2022年6月2日木曜日

偏愛メモ 『赤い盾』3.14 スイス銀行の金庫 P931-963(随時更新)

3.14 スイス銀行の金庫 P931-963
P932 第二次世界大戦の末期から終戦後にかけて、ナチスの残党とドイツ人を徹底的に潰そうという決意を固めたユダヤ人の財務長官モルゲンソーJrの指令によって、スイス銀行に乗り込んだアンタッチャブルは、しかしゲシュタボのように証拠をつかむことさえできなかった。すでに制定されていたスイス銀行法が、ナチスの犯罪者の預金を完全に秘匿してしまったのである。ここに最大の謎が生まれる。ユダヤ人モルゲンソーは、ロスチャイルド一族の代表者だったからである。

スイスの銀行を動かしているのは、ロスチャイルド家ではない。大戦後のこの重大な国際的事件を見る限り、そのように判断せざるを得ない。ロスチャイルド家にも帳簿を見せないのであるから、期待したようにスイスの山あいに"赤い盾"の財産が隠されていることはない。その後建国されたイスラエルは「アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の財産を返せ」とスイス政府に迫ったが、これもわずかに名前の分かっていた人たちの分がイスラエルに送金されただけで、あとは銀行が貝のように口を閉ざしてしまい、巨富がスイスに残されたことは誰の目にも明らかであった。

この経過を見ればユダヤ王ロスチャイルドでさえ手の届かぬ世界、それがスイスの銀行であることは、ますますはっきりしてくる。しかしそれでは、これまで証明してきたものは何であったのだろう。大戦後に起こったこの経過は、世に流布しているユダヤ人陰謀説を崩す事実であっても、本書が示した系図と符合するのである。ロスチャイルドが組みあげた閨閥が、決してユダヤ財閥ではなかったという事実に戻る必要がある。

次のように仮定してみよう。モルゲンソーはアメリカ財務省を動かし、イスラエルを建国するための資金をスイスから捻出しようと最大の努力を払った。事実、イスラエル独立債権発行会議の議長として、精力的に活動したモルゲンソーである。ドイツに対する怒りは、戦後のドイツを農業国にせよ、というモルゲンソー計画となって表れた。しかしそれがロスチャイルド家にとって本当に賢明な策であるかどうかは、別の問題であった。

戦後の経過は、全世界がユダヤ人国家を認めようという同情的な空気のなかで流動し、ドイツ国内の財産も次々に我が一族が押さえてゆくなかで、P933スイスの銀行法をここで一度でも犯す前例をつくってしまえば、一体その財務省の調査から何が暴き出されただろう。ナチス残党の財産よりはるかに巨額の不正資産が、むしろ身内のなかから暴露されることは必至だったのである。(略)アメリカにいてその事実を知らなかったモルゲンソーの計画は、ヨーロッパのロスチャイルド家から一考を迫られ、やがて引っ込めることとなった。むしろスイス銀行法によって守られる自分たちの隠し財産のほうが、アウシュビッツに消えた同胞の資産より貴重であり、はるかに高額であった。

  それ以上に、もしスイスの金庫をロスチャイルド家が握っているなら、一時的な資金を国際外交のなかでスイスという得体のしれない国家からイスラエルに送金するより、自分の懐からイスラエルに送ったほうがユダヤ人から深く感謝されるに違いなかった。(略)スイスが貧乏人や正義のためにある、というイメージは、美しいアルプスのバンカーにとっては恐怖すべきことであった。ほとんどの善人は金を貯める能力あるいは気力がない、その逆も真なりで、金を貯められないので善人と誤解される。(略)

あらゆる国家が犯罪をおかしている状態で、脱税は何ら罪ではなく、むしろ美徳である。しかし法律上それが犯罪であれば、富豪たちはスイスに目を向ける。(略)ただし。ロスチャイルド家がスイスの銀行を支配しているというのは、たんなる仮説である。(略)

P938 ウィリアム・テルと代官ゲスラーで知られるスイスであるから、これはもっともな話だ。しかし悪い奴はいつの時代にもいるもので、ドイツ南部のヘッセン伯は自分のところで兵隊を鍛えあげると、それをそちこちの戦争に貸しつける商売を軌道に乗せ、ボロ儲けしたのである。ヘッセン伯がこの悪どい商売をヨーロッパ全土に広げたとき、手先として使った男をマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドといった。(略)(tw,tw,tw)

