P869 ドイツに戦車を進めたこの連合軍は、実質的には共産主義のソ連と、自由主義のアメリカ、イギリス、フランスの四か国であったが、自由主義の側で最大の力を持っていたのが、ヨーロッパの救世主アメリカであった。それで、戦後ドイツの占領政策を支配したのはアメカspanであった、という印象が強い。しかしそのアメリカ人のなかで、ドイツの占領政策に最大の発言力を持っていたのは、"ユダヤ人"の財務長官ヘンリー・モルゲンソーJrだったのである。「ドイツの財閥を完全に解体し、農業国家にせよ」モルゲンソーのこの案は、すでに戦争が終わる前の一九四三年に打ち出されたものであったが、その後、あまりに非現実的であったため四八年に正式に破棄されるまで、モルゲンソーのドイツ徹底分割案が連合軍の指針となってすべてが動いた
現在一九九〇年代に、ニューヨーク証券取引所の犯罪を裁くマンハッタン地方裁判所で検事をつとめているロバートモルゲンソーがその息子であり、ニューヨークでイスラエル国債を管理して中東戦争を指導してきた。ナチスの犯罪によって最大の被害を受けたユダヤ人が、ドイツの戦後処理に当たったのは当然の経過であった。わが国の毛戦後処理に当たってはアメリカ人が占領軍となり、被害者である中国、朝鮮、アジア諸国の人たちが口を挟むことさえできなかった歴史と、決定的な違いがここにあった。日本はドイツ以上に分断されてしかるべき戦争犯罪を、アメリカ人によって赦免されるといういい加減な歴史をたどったため、今日までアジアのなかで国際的な意識の低さを招いてしまったが、実は、もっとはるかに厳しい戦後が訪れるべきであった。それがアジアの人たちの変わらぬ心境である。
これに対してドイツでは、ヨーロッパ全土のユダヤ人が起ちあがって、ナチスの残党を壊滅させるための政策が打ち出された。その指揮者モルゲンソーが、祖母に鉱山王グッゲンハイム家のパペットを持つロスチャイルド一族であったのは、歴史の宿命でもあったろう。結果として、戦犯の処刑以上に重要な作業として、そのときドイツ工業界および金融界に握られていた株券を吐き出させる処分が、あらゆる大企業に対して強制的におこなわれるところまで計画が進められていった。
P870 ところがナチスの犯罪者に株券を放棄させるには、ジーメンス、AEG、IGファルベンなどを動かしてきた大株主が、ニュルンベルク裁判によって"戦犯"と認定されるまで待たなければならなかったのである。ユダヤ人の壁がここにあった。しかも今日の誰もがアウシュヴィッツの悲劇を知るほどには、全世界がナチスの犯罪をまだ充分に知らされていなかった戦後の混乱期に、自らも打ちのめされていたユダヤ人がドイツで直ちに力を取り戻し、ドイツ工業界を動かすまでにはあまりにも道が遠かった。そのため、クルップは第一級戦犯として牢獄にぶち込まれたが、そのほかの実業家の多くは"自由主義の西ドイツ"でほとんど無傷で生き残ることになってしまった。なかった。ナチスの戦争犯罪は、ヨーロッパでも多くの場合に放免されたのである。
この動きを目にしたロスチャイルド家は、しばらくして状況をつかむと、大がかりな反撃に着手した。一九四八年、モルゲンソーのドイツ解体政策を引っ込める代わりに、イスラエルの建国による正式な戦争賠償への一歩を踏み出していった。そしてこの年、フランクフルトに戦後史上、最も重要な機関が誕生した。それは銀行であった。戦後の西ドイツ経済と政治を動かしたほとんどの要人が、歴史上ほとんど語られたことのないこの銀行に集まっていたのである。(略)
その謎の銀行は、日本語に訳すと「戦後の再建のための信用銀行」(ドイツ語で(省略))という看板をかかげていた。わが国では復興金融公庫という無味乾燥な名前で訳されてきたが、本書では、原語を使って「再建クレディタンシュタルト」と呼ぶことにする。クレディタンシュタルト、その名前はロスチャイルド家がウィーンに設立し、第二次大戦前に恐慌の引き金を引いたあのハプスブルク帝国の大銀行と同じものであった。新生ドイツのなかで、"フォーチュン'90"などにランクされる今日の大企業は、第二次大戦前と何も変わっていない。しかし、そこにランクされていない重要な会社を調べてみると、この「再建クレディタンシュタルト」のほかに「アリアンツ保険」と「ドイツ・シェル」という名前があることに気づく。しかもそこにドイツの要人が大量に加わっていた。これらの名前は、ナチス帝国の響きではなく、ロスチャイルド財閥をただちに連想させるものだ。次のように並記するとわかりやすい。上が新生ドイツの会社、下がロスチャイルド財閥の会社である。
