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P421今村昌平監督の『黒い雨』が、一九八九年五月のカンヌ映画祭に出品された。全世界が原子力産業に疑いの目を向けた時期に製作され、内容は広島への原爆投下後の物語を扱う重厚なもので、映画祭の観客を魅了しつくした。
グランプリの最有力候補と目されたが、世論がこの社会問題に鋭い発言を寄せ、多くの市民が世界の各地で取り組みを見せている絶好の公開時期だっただけに、今村監督にとってはまことに時機が悪かった。
商業映画の世界で王座につくフランシス・コッポラが、このときカンヌ映画祭の審査委員長という大役からおりてしまい、本人は栄光に傷がつく事態を避けたのである。
この委員長は、どちらへ転んでも歩が悪かった。『黒い雨』にグランプリを与えれば、黒い手が背後から伸びてくる。故意に選外へ落とせば、コッポラの良識が疑われるからである。
このような状況のなかで、授与式の当日、五月二十三日には、急遽引っ張り出されたヴィム・ヴェンダースという人物が審査委員長をつとめ、グランプリは『セックスと嘘とビデオテープ』という不可解な小品に与えられた。
場内は、『黒い雨』の受賞をほとんどの人が確信していたため、しばらくは驚きのあまり声ひとつ立てられないほどであった。皮肉な受賞作の題名である。この物語の嘘をビデオテープで再現すると、ヴェンダース委員長を取り巻く世界が浮かびあがってくる。
その答えは、セックス--本書に言う“閨閥”である。授賞式の十日前のことであったが、委員長のヴェンダースをはじめとするカンヌ映画祭の幹部たちは、ミッテラン大統領夫人やラング文化相などフランス政界の要人が集まる会議に呼ばれていた。
その場で司会をつとめたのが、フランス人で人権を守る活動家として知られる弁護士ジョルジュ・キージマンであった。彼自身がミッテラン夫人の財団で理事をつとめ、大統領の側近として活躍してきたが、彼らは特異なグループを形成していた。
カンヌ映画祭に臨んで、自ら“高級紙”と名乗るフランスの新聞“ル・モンド”が『黒い雨』を酷評し、日本人がおこなった戦争犯罪に言及しながら、第二次世界大戦の歴史を正視するよう求めた。
これは、従来のファシズム論議のなかでは、正当な意見である。しかし今村昌平監督が作品のなかで主張したのは、戦争犯罪そのものの告発であった。“ル・モンド”が言うように、歴史を正視してみよう。
この新聞社が、南太平洋のムルロワ環礁(現地名モルロア)でおこなってきたフランスの核実験を堂々と支持してきたことは、周知の事実である。その核実験によって、黒い雨が南太平洋の島々に降りそそぎ、「タヒチでは癌と奇形児が激増」という報告が、一九八〇年代に洪水のようにフランス領ポリネシアで出された。
しかもこれらの島民はひそかにフランスへ送られ、バル・ドグラース軍病院などに収容される惨状であった。
核実験はその後もムルロワ環礁で続けられ、遂に一九八五年六月には生物だけを死滅させる中性子爆弾の実験がおこなわれているという事実が暴露され、フランス政府がそれを認めるまでに至った。
一帯の島々は、環礁に巨大な地割れが発生し、高波や島全体の沈下のため大量の放射能漏れが起こる事態を迎えたのである。住民が訴えたのは、「私たちはもはや海産物を口にすることができなくなった。人びとは頭痛を訴えながら死んでゆく」という言葉であった。
その同じ年の七月十日、今度は環境保護団体のグリーンピースが核実験に抗議するなか、彼らの抗議船“虹の戦士号”がフランス軍の手で爆破されてカメラマンが死亡、ところがシラク首相はその殺人者である秘密工作員を公然と称賛した。
これがすべて、社会主義者ミッテラン政権になってからの出来事であり、夫人のダニエル・ミッテランはその事実を知りながら、全世界に“人権の重要性”を説いてまわった。
