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P694 これからの物語は、暴走するヨーロッパの原子力産業がどのようにして世界を支配し、そのシンジケートがどのような細胞によって構成されているのか、そのメカニズムをかつて語られたことのない史実として明らかにしてみたい。
古い時代に、キュリー夫人がパリでラジウムを発見した。今日そのパリを中心として、フランスの原子力産業が最も危険な状態にあることを多くの人が知っている。キュリー夫人と現代フランスの原子力は無関係であろうか。キュリー夫人の娘ムコであるジョリオ=キュリーが、フランスの初代原子力長官であったという事実は、あまり認識されていない。
果たしてその世界を動かしてきたのが誰か、つまり科学者を操った人間たちが誰かということについては、誰ひとり調べたことがない。
その一方では、再三決めつけたように書いてきたが、南アとナミビアを中心とするウラン帝国の支配者は、ロスチャイルド家の鉱山業者「リオ・チント・ジンク」である。これもまだ、充分に調べたわけではない。本社はパリではなく、今度はイギリスのロンドン、セント・ジェームズ・スクェア六番地にある。
しかもこの社名は、どう見ても純粋な英語ではない。スペイン語のリオ(河)とチント(色調・顔料)に、英語のジンク(亜鉛)を組み合わせたものだ。なぜスペインなのであろうか。本書ではこれまで、スペインについて触れずに話を進めてきたが、魔窟スペインは闘牛とピカソだけで説明できるほど詩的ではない。
『ドン・キホーテ』に『アルハンブラの思い出』を加えても、ゴヤとヴェラスケスでもまだ足りないものがある。
南米のコカイン・マフィアはスペイン人によって動かされ、メキシコからアルゼンチンまではスペイン語圏である。ペルーの新大統領アルベルト・フジモリを苦しめてきたのが、農民、"インディオ"を支配したスペイン人であろう。
身近なアジアに目を向ければ、フィリピンの独裁者マルコスを育て、マルコス失脚後はアキノ政権に支援を送る豹変ぶりを示したのが、P695フィリピン最大のアヤラ財閥、これがスペイン人である。アヤラ家の資金がどこから生まれたかについて、くわしく書かれた資料はない。
ところがバクー油田の発見者と言われ、その油田の利権を実にひとりで五パーセントも握ったアルメニアの実業家カルースト・グルベンキアン(参照1、参照2)は、そのため"グルベンキアンの五パーセント"と呼ばれるほど石油業界の言説の人物となったが、息子の結婚相手がマリー・アヤラであった。
世界最大の密約によってグルベンキアンは大富豪となったあと、ポルトガルに居を構え、美術品のコレクターとして生涯を終えたのである。この伝説のどこにも書かれていないが、グルベンキアンに融資した男フレデリック・レインは、パリ・ロスチャイルド家とシェルの代理人であった。
グルベンキアンもまた"ロスチャイルドの金"によって操られていたのである。その生涯を終えたポルトガルと、問題のスペインは、あまりにも近い距離にあるではないか。しかしフィリピン最大の財閥アヤラ家の謎は、いまだに解き明かされていない。
そして現の地球環境論のなかで、「温室効果をおさえるには原子力が必要である」という見解を公式に表明し、全世界に訴えたのがスペインの工業エネルギー大臣ホセ・アランサディであった。この男は、一九八九年五月三十日、天安門事件の直前にパリで開かれた国際エネルギー機関(IEA)の会議で議長をつとめ、原子力推進論を改めて打ち出したのである。
アランサディは、スペイン最大の商業銀行「ビルバヤ・ヴィアスカーヤ銀行」の財政顧問だったが、この銀行はフランスの「ラザール・フレール」の系列の銀行である。おぼろげながら、スペインの新しい匂いがわれわれの鼻をついてくる。実は、次のような世界だったのである。
マリア・スクロドフスカがパリにやって来ると、彼女はピエール・キュリーと結婚し、キュリー夫人となった。このキュリー夫妻にとって重要な存在となったのがアンリ・ベクレルで、この人物が天然の放射能を発見した最初の科学者であった。
こうして放射能をキュリー夫妻が研究しはじめ、のちにベクレルとキュリー夫妻の三人が一九〇三年度のノーベル物理学賞を受けたのである。今日チェルノブイリ原子炉のまわりには、一平方キロメートル当たり一キュリーを超えるときわめて危険な汚染地域が広大な範囲にわたって発見されている。
チェルノブイリの事故のあと、スパゲッティなどの食品に含まれる放射能は一キログラム当たり三七○ベクレルを超えてはならないという国際基準が設けられながら、この数値そのものが幼児の肉体にはかなり危険で、大きな問題となっている。その放射能の単位ベクレルとキュリーが、ノーベル賞を受けていたわけである。
ノーベル財閥が、爆薬ダイナマイトの発明によって莫大な富を築き、バクー油田に利権を獲得したのは、その二十八年前、P696一八七五年のことであった。それから八年後に、ノーベル兄弟の石油をロスチャイルド家が販売しはじめた。
やがてパリ・ロスチャイルド家に、ロンドン・ロスチャイルド家からアンリがやってきて新しい事業をはじめたのは、ちょうどキュリー夫人が夫とともに放射能の研究に没頭している一八九○年代のことであった。
一ハ九八年に夫妻が発見した新しい放射性元素は、夫人の故国ポーランドに因んでポロニウムと名付けられた。次にキュリー夫妻が発見したのは、やはり放射線(radiation)を出す物質で、今度はラジウム(radium)と名付けられた。
金融王ネイサンのひ孫にあたるアンリ・ロスチャイルドは、パリにあってこの発見に注目した。彼はパリに定住するとドクトル・アンリと呼ばれ、開業医となっていたのである。ところがこのドクトルは変わった男であった。
アフリカへ行ってワニ狩りに熱中し、大怪我をしてフランスに移り住んだという経歴の持ち主で、その後も自動車狂としてメルセデスを乗りまわし、パリからモンテカルロまでスピード記録を打ち立てるかと思えば、パリにピガール劇場を建てて女遊びにほうけていた。
自らアンドレ・パスカルという立派なペンネームで脚本を書き、女優を呼び寄せ、その名も"エロス号"と名付けた豪華ヨットに彼女たちを招いて人生を愉しんでいた。それもそのはず、北部鉄道の重役であるから、金はあり余っていた。
このドクトル・アンリこと道楽アンリは、それでも医者は医者だったのである。殺菌や衛生についての雑誌を創刊し、自分と妻の名前をつけたアンリ・マティルド病院を自費で簡単に建ててしまった。その一方では、ボルドーの葡萄酒を経営してムトン・ロチルドを製造していたと言うのだから、これは大変な男であった。
やがて道楽アンリが目をつけたもの、それがほかならぬキュリー夫妻のラジウム発見だったのは、ロスチャイルド家と人類にとって大きな運命のいたずらであった。
ピエール・キュリーは、ノーベル賞を受賞してわずか三年後、大学からの帰途に荷馬車に轢かれて即死するという悲運に見舞われたが、遺されたキュリー夫人の一家にも次々と病魔が襲いかかろうとしていた。
一九八四年にパリで競売に出されたキュリー夫人のノートは、使用された当時から八十年も経っていながら、強い放射線を出し続けていた。したがって八十年前にそのノートに文字を記していた本人は、強烈な放射能に取り囲まれていたであろう。
わがドクトル・アンリ・ロスチャイルドは、傷心のキュリー夫人に代わって、ラジウムの製造所をつくったのである。ベクレルからキュリー、キュリーからロスチャイルドへと、放射能の世界は新しい道を歩みはじめた。
ここには、初めからロスチャイルド家にとって宿命ともいうべき関係が存在していた。ベクレルはなぜ天然の放射線というものを発見したのであろう。P697アンリ・ベクレルは、偶然にも写真の乾板のかたわらに鉱石を置き、この乾板が強く感光していることに首をかしげた。
黒い紙で包み、光を通さないようにしていたのに不思議なことだ。この鉱石は何だろう。その鉱石が、ウランというものであった。ベクレル家は、代々の物理学者であったが、特に鉱物や金属について深い結びつきを持ち、当人も土木技師として鉱物に興味を抱いていたため、放射能を発見したのである。
ロスチャイルド家は、貨幣の交換によって財を成し、その後も金銀の支配者となった一族、こちらは鉱物の王者だ。そのロスチャイルド家が金銀を取り出すのに必要としたもの、それが水銀であった。歯の治療に用いるアマルガムは、金と水銀の合金、あるいは銀と水銀の合金である。
この合金によって金銀を抽出したため、水銀は貴重な金属であった。水銀を支配することによって、金銀を支配できる時代であった。
ロスチャイルド家が確保した水銀の鉱山は、スペインにあった。それはアルマダ鉱山といい、
スペイン王室が握っていた。こうして金融王ネイサンとスペイン王室の深く複雑な取引関係が生まれていったが、ロスチャイルド家がスペインから手に入れたものはアルマダ鉱山だけでなく、ほかにもまだある。
ひとつの鉱山に手をつけると、ぞろぞろとほかの金属が一緒に出てくるものだが、スペインで大きな収穫をあげたのが亜鉛であった。さらに、リオ・チント銅山の開発も大きな収益を記録しはじめた。後年、このふたつが合併して、リオ・チント・ジンクとなるのである。
そしてこのスペインの事業をおこなうために活動したロスチャイルド家の代理人が、フランクフルトでユダヤ人の十二大富豪のひとつに数えられたワイスワイラー一族であった。奇しくもと言うべきか、計画通りであったか、ラジウムの製造所を建て、アンリ・マティルド病院を建てたドクトル・アンリの妻が、その一族マティルド・ワイスワイラーだったのである。
ロスチャイルド家では、事業を正しく遂行するためには、必ずこの寝室の奥義が用いられてきた。豪華ヨット"エロス号"に乗っていても、正妻は水銀と亜鉛を届けてくれる一族でなければならなかった。
こうしてキュリー夫人のラジウム発見に端を発した原子物理学は事業に姿を変え、放射能とは無関係の鉱物・亜鉛を扱う業者「リオ・チント・ジンク」の手に落ちていった。キュリー夫妻は、ふたりの娘イレーヌとエーヴを持っていたが、エーヴは物書きとなり、イレーヌが母と共に放射能の研究に入っていった。
その夫フレデリック・ジョリオがのちにジョリオ=キュリーと姓を変え、この系図61のように六人の名前を書いてノーベル賞受賞が合計六回という大層な放射能ファミリーを生み出した。しかも、白血病の死者が三人を数え、放射能を扱いながら白血病で死ななかったのは、荷馬車に轢かれたピエール・キュリーだけであった。
P698 ノーベル賞の資金源と、それを利用するロスチャイルド家の存在を金に換算すれば、これは充分に採算のとれる賞であった。エーヴ・キュリーの夫ヘンリー・ラブーイスが国連で十四年もユニセフの事務局長をつとめ、ラブーイスの娘ムコがドレフュス財団の理事であったことは、ユニセフがおこなう子供のためのチャリティー・ショーに謎を投げかけよう。
このようにリオ・チント・ジンク社がスペインの水銀から亜鉛や銅に手を出し、さらにウランにまで進出していった歴史と、いまだ語られたことのないスペイン財閥の秘密は、読者とどのようにつながっているのであろうか。
