P647 オランダと言えば、オードリー・ヘップバーンという女優を思い浮かべる。妖精と呼ばれ、『ローマの休日』(tw)
の王女役でハリウッドにデビューすると、たちまちアカデミー主演女優賞をさらってしまい、それまで女優と言えばセックスアピールを売り物にするのがスターへの早道だった映画界で、細い体で大変な人気を獲得してしまった。ところがどうもこの妖精が奇妙なのである。本書の調査を進めてゆくと、そちこちにヘップバーンの影が現れ、現れては消える。
ベトナム戦争時代にホワイトハウスの絶対的権力を握ったキッシンジャーが、一九八九年に化粧品会社レヴロンの重役に就任すると、その重役名簿に紛れもなくオードリー・ヘップバーンの名前が書かれていたのである。化粧品会社であるから、ハリウッドの女優を名義上の重役に迎えたのであろう。当初このニュースの印象はそれくらいのものであった。ところがイギリス人の長者を調べてゆくと、大富豪ハンソン男爵がかつてヘップバーンの婚約者であったと書かれている。
P648 この男爵は、一九八八年の"イギリスにおける最も印象的な産業人"のアンケート調査でトップに選ばれたジェームズ・ハンソン(相参)その人で、実は、企業の合併・買収によって急成長を遂げたコングロマリット「ハンソン・トラスト」の会長である。本書の第一章に述べた"フォーチュン誌"一九八七年の乗っ取り王のなかで、背びれ四枚を獲得したのは、ジェームズ・ゴールドスミスとカール・アイカーンのほかには、このハンソン・トラストの共同経営者ゴードン・ホワイトだけであった。
現代のM&A時代と呼ばれる狂気の実業界を演出したのが、ヘップバーンの昔のフィアンセである。(略)ハンソン・トラストは、南アのデビアスやアングロ・アメリカンの姉妹会社に当たる「コンソリデーテッド・ゴールド・フィールズ」つまり「合同金鉱」というアパルトヘイトの総本山の買収を一九八九年に発表した。これは、イギリス史上最大の企業買収に発展する事件となった。ハンソンの子会社「インペリアル・タバコ」は、この業界ではわがロスチャイルドと資本を共有する複雑な構造になっている。昔のフィアンセと現在のヘップバーンには何の関係もないと思われるが、何やら妙な匂いが漂ってくる。ヘップバーンの父親はナチスにも南アにも関係していたからである。
デビュー作『ローマの休日』の物語は、読者がご存知の通り、ネバダの鉱山師マーク・トウェインが書いた『王子と乞食』の現代版であった。どこの国かは分からぬお嬢様が庶民生活のなかに入って大層楽しみ、ヘップバーン王女はグレゴリー・ペックと恋に落ちた。しかし最後には王女に戻って、ローマの恋を生涯の思い出としてふたりは別れるのであった。悲恋、何という美しい恋、麗しの王女!このように立派な物語。全世界が感激したラスト・シーン。(略)
P649 ヘップバーンは何者であろう。ヨーロッパ女性の長者番付で、第一位がイギリスのエリザベス女王、第二位がオランダのベアトリックス女王、これが一九九〇年のイギリス誌"ハーパーズ&クイーン"の発表であった。大女優オードリー・ヘップバーンの母親は、このオランダ王室につながる貴族ヘームストラ男爵家の娘だったのである。あの映画は、妖精がスクリーンに現れて王女役を演じたのではなく、自分の一族の物語であった。
そこには重要な効果を狙う演出があったのではなかろうか。一九五三年の映画公開を考えれば、インドシナ戦争でフランスが敗戦を迎える前年に当たり、アルジェリア独立戦争が勃発する前年でもあった。そして問題のオランダは、さきほど述べたように日本の降伏から二日後、一九四五年八月十七日にインドネシアのスカルノが独立を宣言したため、急いで兵を送り込み、四年にわたる戦争を仕掛けたが、結局はインドネシアの独立を認めなければならなかったのである。
独立を認めたあとの『ローマの休日』は無関係であった、と考えたいところだが、オランダが失ったものは余りにも大きかった。ボルネオの油田である。今日でもインドネシアは石油輸出国機構(OPEC)に加盟し、クウェートとほぼ同量の石油を生産しているが、当時インドネシアの石油が持つ価値は今よりはるかに大きく、その利権を取り戻すためには、初代のスカルノ大統領を失脚させなければならなかった。世界的な規模での経済制裁を正当化してゆく必要に迫られたのである。今日の南アやイラクに対する経済制裁とは意味が違い、強奪が目的であった。
インドネシア側では、植民地にされた土地には大資源が眠っていたが、それを本来の住民が取り戻しても、資源の活用という面から見ればほとんど意味がなかった。例えば油田や鉱山には、資源を採掘してから精製するまでの技術が必要であった。しかも最後に誕生した製品を外国で販売するには、輸送して売りさばくための世界的シンジケートがなければならない。商品としてもガソリンや金銀のネックレスに仕上げ、それを売らなければ一銭の収入にもならなかったのである。
そこでオランダはインドネシアに、フランスはアルジェリアに、独立後もいやがらせを続け、世界的な貿易シンジケートを動員して苦境に追い込んでいった。このような兵糧攻めの末に、相手の衰弱した様子を見はからって交渉をはじめ、少しづつ利権を取り戻しながら、最終的には貿易の収支で圧倒的に優位に立つ。あとは債務と呼ばれる借金地獄に追いやって、経済的に植民地を再現してしまうのである。実際、インドネシア独立の父スカルノ大統領は、彼らの陰謀によって失脚しなければならなかった。そのあとヨーロッパの支配階層は、次のような皮肉さえ口にしてきた。
P650 「昔の植民地の時代はよかった。われわれがいて、文化を高めてやったからな」このシナリオのなかで、『ローマの休日』は公開されていた。その効果がどれほど大きなものであったかは、当時映画を見た世代がよく知っているはずである。誰もが感動していた。しかしヨーロッパ第二位のベアトリックス女王が、その主演女優の一族だからと言って、それだけで金が儲かったわけではない。このような長者番付に名前を連ねるには、事業家と同じように株券が必要になる。彼女の場合は、一九九〇年現在わがロスチャイルド財閥も「ロイヤル・ダッチ・シェル」の株を五パーセントも所有する大株主である。
わずか五パーセントと聞こえるかもしれないが、"フォーチュン'90"に発表された全世界の大企業五百社の売上で、第四位の超巨大企業である。一位「ゼネラル・モーターズ」、二位「フォード」、三位「エクソン」、四位「ロイヤル・ダッチ・シェル」、五位「IBM]、つまりベスト5のうちアメリカ四社のなかにだだ一社、ヨーロッパ最大企業として君臨するオイル・メジャーの五パーセントの株券、この貝ガラは、古代遺跡の貝殻から連想される昔の貨幣とは違って、われわれの想像できない金額となろう。
インドネシアのボルネオに、このシェルが大油田を持っていたのである。妖精オードリー・ヘップバーンの系図55(url)は、彼女の秘密を物語る。オードリー・ヘップバーンの父ジョゼフは、ナチス黒シャツ党の幹部で、上巻の奇怪な系図31(url)に示したイギリス・ファシスト連合のモズレー卿(参照)の右腕として活動したイギリス人であった。ヘップバーンの母はやがてこの男と離婚したのだが、別れたからすむという話ではなかった。その父つまりヘップバーンの母方の祖父はオランダ領ギアナの総督として、植民地侵略の先陣をつとめた人物であった(参照『オードリー・ヘップバーン物語』)。
