2019年3月25日月曜日

偏愛メモ『甘粕正彦 乱心の曠野』

P299 南欧のまばゆい陽光も甘粕の暗鬱な内面には届かなかったようである。

P317 営口(相互参照)で溥儀一行を出迎えた甘粕が、そのあと溥儀を馬車に乗せ満鉄の列車に乗り継がせて湯崗子温泉(相互参照)の対翠閣に連行したことが、満州国の幕開けとなった。(tw,tw)
映画『ラストエンペラー』

P323 一方、甘粕は日本軍出兵の口実づくりのため、ハルビンに出勤して日本総領事館やハルビン日日新聞社、朝鮮銀行ハルビン支店などを中国人が襲撃したように見せかける謀略工作を仕掛けた。三谷証言を続ける。
甘糟は十八日にハルビンに発った。私が板垣さんを奉天に出迎へたら、丁度その汽車で甘糟はハルビンに発つところだった。彼はハルビンで一騒ぎ掻き廻した。先年朝P324鮮羅南へ行ったところ、朝鮮の写真館に写真帖があり、それにはこの時甘糟等がハルビンで投げた爆弾の跡等が撮されたものを載せてゐた。

甘粕が爆弾を投げたりしたら、ハルビンの日本領事館に追い廻されたりした。この事件の時に甘粕は奉天の侠客小谷健吉、小谷は後に発心して、三四十人の孤児を育てたが、この小谷の子分を連れて行った。
ここにはフランス時代の暗鬱な甘粕の面影は微塵もない。侠客の子分を引き連れてハルビンの日本総領事館に爆弾を投げ入れる甘粕の姿は、東映のヤクザ映画さながらである。天皇崇拝の情念は、侠客の血にも通じているのだろうか。
(略)
P325 三谷はこのとき甘粕の動きに呼応して奉天に駆けつけたのが、吉村宗吉予備役中尉と大連商業学校の体操教師の和田勁予備役中尉だったとも述べている。吉村と和田はこれ以来、甘粕と刎頸の友となった。吉村は最後は甘粕の後を追ってピストル自殺をし、和田は途中で甘粕の許を去り石原莞爾の許に走った。

和田は仙台の陸軍幼年学校に入る前の会津中学時代「柔道の姿三四郎か、剣道の和田勁か」といわれた猛者だった。富田常雄の『姿三四郎』は和田の遠縁にあたる西郷四郎をモデルにした小説である。和田勁は、秋田の連隊に配属された時代、秋田一の美人と謳われた芸者の

(随時更新)