(上)再建クレディタンシュタルト---(下)クレディタンシュタルト[ウィーン]
(上)アリアンツ保険---(下)アライアンス保険[ロンドン]
(上)ドイツ・シェル---(下)シェル[ロンドン]
P871 この関係を象徴的に示す人間を何人か選び、ドイツとロスチャイルド財閥を図解したのが、次頁の"新生ドイツの金融総本山"の図である。左側に、ドイツ銀行、ダイムラー・ベンツ、クルップ、ザルツギッターと、いまの上段三社を"新生ドイツ"の代表として示す。これに対して、右側にあってそこにつながっているのは本書の主役モルガン・グレンフェル、フィアット、アマルガメーテッド・メタルと、いまの下段三社、いずれも"赤い盾"の代表である。この簡単な図が、今日のイラクのクウェート侵攻について多くの謎を解く貴重な図になる。歴史の扉はここから開かれる。
一九八九年にドイツ銀行がロンドンの投資銀行モルガン・グレンフェルを買収し、ヨーロッパ金融界に大きな驚きを与えたが、ロスチャイルド家にとっては予定の行動であった。東ヨーロッパに激動が起こる前にすでに組み立てられていたこの図のメカニズムを知れば、ロスチャイルド家の威力には頭が下がる。戦後の西ドイツを復興したのはドイツ人であった。しかしこの国の経済の半分を支配するといわれる巨大な鷲「ドイツ銀行」の背後には、西ドイツの国家が成立する前年に誕生していた「再建クレディタンシュタルト」があり、そこに「ドイツ・シェル」が食い込んでいたのである。またドイツ銀行に対しては、フィアットのアニェリやモルガン・グレンフェルの会長が支配する「アリアンツ保険」が、重要な鍵を握って入り込んでいた。
アリアンツ保険は、ロイズに比べて知名度は低いが、ヨーロッパの保険会社でロイズに次ぐ第二位の座を占め、しかも保険料収入は両社で大差はないという、実は知られざる巨大保険会社である。その親会社「アリアンツ・ホールディング」は、金融会社として一九九〇年の資産が世界第六位にランクされた。野村証券の二倍を超える額である。勿論この図は"ひとつの切れない関係"を示すための最小必要人数だけを示したもので、関係者をすべて書き入れてゆくと方眼紙のようにぎっしりと蜘蛛の巣状の絵ができてしまう。(略)
P873 "フォーチュン'90"にランクされた西ドイツの企業番付と銀行番付を紹介しておこう。これが東ドイツを呑み込んだ統一ドイツの帝王たちである。(略)いくつかの馴染みのない社名もあるかもしれないが、ほとんどは戦前のナチス時代がそっくり甦ったものであった。旧財閥の復活は、わが国より早くおこなわれ、重工業として造船や機械プラントを手がける鉄鋼王がみな復活してきたのである。"鉄のドイツ"をしのぐ自動車が一位と二位を占めるようになったのは戦前・戦後の大きな変化だが、アウシュヴィッツの強制収容所を経営した世界最大の化学コンツェルン「IGファルベン」が解体されても、戦後は元通りのBASF(バディッシュ・アニリン・ソーダ製造会社)、ヘキスト、バイエルの三社として甦り、これが四位、五位、六位にある。現在でもやはり世界最大の化学工業をドイツが握っていることになる。
一九九〇年には、この三社が出資して新会社を設立し、P874 IGファルベン復活の日を迎えたが、アメリカのデュポンでさえ、この三社を合わせた力には到底及ばない。鉄鋼王テュッセンは、今日もヨーロッパ最大の鉄鋼メーカーであり、世界的にUSX(旧USスチール)、新日鉄と並ぶ三大メーカーの座にある。(略)
終戦直後のドイツ人は、ドイツ人であるというだけで犯罪者とみられたので、実際の投資事業や資金集めには、そこに恩情をかける外国の投資銀行の力を借りなければならなかった。ロスチャイルドをはじめとするユダヤ人にとっても、ドイツの工業を再興させ、新生国家イスラエルに戦争賠償金を支払わせる方が賢明であることは明らかであり、ナチズムを復活させないという言質のもとに、協力態勢を組んでいったのである。しかも東西対立と旧都ベルリンの分裂後は、西ドイツの再建がソ連に対するヨーロッパの防壁として急がれ、戦犯であるはずの事業家にほとんど株券が戻されてしまった。連合国が分裂したため、ドイツを裁く者が公式には存在しなくなってしまったからである。
