉄道である。そして無数の鉱物資源が眠る鉱山や未知の土地--ロスチャイルド五人会議の結論は、それまでの単純な金貸しから、基幹産業を握りしめる資本家への転身を決定づけることになった。
しかしこのうち水銀の鉱山を支配したことが、P432今日のウラン鉱山のカルテル支配につながると、五人のうち誰が予測したであろう。
一八ニ〇年からウィーンに居を構えた次男サロモンは、オーストリア帝国最大の製鉄工場ヴィトコヴィッツ精錬所の買収を計画しはじめた。
このため北部ボヘミア(現在のチェコスロバキア)からウィーンに至るおよそ百キロの鉄道、その名も、爵位を授けてくれたハプスブルク家の新しい皇帝に敬意を表して、フェルディナンド皇帝鉄道という栄光ある名称を思いついた。
これが皇帝の意に叶って、一八三五年から三九年までに事業を遂行し、オーストリア最初の鉄道が一部開通したのである。
やがてチェコスロバキアのヴィトコヴィッツ製錬所をロスチャイルド家が手中に収め、後年のナチスとの争奪紛争に至ったことはすでに述べた。
このウィーンのサロモンには、息子と娘がひとりずつあったが、娘ベティーの嫁いだ先は、フランスにロスチャイルド商会(フランス語読みでロチルド商会)を開いた末弟ジェームズであった。
叔父と姪が結婚したことになる。このジェームズが、やがてヨーロッパ大陸におけるロスチャイルド家の大黒柱として縦横無尽の活躍をはじめようとしていた。
兄にして義父であるサロモンの鉄道事業がオーストリアで着々と進行するのを見て、すでにフランスの金融界で一流の銀行家となっていたこの伊達男ジェームズは、パリとその北西部の町サンジェルマンを結ぶ鉄道の建設に乗り出した。
さらにセーヌ川沿いに走るパリ=ヴェルサイユ鉄道を建設したあと、これらの短距離鉄道でなく、一八四五年に本格的な長距離鉄道に挑んだのである。
フランス最大の「北部鉄道」(chemin de fer du Nord--北の鉄の道)である。北とは、花の都パリがそもそもフランス北部に位置しているから、この大都会とヨーロッパ北部の工業地帯を結ぶ最も重要な幹線になるはずであった。
結局、一八四八年六月十五日に鉄道が開通し、三週間後に早くもカーブを曲がりそこねた脱線事故で死者三十七人を出しながらも、やがてこれが文字通り軌道に乗った。
社長はジェームズ自身で、ここにイギリス・ロスチャイルド家の三代目ライオネルと四代目ナサニエル重役を迎えての大事業であった。
この北部鉄道こそが、フランスから北方にベルギー、ドイツへ抜ける輸送路となって、今日までロスチャイルド家の中枢的な財産として機能してきた大動脈である。
鉄道王として君臨してきたジェームズは、小説家エミール・ゾラが『金』と題する作品のなかでモデルとして描くほどの大実業家となっていった。当代随一の躍動的な画風で名声を博したフランス人画家オラース・ヴェルネは『スマラへの道』と題する絵画で鉄道王ジェームズをモデルに、ひと財産を背負い、小脇に金目の箱を抱えて逃げるユダヤ人を皮肉たっぷりに描いてみせた。
P433ここまでの系図には、太っ腹のネイサンをロスチャイルド家のシンボルとして示してきたが、これからたびたび描く系図には、この姿のジェームズ・ロスチャイルドにも登場してもらうことになろう。
いかなる意味か、人間とは。吟遊詩人ハインリッヒ・ハイネ(相互参照)は、こう謳いながら、腕をジェームズ・ロスチャイルドの肩に乗せていた。
いずこより来たりて、いずこへ行く。
金色に輝く星に住むのは誰か。
絶えず波がざわめき
風が吹き 雲が流れ
星が冷たく輝き
病人は答えを待っている。
『セビリアの理髪師』と『ウィリアム・テル』のオペラで一世を風靡したジョアッキーノ・ロッシーニは、ハンナ・ロスチャイルドに竪琴の奥義を授けるかたわら、詩人ハイネと親交を結び、ロッシーニはまたロスチャイルド家でフェリックス・メンデルスゾーンに紹介された仲であった。
さらにこの星座にはヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマ、ユージン・ドラクロワといった華麗な星々がちりばめられていた。ここは芸術の都、パリの全盛時代、ロスチャイルド家の栄華が頂点をきわめた時代であった。
(P434-)
P434『赤と黒』のスタンダールは『ルシアン・ルーベン』という作品のなかで、また『ゴリオ爺さん』などの『人間喜劇』で知られるバルザックは『ヌーサンジャン家』という作品のなかで、それぞれこのロスチャイルドを描いた。しかしエミール・ゾラにしろオノレ・ド・バルザックにしろ、ジェームズをモデルに小説を書いただけでなく、自らがロスチャイルド家と個人的に密接な関係を持っていたのである。
