P41イギリスの産業革命のまっただ中に飛び込んだネイサン・ロスチャイルドは、英語さえ喋れないまま商売をはじめた。しかし何もこわいものはなかった。安く買って高く売る、ただこの商業原理に忠実であれば生きてゆけるだろう。
専門家はそれを“利鞘をかせぐ”と言う。その専門家がどこにいるか、これが問題であった。イギリスに渡ったネイサンが目にしたロンドンの証券取引所こそ、利鞘かせぎに生死を賭けた男たちの巣窟であった。
証券の値動きは、かつて父親マイヤー・アムシェルが古銭に投棄した活動と比べて、その規模とスピードがけた違いに大きかった。ロンドン・シティー--現在ただ“シティー”と呼ばれるほど象徴的な証券界の聖地--が、父親の商才を受け継いだネイサンの胸に火をつけた。
そこには目を奪われるばかりの活気がみなぎり、産業革命の波が一枚ずつの証券に、日々新しいインクのにおいと共に映し出されていた。五人兄弟のなかで、最も卓抜な商才を持っていたネイサン。
ヨーロッパ大陸でなくこの一歩先んじたイギリスに派遣された幸運が、この伝説の人物を生み出そうとしていたのである。
ネイサンはもの思わしげに窓の外へ目を投げていた。シティはすでに、無数の銀行家たちによって支配されていた。なかでもベアリング兄弟の力は群を抜き、東インド貿易による香辛料や紅茶、コーヒーから織物に至るまで、株券は値をつり上げながらこの一族を肥やしてゆくだけであった。
資産は七百万ポンドを超え、ヨーロッパ随一の商人となっていた。
「これを倒さなければなるまい」ベアリング家もまた、ドイツから海を渡ってやってきた。ならばロスチャイルド家が同じようにして勝てないという道理もないだろう。しかしネイサンは、ベアリング兄弟と同じ方法で立ち向かおうとはしなかった。
最大の交易地が東インドであるなら、最後にはそこでも買い付けに金銀が必要となるはずだった。幸いにも、貨幣を扱ってきたロスチャイルド家はその方面でベアリング兄弟を一枚しのぐ腕を持っている。
P42そしてネイサンは、切り札を使おうと心を固めた。ロンドンにロスチャイルド商会を開設して早くも二年後、イギリスのユダヤ人富豪リーヴァイ・コーエンの娘と結婚してしまったのである。
この婚姻がもたらしたものは、ただ大金持ちの持参金が入るだけの一時的な利益ではなかった。このときシティーの金融街を動かしていたもうひとつのユダヤ人の商家モンテフィオーレ一族(相互参照)と閨閥が生まれ、ここにネイサンは金銀の地金を自由に入手できるようになった。
なぜならモンテフィオーレ家は、強敵ベアリング一族に金塊を運んできた「モカッタ・ゴールドシュミット商会」と婚姻関係を取り結んでいたからである。
話を現代、われわれが生きる二十世紀末まで飛んでみれば、この一度の結婚が何をもたらしたかという重大な意味を知ることができる。
今日のロンドンで、毎朝ロスチャイルド銀行に集まって額を寄せ合いながら密談を重ね、全世界の金価格の値決めをおこなっているのは、ロスチャイルド家の当主のほかに四人いる。そのうちの一人が、この金塊ブローカーとして長い歴史を誇る「モカッタ・ゴールドシュミット商会」の代表である。
コロンブスがアメリカ大陸に向かった時代からスペインで活動していた一族がロンドンで「モカッタ家」を名乗り、シティーの支配者「ゴールドシュミット家」と組んで創立したこの金塊銀行は、イングランド銀行のブローカーとしてすでに一大勢力を形成していた。
ネイサン・ロスチャイルドは、のちに系図に示すように、あとからロンドンにやってきてその閨閥のなかに入り込みむと、財産をそっくりいただき、支配してしまったのである。
一九九〇年十一月二十七日、イギリスの新首相に選ばれたジョン・メージャーは、このモカッタ・ゴールドシュミット商会から誕生した。しかも選挙参謀はロスチャイルド銀行であった。
今日のロンドンは、ほぼ二百年前のネイサンの結婚式のままに動いている。
メージャー首相は、若い頃にアフリカのナイジェリアで活動したのち、「スタンダード・チャータード銀行(相互参照)」の幹部としてイギリスの旧植民地を金融支配する世界で暗躍してきた。
ナイジェリアはアフリカ大陸で最大の人口一億を数え、石油の生産量が第一位、天然ガスでも第二位という重要な資源国である。イギリス人の手で書かれた歴史によれば、暗黒大陸の中西部に上陸してナイジェリアを建設したのはイギリス人のジョージ・トーブマン=ゴールディーという人物だったとされている。
その一帯が奴隷海岸・黄金海岸と呼ばれていたつい先年までの状況を考えれば、開拓者の名前がゴールディーすなわち黄金であったことは偶然の一致ではない。実際この人物は、イギリス王室の代理人としてロイヤル・ニジェール商会を創立して鉱山業から宝石の世界にまで君臨し、のち南アの黒人支配に多大の貢献をした。