こうしてドイツ・バイエルン地方は肉弾の市場となり、これを目の前に眺めていたスイスの小さな町チューリッヒでは、軍人や商人を兼ねる奇怪な勢力が台頭してきた。なかでも大きな富を築いたのがエッシャー一族で、チューリッヒ湖にエッシャー運河を建設するなど、建設、機械、政治、商業とあらゆる世界をひとり占めしてしまった。チューリッヒという山あいの町がそれほど小さかったのが十九世紀初頭である。

いよいよわれらのネイサンがロンドンに乗り込もうというこの時代、スイスでは、古くからの士族がそれぞれの小国を築きあげていた。このエッシャー一族の謎を解くことができれば、今日のスイスの暗闇をほとんど照らし出すことが可能であろう。

ハンス・コンラッド・エッシャーが運河を建設し、ハンス・カスパール・エッシャーが建設機械の「エッシャー・ウィス(Escher Wyss)」を創業し、アルフレッドエッシャーがスイス三大銀行のひとつ「クレディ・スイス」を設立し、ヴィルヘルム・カスパール・エッシャーがその頭取として「ネッスル」の合併を取り仕切った(参照)。しかもこの四人が一族であると書物に記録されている。最近では、金融王国チューリッヒ市長の座に、やはり一族のアルフレッド・マルティン・エッシャーが就任している。

スイス三大銀行と呼ばれるのは、クレディ・スイス、スイス・ユニオン銀行、スイス銀行である。このほかに、中央銀行としてのスイス国立銀行があり、全世界の中央銀行の頂点に立つ銀行として、P939通称バーゼル・クラブと呼ばれる国際決済銀行がある。しかしこれらの巨大銀行のほかに、スイスの銀行群をつくっているのは個人銀行である。その数は数千軒と言われるが、ピクテ銀行、ロンパール銀行、オディエ銀行、ラロシュ銀行、サラジン銀行と、果てしない。(略)

この有数の銀行家が、人口の比率では二百分の一という少数の人間の手のなかに全スイスの資産を半分握ってしまい、わずか人口の一割が全不動産の八割を所有する貧富の差を生み出しながら、三大銀行や国立銀行、バーゼル・クラブを動かしてきたのである。時計と兵隊派遣料によって築かれた財産が、これらのスイス銀行群を誕生させ、一八一五年のウィーン会議で永世中立国が認められて以来、その中立による安全性が世界中から富を集め、その富の銀行家を吸い寄せることになった。

そしてナポレオンがフランス銀行を創設したとき、ここチューリッヒの銀行家オッタンゲルやドレッセールを招いたため、二百家族には今日までスイス系の人材がかなり含まれてきた。しかもその多くのスイス人がもともとフランスから逃げてきた人間であったため、スイスの銀行家にはフランス系がかなり含まれている。つまりスイスもフランスもない。ここにあるのはスイス・フランという札束である。

二百。家族が登場すれば、スイスの人脈についておよその察しがつくであろう。この小さな銀行群が真に力を発揮し始めたのは、永世中立を宣言してからほぼ三十年後、一八四八年にスイス連邦という国家が成立してからであった。この時から、産業界と金融界が激動し始めた。ロスチャイルド家がすでに、金融王ネイサンの死後十二年を経過し、ヨーロッパの王者となっていた時代であるが、フランス銀行が札束を独占した年であった。

前述のチューリッヒの士族エッシャーは、フランスの鉄道王ジェームズに倣ってスイスに鉄道網を張りめぐらそうと壮大な計画を打ち出した。一族の機械建設会社エッシャー・ウィスにとっても、莫大な利益が見込める事業だったからである。ドイツバイエルン地方からセリグマン家が、そしてこのスイスからグッゲンハイム家が、いずれも新天地を目ざして旅立ち、やがてヨーロッパとアメリカを結ぶロスチャイルド家の鉱山王国を築きあげたのがちょうどこの時代であった。

鉱山王グッゲンハイム家は、アメリカに渡っただけでなく、スイスにも残っていたのである。スイスのユダヤ人は、十四世紀から姿を見せはじめたとされているが、やはりゲットーにとじこめられ、一七七六年まで主に家畜商として生計を立てていたが、このあと自宅を拡大する許可をP940与えられ、ナポレオンの登場によってようやく人間として認められる時代を迎えた。そうしたまだ数少ない山地のユダヤ人のなかに、ユダヤ教の伝道師ヤコブ・グッゲンハイムが台頭し、四人息子のひとりイサクが金貸し業者として巨財を成していった。