この一族から、大富豪のベアトリックス女王まで系図を描いてゆくと、ドイツのテュッセン男爵とシュレーダー男爵のファミリーを通過しなければならなくなる。テュッセン男爵は"パンサーの宝石"を贈られた美女ニーナ・ダイヤーと結婚した人物(系図32(url))だが、シュレーダー男爵家と共にナチスの財政支援をおこなった一族である。
さらに同じ一族から生まれたのが、わが国と深い関係を持つ死の商人ベルンハルト殿下であった。時にはロッキード社の代理人として、ときにはフランスのダッソーの代理人として、世界中の戦闘機メーカーに金を無心した男が、オランダのユリアナ女王と結婚していたのである。オランダで起こったベルンハルトの汚職事件では、わが国で発覚したロッキード疑獄と同じ人脈によって、兵器が調達されていた。その時点で、すでに「ロイヤル・ダッチ・シェル」の株券がオランダ王室にあったという事実にただならぬ匂いがする。ロイヤル・ダッチとは、オランダ王室という意味である。
P652 シェルが第二次世界大戦中にも敵国ナチスに石油を販売した悪名高いビジネスは、このオランダ王室の系図が鍵を握っていたのである。このようなユリアナ女王とベルンハルト殿下のあいだに生まれたベアトリックス王女は、『ローマの休日』でヘップバーンが演じた可憐なお姫様とは大違いで、現実のなかで見つけた恋の相手が、かつてヒットラー・ユーゲントとしてナチス国防隊に貢献したクラウス・フォン・アムシェルベルクであった。
そのため一九六六年に華々しくおこなわれたこの王室カップルの結婚式では、ふたりに爆弾が投げつけられる大騒ぎとなった。それは当然のことで、大戦中にオランダにいたユダヤ人の実に八割がナチスに殺され、その悲劇は十万人を超える夥しい数に達した。そのなかのひとりが、少女アンネ・フランクだったのである。
オランダ人ヘップバーンの系図には、ナチス関係者が四人も揃っている。死の商人と植民地総督のほか、現代の食うか食われるかのビジネス界を泳ぐ背ビレ四枚のジョーズさえ見え隠れする。そのためこの女優の伝記には、いかにヘップバーンの家族がレジスタンスを支援したかという話が克明に描かれる。一体、オランダとはどのような国であるのか。われわれは知らない。(略)大戦後、インドネシアにオランダが軍隊を送り込み、新たな大戦争をはじめたとき、北ボルネオ総督として君臨したのがエドワード・トワイニング、紅茶で知られるトワイニング一族であった。それを高級な紅茶だと思って飲む人もあろう。
トワイニングはイギリス人なので、オランダの植民地にイギリス人とは奇妙に感じられるが、当のボルネオに進出した問題のロイヤル・ダッチ・シェルというのは、「ロイヤル・ダッチ」が"オランダ"、「シェル」が"イギリス"という二国籍企業であるから、総督の肩書は名ばかりで、実際にはこの石油会社が侵略戦争を仕掛けた背景が、歴史から明らかになってくる。
この小さな国オランダに、全世界の黒幕が集まってひそかに言葉を交わしている、と言っても誰も信じないであろう。ところがさきほどの系図の通り、ヘップバーンの父は"イギリス人"で、母は"オランダ人"だったが、その母方の一族は、"ドイツ人"と結婚していた。しかもヘップバーンが生まれたのはそのいずれの国でもない。"ベルギー"のブリュッセルで妖精はこの世に出た。オフィスは"アメリカ"のビヴァリー・ヒルズに構えていた。(略)
人口も面積もわが国のわずか十分の一ほどしかないオランダが、貿易大国と誇る日本に比べて、輸出額がその半分近くに達しているのである。一九八九年のデータを見ると、一人当たりオランダ人が日本人の三・四倍も金を稼いでいることに驚き、P653はっとして「オランダ東インド会社(相互参照)」を思い起こす。およそ四百年前に設立されたあの貿易会社が、いま生きているはずはない。ところが生きているのである。以下の一行ずつを、ゆっくり味わいながら読んでいただきたい。
ヨーロッパ最大の企業は、オランダとイギリスの「ロイヤル・ダッチ・シェル」
世界最大の食品メーカーは、オランダとイギリスの「ユニリーヴァー」
ヨーロッパ最大の電機メーカーは、オランダの「フィリップス」
ヨーロッパ大陸屈指の民間銀行支配力を持つのが、オランダとフランスの「パリバ銀行」
世界最大の重電機メーカーは、オランダに本社を置く「アセア・ブラウン・ボべリ」←本社はスイス
世界最古の金融の中心街は、オランダのアムステルダム
ヨーロッパ最大の天然ガス田は、オランダのフロニンゲン
オイルショック誘発した石油のスポット価格が決められるのは、オランダのロッテルダム
・・・・
わが国の九州より狭いオランダが、どのように強力な磁石を使ってこのような全世界の金融支配者を惹きつけるのか、われわれは知らない。しかしさきほどの短いヘップバーン物語のなかに、この謎を解く三つの鍵が隠されている。
ヘップバーンの祖父は、植民地の総督であった
ヘップバーンの一族であるベアトリックス女王の収入源は、石油であった
ヘップバーンの一族であるテュッセン男爵は、オランダのビール会社ハイネケンの重役であった
植民地、石油、食品
この三つの鍵を使って、オランダ人は日本人の三・四倍も金貨を集めることができたに違いない。
(P654-)
P657ユニリーヴァーの社史を要約すると、次のようになる。今からほぼ一世紀前、一八八五年にイギリス人のウィリアム・リーヴァーが石鹸の製造をはじめた。
弟ジェームズと共にはじめたこの仕事は、植物油を使用した“Sunlight”という輝くばかりの名前の石鹸によってたちまち成功を収め、以来リーヴァー兄弟は、国内ばかりでなく海外の植民地にも進出して次々と広大な土地を手に入れていった。
六年後には早くも有限会社として資金を世の中に求めながら、最終的には会社の財産すべてを独占する貪欲な商法によって、「リーヴァー・ブラザース」は一大シンジケートをつくりあげてしまった。ほかの石鹸会社をひとつまたひとつと、石鹸の泡のなかに呑み込んでいったのである。
十九世紀末には南太平洋のソロモン群島に、二十世紀初頭には西アフリカに、ヤシ農園を確保して莫大な儲けを記録した。わが国には満州大豆と鯨油を求め、日本の中国侵略さえも利用したのである。
世界最大の消費国アメリカでは、リーヴァー・ブラザースは第一次大戦前に早くも強固な地歩を築き、“石鹸オペラ”という言葉を誕生させた。シャンプーや洗剤などのコマーシャルが家庭生活を描いたため、ホーム・ドラマのことをアメリカ人はソープ・オペラと呼ぶようになったのである。
P660喜劇王ボップ・ホープを売り出した広告の天才チャック・ラックマンらの腕によるものであった。一九九〇年代でも、おそらく広告のスポンサーとしては世界一であろう。それは電波を支配する陰の力でもある。
これらの販売網に対して、最大の生産拠点は、中央アフリカに置かれていた。「ユナイテッド・アフリカ」という今日でもアフリカ最大の商社が、南北アメリカ大陸に擁する社員の十倍の規模という従業員をかかえ、植民地の利権をむさぼるように食いつくした。
ところがすでにその当時、オランダのロッテルダムに別のライバル会社が台頭していた。こちらはマーガリンの大メーカーで、オランダ本国に「マーガリン・ユニ」、イギリスに「マーガリン・ユニオン」という二大会社を持つ食品帝国であった。
マーガリンはギリシャ語の意味(Margarites)を語源とし、フランス人ムーリエが発明した新しい食品であった。この会社がドイツからフランス、北欧にかけて次々と食品会社を買収し、これもまた広大な販売網によって食卓のパンを一枚ずつ平らげ、やがて何もかも食いつくす勢いであった。
このマーガリン帝国は、イギリス大手小売店「セインズベリー」を誕生させ、小売り業界をおさえることによってイギリスの食品業界に食い込んでいった。わが国ではセインズベリーの名はほとんど知られていないが、オーナーはイギリスの富豪第三位というスーパーリッチである。