この財閥が、一九九○年のイラクのクウェート侵攻と無関係ではないのである。ダイアナ・ロス、スタン・ゲッツ、ビーチ・ボーイズ、ポインター・シスターズ、ウィリー・ネルソンらと共に歌い、ミリオンセラーを記録したスペインの歌手、フリオ・イグレシアスがいる。その邸宅は、まるでお城である。
フィリピンのマニラに生まれた女性イザベルは、フリオ・イグレシアスと離婚したのち、スペイン王室一族のクバス公爵フェルナンド・フェルナンデスと結婚した。このCubasとはキューバのことで、スペイン人がカリブ海にコロンブスを送ってキューバを植民地としたことに因んだ爵位であった。
ところが一九八九年二月、このクバス公爵夫人のセミヌードが週刊誌に出て、スペイン第二位と第三位の銀行の合併が破談になるという金融界の大事件が起こってしまった。(←太字部分の事実は確認できない)
P699実に、かつてフリオ・イグレシアスの妻だったイザベルが、今度はクバス公爵と別れて大蔵大臣のミゲル・ボイエル(Boyer---英語読みボイヤー、フランス語読みボワイエ)と結婚し、そこにヨーロッパの女性長者番付で八位と九位に名を連ねるユダヤ富豪コプロヴィッツ家の娘ふたりが絡み合って、すさまじいスキャンダルとなってきたのである。(「ALBERTO CORTINA Y MARTA CHÁVARRI」で検索のこと)
寝室の話は他書にゆずるが、この事件の登場人物がみな世界トップ・レベルの大富豪で、全員を系図に描いてゆくと、リオ・チント・ジンク社がスペインを支配した構図が浮かび上がってきた。そこに、ロンドンの「クウェート投資会社」が登場してくるのはなぜであろう。
次に示す系図62は、一般の読者には馴染みのないものがほとんどであろうが、これからスペインに乗り込もうという野村証券などにとっては、多少とも興味深いメカニズムが読み取れるはずである。野村はスペイン第四位の「サンタンデール銀行」と資本提携することを一九八九年に発表し、EC統合への布石をスペインに打ったばかりである。
野村が投資する先は、暴力団だけでもないようだ。イギリスの財界誌"ユーロマネー"が一九九○年末に発表した優良銀行のリストによれば、トップはこのスペインの「バンコ・ポプラール」で、これはケイマン島に支店を構えている。
五位が野村と提携した「サンタンデール銀行」、十位がラザールの系列「ビルバヤ・ヴィアスカーヤ銀行」と、スペインが世界ベスト・テンの三つを占めているのである。しかもビジネスマンには説明するまでもないスペイン富豪の代表者たちが、この系図のなかで一族となっている。
そのようなことを知らずに生活している罪もないヨーロッパ人にとって重要なことは、次の点にある。スペイン第一、第二、第三、第四の銀行が四つともここにあるが、ロスチャイルド家はそのいずれに対しても手を回している。
ノーベルの爆薬産業とリオ・チント・ジンクの鉱山事業が、ダイナマイトという採掘爆破材料によって結合し、歴史のなかで巨大な鉱山トラストを形成してきた。国際エネルギー機関(IEA)の議長であるスペイン人が、わがラザール・フレールと銀行界で通じていた。これが最近の環境論の実態であった。
ロスチャイルドがこのように容易にスペインに入り込むことができたのは、ここに描いたほかにザハロフやJ・ゴールドスミスなど数々の姻戚関係によってスペイン王室に取り入ってきたからである。
産業史のなかでは、スペインの重要な産業であった織物業界に蒸気機関を送り込んで支配の手をひろげてゆき、一八五八年にはフランスの鉄道王ジェームズがサラゴサ鉄道などの会社を設立し、スペインの幹線を建設してフランス・ロスチャイルド一族が重役室を占拠してしまってた。
P702 それは、ほとんど植民地同然の結果をもたらした。スペイン銀行の設立がその前年、リオ・チント社の設立がその十八年後にあたり、スペインの産業資本確立の時代であったため、今日まで不動の地位を保ってきたのである。
では、王室に代わって独裁者となったフランコとロスチャイルド家の関係は、どのようなものであったか。フランコがファシズムの代表者とされながら、第二次世界大戦ではヒットラーに絶縁状を突きつけ、スペインが最後まで参戦しなかった行動は歴史の謎とされている。
フランコがその当時ロンドンに派遣していたスペイン大使アルバ公爵は、母親がスペイン王室の一族であり、父親がイギリス人であった。ロマノフ王朝を倒した新生ソ連がツアー一族を利用したのと同じように、独裁者フランコはスペイン王室のファミリーを最も重要な外交官として登用していた。
しかもアルバ公爵当人は、本書の最後に明かすロスチャイルド家の秘密クラブのメンバーだったのである。この公爵をロンドン大使としたフランコが鉱山ストライキの弾圧によって台頭し、その鉱山利権者に支援されてモロッコで勢力を築いたときから、すでに誰の代理人であったかを推測することができる。
フランコの独裁は、スペイン産業公社(INI)を育て、銀行と持株会社を兼ねたこのマンモス会社による全土の支配が目的であった。フランコはここにすべての資金を投じたと言ってもよい。ことに鉱山と鉄鋼、電力といった産業を育てるのに、誰の力を借りたか、その産業のメカニズムは歴然としていた。
実際、ロスチャイルドのICIやフィアットが大きな援助を与え、個人的にはアルバ公爵のほかに、先ほどの系図62に示したスペイン一の富豪ラモン・アレセスらが巧みに取引きしながらフランコを支えたのであった。
(略、まだまだつづく)
P704アメリカの極秘原爆製造作戦「マンハッタン計画」には、全世界の頭脳が結集された。ナチスと大日本帝国を倒すため、ヨーロッパ全土の学者がニューメキシコ州の砂漠に建設されたロスアラモス研究所に続々と到着した。
爆撃機などの兵器産業は、すでにアメリカ大陸が圧倒的にヨーロッパの技術をしのぎ、大量生産システムによる物量作戦が死の商人を太らせていたが、原爆の製造はそれまでの戦争にないものを必要とした。
ウランの原料を鉱山から入手し、これを高度に濃縮しなければならなかった。次に、このウラン燃料を使って、放射線を出す重い水素、“重水素と三重水素”と火薬を組み合わせなければならなかった。
P705その原料となる重水という物質が、緊急に必要とされたのである。しかも原子爆弾ができるかどうかは未知であり、理論的に可能というにすぎなかった。一連の実験によって一歩づつ実現に向かう段階にあって、原子炉を用いた核物理学の完成が急がれ、原子炉のなかで進行する核分裂反応を具合よくコントロールするためにも重水が大量に必要になった。
このウラン鉱山の現場を支配していたのが、世界のどこにあってもロスチャイルド家であったことは、金貨を扱うユダヤ人の長い歴史の必然であった。アメリカの鉱山をウォール街で動かしていたのが、非ユダヤ系の二大財閥モルガン家とロックフェラー家であっても、採掘場の主導権は、わがグッゲンハイム、セリグマンなどが“赤い盾”の誇る機動力をもって、コロラド州からアフリカ大陸までを支配していた。
そしてウラン濃縮と重水の製造は、アメリカをはるかにリードしていたヨーロッパの化学産業が、原料と技術と頭脳を注ぎ込む分野であった。世界最大の化学トラスト、ナチスのIGファルベンに立ち向かったのは、イギリスに登場したインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)だが、オランダに登場したアクゾ化学、フランスに登場したローヌ・プーラン、ペシネー、ベルギーのソルヴェイなど、この分野もすべてロスチャイルド家の見えない糸で世界的な化学トラストをつくりあげていた。
今やナチスに侵略されていたのがこれらヨーロッパ諸国であり、そこに中立国として北欧のノーベル・トラストが果たすべき役割は、限りなく大きいものがあった。北欧、それは知られざるヴァイキングの国である。
言語として、われわれはほとんど接触する機会さえなく、そこにある企業群と“支配者”の姿を想像することさえできない。しかしノルウェーの作家イプセンの小説『民衆の敵』は、スティーヴ・マックィーンが主演して映画化されたが、すでに十九世紀に公害に立ち向かって孤立してゆく男の苦悩を描いた作品であった。
同じノルウェーの画家ムンクの病的な絵画、デンマークの童話作家アンデルセン…いまここで知ろうとしているのは、芸術論やトナカイの物語ではない。一九九〇年代にあって、国際原子力機関(IAEA)の事務局ハンス・ブリックスがなぜスウェーデン人であるかという理由を誰も知らない。
スウェーデンとノルウェーに本拠地を置くノーベル・トラストが、全世界に“栄光の最高峰”という幻想を与え続けるノーベル賞をもって、何を画策しているのであろうか。ノーベル・トラストとは、兵器トラストである。
ノルウェー最大の企業「ノルスク・ヒドロ」から、原爆材料の重水をアメリカに運び出す作業をおこなったのが、キュリー夫人の娘ムコ、フレデリック・ジョリオ=キュリーであった(相互参照)。
彼はのちに、原子力の軍事利用に反対した人物とされているが、それはフランス人特有の表現である。P706問題のスターリン平和賞を受けたのが、偉人ジョリオ=キュリーの正体であった。
ヨーロッパ原子力の最先端を歩んでいたノルスク・ヒドロ社は、当時まだ「ノルウェー窒素」と呼ばれ、肥料から出発した化学会社だったが、第二次大戦後に水力発電を中心とした広範な分野に進出し、“ノルウェーの水力”を意味する現社名に変わったのである。
2022.07.21追記(ご参考)グレイト・リセットを提唱する富豪の正体(tw)第二次大戦では、爆薬の製造によって莫大な利益をあげた死の商人だ。子会社が「ノーベル産業(ノルウェー)」、一九八四年から社長の座についた人物は「そーベル産業(スウェーデン)」重の役であるから、ノーベル・トラストの象徴的な存在である。
実母の存在を隠していたクラウス・シュワブ(tw)は、父親の過去にも触れたくなかった。彼の父親であるオイゲン・シュワブは、スイス企業の「エシャー・ウィス」がラーフェンスブルクに設置したドイツ支店に勤めていた。1920年代のドイツは第一次大戦後のヴェルサイユ体制で散々痛めつけられたから、国内の軍需産業は衰退し、金融面でも苦しい立場にあった。その上、1929年の世界大恐慌が襲ってきたから、ドイツ経済は不況とハイパー・インフレに見舞われ、失業者が彼方此方に溢れる始末。こうした不況もあってか、エシャー・ウィスも次第に経営が苦しくなり、倒産の危機を迎える状況になっていたという。
しかし、アドルフ・ヒトラーのナチ党が台頭すると、エシャー・ウィスは国家に貢献する企業となった。同社は「国家社会主義のモデル・カンパニー」へと変貌し、倒産の危機から脱出できたという。やがてエシャー・ウィスはドイツ国防軍に武器を供給する製造業者となり、水力発電のタービン技術を開発したり、戦闘機の生産にも従事するようになったそうだ。このスイス企業はノルウェーにある「ノリスク・ハイドロ(Norsk Hydro)」にも水力プラントの技術を提供していた。(Jonny Vedmore, Schwab Family Values, Unlimited Hangout, February 20, 2021.)