一帯では彼のことを"村の財務長官"と呼ぶようになり、やがて強大な金融勢力となってメンデルスゾーン家と結ばれ、イサクの孫シモンが渡米して鉱山王を生み出したのであった。スイスに残った一族はこうして知られざる支配者として君臨してきた。

オーストリアに近い東部スイスの鉄道は、ロスチャイルド家によって統合され、ユナイテッド・スイス鉄道となった。またドイツとフランスとスイスの三角点バーゼルを中心とするスイス中央鉄道は、ロスチャイルド家の北部鉄道が支配する縄張りであった。

エッシャーが自ら建設しようとしたスイス北部鉄道は、資金を調達するための事業銀行を設立しなければなくなり、ここにスイス史上の一大転換点となる「クレディ・スイス」が創設されることになった。

その資金は、最終的にはエッシャー家と一般の投資家とドイツからの借り入れによってまかなうことになったが、実に五〇パーセントの資金を投入したのが「ドイツ・クレディタンシュタルト」であった。

このドイツ銀行は、クレディ・スイスを設立するために創設されたのであり、実質的にはロスチャイルドがこの時点でエッシャー家を完全に支配してしまった。一般の投資家が株の売り出しに殺到したが、その正体も、のちに証明するように多くがフランス二百家族につながる銀行家だったのである。

スイスの人脈を調べて驚くのは、異常なほどの近親結婚である。勿論、上流社会の話である。古くからスイス貴族は、ロスチャイルドが出現するはるか以前の一六○○年代からこの時代にかけて、何重にも織りあげたファミリー・カーペットのうえで生きてきた。

一八五六年にクレディ・スイスが設立されて大成功を収めると、続いて六二年にチューリッヒの北東、ドイツ・バイエルン国境近くのウィンタートゥールにも銀行が設立され、これが一九一二年にスイス・ユニオン銀行となった。

一八七二年には、これらと少し違う形でバーゼル銀行が設立され、のちにスイス銀行となった。違う形というのは、バーゼルが化学や製薬、絹織物の重要な中心地になったため、時計産業とは別の資本がこちらに集まってきたのである。

のちにバーゼル・トラストと呼ばれる全スイスの化学・製薬業を独占するチバ、ガイギー、サンド、そしてホフマン・ラロシュが十九世紀末を迎えて一斉にこの分野で花開いた。

現代スイスで最大の富豪と言われるのが、ホフマン・ラロシュ二代目の未亡人マヤである。彼女の再婚相手はバーゼル室内管弦楽団の設立者で、指揮者でもあるパウル・ザッハー。

ホフマン一族が、スイス国立銀行の総裁アルフレッド・サラジン。P941一体、ロスチャイルド家がどこにいるのかと思うほど、スイスの歴史のどこを調べても書物には現れてこないが、以上の産業界と金融界を一筆描き示した図(系図84(12))を見てみよう。

この図が“マネー・ロンダリングを引き受けるスイス銀行の秘密口座”である。図の全体は、下の部分に、一九九〇年代を迎えた現代のメカニズムを示し、それ以外の部分は十七世紀から築かれてきたひとつの閨閥を表している。

この大きな図が一家族である。この上流社会は、見た通り系図の上部にあるヨーロッパのトンネル--映画『上流社会』の主演グレース・ケリー(tw)が嫁いだモナコ王室とリヒテンシュタイン王室--からはじまっている。
『上流社会』1956(米)
スイスの個人銀行としては、とくに有名なピクテ、ロンバール、オディエ、サラジン、オッタンゲルだけの名前を挙げてあるが、実際にはここに登場するスイス人の姓がすべて銀行名である。オッタンゲルは、フランス銀行を創立したメンバーのひとりとして有名だが、フランスではジャン・コンラッド・オッタンゲルとして知られ、スイスではハンス・コンラート・ホッティンガーとして知られてきた。

これは同一人物だが、国境を越えると名前のハンスがジャンに変わり、姓の読み方も変わるので注意が必要になる。本書の系図では、オッタンゲルの姓をHottingerとして示したが、Hottinguerとも書く。