第一位がエリザベス女王、第二位がウェストミンスター公爵、そしてこの大英帝国の象徴ふたりに次ぐ金持ちが食品スーパーのジョン・セインズベリーであるから、その資金源には世界的な利権の匂いが漂ってくる。 こbr>
この富豪は、南アのダイヤ王セシル・ローズの遺産を管理するローズ財団の管財人でもある。ところが意外にも、背景にはロスチャイルド財閥の痕跡ひとつ見つからない謎の大富豪なのだ。そのようなことがあり得るのだうか。
彼はイギリス音楽界が誇るコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラハウスの会長でもある。妻はバレエの『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』のプリマドンナとして有名なアニヤ・リンデン。
さて、このファミリーが成功した物語の推理を立てなければならない。ジョン・セインズベリーの祖母は、メーベル・ヴァンデンバーグという。叔母も同じ姓で、ライザ・ヴァンデンバーグ。
よほどこの一族と親しい間柄であったことが分かる。ヴァンデンバーグという名前には、ふたつ心当たりのものがある。
ひとつはアメリカのミサイル基地として、IRBMやICBMの発射実験がおこなわれてきた地名だが、これは空軍の参謀総長として、あるいはCIAの前身OSSの長官としておそれられたホイト・ヴァンデンバーグに因んで命名された基地である。
一族がNATOの創設を提唱した有名なP661ヴァンデンバーグ決議の人物、先年までの東西対立を確立したアーサー・ヴァンデンバーグであるから、ヨーロッパの小売りチェーンと無関係だとは言えないが、系譜もほとんどない。
もうひとつは、オランダのバター商人としてヨーロッパじゅうを支配したロッテルダムの貿易商ヴァンデンバーグ一族がいる。解いてみれば簡単なパズルだが、イギリス富豪第三位のセインズベリー家は一八六九年にロンドンに創業し、そのときの商品がほかならぬバターだったのである。
この両家とも、トマス・リプトンの紅茶を販売する代理店であったことが、商売成功の発端にあり、それが両家をさらに強く結びつけた。
こうしてセインズベリーはオランダのヴァンデンバーグ家からバターを輸入して巨大なチェーン店を経営するまでになり、創業者の二代目から両家は寝室を共にするようになったが、一方のヴァンデンバーグ家はその後、大変な食品業者に成長していった。
バターからマーガリンの製造へと進出して前述の「マーガリン・ユニ」と「マーガリン・ユニオン」を設立、リーヴァー・ブラザーズと覇を争うようになったのである。
したがって、セインズベリーと「マーガリン・ユニ(オン)」は、販売と製造を分担する兄弟会社であり、文字通り兄弟によって経営されてきた。しかもその前身となった「マーガリン商会」の会長は、イギリス富豪第二位のウェストミンスター公爵一族であった。
つまり女王陛下を除けば、大英帝国の一位と二位がバターとマーガリンの財産から誕生した。それほど巨大な食品王国となったのは、流石にイギリス・パンの国である。
そして遂にヨーロッパ最大の両雄が対決する日を迎えた。ユニ帝国が勝つか、リーヴァー帝国が勝つか。ところが、リーヴァー・ブラザーズとユニは、闘うより合同への道を選んだ。
「ユニリーヴァー」の社名をもって、オランダとイギリスに国籍を持つ世界一の食品会社が誕生したのである。それは一九二九年九月のことであった。
そこへ翌月、世界史を揺るがすウォール街の大暴落が襲いかかると、自らも大不況のなかで株価暴落と農業、小売店などの不振が連鎖反応となって、暗黒時代に突入した。
しかし彼らの資本は、まだ充分に巨大であり、闇を光に変える魔力を持っていた。ユニリーヴァーは倒産会社を次から次へとタダ同然で手に入れてゆき、全世界の食用油脂の半分以上を支配したのである。
それから六十年を経た今日では、食品のすべて、アイスクリームからソーセージまで、あらゆるものを生産し、家庭生活の必需品でもまた無数の製品を販売して、ソープ・オペラを歌い続けている。
ユニリーヴァーなしのホーム・ドラマは、実生活のなかでヨーロッパ人のなかでは不可能と言われている。
以上がほぼ一世紀にわたる社史だが、このように財界で語られている物語に登場しない人物がいる。それが、P662われわれの食卓に坐っているユダヤ人ロバート・コーエンである。
コーエンは食品業者ではなかった。しかしユニリーヴァーを動かしてきたのである。彼は一九〇一年に、創立からまだ四年目の「シェル」に入社した。
そしてインドなどアジア地域に赴任すると、そこで利権を探し回っていたアメリカの石油王ロックフェラーに戦いを挑み、ボルネオなどに貴重な油田を確保して“貝ガラ印のシェル石油”を巨大な怪物に育てていった。
やがて、当時インドネシアのスマトラに進出していたオランダの「ロイヤル・ダッチ石油」と対決する時を迎えたが、コーエンは「ロックフェラーを叩くためには、ヨーロッパの勢力が手を組むべきだ」と主張し、オランダ勢との交渉に入った。ボルネオの「シェル」とスマトラの「ロイヤル・ダッチ」である。
この二つの島のあいだを通って、インド・ヨーロッパと中国・日本を結ぶ航路が走り、貿易上のきわめて重要な拠点であった。ところがインドネシアの民族抗争は、十九世紀末にスマトラ島の最北端アチェ王国に激しく燃えあがり、ひとりの女性がゲリラを指揮する山岳戦を展開してオランダ軍を苦しめはじめた。
この女性の凄絶な最期を描いた戦闘映画『チュッ・ニャ・ディン』という作品が、一九九〇年にわが国で公開された。このタイトルが、ゲリラ戦の英雄、インドネシア独立の母の名前である。
この作品は、『アルジェの戦い』と同じように住民がエキストラから俳優までほとんどの役をつとめ、映画のカメラを見たことさえない本物の山岳詩人が登場して胸張りさけんばかりの朗唱を聞かせる、驚くべき作品であった。
監督のエロス・ジャロットが来日したときに話をする機会を得たが、不思議な因縁で、この監督自身がアルジェリアの出身であった。それも偶然ではなかった。「世界は東西に分かれているのでもなければ、国境によって分かれているのでもない。“侵略者”と“人間であろうとする者”によって二分されているのだ。
このような哲学をもって、ジャロット監督の『チュッ・ニャ・ディン』は劇場のなかにとどまらず、そこから外に出ると見渡せるはずの世界--アジア・アフリカ全土が置かれている欧米文化の支配にまで、人の目を向けさせる力作となったのである。では、その歴史映画に登場したオランダ側の状況はどうであったか。
映画には登場しないが、オランダの軍隊の背後にいたのは、「ロイヤル・ダッチ」と「マーガリン・ユニ」であった。「リプトン紅茶」とトワイニング総督の皮肉な組み合わせもあったかも知れない。
彼らの利権のために、軍隊が出動していったのだ。女ゲリラ隊長が捕らえられ一九〇五年をもって“アチェ王国の戦い”はオランダの勝利に終わるが、その翌々年、ロバート・コーエンの調停工作によって、二大石油会社のP663「ロイヤル・ダッチ」と「シェル」が歴史的な合併を遂げたのであった。
コーエンの口利きによって、ロスチャイルド家がバクー油田の株をオランダに譲り、代わりにロスチャイルド家は「ロイヤル・ダッチ」の大株主となって合併が成立した。
その後の石油産業史は、業界が知る通りシェルの独裁者“石油のナポレオン”と異名を取るヘンリー・デターディングがこの合併会社を牛耳ったことになっている。
