第一章 亀裂 P8-40
1.2 悪夢が人間を人間にした P17-26(P26)
P26 今世紀の思想の流れは、物の本質を問う姿勢から、その物が人間にとってどのような意味をもつかを問う姿勢へと、大きく変化した。(略)
1.3 人間は身体をつくりなおす P27-40
(P36-)
P36 弓と矢が発明される前までの道具や武器は、人間の身体のたんなる延長か、他の動物の特殊な器官の真似にすぎなかった。だが、「弓と矢は、自然の何ものにも似ず、マイナス一の平方根のように、奇妙で独特な、人間の精神の産物」なのである。それは「物質的な形に転写された純粋な抽象」にほかならない。(略)
P37 この指摘は、火をめぐるバシュラールの思索を思い出させずにはおかない。知られているように、原始や未開において、人間は木片を擦りあわせることによって火を手に入れた。それではこの知識を人間はどこから得たのか。森の木と木が擦れあって自然発火するのを見た原始人がそれを模倣したのだと、たいていの人は答えるだろう。だが、そんなことがありえただろうか、とバシュラールは問うのである。(略)
性交からの類推によって手に入れたのだ、とバシュラールはいうのである。原始人にとっては、男女が互いの身体を擦りあわせると熱くなるように、木片もまた擦りあわせれば熱くなるに決まっていたのである。
(略)P39 人は原因と結果をしばしば取り違える。結果を原因にしたとき、正確さを得るために人は矢に羽をつけた、という物語が生まれたのだ。だが、ほんとうは、人は、自身の身体にむやみやたらに傷をつけるのとほとんど同じように、木と木を擦りあわせたのであり、矢に羽をつけたのだ。そして、おびただしい呪術的な行為のなかで、発火の術や矢を飛翔させる術が残ったのである。あたかも、呪術的装身具が衣装として残ったのと同じようにである。合理は後から発見されたというほかない。
(略)
第三章 表情 P86-123
3.3 笑いにおける近代 P108-123(P108-)
第四章 動作 P126-168
4.2 農耕的身体と遊牧的身体 P138-152(P138-)
第五章 軍隊 P170-205
(P-186)
P187中世の戦争は能率が悪かった。だが、近世へと移り、軍隊の構成員が騎士から兵士へと変っても、この能率の悪さは少しも変わらなかった。傭兵は、いってみれば、ダーントンが『猫の大虐殺』で浮き彫りにしてみせた印刷工と、勤務態度においてほとん変わるところがなかったというのである。
こうして、教練が要請され、練兵場が必要になる。つまり、兵士の集団を訓練し、組織的に行動できるようにするには、大変な努力を必要としたのである。
強いのから弱いの、勇猛果敢なものから臆病者、熱烈なものから冷淡なものまで無数の段差のある個人からなる結合のゆるい一隊を、よく訓練された規律ある統一された十七世紀の軍隊に変えることは、じつに偉大な機械的芸当であったのである。十七、八世紀のロココ風軍隊なるものは「旧式フットボールの試合の危険」ぐらいしかなかった。渡部昇一の『ドイツ参謀本部』は、ナポレオン戦争の意味をプロイセンの側から浮き彫りにした本だが、このロココ風軍隊の特質をもわかりやすく説明している。
それに教練自身が、西欧においてはローマ時代で実施されてから長い時代を経て、再び十六世紀に導入され、ナッソウのオレンジ公(モーリス・ドランジュ公)によって完成された。 P188そして新しい工業秩序の心理学は、十分に熟して工場に現れる以前、すでに練兵場のなかに出現していたわけである。標準化された安価な互換可能の製品をつくりだすことを目的とする兵隊の編成化と大量生産とは、じっさい機械的過程にたいする軍隊精神の大きな貢献であった。
そして内面的な編成化、画一化に並んで、生産組織にもっとも大きな影響を及ぼした外面的な画一化、すなわち、軍隊制服の発達が進行した。
一例として、フリードリッヒ二世すなわちフリードリッヒ大王の父、フリードリッヒ・ヴィルヘルム一世の軍隊「ポツダム・ギガンテン」をあげている。この王は、身長の高い兵士を好み、文字どおりの巨人軍を編成したというのである。
このポツダムの巨人軍につては、レスリー・フィードラーも、その著『フリークス』のなかで言及している。