ユダヤ人に対する賠償は、一九五一年三月十三日にイスラエルが被害を六十二億マルクと算定したが、翌年八月二十八日に両者がきわめて冷たい空気のなかで合意に達したのは、その半分以下の三十億マルクを十年にわたって支払うという条件で、イスラエル・西ドイツのあいだに調印がおこなわれた。そして翌月に、両国の国交が"正常化"したのである。実はこれと並行して、一九五一年初めに西ドイツのランツブルク刑務所から大量の戦犯が釈放され、四月三日に造船についての統制が撤廃されることになった。朝鮮半島に戦火が燃えあがり、急いでドイツ人の力を利用しようとするアメリカ・イギリス・フランスの軍需産業が、ドイツに造船を許す記念すべき日であった。
この日から喜びに沸くドイツの工業界は活気を取り戻し、一方ではイスラエルとの交渉を進めながら、一方ではアラブに接近する方向に歩んでいた。ここにヒットラーのドイツ国立銀行総裁であったヤルマール・シャハトが復活し、戦後のドイツを復興させるためにアラブ諸国に協力を求める作業に入っていた。勿論、取引の目的は石油であった。代わりに、アラブにタンカーをドイツが提供するというのだ。そしてシャハトと組んでこの仕事を実際におこなったのが、前述のようにほかならぬ一匹狼の海運王アリストテレス・ソクラテス・オナシス。ドイツ人とアラブ人にとって、オナシスは神のような存在となった。
かつてのヒットラーの屋台骨となった鉄鋼と兵器の王者クルップとテュッセンが、この造船業の解禁によって一挙に息を吹き返した。一体ロスチャイルドは、このようにドイツがアラブに接近する経過をなぜ黙認していたのであろうか。実は黙認していたどころではなかった。すでに述べたように、オナシスの船が運んだのは、ロスチャイルドの貝ガラ印シェルやチャーチル支配下のBPのためだったのである。結局はオナシスもアラブもシャハト、テュッセン、クルップも、みなロスチャイルドの手のなかでアラブの石油を「ドイツ・シェル」のために運びはじめたのである。さきほどの簡単な"新生ドイツの金融総本山"の図に、ドイツシェルの重役ギュンター・ザスマンスハウゼンという聞きなれない人物が描かれていた。これは現代のロスチャイルドの代理人だが、再建クレディタンシュタルトの重役でもあった。イラクのフセイン大統領に毒ガスを輸出した西ドイツの化学品メーカー「プロイサグ」の会長こそ、このシェルのザスマンスハウゼンであった。
P876 一九九〇年に中東で仕組まれた愚かな戦争の実態がここにあった。
(略)
(P926-)
P928これまで系図を示さなかった詩人ハインリッヒ・ハイネ、社会主義者の父カール・マルクス、ヨーロッパ最大の電機メーカー「フィリップス」(相互参照(1、2))の創業者アントン・フィリップス、この三人のユダヤ人は、無数の姻戚関係によってフランクフルトのロスチャイルド家と閨閥をつくるひとつのファミリーであったことが明らかになる。
ここではそれをゴールドシュミット家との結びつきによって示すが、“フランス社会主義のセックスと嘘とビデオテープ”(系図37)のマルクス家は、『資本論』の原点が当初からロスチャイルド家にあったのである。
ソ連の共産主義の崩壊、それは共産党官僚機構の崩壊にすぎないものであって、これからのロシア帝国については別の視点が必要であることをわれわれは知っている。
次の怪物がこの系図に見える。鉄道王ジェームズの屋敷になぜ詩人ハイネが出入りしていたかという理由も、この系図が明らかにしている。
オイルショックの元締めオランダで、フィリップス社が“さまよえるオランダ人”の図に主役として登場し、不可思議なロスチャイルド財閥を構成していたのも、血縁関係によるものであった。
本書ですでに何度となく登場したドイツ出身のロスチャイルド・ファミリーの名前
グッゲンハイム、クーン、レーブ、シフ、カーン、シュテルン、ワイスワイラー、メンデルスゾーン、シュトラウス、ワーバーグ、オッペンハイム、オッペンハイマーをこの系図に書き加えれば、現代ドイツの底流に動く資本の大きさを改めて理解できるであろう。
ドイツと聞けば、フランスやイギリスに敵対する存在と考えがちだが、実際のヨーロッパをロスチャイルド家の広大な領地と考えれば、ほとんどの社会問題の謎を解くことができる。子の領地のなかで、ヒットラーの反乱が起こされた。それが第二次世界大戦の悪夢であったと考えられる。
バイエルン王室には、鉄鋼・原子力・重工業のテュッセン家が一族となり、またバイエルンで郵便事業をはじめたテュルン=タキシス家が当然のように閨閥をつくって来たことを知れば、南ドイツのボスとして君臨してきた悪名高いシュトラウスが何者であるのかと身許を知りたくなる。