これよりも更に特筆すべき点は、エシャー・ウィスがプルトニウムの生成に欠かせない重水(heavy water)を提供していたことだ。マンハッタン計画の内容をちょっと勉強した人なら知っていると思うが、プルトニウム生産用の原子炉で使われる減速材には黒鉛(graphite)が使われていた。
戦後はパリバ銀行の資本を導入し、原子力発電に暗躍してきたが、このダイナマイト・トラストが原爆にヒントを得て原子力トラストに変貌した一世紀を図解すると、次の見開きのようになる(系図63)。
図の上半分は、現代のスカンジナビア半島に君臨するスウェーデンの帝国「ノーベル・ダイナマイト・トラスト」を示している。日本人が誰でも知っている自動車のヴォルヴォ、SAAB、ノーベル賞を与えるノーベル財団、スカンジナビア航空などの名前が見える。
一九八八年にアメリカのマンモス会社GEやウェスティングハウスを抜いて、世界最大の重電機メーカーとなった「アセア・ブラウン・ボヴェリ」がこのトラストの中枢となって、チェルノブイリの事故から二年後にソ連へ原子炉を輸出すると発表した。
モスクワの東およそ一千キロのディミトロフグラードに、西ドイツの「ジーメンス」と提携して輸出する仮調印をすませたのである。西ドイツの原子炉をスウェーデンが製造していたことを知る人は少ないが、ブロックドルフなど四基の圧力容器はスウェーデンが西ドイツに輸出したものである。
上半分は、スウェーデンの重要な企業と銀行が、ここに描いたものすべて、一社であることを示している。国内の産業は、これで少なくとも半分が支配されていることになる。
そこにオランダ、ベルギー、スイス、フランス、ノルウェー、イギリスが組み込まれている。北欧にあるのは、サンタ・クロースとノーベル賞と思えば、とんだ間違いを犯すであろう。
一九八九年の一人当たりの国民総生産(GNP)では、全世界の三位にノルウェー、五位にスウェーデンがランクされていた。このダイナマイト・トラストを生み出した人脈を示すのが、図の下半分である。
アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトを発明して簡単に大金持ちになったわけではなく、兄がペテルブルグの軍需工場を建設するに当たっては、ロシアのロスチャイルド家グンツブルグに数々の指示と資金を仰がなければならなかった。
また、スウェーデンのストックホルムに建設されたノーベル工場は、資金がナポレオン三世の力添えによるもので、P707そこで生産されたダイナマイトが鉱山と鉄道建設に最大の力を発揮したのである。
こうしてナポレオン三世と鉄道王ジェームズと二百家族の物語によってノーベルの資産が築かれ、ダイナマイトの買い手が鉄道王ジェームズの一族に集中してしまった。
ロスチャイルド家は、ノーベルのダイナマイトを握ることによって十九世紀後半の大々的な鉄道建設に成功し、やがて世紀末のバクー油田開発では両社が堂々と手を組み、ロックフェラーと対決する運命をたどっていた。
このようなノーベル物語は、断片的とは言え、史実のところどころに描かれている。さらにわれわれが知りたいのは、スウェーデン人としてノーベル財閥を動かす具体的なロスチャイルドの手である。
それが図の中央、★印のところに系図を示したヴァーレンベリ一族であった。ファミリーの代表的な人物だけを書いてあるが、この一家族が、スウェーデンの産業の半分を支配してきたのである。
Wallenbergと書くので、知らずに英語読みすればワレンバーグになるが、ヴァーレンベリと読む。問題の原子炉メーカー、今や世界最大の重電機メーカーとなった「アセア」を所有し、スウェーデン最大の家電メーカー「エレクトロラックス」を支配し、世界最大のマッチ製造会社「スウェーデン・マッチ」、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーが共有する航空会社「スカンジナビア航空」、自動車の「SAAB」…実にこの一族が握る最高幹部のポストは、大企業だけで楽に二十を超えると言う。
わが国で人気の高い自動車ヴォルヴォもヴァーレンベリの手中にある。ヴォルヴォ自動車は、もともと同家が支配する世界最大のベアリング・メーカー「SKF」の自動車部門が切り離されて誕生した会社であった。
工業界でSKFを知らぬ者はいない。なぜなら、ベアリングなしの機械はほとんど存在しないし、戦争屋にとっては戦車も製造できなくなるからである。アメリカの雑誌“ライフ”がこのような驚異の独占を特集し、「ヴァーレンベリは慈悲深くもスウェーデンの産業を五〇パーセントもコントロールしてくれる」と皮肉をこめて大きな特集記事を書いたのは、今から四半世紀も前のことであった。今日では、航空・自動車業界だけで五八パーセントを支配している。
ヴァーレンベリ一族は、系図63のように外務大臣まで生産してきた。読者の推理では、この一族がどこから資金を得たとお考えであろうか。
ソ連のペレストロイカが進行し、東ヨーロッパの土台が激しく揺らぎはじめた一九八九年十月、この謎の一族について秘密を解く鍵ともいうべき事件が起こった。かつてスウェーデンの外交官であったヴァーレンベリの妹が十月十五日にモスクワに到着し、そのニュースが国際的な波紋を投げかけた。
第二次大戦中、ヴァーレンベリはハンガリーにいた十万人のユダヤ人をゲシュタポの手から救い出した大戦の英雄だったが、終戦の年、一九四五年にハンガリーを解放したソ連軍がP710ヴァーレンベリを逮捕し、そのままどこかへ連れ去って行方不明になっていたのだ。
この外交官が、カチンの森の虐殺、モロトフ=リッベントロップ密約の秘密について知っていたためという疑いさえ持たれているが、妹が今回モスクワを訪れたのは、兄と再会するためであった。
ソ連は、「KGBのルビャンカ(Lubyanka)刑務所でヴァーレンベリは一九四七年に死亡した」と発表してきたが、彼はまだソ連の強制収容所で生存しているという噂が絶えないのである。この妹ニーナはKGBの高官と会って兄の行方を質すためにモスクワに来たのだが、彼女の夫は国際的な司法官として著名な人物、ラゲルグレンであった。
インド・パキスタン国境のカシミール問題、BPとリビアをめぐる石油利権問題、イラン革命後のアメリカの資産問題など、国際的な紛争の法廷で裁判長をつとめてきた。しかしそのなかに、アラブとイスラエルをめぐる紛争も含まれている。
外交官ヴァーレンベリの義兄弟が、中東問題について公正な裁判をおこなうことが可能であろうか。この点については、国際的な議論が必要である。
スウェーデンのパルメ首相が反核平和運動をおこない、一九八六年二月二十八日、何者かによって暗殺された。スウェーデンにはストックホルム国際平和問題研究所(SIPRI)があり、世界で最も権威ある軍事年鑑がここから発刊されている。
中立国スウェーデンは、ノーベル賞などによって、“平和の象徴”という顔を見せながら、実際には第一次大戦の死者によって莫大な利益をあげたのである。
ノーベル・ダイナマイト・トラストは全世界の非難の声によって解体されたが、それも表面上の解体でしかなかった。第二次大戦に突入すると、スイスと共に両陣営の火に油を注ぐ新しいトラストが国際的に動き、またしても国家のなかの一国家と言われるノーベル・シンジケートが利益をあげてきた。
最近では一九八九年に、インドのラジブ・ガンジー首相らがスウェーデン最大の兵器メーカー「ボフォルス」から莫大な賄賂を受け取って国家予算を兵器に注ぎこんできたことが暴露され、“独立の父”ネール首相の孫が辞任に追い込まれた(ラジブ・ガンジーは一九九一年に爆殺される運命にあった)。
これはアルフレッド・ノーベルが十九世紀末にボフォルスに設立した爆薬工場で、その後はクルップとシュネーデルが大株主となって発展した兵器工場である。インドの現在の貧困と、世界一の兵器輸入の原因は誰にあるのか。
際限なく繰り返されるインド、パキスタンのカシミール紛争の陰には、ノーベル財閥が動く姿がある。その母体であるノーベル財団は、スウェーデン産業の半分をコントロールするヴァーレンベリ一族を、代々にわたって理事の座に迎えてきた。
この一族の富を築いたアンドレ・ヴァーレンベリが一八五六年に、「ストックホルム・エンシルダ銀行(Stockholms Enskilda Bank)」を創立し、この金庫を中心に、ダイナマイトの発明家ノーベルの資産が運用されてきたからである。
P711ノーベルの遺言書にはこの銀行に預けられ、その金庫から取り出された遺言によって、ノーベル賞は誕生してきた。
ヴァーレンベリ家の富の象徴は、現在は「スカンジナビア・エンシルダ銀行(Skandinaviska Enskilda Banken AB、通称SEB)」と名前を変え、世界じゅうの人間がノーベル賞にある種の栄光を見ているとき、まったく別の事業に没頭している。
ノーベル賞を誕生させた遺言には、次のように書かれていたのである。「遺言の執行人は、遺産を確かな有価証券に投資することによって、基金をつくること」。
ノーベルの資産が預けられた場所、そのひとつが「ジョゼフ・ゴールドシュミット」だったのである。その裏には、次のようなスカンジナビア半島の開拓史があった。
かつての時代、スウェーデンの工業はイギリスに百年遅れて出発したが、北欧に眠る鉄鉱石を狙うイギリス人が鉄道を敷いて地元の鉱山を買い取り、バルト海の港からこれを運び出したとき、ヴァーレンベリ家はその外国資本の介入に猛烈な反対の活動を展開し、妨害しようとした。