ところがそのナポレオンの右腕となって実際に石油を動かしたのが、ユダヤ人コーエンであった。この男の指令でオランダのロッテルダムに製油所が建設され、後年、ここを震源地として一九七三年の第一次オイルショックが起こるのである。
しかしコーエンは、「ロイヤル・ダッチ・シェル」の事業が軌道に乗ると、もうひとつの手で新しい分野に乗り出していった。
オランダが植民地インドネシアに求めた別の財宝があったからである。東インド会社の全盛時代を生み出したもの、それは現代の食卓に欠かせないスパイスなどの食品であった。
コーエンは一九二〇年代からこの食品の獲得に熱を入れ、アジアとアフリカの各地で次々と農地と生産者をおさえはじめた。
ことにユニリーヴァー・ブラザースがアフリカで購入した土地と企業に資金を投入してゆき、ニジェール商会など西アフリカ一帯の企業をとうとう大合同させ、リーヴァー・ブラザースの傘下に組み込んでしまった。
そして一九二九年、前述のようにリーヴァー・ブラザースとマーガリン・ユニの合併によるユニリーヴァーが誕生したのである。P664結局、「ロイヤル・ダッチ・シェル」を誕生させた同じ人物コーエンが、「ユニリーヴァー」を誕生させたのであった。
世に知られざるこの支配者の存在を、われわれは驚異の目で眺めることになる。シェル石油とケンブリッジ大学の有名な核兵器コネクションを育てたのが、このコーエンであった。
一九二九年のユニリーヴァー誕生後、謎のコーエンは一応シェルの実力者としての立場を自ら退くと、今度はパレスチナ商会を設立してイスラエル建国に全力を投入していった。
おそらくこの機会に、シェルがナチスに傾いてゆく真空状態が生まれたのであろう。翌年からナチスの躍進と時代は符合する。一方コーエンは、シオニズムに貢献する屈指の財政家となり、事故のため妻をパレスチナで失いながら、イスラエル建国を果たしてこの世を去った。
息子のバーナード・コーエンは、ダイヤの「デビアス」と取引するイスラエルのユニオン銀行副会長として君臨し、ロンドン市長をつとめる大物となった。これほどの強大な支配力を持つファミリーがどこから生まれたのか、実業界の書物には何も書かれていない。むしろ、その存在さえ触れられていない、と言うべきだろう。
しかし、次の見開きに示す系図57のように、実在したのである。
シェルとユニリーヴァーを育てたイギリス人コーエンは、父方・母方ともにロスチャイルド家という純血の“赤い盾”一族であり、世に言う“ユダヤ人”ではなかった。世界最大の食品産業もまた、ロスチャイルド家の植民地支配によって誕生した帝国だったのである。
そしてコーエンがこの食品大合同を成し遂げることができた理由は、この系図の中断右寄りの部分に示される通り、オランダのマーガリン帝国を築いたヴァンデンバーグ・ファミリーのひとり、ドナルドが一九一三年に挙げた結婚式にあった。
その新妻の名をノラ・サミュエルといい、ほかならぬマルコーニ事件の郵政大臣、そしてパレスチナ高等弁務官となったハーバート・サミュエルの姪であった(上巻の系図15と系図41参照)。
ユニリーヴァーをつくったオランダのヴァンデンバーグ家もまたユダヤ人であり、そのユダヤ人というのがまたロスチャイルド家だったのである。仕掛け人コーエンと大臣サミュエルが、従兄弟という仲…
マーガリン帝国を築き、巨大食品チェーン店セインズベリーを全英に店開きさせ、リーヴァー・ブラザースを取り込む資金を持っていたのがロスチャイルド家のほかにないことは、自明の理であった。
それでもこの答えは、イギリスで最大の謎として最後の最後まで残る正体不明の怪物であった。やがて足許のアジアに戻り、オランダの歴史に手をつけ初めて解き明かすことのできた貴重な系図である。
インドネシア独立の母『チュッ・ニャ・ディン』の映画が導いてくれた世界--P665アフリカとアジアに生きたジャロット監督の啓示--と言うほかはない。
その両方を土台とするユニリーヴァーの歴史は、今日も続いている。現代の大富豪セインズベリーがローズ財団の管財人となっていた謎は、リーヴァー兄弟が開拓したアフリカ植民地との貿易によって、説明されるであろう。
ユニリーヴァー誕生から半世紀以上も経った今日、最後の植民地ナミビアの独立によって、アフリカの植民地はなくなった。一九六〇年代のアフリカ独立運動が実って、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどによる白人支配は終わりを告げた。
ところがユニリーヴァーは今日もアフリカを支配している。ダイヤ王セシル・ローズが建国した白人帝国ローデシアは、全世界の怒号のなかで経済封鎖に追い込まれ、一九八〇年四月十八日に黒人が独立国ジンバブエを建国した。
今日、白人はわずかに人口の一パーセントを占めるにすぎない。このわずか一パーセントの白人が、農地の三分の一を所有している。しかもその農地は、一等地である。これがアフリカに飢餓が発生する実態でもある。
国連、とりわけWHO(世界保健機構)は、その調査をおこなったことがあるのだろうか。映画『ブッシュマン』を観ているだけでは分からない。法律的には、白人は何ひとつ犯罪をおかしていないことになる。自由世界のなかで土地を売買しているのだから。
この状況のなかで、われわれが危惧している輸入食品の問題に、考えを進めてみる必要がある。ロスチャイルド家が世界最大のウラン・メーカー「リオ・チント・ジンク」を支配し、同時に世界最大の食品メーカー「ユニリーヴァー」を支配している。
しかも前者が南アとナミビアを最大のウラン産地とし、後者がアフリカ全土の農地に進出している。いずれもアフリカを根城として、ロスチャイルド家が原子力と食品を動かしているようだ。
その具体的な関係は、次の三人のユニリーヴァー最高幹部の履歴が象徴的に物語っている。
ユニリーヴァー会長--ジョージ・コール(ユナイテッド・アフリカ重役、シェル輸送貿易重役)ここに三人を挙げたのは、次のようなメカニズムを示す一例である。「ユナイテッド・アフリカ社」がアフリカ大陸最大の商事会社として商品を船積みする。そこにユニリーヴァー向けの食品のほかに、ウラン鉱が入っていないとは限らない。
ユニリーヴァー会長--デヴィッド・オア(リオ・チント・ジンク重役、シェル輸送貿易重役)
ユニリーヴァー重役--ピエール・カプロン(フランス核燃料公社コジェマ理事)
それを取り扱うのが「リオ・チント・ジンク社」の役割である。これらのウラン鉱は、ヨーロッパ最大の原子力帝国フランスの核燃料公社コジェマが受け取り、核兵器の開発と原子力発電の暴走という現代を生み出してきた。
P668そのメカニズムのなかで、シェル石油が果たしてきた役割は、前述のロスチャイルド家のコーエンが創り出した“シェル・ケンブリッジ・コネクション”による核兵器開発であった。
この実態についてはMI5のピーター・ライトが書いた発禁書『スパイキャッチャー』にくわしく述べられている通り、ヴィクター・ロスチャイルド(相互参照)がシェル石油の研究所を核兵器開発のために提供してきた。
そしてこれを裏付ける事実として、企業年鑑を丹念に調べてゆくと、リオ・チント・ジンク社が保有している株券のなかに、相当な額に達するシェル輸送貿易の株が発見される。
実に、原子力産業がヨーロッパの石油王の大株主となっている。
これが“食品会社ユニリーヴァー”の正体である。彼らがマーガリンと石鹼だけを売っていると思わせるのが、ソープ・オペラの魔術のようだ。
イギリスのおいしいチョコレートとして、有名なローントリー・マッキントッシュ(注)がある。
