2019年9月9日月曜日

偏愛メモ 『人間の建設』

数学も個性を失う P25-34
(P24-)

  →科学と芸術、あるいは、普遍と個別、『人間の建設』参照

科学的知性の限界 P34-44
(P38-)

P39 心が納得するためには、情が承知しなければなりませんね。

P41 知性には感情を説得する力がない。

人間と人生への無知 P44-52
(P50)

P51 小林 アウグスチヌスが「コンフェッション(懺悔録)」のなかで、時というものを説明しろといったらおれは知らないと言う、説明しなくてもいいというなら、おれは知っていると言うと書いていますね。

 →「それが何であるか問わなければわかるが、問うとわからなくなる」もの...(参照

美的感動について P71-81
(P72)

P72 言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情緒が起るについて、それはこういうものだという。

それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ、見向きもしない。そういう人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世界の人といっておるのです。

芥川は詩という言葉が好きでした。(略)P73 漱石の書いたものには詩がある。しかし鴎外にはそれがないと言っていますね。

 →科学と芸術、あるいは、普遍と個別『漱石が見た物理学』(参照

(P78)

P78 小林 (ゴッホの原画を見て)複製のほうがいいですわ。

人間の生きかた P82-93
(P82)

(P84-)ドストエフスキーとトルストイの違い


近代数学と情緒 P125-136
(P128-)


信じることと考えること