「プロシアのフリードリッヒ一世は強制徴用の方法にかけてはことに無鉄砲で、七フィートを超える人物を見つけるや誰彼かまわず騙して連れ去り、また、彼らと対になって第二世代を産むにふさわしい大きさの女性をも誘拐したものだった」というのである。
奇観である。なお、引用中のフリードリッヒ一世は、フリードリッヒ・ヴィルヘルム一世のことである。
渡部昇一は、「このように大切な兵士をどうして戦場で死なすことができようか。好戦的と一般に考えられていたこの国王は、二度の戦争に参戦したが、ただの一度も戦闘にはこの軍隊を使わなかったのであ」と書いているが、ロココ風軍隊の典型というべきだろう。
その子、フリードリッヒ二世が大王とまで称せられるようになったのは、にもかかわらず、このような軍隊を実戦用に変え、何度も実際に使ってみせたからであった。
ルイ十四世の軍隊もそうだが、十七、八世紀において、軍隊はむしろ鑑賞し愛玩すべきものだったのである。だが、その遊びのなかから、幾何学的な組織行動の原理が生み出された。
そしてそれがやがて工場生産へと転用されるようになる。だがそれは十九世紀のなかばを過ぎてからのことなのだ。そう考えることができる。
マンフォードからの引用にある、ナッソウのオレンジ公、モーリス・ドランジュというのは、オランダのオランニュ家のマウリッツ(1567-1625)のことである。
福沢の要約
西洋において教練を初めて行ったのがオランダのマウリッツ公であるということについては、すでに福沢諭吉(tw)が『西洋事情』においてのべている。初編巻之一の「兵制」がそれだ。簡にして要を得た文章の見本といっていい。
福沢諭吉はまず、
「千三百年代、火器を発明して之を戦争に用ゆるに至りて、欧羅巴の兵制一変せり」とのべ、さらに
「千四百五十年、仏蘭西王第七世チャーレス、英国と戦いて勝ち、後患を恐れて、国中の貴族に命じ、平常の時も兵卒の備えをなさしめたり。之を常備兵の初とす」と、常備軍結成の事情に触れた後に、ヨーロッパの軍隊の変遷、兵法の発展をみごとに概括している。
(P190-概括)
(P192-)
農耕民的でもなければ遊牧民的でもない
P192福沢諭吉はまず、マウリッツのもとで調練すなわち教練が始まった経緯をのべ、さらに兵の坐作進退のの法、つまり兵が集団として振舞うべきかを研究したのがグスタフ=アドルフであることを語っている。
彼がどのように進軍しどのように退却するか、また小銃隊をどのように配置するかを初めて理論的に考えたというのである。
次にフリードリッヒに触れて、彼がまず武器の研究から始めたこと、さらに整列行進に音楽を用いたこと、そうすることによって迅速な行動が可能になったことなどをのべている。
アメリカ軍が独立戦争において初めて散兵戦術をとったことに触れているのも重要である。
これは人民軍によってはじめて可能になったので、傭兵では不可能だった。勤務評定するのものがいないところでは、傭兵は働かないからである。脱走のおそれすらあった。
このことを受けて、福沢諭吉はナポレオンの新しさを論じている。ナポレオンは「雇い人足」ではなく「国のために戦う」ものを集めたというのである。すなわち徴兵である(tw)。
したがって、散兵も密隊も可能になった。それが新しさだったと述べているのだ。
こうしてみると、福沢諭吉(tw、参照)が、ほとんど森有礼(tw)と変らない観点に立って、すなわち、あくまでもありうべき日本人の身体を念頭において、軍隊および組織行動の重要性に思いをめぐらしていたことがわかる。
だが、ここで重要なのは、日本においてだけではない。ヨーロッパにおいてもまた、集団的、組織的に歩くこと、走ることは、学習されなければならなかったことということだ。
そしてその場は、何よりもまず軍隊であるほかなかったのである。
P193比喩としていえば、身体は、軍隊という工場で鋳直され、それから本物の工場へと送られたのである。やがて、軍隊に代わって、学校が、身体の工場としての機能を果たすことになる。
だが、そのようにして成立した身体は、農耕民的でなかったどころか、遊牧民的でもなかったというべきだろう。あえていえば、それは産業民的だったのである。
5.3産業的身体の成立
(略)
第六章 体育 P208-244
第七章 舞踊 P246-268
ブックガイド P269-277
あとがき P278-279
関連
・有吉京子『SWAN-白鳥-』 解説(三浦雅士)(参照)