(注)ローントリー(キットカットの生みの親)とジョン・マッキントッシュが合併(1969年)wiki
(参考)愛の不時着11話(参照1h23m35s~、tw、tw)キットカットの歴史(参照、wiki)
これはクエーカー教徒のローントリー兄弟がはじめたものだが、そのパトロンとなったのが同じクエーカー教徒のテューク一族で、今日その当主であるアンソニー・テュークが「リオ・チント・ジンク」の会長として君臨してきた。語源、羊肉のパイの名称、18世紀初頭、製作者のクリストファー・カット(愛称キット)さんにちなんでキットカットという名で親しまれる 1911年、キットカットの名を商標登録(どんな菓子に対するものかは不明だが商品名としては用いず) 1935年、ウェハースをチョコレートで包んだ「チョコレート クリスプ」を発売、現在のキットカットの原型 1937年、「チョコレート クリスプ」にブランド名キットカットを付加、さらに「ブレイク」をコンセプトとして宣伝 (略) 1958年、「Have a Break, Have a Kit Kat」のキャッチコピー誕生 1969年、ジョン・マッキントッシュと合併 1973年、日本上陸(不二家と提携)、マッキントッシュのキットカット 1988年、ネスレ「キットカット」誕生、ネスレがロントリーの株式を取得 1989年、ネスレ霞ケ浦工場で「キットカット」製造開始、ネスレと不二家の合弁企業「ネスレマッキントッシュ」設立、のちにネスレ日本に吸収(2010年) (略、現在に至る)
このように農業や食品と鉱山が結びついた根源は、今日一九九〇年代にも続く植民地主義にある。このカビの生えたような“植民地”という言葉を忘れたいと思う。ところが彼らが忘れさせてくれないのである。
一九九〇年七月十九日号の“ニューズウィーク”、これはわが国で日本語版が出されている週刊誌だが、そこに信じ難い文章が載っていた。かつてフランスのアルジェリア総督をつとめたジャック・スーステルの談話である。
「フランスの植民地解放政策は大いなる過ちだった」と題して、スーステルがアルジェリアをフランスの植民地にしておくべきであったと語っていた。
この人物の履歴はきわめて多彩で、シオニスト・ロビーのなかでも死の商人マルセル・ダッソー(相互参照)をパトロンとしてフランス政界に隠然たる勢力を持ち、現代ではミッテラン大統領の強力な支援者として奔走してきた。
当初から、ロスチャイルド子飼いの首相マンデス=フランスがこの男をアルジェリア総督に任命し、情報相としてゲシュタポ顔負けと言われる秘密国家警察を育てさせたのである。
また、ロスチャイルド家が南太平洋のニューカレドニア島のニッケル鉱山を支配し、原住民にとって天国どころか“地獄に最も近い島”に変えてしまったとき、その鉱山用の発電所が完工した式典に飛んできたのが、スーステルであった。
オーストラリアの東にあって、フランスの核実験によって死の灰が降りつもるこの島を訪れる日本の観光客は絶えないが、今日でもここはフランスの植民地である。その支配構造は、一八七一年に設立されたニューカレドニア商会が三年後にニューカレドニア銀行となってパリに本店を置き、この植民地銀行をモデルとして翌一八七五年、歴史的な「インドシナ銀行」が設立されたというものであった。
P669そのため一九八九年十一月、ベルリンの壁が崩壊した頃には、ニューカレドニアの営業権をインドスエズ銀行がオーストラリアの銀行に売却しようとしたところ、“店舗の多くが核実験場の近くにある”という理由から激しい非難の声が市民のあいだに広がる事件が起こった。
つまり今日では、インドスエズ金融グループが一帯の利権を握っている。
この南太平洋から北西に目を向けたとき、観光客が波間に眺望するのがオランダ領東インドと呼ばれたインドネシアになる。植民地総督スーステルは、このようにアルジェリアから南太平洋、そしてアパルトヘイトの南アからアジアまで、数十年にわたってロスチャイルドの代理人をつとめてきた。
フランス・イスラエル連盟を創立した過去の顔から、南アのロビイスト呼ばれル現代の顔まで、それは見るからにカビの生えたフランス植民地主義者のシンボルである。
しかしそのカビ・スーステルが“ニューズウィーク”で語った談話の最後に、次のような結びの一節がある。
--あなたは対南ア制裁解除を唱えているが。スーステルは正しくも見事に自分たちの利権の構造をこの一節で表現していた。スーステルとサッチャーは、個人的に付き合いがあり、ビジネスの世界で現金を取引きする関係にあったためである。それは次のような石油業界の歴史から明らかになる。
制裁という考え自体が過去の遺物であり、逆効果しかもたらさない。制裁はアパルトヘイト解体の動きを妨げている。制裁を行えば、黒人が失業するだけだ。
国連がやっているのは知的なテロリズムとでも言うべきもので、反西側的な立場だ。これに真っ向から異を唱えられる指導者は、マーガレット・サッチャーくらいのものだろう。ヨーロッパの指導者で「男らしい」のはサッチャーだけだから--
スーステルが植民大臣としてインドシナに君臨したとき、隣国がビルマであった。すでに述べたように、東側のインドシナ半島をフランス・ロスチャイルド家が支配し、西側のインドとビルマをイギリス・ロスチャイルド家が支配していた。
そのビルマは今日ミャンマーと名前が変わったものの、英語が母国語に変わったからと言ってインド総督の利権が消えたわけではない。十九世紀の前半から後半にかけて三度の戦闘をくり返してイギリスが支配したあと、ビルマ省という国家機関からビルマ鉄道、ビルマ鉱山、ビルマ石油などの企業までことごとくを、わが一族が次々とおさえていった。
そのため第二次大戦のなかでももっとも悲惨な戦闘と言われた日本兵によるインパール作戦が展開されたとき、地元の住民は侵略者が日本であるとはみなさなかった。彼らはイギリスを敵として、日本兵に味方し、独立のために起ちあがったのであった。
この史実は間違っても日本人の過去を正当化するものではない。
P670しかし、ビルマの侵略者を明らかにしている。たとえばインド総督として上巻の大系図18(1、2)に登場したジョージ・イーデンの甥が、ビルマ総督のアシュレー・イーデンであった。ことに興味深いのは、ビルマ鉄道の支配者がヘンリー・ギネスであったことだ。
『戦場にかける橋』でアレック・ギネスがこの鉄道の爆破シーンを演じてみせたのは、一族の利権の主張であったに違いない。アレック・ギネスとは芸名で、本名をゲデスというが、ゲデス家は香港のジャーデン・マセソン商会の重役としてギネスの洋酒を販売してきたからである。
(略、ロスチャイルド家の植民地支配の話が続く)
PP680ユニリーヴァーについては述べたが、第二位のネッスル(Nestlé、1994年に表記がネッスル→ネスレに変わったようだ)とはどのような会社であろうか。
ロスチャイルド家の金融王ネイサンがこの世を去って七年後、今から百五十年ほど前のことだったが、ネイサンと同じフランクフルト出のアンリ・ネストレ(Nestlé)がスイスにやって来た。この名がのちに世界的にネッスルと呼ばれるようになるので、本書ではネッスルと書く。
薬剤師だったネッスルは、乳児の死亡率が高いことに心を痛め、自分の子供のための乳児用食品を作ってみようと研究をはじめた。
すでに一八五六年にアメリカでは、ゲイル・ボーデンが缶に詰めたコンデンス・ミルクの製造に成功し、この携帯用食品がゴ-ルドラッシュのカリフォルニアなどで大いに普及しはじめていた。