ところがそのイギリス資本は、賢明にも重役室には入ろうとせず、地元スウェーデンに設立した会社にヴァーレンベリたち大銀行家を役員として招き、しかも市場より安値で彼らに株を分配した。こうしてヴァーレンベリ帝国が築かれたのであった。
そのイギリスの資本家の名は、「ゴールドシュミット商会」のアーネスト・カッセルであり、そのときのパートナーがドイツのワーバーグであった。さきほど、ラジウム研究所をギネスと共に所有した男として紹介した。シティーの支配者カッセルである。
当時の業界では、このような手口を“カッセルの潤滑油”と呼んでいたが、油をさしてもラった人間は、ほかにも数々あった。ヴァーレンベリ家と共に、ノーベル財団のなかで専務理事をつとめ、最大の実力者とされてきたのが、スティーブ・ラメル男爵である。
男爵の爵位を授けたのはスウェーデンの王室だが、この世界をロスチャイルド家と共に描いた系図が、さきほどの“ノーベル・ダイナマイト・トラスト”の下半分である。
多くの人が王室を特別な存在と感じるのは鉱石などに幻惑された錯覚で、実は土地の分捕り合戦の末に領主となったのが王室の人間たちにすぎない。このスウェーデン王室が、わがロスチャイルド家のイギリス王室と、わがロスチャイルド家のナポレオン一族と結ばれ、イギリスとフランスのサンドウィッチになっている点が興味深い。
ノーベル財団の№1ラメル男爵は、この王室の系図から出てきた代理人であることがよく分かる。それは“赤い盾”の系図にほかならない。イギリスのマーチャント・バンク、南アを支配するわがハンブローズ銀行が、出身は同じデンマークの男爵であった。
同じと書くのは、スウェーデン王室とデンマーク王室が結婚し、アン王女はそちこちでロスチャイルド家と閨閥をつくっているからである。P712スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの北欧三ヵ国、一八七五年から金融連合を形成していた。
ハンブロー家はノルウェーでも政治家として大きな勢力を誇っていたが、ノルウェーからノルスク・ヒドロ社の原爆材料“重水”がアメリカに運ばれた大戦中、マンハッタン計画を監督したのが、チャールズ・ハンブローだったという史実は、そこから生まれたのであった。
『肉体と悪魔』でスターとなったグレタ・ガルボは、この北欧スウェーデンからハリウッドの最高峰に登りつめた女優だが、日雇い労働者を父に持つ貧しい家に育った彼女は、生涯孤独であった。
『クリスティナ女王』に主演しても、このようなスウェーデン王室の世界を演じること自体、不本意であったろう。ヘップバーンとは生まれが違ったのである。
スウェーデンで最大の銀行「スカンジナビア・エンシルダ銀行(Skandinaviska Enskilda Banken AB、通称SEB)」の資金は、十九世紀にはドイツから来たが、その後、フランスとイギリスに頼ってきた。それが“赤い盾”にほかならなかった。
原子力誕生の歴史から、ヴァイキングの知られざる姿を一望したが、ヴァイキングの剣によって証明されるスウェーデンの鉄鋼業の伝統が、今日の世界最大の重電機メーカー、「アセア・ブラウン・ボヴェリ」を誕生させ、原子炉を生み出してきた。
話を先に進めよう。マンハッタン計画の成功によってわが国に二発の原爆が投下され、第二次世界大戦が終わりを告げた。そのとき、「ロスチャイルド財閥は、ユダヤ人として壊滅した」という言葉が、地球全土の金融界と工業界で語られた。それは大きな声で、堂々と語られたものである。
わが国の『経済団体連合会十年史』を読むと、「財閥の解体」と題する章には、次のように書かれている。
昭和二十一年(一九四六年)二月発表された財閥の解体についてのGHQの基本的見解は次の通りであった。アメリカが冒頭からロスチャイルドに言及しているこの部分は、彼らの対決意識を想像させる興味深い一節である。
一、財閥は日本特有のものであって、他国でこれに類似するものとしては、ロスチャイルド以外にない。しかしロスチャイルドは現在存在しない
二、…
では、そのGHQ(連合軍の総司令部)を動かしていたアメリカ最大のモルガン財閥とロックフェラー財閥は存在しなかったのか、と反問したくなる一分だが、アメリカの方式はロスチャイルドや日本の三井や三菱とは違っていたのである。
彼らは系図より、むしろ能力と資金に重きを置いてビジネス界を作りあげ、新大陸の若い財閥を形成しはじめていた。
ところがロスチャイルドの構造は、これまで示してきた通りである。多くの現象は、数百年の歴史を頭に入れておかなければ解き明かすことができない。P713 地球の全史ともいうべき頂点に立ったのが近代のロスチャイルドだったからである。
このメカニズムを解き明かすには、寝台のきしみ具合をひとつづつ点検し、そこで生まれる赤児の父親と母親の名前を記録してゆかねばならないので、複雑な三次方程式を理解しておく必要がある。
ところが一度この数式をマスターすれば、やはり正確な解答が得られる。GHQはそれを財閥と呼んだものらしい。そして、「ロスチャイルドは現在存在しない」と…
歴史の浅いアメリカ人が指した甘い一手であった。広島と長崎に黒い雨が降った一九四五年、ロンドン・ロスチャイルド家で最年長となったアンソニーは、カナダに広大な山林の開発権を獲得していた。
初代マイヤー・アムシェルから数えて五代目にあたる世代で、ネイサンの血を引いて生き残っていたのは、すでにこのアンソニーと、フランスでラジウム製造所を建設したドクトル・アンリのふたりだけであった。
アンリが前述のように「リオ・チント・ジンク」の創業一族の娘と結婚し、スペインからアフリカまで広大な範囲の鉱山を完全支配していたのに対し、ロンドンの当主となったアンソニー・ロスチャイルドは、フランス人の重要な一族を寝室に迎えていた。
パリ・ロスチャイルド家の鉱山会社「ペナロヤ」の創業ファミリー、イヴォンヌ・カーエンが妻だったのである。この女性は本書上巻で、すでに第二次大戦で登場し、“テュッセン男爵とシュレーダー男爵の異様な世界”の系図32に“ユダヤ富豪のカーエン家”として記されている人物、つまりユダヤ人救済のため、またナチスを打ち倒すため、イギリスの富豪を結集させるための女性である。その富豪の富は、鉱山から誕生したものであった。
こうして戦後直ちに、ロンドンとパリが人材を交換する形で、今日のヨーロッパ原子力産業の骨格がほとんどロスチャイルド家の手でつくられた。アンソニーがカナダに買い取った山林の開発権は十三万平方キロにおよび、それがわが国の面積の三分の一を超える広さであり、イングランドと同じ面積を支配してしまった。
原爆成功のニュースによって原子力産業に突進したのはアメリカ人だけではなかった。アンソニーはこのカナダに、ウランの鉱山を開発する新しい事業に乗り出していった。
「ロスチャイルド財閥は現在存在しない」とは、同じ北アメリカ大陸に住む人間としてあまりに軽率な判断であった。ウォール街の頭のうえで、ロスチャイルドは世界最大のウラン鉱を掘り出していたのである。
いまや全世界の原子力発電のシンボルとなり、日本と全ヨーロッパから放射性廃棄物を集めるフランスと、ロスチャイルド家の鉱山会社の関係は、こうして誕生した。
アンソニー・ロスチャイルドの妻カーエン家が創業した「ペナロヤ」とその親会社「ル・ニッケル」(現イメタル)を中心に、傘下にあるウラン・メジャーの「モクタ」などがフランス・ロスチャイルド家の鉱山業者であった。
P714それに対してドーバー海峡の向こうにある「リオ・チント・ジンク」を筆頭に、その子会社「リオ・アルゴム」がカナダをおさえ、この両者が南アを動かしてナミビアの「ロッシング鉱山」を支配、さらに「オーストラリアの鉱業」を通じて三大陸をロンドンからコントロールしたのが、イギリス・ロスチャイルド家であった。
ところがイギリスとフランスの両家は、妻を相互に交換し、重役の席を相互に交換していたため、どちらがどちらとも定義できないウランの国際秘密カルテルを形成し、価格を自由に操作できる状況を生み出してしまった。
ウランの三大生産地、カナダ・オーストラリア・南アが一家族の手に落ちたのである。これはオッペンハイマー=ロスチャイルド家のダイヤモンド・カルテル~金塊カルテルと同一のものであった。
しかしカルテルとは、その独占価格を崩す違反者をこの世から消し去ることによって、はじめて成功するものである。以上のほかに、ウランの資源国がもうひとつあった。アメリカの西部は、ゴールドラッシュからウランラッシュへと時代は移っていった。
西部の原爆実験と共に、ユタ州を中心に広大なウラン鉱が次々と発見され、カリフォルニア、コロラド、ネバダなどの各州で掘り出されるウランが、こちらは別の力で一つに糾合されつつあった。
一九五〇年代に大量の核実験がおこなわれ、それと同時に西部では異様な光景が展開した。南アのキンバリー鉱山などでダイヤの利権を求めて労働者が殺到したように、アメリカ西部にカウボーイ・ハットをかぶった男たちが野宿のキャンプを張り、翌朝にはピストルの合図で一斉に走り出し、荒れ地に杭をうち込んで自分の縄張りを宣言するという狂気のウラン争奪戦がおこなわれたのである。
そこに誕生したのが「ユタ・インターナショナル」を根城とするアメリカのウラン・カルテルであった。これは銅山業者の「ケネコット」と非鉄金属で世界一の「アサルコ」が支配するもので、ロスチャイルド家はこのアメリカン・カルテルと提携することさえ可能ならば、金銀ダイヤと同じように地球全土のウランを掌中に握れるのだ。