一目瞭然、スイスの銀行王と鉄道王、化学・製薬産業の支配者、建設・機械・金属、ネッスルなどを動かしてきた要人がすべて、同じファミリーだったのである。

この構造はロスチャイルド家が登場するはるか以前から組みあげられていた。図中に“一族”として詳細な系譜を示さなかった部分は、紙面の制約によるものである。一例だけを「個人銀行ピクテ」にくわしく示したが、この図の左端はすでに一五〇〇年代に達している。

したがって、この系譜全体の追跡には、読者が想像できないほどの苦難を伴ったわけである。ゲシュタポとアメリカ財務省がしっかりした調査結果を残しておけば、スイスを謎の国と考えずにすんだものを、彼らは金を奪い取るという目先の欲望だけにとらわれていたため、このメカニズムを暴くことも、自らの目的を達することもできなかった。

しかし系図をよく考えれば、財務長官モルゲンソーの祖母がグッゲンハイム家のパペットであったから、スイスの一族が調査される危険性があり、待ったをかけた可能性のほうが大きい。

この図で最も重要なことは、ナポレオンと戦ったあの有名な女流作家スタール夫人の父親が、スイスからパリに出て銀行家となり、フランスの大蔵大臣になった一事に代表されるように、、スイス人が全世界に出て行って十九世紀を動かした知られざる一面である。

よく見れば、イングランド銀行の理事になって大英帝国を動かした男も登場する。この一族がのちにインドシナ銀行の創立メンバーとなり、あるいはカナダ総督まで生みだしたプレヴォ家であった。

P946ところがそこにロスチャイルドという奇怪な一族が現れると、あっという言う間に親類縁者の契りを結び、言葉巧みにもちかけて、四ヵ国で包囲しながらスイス全体を懐に取り込んでしまった。

その発端となったクレディ・スイスの創立から現代に至るまでは、およそ次のように推移した。クレディ・スイスの正式名はスイス・クレディタンシュタルト、すなわちスイスのロスチャイルド財閥で、これが機械や建設のエッシャー・ウィスを大きく育てあげた。

スイスの近代史でエッシャーは最重要人物だったが、途中からフランスの二百家族と結婚を繰り返したジュネーブの個人銀行財閥が、次第にその経営権をエッシャー家から奪ってしまい、ここにドイツの工業家AEGのラーテナウが進出してきた。ユダヤ人として暗殺されたラーテナウ外相のファミリーである。

彼らはスイスの職人に莫大な投資をおこない、ブラウン・ボヴェリという世界有数の重電機メーカーを誕生させ、一方で、クルップに対抗する兵器メーカーとしてエリコン・ビューレを強大な産業に育てあげた。

つまり資本の出発点はすべてエッシャー・ウィスにあり、これを乗っ取ったところにから、“ロスチャイルド家のスイス”が見えない閨閥のなかに誕生した。

フランスの“フリーメーソン(相互参照(1,2,3))”ジャピー家は、時計職人として出発しこの一族ケクランが、スイス化学染料の雄ガイギー家と結婚してケクラン=ガイギーという鉄道王を生み出したが、ジャピー家はフランスの二百家族だったのである。

そのためバーゼル・トラストが結成された一九一八年には、ロスチャイルドがヨーロッパの大製薬コンツェルンを背後で操ることになった。しかしユダヤ人としてのロスチャイルド家はここで大失敗を犯した(tw)。

このバーゼル・トラストがユダヤ財閥ではなかったからである。バーゼル・トラストはドイツのIGファルベンと二重カルテルを結び、続いてフランスの化学業界、さらにはロスチャイルド家の化学総本山ICI(インペリアル・ケミカル)とも、三重、四重の秘密カルテルを結んで、全ヨーロッパの価格操作をおこなう事態になった。

その結果、バーゼルが“ナチスのIGファルベン”に力を貸し、悲惨な時代に突入したのである。バーゼルは、第一回の世界シオニスト会議を前世紀末、一八九七年に開催した土地であった。

しかしドレフュス事件に端を発した深刻なユダヤ人問題も、スイスでは金銭勘定が優先してナチスとの同盟が黙認されてしまい、バーゼル・トラストは大戦後の一九五一年まで続いた。