これが“ル・モンド”の容認する核実験の実態であり、一九九〇年代に入っても核実験は続けられてきた。
このようなカンヌ映画祭の舞台裏にあるセックスと嘘とビデオテープは、実際には次のような話である。
P423『資本論』を著したカール・マルクスの偶像が地に堕ちる時代を迎えた今日だが、『黒い雨』を軽蔑したカンヌ映画祭の隠れた支配者キージマンと偉大なマルクスが、フランスの軍需産業。核兵器産業・原子力産業の総本山「シュネーデル」の一族によって、信じがたい系図37をつくっていた。
死の商人ザハロフが大いに貢献した兵器会社シュネーデルとである。
カール・マルクスには、ラウラという娘があった。フランスの社会主義者ポール・ラファルグ、つまり現代の社会主義者ミッテラン大統領の生みの親は、マルクスと友好を深め、その次女ラウラと結婚した。
こうして娘ムコとなったラファルグは、マルクスとエンゲルスの著書を次々とフランス語に翻訳して社会主義の普及につとめたが、そのとき手を組んだのが「人権」という雑誌の編集者ジュール・ゲードであった。
ゲードはマルクス一家の最も信頼できる人物となり、ラファルグと共に労働党を結成し、やがて社会党を創立するなど、資本主義の牙城をおびやかす重要人物となっていった。
これが今世紀初頭のフランスであった。その当時、資本主義の牙城に君臨していたのは誰であったか。ロスチャイルド家は、ゲードを放任したのであろうか。
マルクスが一八四三年に発表した論文は「ユダヤ人問題」だったが、この頃からヨーロッパ全土に再燃しはじめたのがユダヤ人問題で、P424特に前世紀末から今世紀初頭にかけてフランス政界を揺るがした最大の社会問題は、ロスチャイルド家に深くかかわるユダヤ人の冤罪事件--ドレフュス事件--であった。
(略)革命家マルクス・ファミリーは、こうして自らの参謀を軍国主義者に提供することになり、この時代から早くも、社会主義者の内部では暴力的な部分が資本主義者に密通するという今日の構造が誕生してしまった。
問題は、この家系図から、現代のミッテラン大統領の側近ジョルジュ・キージマンが誕生し、その人物が現代においてカンヌ映画祭の陰の支配者となったこと、そしてミッテランの前任者ジスカールデスタン大統領本人がが誕生したことにあった。
そしてこの系図に欠かせないのが、本書の主人公ロスチャイルド家の存在である。この系図は、社会主義者と資本主義者が交配するという興味深い図を描き、その中心に兵器が存在する。
その両者が闘争を繰り返した目的は何であったのか。“ル・モンド”紙に倣って、さらに深く歴史を正視してみる。
フランスが日本人の戦争犯罪を非難したのは正当なことである。では、核実験場はなぜ現代でも、フランス領ポリネシアにあるのか。フランス人は現代でも重大な犯罪に走り、狡猾なジャーナリズムの筆でその“植民地における人権侵害”を隠し続けてきたのである。
しかし、その犯人はフランス人すべてであろうか、という疑問がある。むしろフランスを支配するひと握りの人間集団であるという可能性が高い。
“ル・モンド”は高級紙と称しているが、優雅さを振舞っているこの赤新聞の創刊者ブーヴ=メリーは、フランス政府の資金で運営されてきた通信社AFPの理事をつとめ、外電記事にも圧力を加えてきた。
そのブーヴ=メリーが右腕としていた編集者ジャン=ジャック・セルヴァン=シュレーベルは、背ビレ四枚ジェームズ・ゴールドスミス一家の重鎮つまりロスチャイルド家の一員であった。
したがって、『黒い雨』を攻撃した“ロ・モンド”は“赤い盾”だったのである(„フランスの核実験と黒い雨”の図参照)。
(略)
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