ロスチャイルド家の代理人は、時として突然に大金持ちになり、いきなり大政治家になってゆく。フランツ・シュトラウスもその口であった。人名録や文献には、“肉屋の息子”シュトラウスと書かれているだけだ。
父親は後年のゲシュタポ隊長ヒムラーからにわとりなどを買い入れていた人物、その肉屋の向かい側にある写真屋に足繁く通っていたのがアドルフ・ヒットラーであった。
しかし彼が四十歳でいきなりドイツで原子力大臣になった同じ年に、問題のローリンソン司法長官の伯父グレイソンがイギリス原子力公社の最高主任官に就任し、ウィンズケール再処理工場を支配しはじめたのである。
P929“シュピーゲル事件”の系図83を注意深く見ていただければ分かる。
最近では一九八六年十一月に発覚した南アへの“潜水艦の設計図”密輸事件があった。世界的に南アへの輸出が禁止されているときに、シュトラウスが音頭を取って、世界一の性能を誇るドイツ製U209型潜水艦の図面が南アに手渡された。
筆者の手許には、南アのボタ首相とシュトラウスが実に親しげに談笑している写真がある。その説明文は、“肥えた友達”となっているが、これが載っている長大なレポートの表紙には“ウランゲート”と題して、コール首相が放射性廃棄物のドラム缶を見つめる写真が大きく掲載されている。
イラン・コントラ事件はイランゲートと呼ばれてきた。コールがここに登場するのは、次のような理由による。
コール首相は南アへの経済制裁に早くから反対を表明し、アパルトヘイトを支援してきた人物であった。自らの不正献金事件では八六年に公然とシラを切って国民を驚かせ、八八年にはまだ東西対立が続くなかでソ連に原子炉輸出のためモスクワに乗り込み、シュトラウスと絶えず暗い世界で行動を共にしてきた。
一九九〇年十月三日の歴史的な東西ドイツ統一がごく静かにおこなわれ、花火が空に舞ってもそれはブランデンブルク門のお祭りにすぎなかったのは、ドイツ国民がコールの正体を何年も見続けてきたからである。
P930ドイツ統一は本心から祝いたいが、東ドイツ市民の窮状をほとんど無視して、しかも西ドイツで相次ぐ不正事件を起こした親分が、国際政治の場で統一の英雄という勲章だけをかっさらっていったことに、良識あるドイツ国民は冷ややかな目を向けざるを得なかったのである。
世界はあまりそれを知らずに大喜びしてくれたようだが、祝いの場で口ごもりたくなる心境であった。
シュトラウスとコールが必死に隠そうとして発覚したウランゲートは、„ドイツ銀行の六百家族”ぐるみで展開したもので、前述のようにパキスタンなど紛争諸国への核兵器原料の密輸という危険な事件であった。
„シュピーゲル”や„シュテルン”などの雑誌が大々的に特集を組み、リオ・チント・ジンクにはじまる国際的なウラン・カルテルの構造を株の保有率から解明したのは、流石にドイツ民衆がフランスやイギリスよりはるかに好ましい状態で政府から独立し、自立して生きていることの証であった。
ジャーナリストの第一線の記者魂は、この民衆の反骨精神から生まれるからである。
南アへ潜水艦の図面を渡したホヴァルツヴェルケ・ドイツ造船所の重役ティル・ネッケルは、「再建クレディタンシュタルト」の重役であった。バイエルンの帝王シュトラウスもまた「再建クレディタンシュタルト」の重役。
ドイツの悪しき部分と、ドイツの良き部分を、ひとつにまとめて論じないことが大切であろう。本書ではほとんど触れる機会はなかったが、四半世紀にわたるナチスの時代はドイツ史のなかでは悪夢の瞬間であり、ドイツ人がそれ以前の重厚な文化を失ったわけではない。
これは決して複雑でなく、戦後のドイツ人の知性と知恵によって、明確な一線が引かれた世界である。フランス人の堕落ぶりとは比較にならない。
日本人?…これは論外であろう。大国ドイツについての深い解析は、いずれ時機が訪れてから追跡したい。現在併合された東ドイツの内部崩壊によってすべてが流動しつつあり、その東部地方で突然の失業と貧困に襲われた市民にわれわれの最大の気がかりを残しながら、一年後には再生した姿が見られるよう内心で祈ってゆきたい。
ようやくコール首相の大噓に気づいて旧東ドイツ市民のあいだから激しい怒りの抵抗がはじまったのが、一九九一年春先の出来事であった。本書では、最後の国、„世界の金庫スイス”に足を運ばなければならない。いよいよ、ロスチャイルド家の隠し砦、この世の悪のすべてを呑み込むアルプスに目を向けよう。終着駅である。
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