戦後は、アメリカのマーシャル・プランによってヨーロッパの再建が進められ、アメリカ・ドルが大量に送りこまれた。しかし廃墟となったドイツにアメリカと共に莫大な資金を送り込んだのが、このスイスであった。

P947その額はマーシャル・プランをしのぐものであったという。一体、それは誰の金であったか。

“スイス銀行の秘密口座”の図の現代メカニズムを見れば、ほとんどの大会社をおさえてきたのが、クレディ・スイスの会長ライナー・エミル・グートである。グートは「ラザール・フレール」のパートナーからこの席に移り、ダイムラー・ベンツというドイツ最大企業の重役となっていた。

戦後のドイツ再建にスイスが果たした貢献を証拠づける役職だが、クレディ・スイスの投資分が株券の大量保有につながったわけである。彼が重役となったのは、このほかに独裁者の金塊を運ぶ「スイス航空」、食品産業で世界第二位の「ネッスル」、アルミニウムの生産で世界トップ・クラスのアルミニウム・スイス(現社名「アルスイス」)、巨大製薬会社「チバ・ガイギー」、原子炉メーカーの「スルザー・ブラザーズ」などであった。

しかもこのクレディ・スイスが、保険会社のための保険会社としてはロイズをしのぐ世界最大の「スイス再保険」を設立し、「ブラウン・ボヴェリ」、「エリコン・ビューレ」の設立時に多額の投資をしてきた。

スイス三大銀行のなかで資産は第三位だが、産業を支配するマーチャント・バンカーとして、スイスを動かす実力は断然トップの座を占めてきた。

フランスが原子力発電に走りはじめた時、ラザール・フレール傘下のエレクトロ・メカニック社に原子炉のライセンスを売ったのが「ブラウン・ボヴェリ」であった。クレディ・スイスはまぎれもなく、創業から今日まで“赤い盾”のバンカーである。

このような銀行群に動かされるスイスという国家の存在価値は、ロスチャイルド財閥にとって次のようなこところにあった。わが国は中立である、とスイス人は言う。これは犯罪に対しても無関心であることを意味する。

こうして富豪のための脱税天国スイスが誕生し、全世界から華やかな毛皮に身を包んだ芸能人がやってくることになった。全世界から銀行家がやってくることになった。全世界から兵器商人がやってくることになった。そして、ロスチャイルド家がやってくることになった。

イギリスでは、ピーター・ユスティノフとデボラ・カーがスイスに渡って財産を守った。この両人は映画『クォ・ヴァディス』の主演者だが、クォ・ヴァディスとは「いずこへ行く」という意味だ。答えは、「われらスイス銀行へ」というのがあの聖なる映画の落ちだったのである。

チャップリンがアメリカを追われて住みついたのがスイス。『おしゃれ泥棒』のオードリー・ヘップバーン、『ファウスト--悪のたのしみ』のリチャード・バートン、勿論、エリザベス・テイラーにソフィア・ローレンなど、みなスイスに居住権を獲得してうまくやってきた。このような話は大変に結構なことである。

P948ただし読者がスイスの銀行に口座をもうけても、彼らのように得をするわけではない。定期預金の利率がアメリカや日本よりはるかに低く、年率わずか一~二パーセントであるから、潔癖を売り物にしながら隠し財産を持つ政治家や独裁者、王室、あるいは独占の実態を知られたくない資産家、そして芸能人のように一時的な人気でかせいだ収入をそっくり税金で持っていかれる人種が、スイスを熱愛する。

スキー場は世界中どこにでもあるが、彼らにはマッターホルンの白い峰がたまらない魅力となり、ツェルマットの町に可愛い別荘を建ててしまう。カリブ海にある地球のトンネルに郵便の私書箱をもうけて、スイスの銀行と交信するのがアメリカ人や独裁者の手口だが、ヨーロッパの富豪はリヒテンシュタインかモナコにトンネルを持つ場合が多い。あとはスイスの銀行が預金した本人や代理人以外を一切相手にしないため、外国の政府や警察が調べることも不可能となって、脱税が成立する。

ロスチャイルド家の目的は、しかしただの富豪とは違うようである。自分の財産をスイスに隠しながら、同時に他人の財産をスイスで調べる、これこそが彼らの支配力の根源にあった。ロスチャイルド家のファミリーがスイスのほとんどの銀行で幹部化経営者の立場にあって、帳簿を調べることができる。