今日のアイスクリーム王ボーデンである。それから九年後、ネッスルのところに友人がやってくると、生後まもない赤ん坊が何も食べないので困っているという相談を持かけた。ネッスルが乳児用の食品について実験していることを知って、それを分けてくれと言うのである。
こうして試食が成功し、スイスの美しい山を売り物にしたアルプス物語と共に、大々的にネッスルの商売へと踏み出していった。しかしすべてのビジネスに共通することだが、創業者や最初の発明家が大成功を収めると、そのあとはまったく別の力によって事業が進められるものである。
わけの分からない強欲な者がパイオニアを踏みつぶしてゆくのは、すべての世界に共通する現象であろう。自動車のロールスとロイスが本物の自動車狂であり、実業家ではなかったので利権からは遠のいてゆく運命にあった。
ネッスルも自分の工場が軌道に乗ると、トレードマークごと売却して、さる銀行家にあとを任せたのである。問題はその銀行家の名前である。
ネッスルの社史には、ロスチャイルドの名前は登場しない。しかしスイスの大銀行家ヴィルヘルム・エッシャーが、この事業を取り仕切ったのである。
エッシャー家の秘密はスイス篇でくわしく説明するが、ロスチャイルド家のスイス十脈として機能してきた一族であった(参照、tw)。
こうして表向きは誰にも問題にされず、この創業期にロスチャイルド家はネッスルに入り込んでしまった。やがて大産業となったネッスルは、スープのマギーを買収するなど、今やコーヒーとミルクのネッスルではなく、サラダ、チーズ、肉からデザートまで広範な食品を扱っている。
ドル箱は何と言ってもインスタント・コーヒーの“ネスカフェ”だが、例によってこの会社の決算は秘密のベールに包まれている。
スイスの企業というだけで金の行方が分からなくなるのに、ネッスルはかの悪名名高いノリエガ将軍のいた“タックス・ヘイヴン”パナマにも国籍を持ち、第三世界などでの決算が闇に吸い込まれてしまうのである。
ネッスルが第三世界でかせいだ利益は想像できない金額と言われているが、同時にネッスルなどの進出によって第三世界の農業だけが受けた被害も莫大なものであった。農民が失業し、そのための食糧不足はきわめて深刻である。
アンリ・ネッスルが売り出した粉ミルクは、いわゆる先進国ではさまざまな恩恵をもたらしたに違いないが、アジアやアフリカの貧しい地域では、母乳による育児がほとんどなくなることによって、乳幼児の死亡率が二倍以上にはね上がるという結果を招いた。国連の統計にもこれがはっきりと表われた。
農業ばかりでなく、さまざまな分野に急激な異文化の乱入が起こったため、土着文化が消失することによって“新しい貧困”が襲いかかった。人工的な貧困である。この貧困は、なぜか、世界のどこにあっても人口な急激な増加という現象をもたらす。
その一方では、この第三世界に根を張る食品産業第一位のユニリーヴァーと第二位のネッスルが、一九七〇年に提携してドイツ、イタリア、オーストラリアなどに合資会社を設立したのである。これ以上の強大な食品帝国はない。
ネッスルにはもうひとつの物語がある。
一九七四年にネッスルが提携したのは、フランスの化粧品会社「ロレアル」であった。ここに現代の資金の謎を解く鍵があった。ロレアル創業者の娘リリアン・ベタンクールと言えば、フランスの長者番付で、死の商人マルセル・ダッソー(相互参照)の死後はトップの座につき、ヨーロッパの女性富豪としても常に上位である。
このフランス人重役が、今やスイスのネッスルを大きな力で動かしているのだ。化粧品会社ロレアルの社史を調べると、予期しない男が登場するので読者は驚かれるだろう。
創業者のシューレルは、ドロンクルというパートナーと共にシャンプーや染料などの毛髪用製品を売り出して成功したが、このドロンクルの甥に当たる人物が、ロベール・ミッテランという男だった。
ロベールには、弟フランソワがいて、創業者シューレルはこのフランソワ・ミッテランを“ヴォートル・ボテ”つまり“あなたの美しさ”という宣伝雑誌の主任にしたのである。
フランソワ・ミッテランという名前は、聞き覚えがある。あのフランス大統領が、戦後直ちに化粧品会社のセールスをやっていたのである。
化粧品やファッションの世界で成功するには、ある一族の協力が必要になる。ロレアル化粧品のシューレルを出世させた資金は、アンリ・ロスチャイルドが提供していたものであった。
この節の冒頭に述べたイタリアのパスタ・メーカー「ブイトーニ」は、ネッスルの子会社である。クレディ・アグリコルも大株主である。彼らは連合して、その細胞をロスチャイルド家が構成している。
P682かくしてネッスルとロレアルの提携は、ロスチャイルドの資金で成功した者同士の大合同となって、ここに前述のユニリーヴァーとグランド・メトロポリタンを加えると、ヨーロッパ全土が“赤い盾”のテーブルで食事をすることになってしまう。
これが、フランスの農業銀行クレディ・アグリコルに集まる金の正体である。
このマンモス食べ物銀行は、前述のようにイタリアの農産物総合商社フェルッツィ・グループの大株主として、ヨーロッパ南部まで動かしてきたが、最近の東ヨーロッパに大進出し、ハンガリーやポーランドの農業を次々と食べはじめたのがこのフェルッツィ・グループで、投資銀行家のあいだではすでにヨーロッパ農産物商社№1と言われるまでになった。
この構造は単純だが、あまりに巨大である。
その巨大なものをひとつずつの会社と個人に分解してゆくと、かなりの資金源をつかむことができる。ここまでは、ユニリーヴァーの油脂、ギネスの酒、ネッスルのミルク、クレディ・アグリコルの資金などを中心として全体像の世界を見てきたが、われわれの知っているヨーロッパの飲食物はまだまだある。
ウィスキーの水割りには、フランスの「エヴィアン」と「ペリエ」のミネラル・ウォーターが世界じゅうに氾濫しているようだ。
ペリエは有害物質ベンゼンの混入によって評判を落とし、世界市場から回収する騒ぎを一九九〇年に起こしてしまったが、この重役室に坐っていたのが、アレクシス・グンツブルグつまり“ロシアのロスチャイルド”一族である。これは、系図を見れば分かるが、ペリエの創業者ルヴァン家が、グンツブルグと結婚していたからである。
これに対してエヴィアンは、親会社がBSNジェルヴェ・ダノンといい、食品の容れ物であるボトルなどのガラス・メーカーから出発して、今や世界最大の酪農製品メーカーとなっている。
子会社にはエヴィアンのほか、ジェネラル・ビスケット、クローネンブルク・ビールなどを数え、重役室にはラザール家、シュルンベルジェ家、ジレ家などわが一族がゾロゾロと顔をそろえている。フランスの食品会社としては、BSNが最大である。
チョコレートのヤコブス・スシャールからビスケットに至るまで、読者が本物のグルメだと自負するなら、この一品ずつを系図に描いた奇怪なテーブル・クロスの模様をくわしく観察されたい(系図60(1、2))。
このクロスは、フルコース用である。「ミルカ」を売り出すスシャール・チョコレートを、今度は“フォーチュン'90”世界一のフィリップ・モリスが買収したので、アメリカも顔を見せている。
このアメリカ企業の登場は、ただ現れてきたのではなかった。一九九〇年末にドイツの週刊誌“シュピーゲル”のスクープによって、この「スイス史上最大の企業買収の陰でインサイダー取引きがおこなわれていた」という事実が明らかにされた。
そしてスシャールの株価が急騰したのは、P683スイスの金融王国チューリッヒに本社を構えるロスチャイルド銀行の仕掛けによるもので、彼らはこの買収によって莫大な利益を手にしていた」のである。