アメリカン・カルテルを動かすのは、J・P・モルガンの孫ヘンリー・スタージス・モルガンであった。ところが“赤い盾”は、シティーのモルガン・グレンフェル銀行を通じてウォール街と交渉する方法を敢えて取らなかった。
モルガン家と公然たる活動をおこなえば、全世界に手の内を読み取られ、カルテルという秘密行動そのものがライバル業者に防御意識を持たせてしまう。そうなれば、“現在存在しないロスチャイルド”に対してビジネス界が驚き、襲いかかってくるであろう。
之から買収してゆかなければならない鉱山の値が不当に高くなったり、価格操作が不可能になる。ロスチャイルド家はどのように行動したのであろう。何もしなかったのである。何ひとつアメリカ西部に働きかけなかった。
P715ところが今日、アメリカン・カルテルはロスチャイルド家の傘下に入り、地球というボール全体が、リオ・チント・ジンクとイメタルの秘密シンジケート団によって、たった一社のものとなっている。ロスチャイルド銀行が全ウランを動かしている。
このミステリーは、本書の第一章に語ったタイタニック号の物語を記憶されている方には、容易に解けるであろう。ユタ・インターナショナルというウラン・メジャーの支配者は、「ケネコット」「アサルコ」の両社であった。
しかしこの二社の“重役・社長・会長”の要職を占めてきたのが、ハリー・フランク・グッゲンハイム、エドモン・グッゲンハイム、ソロモン・グッゲンハイム、サイモン・グッゲンハイム、ダニエル・グッゲンハイム…わが“赤い盾”の鉱山王だったからである。ロスチャイルド家がどのような契約を取り交わす必要があろう。
この関係は、わが国の官僚にまったく理解されていないようである。日本の外務省経済局がまとめた『70年代における資源外交』と題する分厚い報告書を開くと、「ル・ニッケル」と「アマックス」と「パティーニョ」による鉱物資源の略奪戦争が、詳しく解析されている。
国境で分ければフランスとアメリカとボリビアの鉱山業者の争いに見えるが、系図が一枚で描かれることに、日本の外交官は気づいていないのである。
こうしてアンソニー・ロスチャイルドがカナダに土地を購入すると同時に、ドゴール将軍はフレデリック・ジョリオ=キュリーを初代の長官として、原子力庁を創設した
この原子力庁には、大きな特色があった。公的な機関でありながら、「幹部には自由な活動が認められる」ということを、一九四五年十月十八日の政令によって定めていたのである。
ウランのロスチャイルド支配を知れば、これがどれほど危険な政令であったかは言うまでもない。しかしそのときドゴールの右腕となっていたのが、死の商人マルセル・ダッソーとギイ・ロスチャイルドであった。
ジョリオ=キュリーの妻イレーヌ・キュリーも原子力委員に任命され、実働チームのボスとして、アメリカのマンハッタン計画を監督したベルトラン・ゴールドシュミット(Bertrand Goldschmidt)が任命された。
この男が化学部門を担当し、ウランの精製と濃縮など、ロスチャイルド家の事業に直結する世界を完全に支配した。名前はゴールドシュミットだが、ウランシュミットと呼んでもよい存在となった。
三十三歳の若さで最重要ポストを握ったこの人物は、パリのキュリー研究所で助手として育てられ、やがて戦時中にはカナダに派遣されてウランの利権をおさえ、アンソニー・ロスチャイルドの土地買収に貢献してきた。
のちに全世界の原子力産業の頂点に立ち、スリーマイル島の事故のあと国際原子力機関(IAEA)の議長となったウランシュミット、この男がロスチャイルドのウラン・カルテルを完成させた人物である。
IAEA、その名はいまや、生体実験の代名詞として使われるようになった。ソ連のチェルノブイリ事故のあと動き回り、「このような事故はサッカー場の騒動よりも軽微なものだ」と全世界に告げた機関。
この秘密組織は、白ロシアをはじめとする広大な範囲で被害が目に見えるようになった一九九〇年、最も危険な汚染地域の住民に放射能測定用のフィルム・バッジを付けさせ、ひそかにこれを回収して、住民にはその結果を教えない。この住民には、死の影が一歩ずつ近づいている状況のなかで、生体実験を続けるIAEA。
ゴールド・シュミット(Bertrand Goldschmidt)と共に、IAEAの№2、事務局次長としてこの組織を育てあげたパウル・ジョレスこそ、チェルノブイリ事故が発生したとき全世界の乳製品を支配するネッスルの会長であった。
白ロシアで子供たちが倒れはじめたとき、その食卓にあがる肉や野菜の放射能の平均値は、食品一キログラム当たり三七〇ベクレルという高い値であることが、白ロシアの放射線学の専門家ヴァシリー・ネステレンコによって告発されたのが一九九〇年のことであった。
しかしチェルノブイリの事故直後、ヨーロッパで乳幼児に与えられる乳製品も含めて食品の“安全基準”がECによって定められたとき、その値がちょうどこれと同じ、きわめて危険な三七〇ベクレルであったことを、わが国の多くの母親は記憶されているであろう。
その数字を決めた犯人がどこにいたかを、ネッスルの会長の履歴は示唆している。
このIAEAがウクライナの首都キエフに“全ソ放射線医学総合センター”を設立させ、全ソすなわちソ連全土の被害データを総括することになった。そしてチェルノブイリの大被害は、このセンターのコンピューターによって完全に統轄し、同時に抹消することが可能になった。
一九九〇年八月三日に放映されたNHK衛星放送の一時間におよぶインタビューは、スリーマイル島の事故のあとにも見られなかったほど不気味な番組であった。
ウクライナのキエフ小児科産婦人科研究所の女医イリーナ・ゴルディエンコを招いて、「ソ連では何の被害も起こっていない」と語らせたのである。すでに白血病と甲状腺障害のため子供たちがバタバタと倒れている時に、逆証明を試みようとしたものらしい。
ところが皮肉にも、その番組がIAEAと原子力産業の構造を逆証明することになった。同じ研究所から来日した保健省の医師アンドレ・ヤコブレフが、すでに明らかな嘘を語りまくって帰ったあとだったからである。
キエフの同じ研究所から来日したこのふたりに共通していたのは、全世界のジャーナリズムが取材した“チェルノブイリ同盟”という市民グループと深く係わり、IAEAと絶えず接触してきたことであった。ある種の市民グループそのものが、最近のソ連では疑わしい存在であった。
P717彼ら曰く、動物の異常はない、もともとウクライナの汚染はひどい、子供の異常はすべてストレスによるもので放射能は関係ない、キューバに行ったチェルノブイリの子供たちは保養に行っただけだ、妊婦の異常は鉄分が不足したための貧血症と恐怖症によるものだ、注射器は不足していない…想像を絶する言葉が次から次へと口をついで出た。
キューバへ治療に行った子供たちが病院で白血病に苦しんでいると現地で報告されている時に、これらの言葉が語られたのであるから、彼らの正体は明らかであった。
秘密機関IAEAのフランス代表を四半世紀にわたってつとめ、フランス原子力産業を半世紀にわたって支配したベルトラン・ゴールドシュミット(Bertrand Goldschmidt)、それは白血病で死んだキュリー一族の怨念を背負うキュリー研究所が生んだ怪物であった。
彼女の再従兄は通称ヴィクター(相互参照)と呼ばれ、イギリス核兵器研究所の副所長ウィリアム・クックの親友だったが、ソ連のスパイではないかと深い疑念に包まれたまま、一九九〇年三月二十日、七九歳でこの世を去った。
シェル石油の研究所会長として、シェルをMI5のために利用させ、諜報機関を操ってきた謎の人物ヴィクター。
この男がソ連のスパイであれば、ソ連の核兵器開発と原子力開発は、西側のイギリスから容易に最高機密を入手しておこなうことが可能であったはずである。しかも親しい一族ベルトラン・ゴールドシュミット(Bertrand Goldschmidt)がフランスの機密を握っていたのである。
その見返りにヴィクターが得た報酬は何であったのか、その最も重要な部分が解明されない限り、過去半世紀近く続いた東西対立の世界史は、永遠に暗黒のまま闇に沈んでゆくであろう。
創作された東西対立ではなかったのか。
ヴィクター--正式名ナサニエル・マイヤー・ヴィクター・ロスチャイルド。
『ロシアより愛をこめて』の物語を地で行ったのが、ヴィクターであった。(上巻で述べたが、最も権威あるヴァージニア・カウルズの『ロスチャイルド家--The Rothschilds』という書物では、ヴィクターとゴールドシュミットの関係を示す系図に誤りがあるので注意されたい)。本書はロスチャイルド家の物語である。
久しく示さなかったが、ロスチャイルド本家だけの系図64を描いてみよう。ただし今度は、彼ら自身の事業を示す系譜である。
ロスチャイルド・ファミリーの手は、鉱山会社を通じて原子力に集中してきた。しかもイメタル、ペナロヤ、リオ・チント・ジンクの三大鉱山会社が、いずれもフランス家とイギリス家によって共有されてきた。
そのリオ・チント・ジンクが核兵器に係わるシェルの大株主で、南アではデビアスと共同作業をおこなう一体構造となったことが、系図の社名によって物語られている。