そこで調べあげた富豪の邸宅へ、さきほどの系図に示した個人銀行家が訪れ、秘密口座をいくつもにも分けておいたほうが安全であることを示唆し、次々と安い利息で金を吸いあげ、ほかへ高利貸しするわけである。

ことに犯罪者の金ほど扱いやすいものはない。事実一九八八年、総額二十七億スイス・フラン(一フラン九六円としておよそ二千六百億円)もの麻薬資金がスイスの大手銀行で洗濯されたことが発覚し、捜査がはじまった。

ところがその時の司法大臣と警察大臣をつとめていたエリザベート・コップが、この捜査内容を急いで夫のハンスに電話で伝えてしまった。実はハンス・コップの金融会社がチューリッヒに本社を構え、ここを経由して洗濯がおこなわれた疑いが濃厚だったからである。

コップ家はクレディ・スイスに重役を送り込んでいる銀行ファミリーであった。

エリザベート・コップはスイスで初めて女性閣僚となったが、続いて大統領になることが九九パーセント確定していた。こともあろうにその人物が、警察を動かし、犯罪者に入れ知恵したのであるから、閣僚辞任から裁判へと事態は進展した。

問題はその結果である。事実すべて認められながら、財版でコップは無罪になり、スイスの大銀行の疑惑などは話題にもならずに消えてしまったのである。

エリザベート・コップの旧姓はイクレというが、珍しい名前である。アメリカでレーガン政権時代にペンタゴンの№3とされた国防次官がフレッド・チャールズ・イクレ--この男はスイス生まれであった。

P949一九八〇年代に事実上の最高指揮官として全米の軍需産業を活性化させ、それがイラン・コントラ武器密輸事件をひき起す土壌になった。そのときCIAの秘密口座がクレディ・スイスに作られた経過を思い起こせば、とても無関係とは考えられない。

残念ながらイクレ家の系譜はどこにも見当たらないが、第二次大戦後にスイス連邦の金融局の№1の座にあったマックス・イクレは商人ファミリーで、おそらくこの一族にはかなりの物語が隠されていると思われる。いずれスイス現地の図書館を調べてみるつもりである。

このように最高裁判所から銀行まで国家ぐるみでマフィアの犯罪を動かし、世界の兵器商と取引しているスイスの国際的な作業は、日本における国家ぐるみの犯罪とは違って、表面からは見えない。彼らはトンネル堀の名人である。

実際、現代スイスのトップ・クラスの富豪として“フォーチュン”や“フォーブス”に挙げられるシュミットハイニー一族は、スイス山中のトンネル堀の土建業で身を起こし、エッシャー・ウィスの利権を貰って以来、いまやブラウン・ボヴェリ、スイス・ユニオン銀行、スイス航空からドイツのライカ・カメラまで支配するようになった。

サン・ゴタール鉄道がトンネルによって開通し、今日の金融帝国チューリッヒが誕生したのであるから、もともとがプロフェッショナルのトンネル堀だ。それでシュミットハイニー家の巨大セメント会社は、ホルダーバンクという。

名前からみて、持ち株会社の銀行かと思うと、これが土建業者なのである。スイス人はカフェの片隅でこともなげに百万フランの取引きを片付けてしまう。ヨーデルが聞こえ、スシャール・チョコレートのミルカが全世界に売り出され、ネッスルのコーヒーが至るところで飲まれている。スキー場は華やかな映画スターの邸宅と隣り合わせである。

名画『第三の男』で、オーソンウェルズは次のようにスイスを皮肉った。「イタリアでは、ボルジア家の圧政のなかからレオナルド・ダヴィンチの芸術が生まれた(は言い過ぎ、『ルネサンスとは何であったか』(参照))。・・・スイスではどうだ。同胞愛だ。五百年の平和とデモクラシーだ。そして何が生まれたか。鳩時計だけだ」全世界がスイスに抱くおよそのイメージは、ことのようなところであろう。

スイスに関するどの本を手にしても、主題は銀行、チョコレート、ネッスル、アルプス、脱税天国、時計、そしてもう少し歩を進めれば、チバ・ガイギー、ホフマンロシュ、サンドという世界有数の化学・製薬業界が見えてくる。

ところが不思議なことに、誰がそれを動かしているかについて書かれたものは一切ない

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エッシャー・ウィスつながり)グレイト・リセットを提唱する富豪の正体
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