ゾラは、のちに述べる恐怖のドレフュス事件で主役を演ずる運命にあり、バルザックには、次のような物語があった。(略、貧窮している時に泥棒に入られたという笑い話)
このときバルザックは、ロスチャイルド家の所番地を泥棒に教える度量を持ち合わせていなかったようである。つましい泥棒の身を案ずるどころか、自分自身がその日暮らしにも困るほど窮窘の地獄にあったバルザックは、泥棒に先回りして、ロスチャイルド家の門を叩いたのである。
実業家を夢見た文豪バルザックが、晩年には邸宅を買うための資金を鉄道株に投資した、という記録がある。どの鉄道かは不明であるが、ジェームズがやめるよう忠告しているので、ロスチャイルドの会社ではなかったかも知れない。
いずれにしろ、ジェームズの警告通りその鉄道株は大暴落し、やがてこの株券を担保にジェームズから二万フラン近く借金する破目になってしまった。
父母ともに裕福な親を持ち、自らあれほど緻密な分析能力を備えながら、そこが商人ロスチャイルドとの違いであった。文芸家協会の会長を務め、「パリ評論(tw)」を刊行し、代議士に立候補し、書籍出版から印刷所の経営まで広範囲に活動したバルザックだが、分泌の実績のほかには何も成功せず、生涯を借金に追われた。そのなかで、ただひとつだけ最後に実を結んだものがあった。
ポーランド貴族で大地主の妻、ハンスカ夫人との恋である。一八五〇年、バルザックは遂に十八年越しの愛が実って夫人との結婚に漕ぎつけたが、わずか五か月後に五十一歳で小説家の生涯を閉じてしまったのである。問題はそのあとのこと。
P435ハンスカ夫人が二十歳の時に描かれたという彼女の肖像画は、ニューヨークのジョン・ピアポント・モルガンの手に渡った。一方、バルザックが息を引き取った自宅は、やがてバルザックに金を貸したジェームズ・ロスチャイルドの息子サロモンの手に渡った。
バルザックの遺邸がロスチャイルド家の手に渡ったのは、鉄道事業の借金のためであろう。しかし実際に鉄道王ジェー水がわずかひとりで、資本の大半を負担して設立した北部鉄道を呑み込んだのは、バルザックの遺産だけでなく、ヨーロッパの全財団だったのである。
「北部鉄道会社」という名は、鉄道会社を示しているのではなかった。二十世紀にあっては、鉄鋼、機械、石炭、金属、石油、建設、海運、電機、観光、食品までフランスの全財産に大手として君臨企業グループの司令塔として、ロスチャイルド銀行と共にフル運転を続ける怪物となっている。
この鉄道が国有化され、フランス国鉄(SNCF)の母体となったのも、ロスチャイルド家の巧妙な戦略のひとつであった。北部鉄道を失って、ロスチャイルド家は巨大な財産を奪われたと言われた。
表向きはその通りである。ところが実際には、経営の苦しい部門を国民の税金でまかなわせ、濡れ手であわの部分を手許に残したのである。
社名からは鉄道が消え、ただの「北部会社」と変った。ところが実は、その重役室でロスチャイルド家の代理人をつとめるミシェル・ボワシューが、P436まぎれもなく「フランス国鉄」の最高幹部のポストについて、税金を自由に動かしてきたのである。
「フランス国鉄」の副総裁タルドはロスチャイルド銀行の代表者であり、「フランス国鉄」の実力者フィロンはロスチャイルド兄弟商会の重役であった。
北部会社の傘下にあった北部信用、北部鉄鋼、北部電灯、北部投資…このマンモスグループの実態は、なぜか充分に追跡されたことがない。追跡した者は消えてゆくからだ。何よりも、世界最大の鉱山カルテル「リオ・チント・ジンク」と「パリ・ロスチャイルド銀行」を所有するのが、北部会社である。
途方もなくふくれあがったジェームズ・ロスチャイルドの莫大な財産は、ある不思議な方法によって、隠された。その場所は、アフリカから中東のイスラエルにかけて、砂漠の下に眠り、南アで金塊に姿を変え、誰にも所在をつかむことができなかった。
しかしここに、その調査結果がある。ジェームスがジョージ・スティーブンソの蒸気機関車の技術をヨーロッパ大陸まで導くことに成功し、鉄道王になることができたのは、初期の資本力によるものであった。
しかしその後の北部会社の成功は、南アのキンバリー鉱山でダイヤ王セシル・ローズからダイヤを買い付けたロスチャイルド家の代理人ジュリアス・ウェルナー(相互参照)が、スティーブンソの鉄道技術を発展させた息子ロバート・スティーブンソのパトロンとなったからである。
そしてこの鉄道支配は、これから述べるように巨大なユダヤ人問題へと進展してゆき、恐怖のドレフュス事件とユダヤ人虐殺、イスラエル建国という歴史に突入していった。
従来の歴史観になかった「ロスチャイルド家の座標軸」をその中心に据えて、ユダヤ人問題の真相を明らかにしてみよう。
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