そこに誕生したウラン・カルテルは、アフリカの場合、P720よく知られている南アとナミビアだけに進出したのではなく、ニジェールやガボンにも支配力が及んでいる。
アフリカ大陸で第二のウラン生産国ニジェールは、フランスの植民地でありながら、食品のユニリーヴァーを動かしたロスチャイルド家のコーエンが貿易を取りまとめてきた。
またガボンには、ロスチャイルド家のワーバーグが進出して、こちらもフランスにウランを供給してきた。一九九〇年に大統領の退陣を求める暴動がガボンで発生し、フランス領事たちが監禁されたため、フランスは軍隊を送り込んで暴動鎮圧に乗り出したが、南アやイラクのように世界的な問題ともならずにフランスが平然と内政に干渉しているのは、ウランのためである。
ガボンがどこにあるかということさえ、ほとんど知られていない。しかし全世界は、哲学者のジャン=ポール・サルトルを知っているし、指揮者のシャルル・ミュンシュを知っているし、ノーベル平和賞受賞者のアルベルト・シュヴァイツァー博士を知っている。
シュヴァイツァーがアフリカで医療に従事し、黒人を救った美談は全世界に広められた。しかしアフリカの各地が独立しはじめた一九六〇年代を過ぎると、この博愛的な博士の活動について、真実はそうではなかったというさまざまな噂がアフリカ大陸から聞こえてきた。
実は、シュヴァイツァーが病院を開いたのが、フランスの植民地、赤道アフリカのガボンであった。資源の略奪者と行を共にした医師だったのである。シュヴァイツァーという姓は明らかにドイツ人だが、彼はフランス人であった。
つまり兵器のヴァンデル家や穀物のドレフュス家が支配した問題のドイツ・フランスの国境地帯、アルザスの出身であった。
このシュヴァイツァー博士の姪が、実存哲学者サルトルの母親である。サルトルは第二次大戦中にレジスタンスに挺身したと言われてきたが、最近ではレジスタンスに参加しなかったとも言われるようになってきた。
アルジェリアへの侵略にも反対しなかったユダヤ人サルトル。しかしボーヴォワールとの恋で相変わらず人気はあるようだ。彼はただのユダヤ人であろうか。ソ連がハンガリーに戦車を送り込んでブダペストの民衆を殺した一九五六年、イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレの夫妻はソ連訪問を予定していたが、この流血事件を見てモスクワ公演をためらった。
そのときモスクワ行きを強く主張し、クレムリンを支持せよ、と夫婦を説得したのが友人サルトルだったのである。よく知れば、サルトルの実存主義は、アルザスの利権を背景にしたフランス人のための実存だったのではないか。
シュバイツァー博士の義兄弟に当たるのが、世界的な指揮者シャルル・ミュンシュである。彼もアルザスの生まれであった。
ミュンシュの叔父ユージェーヌに手ほどきしてもらったシュバイツァー自身が世界的なオルガン奏者で、P721哲学者であったことを考え合わせると、この系譜を知った音楽家や文学者が、“大変すぐれた芸術一族”といった類の表現をするに違いない。
ところがもし、この三人がある一族の手で創作された芸術家であったとすれば、大変にすぐれたトリックだと言わねばならない。
ボーヴォワールがサルトルとゆで卵だけの食事をした話などに感心していると、アフリカの黒人は生きる道を絶たれる。ボーヴォワール自身が大変なブルジョワ一族だったのである。
正確な系図65を示したほうが、この状況を理解しやすいだろう。
ミュンシュは音楽一家であったが、この姓を北欧ではムンクと発音するので、十九世紀末に病的な絵画“叫び”などを描いて名声を博したノルウェーの画家エドヴァルト・ムンクは一族であったかも知れない。
シャルル・ミュンシュはジュヌヴィエーヴ・モーリイという女性と結婚したが、彼女はネッスルの跡取り娘で、莫大な財産を持参して嫁入りした。
この資金を使ってデビューするとたちまち有名になり、一九三八年にはパリ音楽院の常任指揮者に選ばれ、大戦後は六七年にそれが解体されてパリ管弦楽団が創設されたとき、ミュンシュが初代の音楽監督の座につき、文字通りフランス音楽界のトップに立った。
こうした出世物語は、決して彼の音楽家としての才能を疑わせるものではない。ただし、このようなパトロンに恵まれなかった天才の存在を想像すれば、第一人者とは、P722ある家族の手に握られた世界でしか誕生しないことは事実であった。
ミュンシュの場合、彼と深く交わった音楽家がブーランクとルーセルであり、ブーランクはケクランの弟子であった。この三人は、フランス化学界の雄「ローヌ・プーラン(プーランク)」と、巨大製薬会社「ルセール・ユクラフ」と、エッフェル塔の社長でプジョー一族のケクランから誕生したのであり、みな企業家の二百家族であった。
音楽家の伝記には“裕福な生まれ”とだけ記されてきたが、その富が幼児からの天才教育を可能にして、彼らを音楽家として成功させることになった。
ヨーロッパのクラシック音楽界には、おそらくその一部であると考えたいが、このように二百家族の系図を描きながらそこに突然、一群の音楽家が列を成して登場し、指導的ファミリーが名前を連ねるということがあるのは、そのためであった。
ヨーロッパの華であるクラシックを政治家が利用したのは当然であるが、逆に音楽家自身が政治的な活動をしたのである。この物語は、聞き流すことができない次のような歴史を秘めていた。
ミュンシュ家とシュヴァイツァー家のあいだに生まれたピエール=ポール・シュヴァイツァーという人物がいる。この男がアルジェリア独立戦争が最も激しい一九六〇年代初期に、フランス銀行の副総裁として植民地にパラシュート部隊を送り込み、アルジェリアを支配するための金を動かした人物であった。
アフリカ最大の貿易会社から世界最大の食品会社にのしあがったユニリーヴァーの重役、というもうひとつの履歴が、その動機を物語っていた。実に、シュヴァイツァー家は二百家族の代表者だったのである。
そこに、新しい動機が入り込んできた。彼らの系図をさらに広く描いてゆくと、リヨンの電力会社の社長が一族となっているのである。
ガボンにフランス兵が入り、ウランの鉱石を本国に持ち帰ってゆく今日の姿を読み取ってみよう。ロスチャイルド家のカルテルが仕組んだメカニズムは、現在も植民地の住民として黒人を追い詰めているが、ニュースはほとんどフランス経由でしか入手できない。
フランス関係の外電記事を配信しているAFPのニュースを、そのまま信じるのは危険である。サルトル一族のピエール=ポール・シュヴァイツァーがIMF(国際通貨基金)の理事長となり、これらの旧植民地への融資を決定していた一九七〇年代に、フランスの原子力産業が一大飛躍を遂げ、ウラン・カルテルが公然とアメリカの原子力産業の土台を崩しはじめたのは、偶然の一致ではなかった。
GEと共に世界最大の原子炉メーカーとして君臨するウェスティングハウス社は、一九七六年十月、ウラン・メーカー二十九社を独占禁止法の疑いでアメリカの連邦地方裁判所に訴えた。訴えられたのがロスチャイルド家のウラン・カルテルだったのである。
P723このカルテルは、リオ・チント・ジンクなどの鉱山業者だけによって成立しているものではなかった。ウェスティングハウスの訴えによって明らかとなったのは、ヨーロッパ最大のアルミ産業「ペシネー」が、アルミを精錬するどころか、ウランの採掘から濃縮に至るまでの化学処理を担当し、ロスチャイルドの中枢部隊となって原子力に没頭していたことであった。
“オートモビル・クラブ”の図(系図48(1、2))を再び見ていただくと、図の一番上には、ラザール・フレールの創業一族の顔が揃い、図の一番下には、そのラザール・フレールの重役、ルノー・ジレ一族が育てたペネシー・グループの成立過程が描いてある。
系図は離れているように見えるが、ラザール・フレール重役のピエール・デヴィッド=ウェイルが、まぎれもなくペシネーの重役となっていた。“リヨンの王様”ジレ家とラザール家が、ウランの採掘、精錬、転換、濃縮、燃料製造という核燃料サイクルの全工程をおこなってきたのである。
一方、パリ・ロスチャイルド家は第二次大戦のあと、このペシネーの株を獲得して事業に直接介入していった。その工場は、シェルブールの港に面したラ・アーグにあり、イギリスのウィンズケールと並んでヨーロッパ最悪の工場と呼ばれてきた。
一般には、フランス核燃料公社(Compagnie Generale des Matieres Nucleaires--略称COGEMA)として知られる地獄の再処理工場、ひとたびここで事故が発生すればチェルノブイリの数百基分の死の灰が放出され、一瞬にして地球の全生命を絶滅されるプラント、それを動かしてきたのが“赤い盾”のラザール・フレールであった。
ゴールドシュミット=ロスチャイルド家が『シェルブールの雨傘』を製作して人気を高め、このシェルブールの工場の建設を成功させた意味が、これで一層はっきりした形で見えてくる。
リヨン工業界のジレ家が、インドシナ銀行の個人最大株主であり、ジレ兄弟社が成長して今日のペシネー・グループとなったのである。ペシネーの社史には、創業者としてメルルの名前が出てくるが、実際にそれを吞み込んだのは大工業家であった。
そのパートナーであるペシネー重役のピエール・デヴィッド=ウェイルが、やはりインドシナ銀行の重役だったという履歴は、今日のフランス原子力が、すべてロスチャイルド一族の植民地主義によって土台を築いたことの証左である。
