2019年8月12日月曜日

偏愛メモ 『平和はいかに失われたか』

P52 マクマリー(相互参照)は、幣原外相の腹心として知られる日本代表の佐分利貞男氏の懸念を聞いて、それを深刻に受け取めた。アメリカの中国政策は「非現実的な排他主義に陥る可能性がある。アメリカは中国で本質的なかかわり合いを持っていないから、そういうこともできる。しかしそれは日本にとって堪え難い状況を作り出す。中国は日本にとって経済的政治的に絶対に必要なのだから」と佐分利は述べたのである。

マクマリーは、ワシントン体制(相参1相参2)の評価に関する別の分析の中で、国際的な法の枠組みの完全な状態での維持について、同じような最大の懸念を表明している。特にその事例としてあげているのは、広東の国民政府が、二分五厘の付加関税の実行開始を一方的に決定したことである。

この問題は、一九二六年夏の混乱で会議が一時中断するまで、特別関税会議における各国間交渉の中心議題であった。ワシントン会議は、このような一国の単独行動、あるいは地方的な行動を想定していなかった。日本は事態を憂慮して、「ワシントン会議に参加した列強諸国による会議の開催が望ましい」と考えた。米国国務省は(マクマリーの見るところでは)、中国による条約の一方的否認を支持する教会団体の圧力に影響されていた。

さらにまた、ステファン・ポーター下院議員の決議案の影響もあった。米国内の政治的圧力によって米国政府は受け身の姿勢となり、「英国と日本との間に提案されている協議を進める緊急性を認めない」として、日本の要求を拒否することになったのである。この結果は日本と米国の信頼関係に深刻な打撃を与えた。

これは一九二六年秋のことであったが、ワシントン体制に対するさらに深刻な難題が、P53次の年の春持ち上がった。国民党軍が一九二七年三月南京を占領したときに起きた暴動と殺戮(いわゆる「南京事件」)は、「中国の全地方に不吉な緊迫状態をもたらした。

宣教師も不本意ながら内陸部での布教を断念し、商人は輸出港での事業を取りやめ、外国人もまた仕事を放棄して母国に帰るか、もしくは嵐が立ち去るまで天津か上海へ避難して時を待つしかなかった。このときもまた、米国は他の列強と協力しなかった。すなわちアメリカは、共同抗議文書の起草には参加したのに、国民党に対する制裁行為に強調しようとはせず、(ワシントン会議に参加した他の列強の行動を)無力なものにしてしまい、これらの国を気まずい状態に放置する結果をつくった。

マクマリーにいわせると、一九二六年の秋、中国が破棄しようとしたベルギー条約の件に関する米国の対応は、国際法と国際協調の原則に照らして、もう一つの裏切り行為であった。ベルギーは、中国にとって決して重要な意味をもつ強国というわけではないが、この条約は、「列強と中国との関係の基礎を確立した典型的な条約の一つ」である。

もしそれが条約の条文に違反して一方的に破棄できるとするならば、その他の諸国条約もすべて同じように脆弱だということになる。法律的な観点からすれば、このような考えは極めて深刻な事態を招く。国内的な視野から物事をみる傾向の強かったケロッグ長官は、マクマリーの懸念を取り上げようとはせず、それどころか記者会見で『中国によるベルギー条約破棄兼通告に抗議しているベルギー政府を、米国政府が何故支持しなければならないのか私にはその理由が分からない』、との見解を表明したのである。

ワシントン体制を傷つける最も決定的な契機は、中国による一八九六年および一九〇三年の日清条約(通商・航海条約)の破棄であった。一九二八年九月、内田康哉伯爵(一八六九年~一九三六年)が、田中(義一)新内閣の方針説明に国務省を特別訪問したとき、

P54米国政府が、おそらく何か適切反応を示すものとマクマリーは信じていた。

田中内閣は、ある面では幣原外相の中国政策の失敗に対する不満が原因となって政権をとったとも言える。内田は、日清条約の破棄に対する列強間の協調の欠落、中国が何らの責任追及を受けそうもない事態についての懸念を表明した。

この日清条約破棄事件は、日本にとって極めて深刻な事柄であったのに、米国の対応は言い逃れに終始し緩慢であった(tw)。(翌年の二月までこの状態が続いた。)

1国の条約軽視という日本の懸念に対し、米国政府は例の古典的な"曖昧な言い回し"(double-talk)で次のように述べている。
「(中国の)国民政府は、国際的な最高基準にしたがって行動しようとしているものと米国政府は信じている。また国民政府の行動が、そのような意図をはっきり示してくれるものと我々は期待している」
このように米国政府から「肘鉄砲」の扱いを受け、また一九二八年七月米国が日本との事前協議なしに中国国民政府との間に新条約(米中関税協定)を締結してしまったことが、日本の姿勢を変えることになる(相互参照)。

日本が、自国の権益を守るためにこれまでの多国間協調外交への依存をやめて、自らの軍事力に頼るようになったのは驚くにあたらない。以上述べてきた例、その他これに類した諸例から、マクマリーは結論を出している。すなわち、日本を知らず知らずのうちに、いまや米中両国に脅威を与えている攻撃的な国につくり変えていったのは、中国とアメリカなのだと」。

米国はどうすればよいのか?我々がすでにみてきたように、メモランダムが書かれた頃の米国の政策立案者たちは、日本に対する取り組み方について意見が大きく分かれていた。ある者は、日本がアジア大陸でつくり上げてしまった一応の現実は、もはやくつがえすことのできない事態として甘受せざるをえないと考えた(相互参照)。

一方では、この現実に断固抵抗すべきであるとする意見の者もいた。マクマリーの提案は、アメリカはゆっくりと注意深く撤退すべきだというものであった。そP55れは、アメリカの諸原則を損なうことなく、しかしそれを強制する手段が存在しないことに鑑み、その適応はタナ上げにするというものであった。なかでもマクマリーは、アメリカにとって何の利益にもならず、しかもこのままでは起こりそうな戦争を、なんとしてでも避けたいと願っていた。

それというのも彼が指摘しているように、アジアの問題は、日本ではなくむしろ列強間の国際関係の全体構造そのものであったからである。

たとえ侵略者の日本を打倒しても、それで平和になることなどまずあり得ない。むしろソ連がこの地域の支配的強国として日本にとって代わり、米国の権益確保に有害な事態となることは間違いないだろう (tw,相互参照)。