イギリスに発し、全米一から世界一の食品会社となったフィリップ・モリスも、ロスチャイルド銀行が次々と企てた巨大食品会社の買収によって育てられてきたのであった。アルプスの少女ハイジが驚くほど、スシャール・チョコレートの味は苦い。
もう少し甘みを出すため砂糖が欲しければ、すでに示した系図38の世界最大の砂糖メーカー「テート&ライル」の製品か、系図49(1、2)のドゴール将軍の左下に見えるフェルディナンド・ベギンが販売する「ベギン・セイ」の製品を使えばよい。後者はフランス最大の砂糖メーカーだが、ベギンと手を組んだセイ一族は、北部鉄道の重役であった。
このテーブル・クロスに描いた社名は、一般の方には馴染みのないものもあろうが、食品産業に携わる人はよく知っている。いずれもトップ・クラスのものばかりで、それがわずか一枚の、これほど簡単な図におさまること自体が異常である。
さらに詳細な実態を知りたい人は、“フォーチュン'90”などの食品大企業リストを作り、各社の重役について系図と履歴を書き出して、同様の作業をおこなってみられるとよい。
本書ですでに示した範囲では、系図54(1、2)の一番下にいるピエール・ミラボーが「クレディ・アグリコル」の理事として君臨し、系図14のスワイヤ兄弟が「ブルック・ボンド」を支配し、すでに何十回も登場したモルガン・グレンフェル一族のデヴォンシャー公爵がイギリスの「王室農業協会」でトップの座を占めてきた。
「モルガン・グレンフェル」会長のピーター・キャリーは、“フォーチュン'90”の食品産業第五位「ダルゲティー」重役…この節に示した何枚かの食品支配者の系図を、これらの事実ととすべて重ね合わせるとき、EC全体が、農業に対して並々ならぬ努力を払い、工業家が食品産業を保護している証左となろう。
日本の農業政策が過保護だなどという人間の顔が見たい。農林業と水と空気は、生命と輪廻の源であり。それを知らずには美食家になることもかなわない。ヨーロッパでは特に十九世紀以来、その農業を保護するために莫大な資金が投じられ、これらの食品を全世界に輸出してきたのである。
ただしその背後には、莫大な農業利権を手にした二百家族をはじめとする富豪たちが存在し、軍隊付きの植民地侵略があった。その貪欲な収穫物によって、今日のヨーロッパ食品産業の資産が築かれたと言ってもよい。
わが国の場合、サラリーマン重役が工業界を動かしているため大富豪は存在せず、農業による個人的な利権もヨーロッパに比べれば小さい。その観点から分析すれば、ヨーロッパがすぐれているとも日本がすぐれているとも言えないであろう。
しかし結果は歴然としている。日本の食糧自給率が五割を切り、P687主要な食品では三割しか自給できないのに対して、フランスは自給率が一三〇パーセントに達し、三割の過剰である。
日本には金があり余っていると言いながら、それを農業の保護のために投入し、食糧の自給率を高める政策に転ずる時機を失しているのは、金の使い道を知らぬ悲しさの成金の性のためであろうか。
われわれがロスチャイルド家に学ぶものがあるとすれば、彼らが心底から飲み物を味わい、時には“ブリオッシュちゃん”と呼ばれるほど食べた女性もあったが、ワインを口にふくんで直ちに何年ものかを言い当てる舌を持ち、砂糖産業のレオン・セイを北部鉄道の重役に迎え、その鉄道が食品を支配し、彼らが農業に目を注ぎながら食卓についた姿勢にある。
ジェームズがヨーロッパ全土に鉄道を張りめぐらした動機のひとつは、そこにあった。これは誉れ高い貴族趣味として賞賛に値する。
しかしロスチャイルド家は過ちを犯してしまった。この食品産業を育てながら、もうひとつの手で別の産業に深く介入し、自らの手で食卓を汚しはじめたのである。
テーブル・クロスの左上に、原子力産業の総元締めとも言うべき「リオ・チント・ジンク」の名前がある。ロスチャイルド家のなかで、この家族が“ムトン・ロチルド”を売っているのである。“酒とバラの日々”の系図59(1、2)を重ねてみると分かる。
ウランを食卓に並べて、彼らは一体何をしようというのであろうか。
ここで、南アに展開したイギリス人とオランダ人の戦い、ボーア戦争を思い浮かべてみよう。本国から追われた“さまよえるオランダ人”が十九世紀にはボーア人と呼ばれ、今日ではアフリカーナーと呼ばれる白人支配者となってウランを発掘してきた。
それをイギリス企業のリオ・チント・ジンクが買って全世界の原子炉に送り込んできた。現在はすでにボーア戦争時代の恨みなどなく、イギリス人とフランス人が手を組んで黒人に立ち向かっている。
シェルとユニリーヴァーの社史から明らかになったように、敵対関係にあったイギリス人とオランダ人をパートナーとして組ませたのは、わがロスチャイルド家であった。
それならば、リオ・チント・ジンクの場合にもオランダにパートナーがいるに違いないが、なるほどオランダには、ヨーロッパ最大の電機メーカー「フィリップス」がある。
この電機メーカーは軍需産業であることはほとんど紹介されず、創業者のアントン・フィリップスと白熱電球の物語だけが広く紹介されてきた。人の発明を盗み取りながら、偉人となっているエジソンの伝記と同じである。
フィリップス社について特徴を記すと、次のようになる。ユダヤ人の商家であるフィリップス一族は、ユニリーヴァーの母体となったマーガリン・ユニの発展と共にその関連事業で潤い、やがて電球の製造に進出していった。
ことに大きなP688成功を収めたのは帝政ロシアに対する契約で、創業者のアントン・フィリップスが足繫くペテルブルグに通って商談を成立させたのである。楚の伝記にはグンツブルグ男爵は登場しない。
しかしロシア革命後、フィリップスを再び新生ソ連に迎え入れたのが、バクー油田を支配したイギリス大使レオニード・クラーシンであったから、すでにロスチャイルド家との深い交流があったに違いない。
フィリップス電機は、ヨーロッパに広大なネットワークを張りめぐらしたあと、アルジェリア、ルーマニア、南ア、オランダ領東インド(インドネシア)に進出していった。
それは驚くほど本書の物語に合う地名ばかりであった。そして迎えた第二次大戦のなかで、フィリップスはナチスの手を逃れてアメリカへ渡ったが、息子のフリッツをオランダに残さなければならなかった。
フィリップス社がその当時資金をつぎ込んでいた研究が原子力であり、そのためのウランと研究資料をドイツに奪われないようにするためであった。フィリップスの娘ムコであるサンドベルク男爵は、第一次大戦で軍需産業として活躍したフォッカー航空機の重役だったが、第二次大戦前に飛行機事故で死亡していた。
しかしフィリップス社は、すでにイギリスのヴィッカースと深い関係に入り、今日では防衛システムのメーカーとして事業を展開している。これだけでは、リオ・チント・ジンク社との関係があまりに不明瞭である。
そこで、ロスチャイルド家の資産目録をくわしく調べてみると、社長アラン・ロスチャイルド、取締役ギイ・ロスチャイルド、エリー・ロスチャイルド、エドモン・ロスチャイルドという大変な顔ぶれの「北部投資会社」が保有する最も重要な有価証券のなかに、ロイヤル・ダッチ・シェル、リオ・チント・ジンク、北部鉄道と並んで、フィリップス社の名前が記されている。このギイ・ロスチャイルドが「リオ・チント・ジンク」の支配者であった。
フィリップスの現代の監査役アラード・ジスコートは、「J・ロスチャイルド・ホールディングス」というイギリス“赤い盾”の持ち株会社で重役をつとめている人物だ。そして何より、フィリップス・ノースアメリカ社の大株主が、リオ・チント・ジンクである。