南アとナミビアの黒人を奴隷としてウランを採掘してきた企業としては、イギリスのリオ・チント・ジンクだけが槍玉にあげられてきた。ところが現地のナミビアに入ると、ウラン鉱山として世界的なロッシング鉱山があり、その大株主の名簿には、リオ・チント・ジンクと共に、そのカナダ子会社リオ・アルゴムの名がある。
この二社でシェアは五〇パーセントを超えている。しかしそれだけではなかった。フランスの「トタール」と「ミナトーム」の二社が、それぞれ一〇パーセントずつ株を所有している。
P724トタールとは、フランス石油の商標だが、今日では社名としてもこれを使うことがある。バクー油田への投資によって、パリ・ロスチャイルド家を中心とする二百家族が設立したトタール--その名は英語でトータル--すなわち二百家族の結集を意味するものであろう。
ラフィット街の帝王ロスチャイルドは、この石油会社の株券を北部投資会社の持ち株として所有してきた。さきほどの“赤い盾”本家の図(系図64)に示した「リオ・チント・ジンク」オーナー、ギイ・ロスチャイルドがその北部投資の支配者であるから、この男がナミビアのロッシング鉱山の大株主だったのである。
P745 パリバ銀行を要約すれば、頭取のムーサが航空行政官としてダッソー・ブレゲの爆撃機開発に国家的な支援を与え…二百家族やワーバーグ銀行の資金を導入して石油と原子力を動かし…南アの帝王オッペンハイマーを重役室に迎えてウランを調達し…フリーメーソン(相互参照(1,2,3))の組織を利用して政財界に圧力を加えてきた銀行である。
戦争債券の発行によって急成長したというこの銀行の歴史が、その活動の背景を物語っている。しかしフランス国民の目から見れば、具体的な政策は、国家の予算が決定する者である。そのとき頭取ムーサの右腕ジャン=イヴ・アベレルが新頭取に就任したことで、謎が解かれる。
この男は、ロスチャイルド家の観光会社「地中海クラブ」の重役室に坐り、実はジスカールデスタンとミッテラン両大統領の懐刀、すなわちすべての予算を具体的に決定する財務局長のポストにあった。ジスカールデスタンの保守政権とミッテランの社会主義政権。
最近では特に、一九八一年二月に原子力の中核アンパン=シュネーデル・グループの買収を果たし、パリバの秘めた核分裂エネルギーは猛烈なものになってきた。アンパンとは、日本語でその言葉を聞けば面白いが、実はシュネーデル兵器の最大株主となったベルギーの原爆男爵であった。
パリバは、アンパンを食べてしまい、ジスカールデスタン大統領を呑み込んでしまったのである。
フランスの北に接するベルギーから忽然と姿を現し、巨大なシュネーデル王国を支配したアンパン男爵の素性には、次のような信じられない物語があった。
ナチスが帝国として急成長した一九三五年、ロンドンで秘かにパーティーが開かれていた。その夜のアトラクションは、ダンサーが金粉を全身に塗って踊るという、例の金粉ショーであった。ステージの前にはベルギーの大富豪が陣取り、固唾を呑んで見守っていた。
そこに登場したのが、アメリカのダンシング・チームとして名高い"ジーグフェルド・フォーリーズ"のメンバーであった。しかも売り物は、金粉だけを衣装として妖艶な踊りを見せる"美女ゴールディー"こと、ロゼル・ローランドの一糸まとわぬ姿ときていたので、その夜の乱痴気パーティーは、行きつくところまで行ってしまった。
ゴールディー・ローランドは、大富豪の腕に抱かれ・・・しばらくすると子供が生まれるものである。赤児にはエドアールという名前が付けられた。
ところがこの大富豪の家系は乱れに乱れ、金粉ダンサーはもうひとりの大富豪にも抱かれるという運命にあり、またしても子供を産んでしまったのである。今度は女の子で、ディアーヌと命名P746された。こうしてゴールディの金の肉体から誕生したふたりの赤ちゃん、エドアールとディアーヌ、それぞれに父親の名を問えば、ジャン・アンパン男爵、エドアール・アンパン男爵と答えた。
この大富豪は互いに従兄同士だったのである。実に、全世界が憂えるフランス原子力産業を動かし、ジスカールデスタン大統領と共に原子力帝国「フラマトム」を築いてきたベルギーのアンパン男爵とは、一九三五年の乱れたパーティーの夜、金粉ダンサーが身ごもった子供エドアールのことであった。
このような世界に地球の生命が握られているかと思えば、いまだにこの関係を信ずることができないが、フランスの文献と人名事典がその事実を記録している。それは次の歴史から納得することができる。
ベルギー人がいまや地球の原子力を支配している謎を解くには、首都ブリュッセルにあるNATO本部の窓から街並みを俯瞰し、ベルギー人の灰色の脳細胞エルキュール・ポワロの力を借りなければなるまい。これから統合の時代に突入する問題のEC本部も、ブリュッセルにある。
全ヨーロッパの頭脳がわが国の九州より小さな国ベルギーに集まり、EC本部で密談を重ねているのだ。原子力とNATOとEC、そしてもうひとつ、すでに述べた世界一のダイヤ・シンジケート街アントワープ、これらはベルギーのなかで無関係に存在しているのであろうか。
それは相互に深く結びついているという予感がする。中世にポルトガルを追われた多くのユダヤ人がアントワープにどっと流れ込み、全世界のダイヤモンド・センターとして街を繁栄させていったが、十九世紀に入るとベルギー革命が起こり、一八三○年には、フランスの悪の天才タレイランと取引を成立させることができた。
この男が遂にベルギーの独立を承認し、フランスとの国境を定めた条約に調印したのである。それ以来、アントワープは世界で第三位の貿易港として発展を続けてきたが、その中心人物となったのは誰であろう。
今日のウラン・カルテルの中心的企業であるロスチャイルド家の「ペナロヤ」は、創業者がユダヤの大富豪カーエン=ダンヴェール(Cahen d'Anvers)一族であると述べたが、この姓を英語で書き直すと、Cahen of Antwerp---すなわち"アントワープのカーエン"となる。
彼らはもともと、わがゴールドシュミット商会の代理人として台頭してきた一族だが、ベルギーの石炭をパリに運ぶためロスチャイルドの手で開かれたサンブル・オワーズ運河などの事業に介入し、それ以後は一帯の鉄道事業から誕生した鉱山業を取り仕切る大商人となった。
勿論、そのあとロスチャイルド家と同じ寝室に入る仲となったアントワープのカーエンが、こうしてベルギーの石炭、鉄鋼、鉄道、ダイヤをはじめとするあらゆる鉱P747山事業の代理人として、パリ・ロスチャイルド家との交易に中心的役割を果たしてきた。
こう書けば聞こえがいいが、実際の作業はそのようななまやさしいものではなかった。
隣のオランダがインドネシアの全財産を奪ったなら、このベルギーはアフリカのコンゴ(現ザイール)の地底から鉱物を掘り出し、それがアメリカに運ばれて第二次世界大戦で広島・長崎に原爆が投下されて以来、世界最大のウラン鉱をベルギー領コンゴに所有する国家となっていった(tw,関連)。
その利権がこの一九九○年代に誰に握られているかを知るには、昔懐かしいリヴィングストン、スタンレーのアフリカ探検に遡らなければならない。"偉人スタンレー"こそ、コンゴをヨーロッパの植民地に変えた男だったからである。
二歳で父を失い、イギリスから新天地をニューオルリーンズに渡ったジョン・ローランドは、偶然にも金粉ダンサーのゴールディー・ローランドと同じ姓であったが、綿花のブローカーをしていたヘンリー・スタンレーの養子となり、自らもヘンリー・モートン・スタンレーと名を変えた。
それからは世界各地を転々としていたが、ある日、有名な探検家リヴィングストンがアフリカで行方不明になるという事件が起こると、スタンレーは"ニューヨーク・ヘラルド"のオーナーであるゴードン・ベネットから「リヴィングストンを発見してくれ。資金はすべて出す」という条件であの伝説の冒険旅行へ出発することになった。
しかしこの新聞社は、慈善事業でこのような仕事を思いついたわけでなく、あらゆる利権を頭に入れ、今日でいうスパイ活動を含めてスタンレーに無数の任務を言いつけた。スエズ運河の開通に立ち会って記事を送れ、エルサレムで考古学の発掘を見てこい、バクーにもインドのボンベイにも行け、という具合で、それでも最後にはアフリカに入ってリヴィングストンを発見、有名な冒険譚が全世界に語られることになった。
このときフランス人のピエール・ブラッザも同時期に探検を試み、スタンレーに一歩先んじて赤道アフリカ一帯をおさえてしまった。これが今日のチャド問題やウラン資源の豊かなニジェール、あるいはシュヴァイツァー博士の誕生へとつながったのである。
原住民は理由もなくベルギー領コンゴとフランス領コンゴに分断され、腹立たしい部族紛争に巻き込まれていった。
スタンレーがさらにアフリカ奥地の探検に情熱を燃やしていたとき、それを支援しようと申し出たのが、今度はベルギー国王レオポルド二世であった。かくして後年ウランとダイヤの宝庫となる"ベルギー領コンゴ"が誕生したが、スタンレーはヨーロッパのさまざまの国を焚き付け、中央アフリカの財産を獲得するよう説いてまわった。
その十九世紀末にイギリス人でスタンレーを利用したのが、インド汽船だったが、この船会社は東インド会社の流れを汲み、会長のジェームズ・マッケイがスエズ運河の副社長、という危険な関係にスタンレーは飛び込んでいった。