P43現在、美術品オークションの世界を動かすサザビーズの最大株主として君臨してきたのが、やはりトーブマン一族で、妻が“ミス・イスラエル”であった。この構造を要約すると、イギリスの王室や貴族にユダヤ人の宝石商が財宝を届けてきたのである。
すべては王室の許可によってこのような事業が進められ、その特許状を与えられた銀行が、メージャー首相を創り出した「スタンダード・チャータード銀行」であった。
飛行機をチャーターする、などと表現する通り、この言葉は利権を独り占めする意味を含んでいる。
十九世紀の設立当初は、この銀行がインド、オーストラリア、中国などへの侵略貿易の中心となって活動していたが、その隠然たる勢力が海外の帝国銀行として残り、今日でも香港の紙幣は、この銀行と香港上海銀行によって発行されている。
さて、このスタンダード・チャータード銀行は、親会社として持ち株会社スタンダード・チャータード社が頭にあり、ここを頂点として数々の重要な系列会社が傘下に収められている。
そのひとつがロスチャイルド一族の「モカッタ・ゴールドシュミット商会」である。もうひとつが南アの白人支配者の金庫「スタンダード銀行グループ」、そしてもうひとつが「スタンダード・チャータード・マーチャント銀行」で、一九八五年からこの最高経営責任者のポストについたパトリック・マクドゥーガルは一九六〇年代にロンドン・ロスチャイルド銀行の支配人だった。
その時代に姉妹銀行を足場にして出世を遂げたのが、ジョン・メージャーだったのである。
つまりスタンダード・グループの細胞は、かつての奴隷貿易と金塊業を一手に握ったネイサン・ロスチャイルドの一族によって構成され、今日でも変わらない。
のちにくわしく述べるが奴隷貿易の東インド会社のアジア貿易独占権が廃止された直後の一八三五年に、当時の額で千五百万ポンドという莫大な補償金を奴隷の密売人に支払ってほとんどの利権を引き受けたのが、ネイサン・ロスチャイルドとその義兄弟モンテフィオーレであった。
ネイサンがロンドンにやってきた当時(一八〇四年、二十七歳)、ヨーロッパ一の商人ベアリング商会の資産が七百万ポンドであったのだから、その倍を超える金額は誰にも想像できないほどのものであった。
現代のイギリスと全ヨーロッパについては一歩ずつ話を進めるが、金価格を決定する五大商人のうち、ロスチャイルド銀行とモカッタ・ゴールドシュミット商会の力が、多くの政治家を動かしているのである。
しかも金価格を決定する五人のうち二人がロスチャイルド家となる。では残る三人は誰であろう。
多くの人には聞き慣れない名前だが、「シャープス&ピクスレー商会」の代表がロスチャイルド銀行にやって来る。得体の知れない会社だが、その親会社はイギリス最大のマーチャント・バンク「クラインウォート・ベンソン・ロンズデール」という。
P44この最初の名前のクラインウォートと最後の名前ロンズデール伯爵家が、オーナー一族を示し、いずれもロスチャイルド家の親戚である。一九八九年にわが国の富士銀行が買収を発表したのは、この子会社としてアメリカにある「クラインウォート・ベンソン」という証券会社であった。
五人のうち三人まで…
もう一社は、創設者の名前をとって「サミュエル・モンタギュー商会」と名付けられた、これまたイギリス有数のマーチャント・バンクである。サミュエル・モンタギューの娘リリアンは、“進歩的ユダヤ主義のために世界連合”で名誉会長をつとめるなど国際的に活躍した女性だが、現在は創業者のひ孫が銀行を経営している。
四代目に当たるそのデヴィッド・モンタギューは、「J・ロスチャイルド銀行」で副会長という№2のポストにある。このモンタギュー家がまた、ロスチャイルド一族から誕生しているのである。
五人のうち四人まで…
残る一社は、貴金属商の世界で知らぬ者がない「ジョンソン・マッセイ」だが、この親会社は、重役室の名簿にイヴリン・ロスチャイルドの名が記された「チャーター・コンソリデーテッド社」である。
南アの悪名高い世界一の金塊業者アングロ・アメリカンの黒幕だ。
とうとう五人のうち五人までロスチャイルド家のメンバーによって、全世界の金価格が決定されていることになる…
気掛かりなことに、同じ重役室の名簿に、ニコラス・オッペンハイマーの名が書かれている。やがてわれわれが南アフリカへ足を運び、黒人が地底で均衡を掘り続けている姿を見るとき、遠い太鼓の響きに乗って同じ名前を耳にするかも知れない。