フィリップス・オランダ本社の幹部フランソワ・オルトリが、同時にユニリーヴァー重役であった。フィリップス一族の系図は、ドイツ篇で紹介することにしよう(相互参照)。
こうしてユニリーヴァー(食品)、シェル(石油)、リオ・チント・ジンク(原子力)、フィリップス(電機)というマンモス企業が、ひとつの手で動かされてきた。
問題は、その支配力の大きさではなく、この四つの事業を組み合わせたときに生まれるさまざまな“危機創作”のトリックである。一九七三年の中東戦争に端を発したオイルショックは、P689全世界が原子力時代へと突入する道を拓いた。
しかも石油価格が暴騰するなかで、シェルをはじめとするオイル・メジャーが計上した利益は天文学的な金額に達した。これによって、石油・原子力・電機の三大産業がチャンスを逃さず、共に肥えるという不思議な結果を招いた。
一九九〇年八月二日のイラクによるクウェート侵攻によって、再び石油価格が人為的に吊り上げられたが、今後も同じように事件が起こるたびに不思議なことが続くのである。
この価格をヨーロッパで操作している中心地が、オランダの貿易港ロッテルダムである。
原子力であろうが石油であろうが、これ以上の工業化の加速に地球が耐えられない状況まで、自然が病んできた。ところが各国の電気事業者は“原子力か石油か”という奇怪で時代遅れの論争を社会に挑み、突然に環境保護論者に身を変えて原子力発電の必要性を宣伝しはじめた。
このとき最大の声をあげたのが、オランダであった。パリバ銀行のバは、フランス語で“低い国”オランダを意味すると述べたが、温室効果によって海水の温度が上昇すると北極や南極の氷が溶けてしまい、低い国オランダの海岸線は水没してゆく。
したがって、石油火力による発電が発散する温室効果の元凶、炭酸ガスを抑制したい。
しかしそのために原子力がよいと言うなら、その論理には利権の強烈な悪臭が漂ってくる。
チェルノブイリ級の原子炉一基が、わずか一年で海水などのなかに排出している熱量は、広島に投下された原爆の七百発分にも達する(tw、tw)。
原子炉は、運転しているだけで直接、きわめて大きな熱を使用せずに地球上に放出し、海水を加熱しているのである。全世界には、すでに四百基を超える原子炉が運転されている。
現在われわれは、オランダの環境保護論がどのような性格を帯びているかについて、正確なところが分からない。
しかし似たような論争がそちこちに急展開しているので、次のような利権の構造を頭に入れておき、何らかの世界的な事件や紛争が起こったときに懐疑的な態度で、冷静に仕掛け人の目的を解析できるようにしておきたい。
手許にあるカードは、石油のスポット価格を決定するロッテルダムである。スポット価格とは、長期の契約による価格でなく、一回限りの取引に対して対して決められたる価格のことだが、社会が動揺すると商品を確保したい業者が先を争って、この値決めによる商売が優先してくる。
オイルショックのような事件が起こると、特に多くの取引がこの株式市場のような方式に頼って原油を売買することになる。
この相場の背後にいるのが、「アムステルダム・ロッテルダム銀行」--通称アムロ--である。
十七世紀から十八世紀にかけて国際金融の中心地であったアムステルダムは、わがヤコブ・ゴ-ルドシュミットがアムステルダム国際銀行を創設した町だが、スペイン・ポルトガル系のユダヤ人地区P692が中心となって、ダイヤと貴金属の取引きによって発展してきた。
また、激動の東ヨーロッパの経済立て直しのため一九九一年に正式に発足したヨーロッパ復興開発銀行の初代総裁として、わが地中海クラブのジャック・アタリと共に候補者となったのが、アムステルダム・ロッテルダム銀行の総支配人オンノ・ルディングであった。オランダの大蔵大臣がこの人物であった。
ECの秘かな金庫番であるこの銀行は、「アムステルダム銀行」と「ロッテルダム銀行」が合併して成立したものだが、一九九〇年にはオランダのもうひとつのライバル銀行「アルヘメーネ・バンク・ネーデルランド」と合併してしまったのである。後者の名前は、オランダ・ゼネラル銀行を意味する。
この二大商業銀行の合併は、どのような背景から成立したのであろうか。さまざまなオランダの会社の名前を一枚にまとめたのが、前項の図である。
ロッテルダムの石油から生まれる二大産業は化学と製薬だが、その代表者が、オランダの巨大化学会社「アクゾ」と製薬会社「ヒスト・ブロカデス」である。
誰もが知っているオランダの会社は、KLMオランダ航空だろうが、南アには“オランダ銀行”を意味する「ネドバンク」が設立されている。
アムステルダムには、オランダ銀行もある。発電建設業者バラスト・ネダムも大きな勢力を持っている。パリバ銀行は、パリ・オランダ銀行の意味であった。ハイネケンのビール…
面積では小国のオランダが、日本人よりはるかに効率よくかせぐ理由は、“さまよえるオランダ人”の図が示す通りである。ロスチャイルド家のロバート・コーエンがロッテルダムに製油所を建設して以来、オランダはロスチャイルド家の石油総本山として機能し、国家そのものを“赤い盾”のために捧げてきた。
特大銀行と特大産業は、九州より狭い面積のなかで実に効率よくひとつの株式会社を構成しているのである。
オランダを調べるまで気づかなかった一大発見は、フランスからアメリカまで石油探査事業で世界一を誇るシュルンベルジュ社の個人銀行「ヌフリズ・シュルンベルジュ・マレ銀行」が、オランダの銀行の子会社となっていたことである。
インドシナ銀行を動かしたわが石油一族が、オイルショックの震源地ロッテルダムの港を通じてシェル石油と手を組んでいたのである。これがスポット価格上昇のトリックであった。
この図に書かれた国名は、イギリス、フランス、ベルギー、アメリカ、南アである。さまよえるオランダ人、ボーア人が南アでおこなっている事業をにも注目していただきたい。
“フォーチュン'90”の食品産業のリストのなかに、南アの「バーロー・ランド社」が全世界の第十位にランクされているのは驚きだが、これを動かすオランダ銀行「ネドバンク」の会長オーウェン・ホーウッドは、一九七七年に核兵器開発の必要性を訴える大演説をおこない、南アの経済相・金融相・開発銀行総裁を歴任してきた危険人物であった(上巻135頁の図参照)。
そのネドバンクは、勿論ロスチャイルド家のアングロ・アメリカンの子会社だが、カリブ海のケイマン島に脱税用の支店を構えている。訪ねてみれば、オフィスもなく、表札があるだけの銀行。
この図から読み取れる原子力の石油の巧妙な関係を、世界的な事件が起こるたびに思い起こしていただきたい。それが今日の環境論の背景にある隠れた世界のようだ。
もしこの図に銀行がなければ、われわれも彼らの議論に真剣に耳を傾ける気になろうが、これでは絶えず彼らの決算報告書に目を通してからでなければ、話をう呑みにする気になれない。
そろそろこちらの胃袋には、ロチルド家のシェフがふるまってくれた豪華な手料理のおかげで、毒物がかなり取り込まれたようである。謎のリオ・チント・ジンク社を腹一杯食べたところで、この秘密を分析しなければなるまい。
前世紀末、今からちょうど百年を遡る一八九一年、ポーランドからひとりの女性がパリにやって来た。その名をマリア・スクロドフスカといった。
彼女は、のちにキュリー夫人として全世界に知られ、白血病でこの世を去ったのである……
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