思えば、スタンレーに最初のP748依頼をした"ニューヨーク・ヘラルド"のオーナーが、イギリスでこのマッケイ・ファミリーと仲間だったのであるから、この結びつきは当然の宿命であった。彼らは誰もが知る保険業者ロイズの一族であった(上巻系図13)。
ベルギーのレオポルド一世というのが、そもそもイギリスの女帝ヴィクトリア女王の叔父に当たる人物だったので、スタンレーまでもないが、このあとコンゴ開発に協力を申し出たのが、初代男爵エドアール・アンパンであった。
すでにロスチャイルドの事業を利用して、ベルギーの金融界に一大勢力を創りあげていたアンパンが、国王と手を組んで国家全体を支配しようと目論んだのは自然な欲望であった。
アンパンとロスチャイルドは、得意の鉄道事業を通じて互いにブリュッセルとパリの利権を与え合い、アンパンがパリに乗り込んで地下鉄第一号を建設すれば、ロスチャイルドはベルギー鉄道に大きな投資をおこなうことになった。
つまるところ、フランス北部とベルギーを結ぶジェームズの「北部鉄道」の手のなかで、両者の金塊がふくれあがったのである。ルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』はここから誕生した。
こうしてベルギーに貢献したエドアール・アンパンがレポルド二世によって男爵意を授けられ、二代目のジャン・アンパンが金粉ショーのダンサーと子供をつくり、三代目エドアールが原子力に没頭した。この三代目の男爵がフランスのシュネーデル帝国の株を買い漁り、これを乗っ取ってしまったからである。
それ以来、フランスとベルギーのあいいだに大掛かりな利権争いが生まれた、とすべての書物に記されている。ところがこれは、みなフランスの側から一方的に語られてきた説明であって、事実は違っていた。
フランス人は系図の書き方を知らないようなので、系図を描いてあげることにしよう(系図68)。アンパン帝国のパトロンである国王レオポルド(実のところ、逆に国王のパトロンがアンパンだったと考えるべきだが)、この王室の閨閥と結ばれたのが、ほかならぬシュネーデル家のユージェニーであった。
代々ロスチャイルドの鉄道に係わってきた鉄鋼王シュネーデル、それがアンパン男爵の背後にいたのだから、"赤い盾"の図面のなかでは、アンパンもレオポルドもシュネーデルも全員が同じ仲間であった。敵味方となって争うような話ではない。
そこに、アンパン男爵のフランス介入を認めたジスカールデスタン大統領を加えてみれば、二百家族の創作した歴史劇が国際的ドラマになってくる。この過去の物語に続いて、現代人にとってベルギーの底力を知っておく必要があるのは、『ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック』(ベルギー何でも会社)というマンモス会社である。
これがベルギー領コンゴP749の利権を実質的に握り、コンゴの鉱山「ユニオン・ミニエール」を支配してきた。ベルギー国内の金を三分の一も握ってしまったこの会社は、カナダやイギリスの金属会社と共同行動をとりながら、外見的には顔のない大資本、ところが内部の細胞はすべてロスチャイルドという不思議な魔術を使って、ECの隠された要塞とみなされてきた。
これがベルギー最大の「ジェネラル銀行」の持主である。第二位が「ブリュッセル・ランベール銀行」で、外国の経済紙にBBL指数という経済指標を発表してきたのが、こちらである。この一位と二位の大銀行は、ベルギー国内の大企業のほとんど全社を支配または保有しているマンモス独占体だが、両銀行は次のような関係にあった。
ソシエテ・ジェネラルの設立者は、シュネーデル兵器工場で作られた頑丈な"赤い盾"に守られるベルギー王室であった。その後も、ロスチャイルド家が育てた「商会」兼「事業銀行」である。それに対してブリュッセル・ランベール銀行は、オーナーがレオン・ランベール男爵、その妻をルシー・ロスチャイルドといい、また、会長のジャック・ティエリーは、その母がナディーヌ・ロスチャイルドという名前であった。
そのふたりのロスチャイルドは、鉄道王ジェームズと金融王ネイサンの直系子孫であった。
ブリュッセル・ランベール銀行の強さは、フランスからアメリカに渡った世界第四位の穀物商社「ルイ=ドレフュス」の株を握ったところにあった。しかもベルギーは、残るふたつのユダヤ系穀物商社の生みの親でもあった。
化学の世界でも、ベルギーの生んだ偉大な化学者エルネスト・ソルヴェイのアンモニア・ソーダ法は、現代のソルヴェイ社がイギリスの「インペリアル・ケミカル」とカルテルを結ぶ世界を生み出している。子孫のジャック・ソルヴェイはジェネラル銀行の重役として君臨し、どこを見てもロスチャイルド財閥の手のなかで、カルテルと言うよりは一族の絆の強さを証明してきた。
ECの本部は、ブリュッセルにあるのではなく、ランベール男爵家の所有するブリュッセル・ランベール銀行の重役室に置かれているのである。
ロスチャイルド男爵、アンパン男爵、ランベール男爵、この御三家を総称して、ヨーロッパの内部では原爆男爵(Nuclear Barons)と呼んでいる。系図68に続く系図69"ベルギーの原爆男爵"に、以上の構造を示す。
こうしてフランス・ロスチャイルド家は、ベルギーをひとつの分家として利用し、コンゴ一帯のウラン資源を掌中に収めてきた。そしてシュネーデル王国の悪評をアンパン男爵の責任に帰して、世界一の原子力 帝国を築きあげたのであった。
この構造がわれわれに直接どのような影響を与えてきたかを知っていただくために、ひとつの代表的な事件を紹介しておこう。一九八六年四月二十六日、ソ連のウクライナ地方で大音響と共に原子炉が爆発し、内蔵されていた死の灰が上空一P754万メートルのジェット気流にまで達した。
この放射能雲は風に乗ってヨーロッパ全土に広がり、遠くイギリスにまで汚染が及んだ。ところが前述のように、イギリスの手前にあるフランスでは、死の灰がほとんど降らなかった。ヨーロッパのなかで、フランスだけは安全だったのである。
そのとき原子炉を製造するシュネーデルの重役ジャン・デルベックは、フランス原子力委員会のメンバーとして国家を動かし、もう一方の手で企業利益を操る立場にあった。その息子のローランは、幸いにもチェルノブイリの事故直後、環境省で顧問というポストにあり、汚染がどの程度の危険性を持っているかを公式に判断し、フランス国民に伝える役割を担っていた。
ローランの妻テレーズは、これもまた原子力委員会で国際情報部門の幹部であった。この親子三人が手を組めば、かなりのことができるはずであった。
すでにフランスは原子炉を製造しすぎたため、莫大な借金を抱えて、内部では資金の調達に厳しい状況が迫っていた。そのままチェルノブイリの危険な状態を国民に知らせれば、原子炉の発注に待ったがかかり、メーカーの工場群が一層苦しくなることは火を見るより明らかであった。
しかも汚染によって食品産業が受ける深刻な経済的打撃を想像するだけで、食品販売に重きを置くデパート「ヌーヴェル・ギャルリー」の会長をつとめてきたデルベック一族は身震いがした。デルベック自身、フランス二百家族の血を引くシュルンベルジェ・ファミリーだったのである。
ここは二百家族ぐるみの結束が必要であった。
死の灰は、フランスには降ろうとしなかった。ドイツ南部のバイエルン地方は、西ヨーロッパのなかでも特に汚染の激しい地帯となったが、そこから国境を越えて一歩フランスに入ると、すでにアルザス・ロレーヌ地方であった。
シュネーデルの工場クルーゾーの本拠地になる。こうして死の灰はフランスの国土を飛び越え、イギリスへ行ってしまったのである。
そんな馬鹿なことがあるか、と思う人は、フランス政府の発表を確かめられるとよいであろう。それは最も権威ある原子力委員会の発表であり、フランス各地で子供の甲状腺の障害が発生したという住民の訴えより、はるかに信頼性が高かったのである。
その信頼できる輸入品を子供達に食べさせてきたのが、日本のグルメと呼ばれる人たちであった。
汚染食品は船積みされて、特にアフリカへ集中的に出荷されていった。チェルノブイリ事故から三年半後になっても、西アフリカのコートジボアール、トーゴ、リベリア、ベニン、ナイジェリア、ガーナ、シエラレオネなどで汚染肉の問題が起こり、その事件を起こした船会社がフランス首相一族の経営するデルマス・ヴィールジュー社であることが暴露された。
しかもその船会社の閨閥が、ネッスルやユニリーヴァーなど、世界最大の食品産業の重役を巻き込むものであることが判明P755した。このような事件が一度や二度ではない。それに異議を唱える者もない最近のフランス人の人格は、国民全体が腐りきっているのではなかと思わせるほどの状況にある。
ここでフランスを離れてみよう。イギリス連邦もまた、カナダ、オーストラリアを加えて全世界のウランのかなりの部分を供給するほど、大掛かりな原子力産業を抱えている。すでにわれわれが見てきたのは、そのうち南アだけである。
ヨーロッパ大陸から離れたカナダという国家、オーストラリアという国家は、どのような歴史を経て誕生し、実業界を誰が支配しているのであろうか。カナダではモヒカン族などの"インディアン"が絶滅の危機に瀕し、オーストラリアでは原住民のアボリジニの生存が脅かされてきた。
これまでに解き明かされてきた第三世界の支配者が、やはりカナダやオーストラリアにも進出していたに違いない……
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