この南アに金を求めたイギリス人が、前世紀末に戦争を仕掛けた時、そこへ乗り込んできたひとりの高名な人物を読者はご存じのはずだ。
コナン・ドイル、あの『シャーロック・ホームズ』の作者は、『南アにおける戦争の原因と遂行』と題し、イギリス人がアフリカでおこなった戦争の正しさを緻密な筆で証明しようと試みている。
かくして彼はナイトの称号を与えられることになった。われわれもホームズに倣って、緻密な証明を試みてみたい。
シャーロック・ホームズを読みながら、ネルソン・マンデラを歓迎する矛盾があってはならないだろう。ワトソン君、ここは十九世紀のロンドンなのだ。
十九世紀の初頭、ネイサン・ロスチャイルドが築きあげようとした金塊の独占形態は、ベアリング家が手あたり次第にありとあらゆる商品を扱う取引のなかで、逆にその一切をの急所をロスチャイルド家が握るものであった。
金銀がなければ買い付けは不能になる。こうしてバイロンの詩句に、意味深い次の一節が謳われるまでになった。
---ユダヤ人ロスチャイルドと手を結ぶ、キリスト教徒のベアリング---P45ユダヤ教徒とキリスト教徒は、手を握らざるを得なかったのである。こうしてネイサンはシティーで着々と地歩を固めてゆくと、そこに一八一〇年、遂に天運が巡ってきた。
ベアリング家の総帥としてロンドン証券取引所の牛耳を執ってきたフランシス・ベアリングがこの世を去ってしまった。しかも同じ年の九月二十八日、ネイサンの一族としてユダヤ人の利権を代表してきた「モカッタ・ゴールドシュミット商会」のエイブラハム・ゴールドシュミットが自殺してしまったのである。
奇異なことではあるが、このエイブラハムの兄ベンジャミン・ゴールドシュミットも、その二年前に自殺を遂げていた。ロンドンシティーに君臨するベアリングとゴールドシュミット兄弟がふとかき消すように姿が見えなくなった時、ネイサンが無敵の王者としてシティーを動かしはじめたことは言うまでもない。
ネイサンの名は、神が与える、という意味のヘブライ語に由来する。まさしく神が遣わしたこの男は、金融王としてヨーロッパ全土を支配するロスチャイルド王国を誕生させ、このファミリーが今日まで全世界の金塊を一手に引き受け、動かし続けることになった。
ある日、ネイサン・ロスチャイルドは、ドイツのヴァイオリニスト、スフォールを豪華な自邸に招いて演奏会を開いた。当時スフォールは、作曲家としても高名な人物、押しも押されもせぬ巨匠として鳴らしていた。
ところがロスチャイルド家の当主ネイサンは、ヴァイオリンの演奏を聴き終えたあと、巨匠に向かってこう言ったのである。「これが」と、ロスチャイルドはポケットに手を突っ込み、貨幣をじゃらじゃら鳴らしながら続けた。
「これが私の音楽です」その顔は明らかに、「金こそ幸せのすべて」と語っていた。貧民街に身を起こしたロスチャイルド家である。同じイギリスの貧民街貧民街に生まれ落ちた四人の男の場合は、少々異なるようだ。彼らは"ビートルズ"というバンドを結成した。
一九六三年十一月四日、そのビートルズ全盛時代の出来事だった。この夜の会場プリンス・オブ・ウェールズ劇場は、華やか服装で着飾った人間たち、およそビートルズのスタイルとは似合わない、上流社会の聴衆で埋めつくされていた。
安い席の人は拍手をして下さい。そのほかの人は、宝石をチャラチャラ鳴らして下さい(tw,tw、tw)このときビートルズのメンバー、ジョン・レノンがステージから放った有名な言葉がこれだった。
入場料が普段の四倍という王室バラエティー・パフォーマンスでの成功のひとコマである。世界じゅうがその記録フィルムを見た。見た人間は誰もが腹をかかえた。
正式名ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドは、ヨーロッパを揺るがしたフランス革命に先立つこと十二年前、一七七七年九月十六日に、この世に生を受けた。
P46それから百六十三年後に誕生したジョン・レノンが皮肉を投げつけた会場は、実にそのネイサンがポケットのなかで生み出した音楽そのままに、金銀細工で身を固めた男女で埋めつくされていたことになる。
しかしネイサンが音楽を理解しなかったわけではない。
二十九歳で結婚、三十歳で第一子として長女シャーロットをもうけたあと、さらに四男二女を育てあげたが、このうち次女ハンナには特別の教育を施した。当時ヨーロッパで天才と謳われていたメンデルスゾーンとロッシーニが、ハンナ・ロスチャイルドの師として迎えられたのである。
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